先行きの暗い保守党党首選

現在行われている保守党党首選の結果は、下院の夏休み明けの9月5日に発表される。保守党下院議員の投票で選ばれたトラス外相とスナク前財相の二人の争いである。約16万人ともいわれる保守党党員が現在投票中だが、トラス外相が圧倒的に優勢な状況だ。世論調査の権威ジョン・カーティス教授は、ほぼ間違いなくトラスが勝つと予測する。しかし、トラス外相が保守党に大きなプラスになるかどうかには大きな疑問がある。

まず、保守党党員を対象にしたある世論調査によると、パーティゲートなど数々のスキャンダルで有権者の信頼を失い、閣僚をはじめとする保守党下院議員に追い落とされたジョンソン首相の方が、いずれの候補者よりもはるかに大きな支持がある。実際、保守党党員の10人に4人は、トラス首相では、次期総選挙は、過半数が獲得できないか、労働党が過半数を占めると予想しているが、スナクよりましと見る党員が多い

一方、保守党党首、首相になるのが確実なトラス外相が、かつて英国の労働者は怠け者で、やる気がないと言っていたことが明らかになった。財務省ナンバー2の副大臣だった時(2017年から19年)の発言である。これは、トラス外相の最近の他の発言に一致する点がある。さらに、トラスが国のサイズが大き過ぎるため国の歳出が大きくなる、国の歳出を削減すべきだとして、例えば、NHS(国民健康サービス)のGP(家庭医)の給料の10%カットやGPの診察料(現状は無料)を導入すべきだなどとかつて主張していたことがわかった。保守党に根強い「小さな国」の考え方であるが、必ずしも多くの有権者の同意を得られる考えではないように思われる。

トラス外相は、かつての女性首相マーガレット・サッチャーの再来を標榜し、自分が首相になれば、保守党流の施策を進めると強調する。その筆頭は減税である。介護やNHSに使う目的で国民保険料を1.5%アップしたが、それを撤回し、また、予定されている法人税アップを取りやめるなどとする。そして働く人の可処分所得を増やし、また、企業が投資する環境を作るというのである。その一方、生活苦に陥っている人には、今以上の「施し物」はしないとした。

トラス外相の減税政策に、スナク前財相は強く反発する。インフレ率が急激に上がっている過去40年間で最も高い10.1%(2022年7月までの12ヶ月)となり、中央銀行のイングランド銀行は、13%にも高まると予想しているが、それをも上回る勢いだ。イングランド銀行は、政策金利を過去27年間で最大の0.5%上げ、1.75%としたが、2022年9月にも0.25%以上再び上げると見られており、政策金利の上昇はさらに継続すると予想されている。

生活苦にあえぐ人が急速に増えている。光熱費は供給会社の請求に上限が設けられているが、その上限が急激に上がる見込みだ。既に多くの供給会社が卸値の高騰で潰れた。2021年10月時点で平均年1400ポンド(約22万円)だったのが、2022年10月には上限が3582ポンド(約54万円)になると予想されている。さらに2023年1月にはその上限が4266ポンド(約68万円)になると見られている。また、インフレ上昇に賃金上昇が追い付かず、実質賃金は下がっている。低賃金労働者は、トラスの提案する減税では、その効果をあまり受けないため、この中で「施し物」をしないとするのは行き過ぎだと批判され、首相になれば改めて検討するとしたが、生産性を上げるため、苦しみを与えてもかまわないという考えのようにも見える。

スナク前財相は、まず取り組まなければならないのは、現在のインフレ対策であり、この状況で、減税すべきではないとする。また、権威のある財政問題研究所(IFS)は、減税は非現実的だと批判する。2022年3月の時点では、ある程度の予算の余裕があると思われたが、インフレや年金のアップ(トリプルロックと呼ばれる制度で、2.5%、賃金上昇率、インフレ率の3つのうち最も高い率で年金が上がることになっており、10%を超える見通し)さらには国債利子の大幅上昇などで、その余裕は大幅に減ってきている。減税するために国が債務を大きく増やすのは短期的には可能でも、危機に瀕するNHS、学校それにインフレに伴う大幅な財政支出増などの中、きちんとした財政支出削減策のないままでは、長期的には非現実的だと批判する。トラスもスナクも財政支出削減策にはほとんど触れていない。

トラス外相は、サッチャー元首相の真似をするなど、信念に欠ける点があると筆者は感じていたが、実際はその逆のようだ。トラス外相は、偏った固定観念を持っているように思われる。それでも、前出のカーティス教授は、トラスは、言うことが一貫しており、政治家としてはスナクを上回っていると評価する。ただし、首相になってからその通りできるかどうかは別の問題だとするが。党首選に投票できる保守党党員の多くは、裕福な白人の高齢者で、それにアピールするような政策は、党首選を勝つには必要だろう。しかし、自分の選択肢を制限する発言は、首相になった後、時としてジョンソンと同じUターンの連続だとの批判を招きかねないように思われる。

トラス外相が外相として進めてきた政策の一つは、EUとの関係であり、特に北アイルランドの地位をめぐる問題である。EUとの離脱協定で、ジョンソン首相が北アイルランドプロトコルと呼ばれる手続きを決めた。このプロトコルでは、英国領である北アイルランドと英国本土のグレートブリテン島の間に想像上の国境を設けて輸出入の手続きをすることになっているが、これでは、北アイルランドが英国の他の地域と異なって取り扱われると、英国本土との関係を重視するユニオニストは不満を持っている。ユニオニストの最大政党である民主統一党(DUP)は、この問題が解決されなければ、アイルランドとの合併を求めるナショナリスト政党と、ユニオニスト政党との共同統治の体制である北アイルランド政府を構成しないとする。トラス外相は、EU側は、このプロトコルの再交渉に積極的でないとして、英国が一方的に制度を改めることのできる法案をEUの了解なしに提出し、保守党が過半数を占める下院を通した。上院では、保守党は過半数がないために難航すると見られているが、これをあくまで通すという立場である。EUはこれに反発し、英国に対する報復措置を取る姿勢だ。

「トラス首相」となれば、EUとの関係で強硬な立場を貫く可能性が高い。保守党の党員の多くは、その立場を支持するだろうが、EUとの関係の悪化は、英国の貿易関係に少なからず影響をもたらし、トラスの主張する経済成長に水を差す可能性がある。なお、IMFは、2023年の英国の経済成長をG7最低と予測している

さらに、トラスは、スコットランドの首席大臣(SNP)を目立ちたがり屋だとし、無視するとし、ウェールズの首席大臣(労働党)を低エネルギーコービンとなじった。SNPはスコットランドの英国からの独立を党是としている。ウェールズでは、労働党が強い。しかし、首相としてこれらの地域の首席大臣と敢えて対決姿勢をとろうとするのは、保守党党員向けにはいいかもしれないが、一般の有権者にはどうか?

2019年の総選挙では、ジョンソン首相は、保守党の強い選挙区(青い壁とも呼ばれる・地図上にこれらの選挙区を青で描くと青い壁のように見える)とともにかつて労働党の強かった選挙区(赤い壁)特にEU離脱支持者の多かった地域で大きな勝利を収め、下院の過半数を獲得した。しかし、今では、次々に補欠選挙で保守党議席を失い、「青い壁」選挙区で支持が弱まり、もしトラスの政策をそのまま実施すると「赤い壁」選挙区でも大きく票を失う可能性が高まるだろう。

「トラス首相」が実現すると、多くの保守党下院議員にとっては、ジョンソン首相に続く、新たな悪夢が続く可能性が強まるように思われる。