EU離脱交渉でほとんど身動きの取れないメイ首相

イギリス政府は、2017年10月には、EU(イギリスを除いた27か国)と将来の貿易関係についての交渉が始められると期待していたが、それはほとんど不可能となった。

EUからの離脱について定めたリスボン条約50条に従い、イギリスが2017年3月末に離脱通告したため、それから2年たった2019年3月末にはEUを離れることになる。すなわちあと1年半弱で離脱する予定だが、スムーズな離脱のためには、それまでにイギリスとEUとの権利義務関係の合意をし、欧州閣僚理事会、イギリス議会と欧州議会の承認を受ける必要がある。もし合意ができなくても、2年間の時間が過ぎれば、離脱ということになる。合意を得ようとすれば、2018年秋までには、その合意が必要とされ、また、離脱後、新しい貿易関係の始まるまでの「移行期間」が必要と見られていることから、同時期に将来の貿易関係の基本的な合意ができている必要があり、この10月がデッドラインと目されていた。

このイギリスとEUとの交渉には、イギリスがEUを離脱する離脱交渉と両者の「将来の関係交渉」の二つがある。離脱交渉では、基本的にこれまでの権利義務関係を清算する。この合意では、欧州閣僚理事会での全員一致は必要ない。しかし、定められた2年の交渉期間の延長、将来の貿易関係を合意するには、関係する全議会(例えばベルギーでは地域議会が複数ある)の承認が必要である。なお、「移行期間」の合意は、2年の交渉期間の延長とは性質が異なるが、30を超える議会の承認が必要になる可能性があることを考えると、時間はあまりない。イギリスにとっての問題の一つは、イギリスがEUとの合意なしに離脱する可能性が少なからずあり、イギリスの将来が不確かなことを勘案し、企業が投資を控えたり、イギリスからEU内に拠点を移動させたりする動きがあることだ。

EU側は、将来の貿易を含めた関係交渉に入るには、3つの点で基本的な合意ができる必要があるとする。それは、関係清算金、イギリス在住のEU市民の権利、そしてアイルランド島内のイギリス(北アイルランド)とEU加盟国アイルランドとの国境の3つの問題である。この中でも、特にお金の問題はメイ首相率いる保守党内に大きな意見の違いがあり、それをまとめるのは現在ほとんど不可能な状況だ。

メイ首相は、そのお金の問題の結論を出すことなく、次の段階の交渉に入ろうと懸命だ。9月にはわざわざイタリアのフィレンツェに行き、演説し、レトリックを駆使したが、その目的を達成することはできなかった。さらに、急きょメイ首相がEU本部のあるブリュッセルに行き、ユンケル委員長やバルニエ交渉代表らと会談することとなった。

保守党内の問題の背景にあるのは、EU離脱の考え方に大きな違いがあることだ。強硬離脱派は、合意なしで離脱し、たとえ一時的に大きなショックがあっても、中長期的に見れば、イギリスに有利に働くと考えている。これは、1979年のサッチャー保守党政権誕生後、金利を上げ、財政を絞り、多くの失業者を出したにもかかわらず、その後イギリス経済が大きく成長したことが念頭にあるようだ。しかも強硬離脱派は、イギリスの主権を重んじ、EUや欧州裁判所の管轄から離れることを目指している。一方、ソフト離脱派は、離脱に伴うショックをできるだけ小さくし、EUとの障壁のない貿易をはじめとする関係をできるだけ維持していくことが大切だと考えている。これらの二つの考え方は前提条件が異なり、妥協点を見つけ出すことは困難だ。

メイ保守党政権には下院の過半数がなく、北アイルランドの小政党、民主統一党(DUP)の閣外協力で政権を維持している状態だ。そのため、強硬離脱派とソフト離脱派のいずれかがメイ政権に反旗を挙げれば、政権を維持していけないというジレンマがある。メイ首相は、身動きの取れない状態であり、まともな実質的な交渉を積み上げていくというより、空中戦的な対応を迫られている。コービン労働党党首が、メイ政権が発足して以来、15か月間何も進捗していないではないかと批判したが、第二段階の交渉が12月までに始まらないようだと、メイ首相に対する圧力は極めて強いものとなろう。

機を見た、労働党のEU離脱新政策

EU離脱交渉の3回目が、8月28日から始まるが、交渉の見通しは暗い。この交渉開始直前、労働党がEU離脱に関する方針を大きく転換し、メイ政権に大きな重圧をかけた。

EU側が、はっきりとした目標を決めて対応しているのに対し、イギリス側の対応は後手に回っている。その上、残された時間が短くなっているため、イギリス側は、必死にあの手この手を繰り出している。EU国民投票から14か月、EUへの離脱通知から5か月たち、時間に追われているのに交渉は進んでいない。

イギリス側はその交渉指針をあわてて発表したが、それらへのEU側の対応は冷ややかだ。EU側が主張し、イギリスの呑んだ交渉計画では、交渉を2段階に分け、第一段階の①EU国民とイギリス国民の権利、②イギリスの財政負担(いわゆる離婚料)、③アイルランド島のアイランド共和国とイギリスの北アイルランドの国境、の問題で基本合意をした上で、ニ段階目の将来の関係交渉を行うこととなっている。しかし、現状では、とても第二段階に進める状況ではない。

交渉指針の発表で分かったように、イギリスの計画は、希望的観測に基づいたもので、国際交渉に必要な、それぞれの立場と能力を見極めながら進めるものとはほど遠い。

メイ政権の立場は、2019年3月の離脱後、EU単一市場(人、モノ、サービス、資本の障壁がない)と関税同盟(域内の関税を課さない)のいずれも離脱するというものである。但し、将来の関係の実施までの移行期間を設け、現在の関税同盟とほとんど同じ内容の新しい関税同盟を合意し、現在のEU関税同盟では許されていない、それ以外の国との貿易交渉を進めるというものだ。しかし、この交渉は、第一段階の3項目がある程度合意した後で行えることである。

6月の総選挙で議席を減らし、弱体化したメイ政権は、北アイルランドの民主統一党(DUP)の10議席の閣外協力で政権を運営しているが、保守党内の強硬離脱派の、特に四つの要求で身動きが取れない状況だ。それらは、①離婚料、②EU外の国との貿易交渉を離脱後直ちに始める、③欧州裁判所の管轄を離れる、④EUからの移民を制限する、というものである。

これらの問題が、保守党内で、当面、直ちに解決できる見通しは暗い。交渉の時間切れで、いわゆる「崖っぷち」離脱の可能性が高まっているゆえんだ。

このような中、野党の労働党は、その方針を大きく変更した。労働党には、EU側の対応と、メイ政権の苦境を見て、そのスキを突き、何が可能で、何が実際的かを判断する余裕がある。メイ政権の求める「新たな関税同盟」を交渉する時間的な余裕はないと判断し、離脱後の移行期間中、EUの単一市場と関税同盟、そして欧州裁判所の管轄下に残るとし、将来の関係交渉でもこれらを維持する可能性を排除しないこととした。

この結果、EU国民投票前、ほとんどの党所属下院議員が残留派だった労働党は、保守党の直面する党内の問題がないこととなり、さらに早晩、この方向へ立場をシフトさせざるを得ないと思われるメイ政権の上手を取るばかりか、保守党内の亀裂を拡大できるという効果も期待できる。

メイには非常に大きな圧力がかかっている。メイは何とか党内の批判勢力をなだめて、自分の首相としての地位を維持しようとしているが、このままでは、メイの失墜は時間の問題のように見える。

イギリスのお粗末なBrexit案

イギリス政府の、EU離脱後のEUとの貿易関係案のお粗末さには驚いた。この案の発表される前、タイムズ紙が、上級公務員の話として、省庁は内容を検討する時間がほとんど与えられておらず、わずか3日(通常12日)与えられたのみで、学生のエッセー提出のように切羽詰まって書き上げるようなものだと報道したが、この案は、まさに修士課程レベルの学生が慌ててまとめたようなもののように思われた。

この案では、イギリスは、単一市場と関税同盟を離脱するが、現在の関税同盟(拙稿参照)とほとんど同じ内容の新たな関税同盟をEUと合意し、通関の摩擦のない「まだ試されていない」システムを使うというものだ。それにはテクノロジーの開発も含む。そしてイギリスは、現在の関税同盟では許されていないEU以外の国と貿易交渉を進めるという。

この案に対し、EU関係者に「幻想的」だというコメントがあった。EUの交渉責任者バルニエは、まず、第一段階の交渉を進めることが先だと反応したが、経験豊富なEU側交渉責任者らは、このような非現実的な案では交渉は難しいと感じたのではないかと思われる。

そもそもイギリスは、テクノロジーの絡んだ新しいシステムを推進するのが得意ではない。例えば、2003年に始めた国境通過管理のコンピュータ化計画(いわゆるEボーダー)は、多額の費用を無駄にし、2014年に方針を転換したが、今なおあまり進捗していない。また、2010年に開始した、各種の社会福祉手当をコンピュータで統合するユニバーサル・クレジットは、今なお多くの問題を抱えている

イギリス案は、ビジネス界などの、離脱後のEUとの関係を心配する声を配慮し、また、EUとの2段階の交渉の第一段階の3つの主要項目、①EU離脱後のイギリスに住むEU国民の権利とEU国に住むイギリス国民の権利、②アイルランド島のアイルランド共和国とイギリスの北アイルランドとの国境問題、そして、③イギリスのEU関係負担金に対する清算(いわゆる離婚料)に対応するために将来の方向性を示すことが必要だったことは理解できる。

なお、これらの項目である程度の合意ができた後、第二段階で、貿易関係を含むEUとイギリスとの将来の関係が交渉されることとなる。

ただし、イギリスの立場で特徴的なのは、現実を直視しているように見えない点だ。今年3月にEUに離脱通知をして以来、ほとんど5か月たつ。残すのは、2年間の交渉期間(これを延長するにはEU加盟国すべての同意が必要)の内、19か月余。カナダとEUとの貿易交渉で見られるように、貿易交渉には10年程度はかかることを考えれば、決して長い期間ではない。また、第一段階の交渉で進展がなければ、第二段階に進めないため、19か月は極めて短いと言える。

しかもイギリス側は、合意された内容を離脱後に実施するまでの「移行期間」の長さを自らの意思で決められると考えている節があるが、これには、イギリスとEU側が合意する必要がある。

さらに、イギリス離脱後にビジネスが不安を持つのは、EU側も同じである。すなわち、EU側も将来の関係をなるべく早くはっきりとさせる必要がある。いつまでも交渉の結果を待っているわけにはいかない。

イギリスとEUとの貿易関係に関して、イギリスからEUへは、その全輸出の44%だが、逆にEU全輸出のイギリスへの割合は8%である。EU側は、交渉が円満に進まなくとも、その8%がすべて失われるわけではない。「離婚料」などの問題でイギリスと合意ができなければ、世界貿易機関(WTO)のルールが適用され、関税などの障壁のため輸出がある程度減る、また、部品なども両者間で関税なしで送れる体制から様々な障壁のある形となり、ある程度のインパクトがあるだろう。それでも、EU側は、一定の損失を受け入れ、イギリスとの合意なしで済ませるという選択肢がある。なお、現在、ユーロ圏の経済成長率は、イギリスの2倍である。

イギリス政府の対応は、メイ政権がその方針の決定を遅らせたことに大きな原因があるように思われる。本来、方針をはっきりと決めて、準備を怠りなく進めるべきであったが、それが後手に回った。方針を慎重に見極めることなく、時間に押されてEUに離脱通知をし、また、時間に追われて方針の決定に迫られている。第二次世界大戦以来、最も重要な国際交渉だと言われながら、その準備ができていなかった。政治の大きな失敗と言える。

日本の民進党に何が必要か?

森友学園、加計学園問題などで苦しむ安倍政権は支持率を下げているが、野党第一党の民進党は、支持率が上がるどころか逆に下がり、一桁台中ほどで停滞している。東京都議選でも小池都知事率いる東京ファーストが大きく支持を集め、民進党は議席を減らし、党首が辞任する結果となった。

東京ファーストの躍進は、フランスのマクロン新大統領が当選し、その率いる新政党が地滑り的大勝利を収めたことと重なる。すなわち、既成の主要政党に飽き足らない有権者がフレッシュな政治勢力に望みを託したいという思いを反映しているといえる。このような例に刺激されたのか、民進党の主要メンバーが離党して新党を模索する動きに出たが、マクロン大統領の支持率は既に大きく低下しており、このような新政治勢力が支持を持続していくのはそう簡単ではないことを示しているように思われる。

一方、イギリスの総選挙で見られたように、メイ首相の保守党は、地滑り的大勝利を予測されていたにもかかわらず、過半数を割る結果となった。その一方、野党第一党の労働党は、大敗北を予想されていたにもかかわらず、議席を増やし、もし総選挙が近々あれば、さらに議席を増やし、労働党政権が生まれる可能性が高いと見られている。

保守党と労働党はいずれも前回総選挙より大きく票を伸ばし、2党で、前回2015年の総選挙の得票率60%台から80%台に達する状況となった。その一方、地域政党を除いて第3党だった自民党はEUに関する2回目の国民投票を約束して選挙戦を戦ったが、予想に反し、前回総選挙で大きく失った得票をさらに減らした。前回総選挙で13%近い得票のあったイギリス独立党(UKIP)は2%を下回った。UKIPはもともとEU離脱を謳って設立された政党で、有権者の既成の政治に対する不満も吸収してかなり高い得票率を得たが、EU離脱が決まり、さらにUKIPの不満票を惹きつける力が無くなった結果と言える。

イギリスの主要2政党が高い得票率を達成したのは、有権者にはっきりと違う選択肢を提示したことが大きな要因と思われる。両党とも、EU離脱では、2016年国民投票の結果を尊重して離脱するという立場だったが、これからの国の在り方の点では大きく異なった。

前回2015年の総選挙では、キャメロン首相率いる保守党とミリバンド党首率いる労働党の間の政策の差が少なかった。労働党は、一定期間光熱費を凍結するという政策など、保守党から強い批判を浴びた政策を打ち出したが、いずれも緊縮財政の立場では同じような立場をとった。

一方、2017年総選挙では、保守党が緊縮財政の立場を維持し、税政策をあいまいにし(すなわち増税の可能性)、また、既存の便益を減らす立場を取ったのに対し、労働党は基本的に反緊縮財政の立場を取り、通常の公共支出ではない公共投資を大幅に増やし、保守党政権下で、実質ならびに事実上削減された福祉、教育、健康医療などの財源を確保するため、保守党政権下で大幅に下げた法人税を引き上げ、所得税ではトップ5%に増税するなどとした。その政策には大学授業料の無料化も含まれ、大学卒業後5万ポンド(約700万円)以上の借金を抱えると見られる多くの若者の負担を大幅に引き下げるとし、労働党は、「少数ではなく多数のため」に働き、「希望」を提供すると訴えた。つまり、保守党と労働党がはっきりと異なる立場を取ったことが、2党に票が集まった大きな原因と言える。

もちろんこれには、政治的な状況がある。メイ首相への有権者の評価が終盤まで高かったこと、コービン党首への特に若い世代の支持が急伸したこと、さらに労働党の政策への支持が高まったことである。労働党の政策は、強硬左派と目されたコービン党首が長年持ってきた基本的な考え方に基づくもので、それらが、2010年以来の保守党政権下の緊縮財政への不満が顕在化してきた時流に合ったことが背景にある。

さて、日本の民進党の最大の問題は、なぜ自民党ではなく、民進党でなければならないのかという基本的な問いに答えられていないことである。そしてその答えに必要なのは、イギリスの労働党のような将来への具体的なイメージであろう。

イギリスでもそうだが、政治コメンテーターのほとんどは、これまでの政治の動きの延長で将来を予測し、その枠内で行動しようとする。その将来の予測が共有されてくると、一定の範囲から離れられない(英語ではよくHerdingと言うが)という状態に陥る。それが、思考の足かせとなる。これが、ほとんどの世論調査会社がイギリスの2017年総選挙の予測を誤った原因でもある。

政情やタイミングにもよるが、政権政党の過ちを攻撃するだけでは、より多くの有権者の支持を得るのは難しい。さらに、もし民進党が党内で誰もが合意できる政策を打ち出そうとすれば、新しい、魅力のあるものが何も生まれないことになりかねない。むしろ、はっきりしたイメージをもとに、強い方向性を訴えて、その方向に党を引っ張っていくことが必要だろう。つまり、他の人を説得していく過程で、党内に強い求心力を作っていくということである。かつて小泉元首相が自民党の党首に選出された際には「自民党をぶっ壊す」と主張したが、そのような強いものが必要とされるだろう。

なお、今年初めに日本に帰国した際、民主党の蓮舫党首の街頭演説を見る機会があった。その際の印象は、すべてがたるんでいるというものであった。党首のスピーチは地元の状況にマッチしておらず、話が浮ついていた。しかもその前の地元の人のスピーチも準備不足だった。街頭演説の準備作業自体もおぼつかないものだった。

話を聞く人の心をどのようにつかむのか、どのような言葉を頭に入れてほしいのか、また、党や党首に関してどのような印象を与えたいのかというはっきりとした考えなしに、単に「流している」という印象を持った。緊張感のないこの状況では有権者の支持の流れを自分たちの方へ向けることは難しいと感じた。基本的な方向性の見えない状況で、自らに有利な政治状況を作ることのできない五里霧中状態の反映なのだろうと思われた。民進党がこのような閉塞状態を打ち破り、有権者に希望の持てる将来像を示すことが再生への第一歩のように思われる。

現状のままで、小手先だけの政策提示に留まると、支持を失いかけている自民党とともに、有権者の不満に直接さらされ、都民ファーストに見られたように新しい政治勢力に有権者の関心を奪われてしまう可能性があるだろう。

Brexit交渉の本質

通常、外国との関係、特に貿易交渉は、お互いの利益を図り、関税等を低くすることに重点が置かれる。しかし、Brexitの交渉は必ずしもそうではない。イギリスとEUとの交渉では、お互いの関係をより疎遠にし、関税、非関税障壁を上げる方向で動いている。この背景にはイギリス側、EU側双方の思惑がある。

多くのイギリス人には、欧州との関係が行き過ぎているという感覚がある。他のEU加盟国の国民が自由にイギリスに来て生活することができ、それが公共サービスに重荷になっているだけではなく、イギリス国民よりも優先されているという印象がある。また、欧州司法裁判所がイギリスの裁判所の上位にあり、イギリスの主権が失われてきている、EUに多額の負担金を支払っているという不満がある。それらの感覚が昨年のEU国民投票で離脱派が多数となるという結果を招いた。経済的なものだけではなく、政治的、感情的なものを含め、様々な要素が複雑に絡み合っている。それを単に、経済的な面だけで割り切ろうとするのには無理がある。

一方、EUという組織への疑いもある。巨大な官僚組織であり、民主的な吟味の過程を必ずしも経ることなく、EUの判断がそれぞれの加盟国の国民に大きな影響を与えている。確かにEU法令には、労働、環境、消費者の保護など、多くのプラス面があるが、その政策決定に不透明な点がある。秘密裏に進められていたEUとアメリカとの環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)交渉が漏えいされ、ネオリベラル的な規制緩和で、大企業に有利な制度となる可能性があったことが明らかになったが、そのすべてが前向きであるわけではない。

また、産業の国有化や、国からの援助には、一定の制限があり、現在のままでは、例えば、労働党が2017年総選挙マニフェストで謳った、鉄道などの再国有化などの政策が実施できない可能性がある。

フランスのマクロン新大統領の主張しているように、EU改革の話があるが、それが、これからどの程度前進するか、どのような形でまとまるかなど、その行く手がはっきりしていない。EU改革の議論はこれまでにもあったが、その方向性は「さらなる緊密化」であり、イギリス国民にある不満を解決する方向ではなかった。

イギリスはEU離脱の決断をした。国民投票そのものは、諮問的なものであったが、イギリス人の二者択一の政治感覚では、その差が小さくとも、どちらかが勝てば、それに従うのが当然である。それがイギリスの政権交代の本質でもある。議会でも、イギリスのEU離脱作業を開始するリスボン条約50条による通知に保守党、労働党が賛成し、承認された。

先述したように、EU離脱に投票した人たちには、様々な思いがある。これを経済的な、単一市場に残る、もしくは関税同盟に残るかどうかの議論に集約してしまうのには無理があるといえる。むしろ、国民の様々な思いを反映した、イギリス独自のEUとの関係を求めていく方向にはそれなりのメリットがある。この点で、最終的な考え方に差はあるものの、保守党のメイ首相や労働党のコービン党首が求めている方向性は正しいように思われる。

というのは、多くのコメンテーターたちの議論する、単一市場や関税同盟の「選択肢」には多くの問題があり、複雑な国民の気持ちを反映したものとはかなり離れた結果となる可能性が高いためである。

単一市場に残るかどうか?

EUを離脱しながら、EUの単一市場に残る、すなわち、欧州経済地域(EEA)に残るという案がある。この案の問題は、人の移動の自由を含む、いわゆる4つの自由を守る必要があり、しかも、EUの規制下に残る必要があることだ。すなわち、国境のコントロールと主権の回復ができないという問題である。欧州司法裁判所の判断に従う必要があり、しかも巨額の支払い義務が継続する。

例えば、ノルウェーはEU加盟国ではなく、EEAのメンバーとして単一市場にアクセスが許されているが、その人口一人当たりの負担金は、他のEU加盟国の6割余りである。一方、EUの執行機関である欧州委員会の委員の任命権はなく、欧州理事会で意見を述べ、投票する権利はない。欧州司法裁判所への判事の任命権もない。ノルウェーなどのEEA加盟国の人口は少なく、その国民性もイギリスとは大きく異なる。多くのお金を支払いながら、イギリスがEU主要国の座からほとんど影響力のない「属国」となれば、国民は納得しないだろう。

関税同盟はどうか?

関税同盟は、物の関税に関するもので、関税同盟以外の国との関税を統一するものである。ただし、このメンバーはEUの加盟国のみで、これらの国のみが他の国との交渉権を持つ。関税同盟の話で、よくトルコの話が出てくるが、トルコは、EUとの合意に基づく、別の関税同盟のメンバーであり、広い意味で関税同盟のメンバーではあるが、基本的にEU加盟国の関税同盟の決定に対する影響力は乏しく、関税同盟以外の国との交渉権はない。すなわち、それ以外の国との2国間貿易合意はできないこととなる。

さらにイギリスはEUの判断に従わざるを得ず、一方、欧州司法裁判所の判例に従う必要があるが、この裁判所に訴えることはできない。また、EUとアメリカの貿易合意ができれば、それをイギリスも受け入れる必要があるが、それが必ずしもイギリスの利益となるとは限らない。

結局、単一市場も関税同盟の方向も、現在のままでは、イギリス国民がとても受け入れられるものではないと思われる。

経済的な面で、イギリス経済に大きな影響を与えないよう、単一市場や関税同盟のような効果を求めながらも、特定のモデルに拠った方向ではなく、イギリスとEUの双方が受け入れられる、最善の道を求めるという立場にならざるを得ないこととなる。この立場をメイ首相も労働党も取っている。

メイ首相と国の運

トップ政治家にとって最も必要なのは「政治センス」である。これは、政治の状況を読んで、大きく、どういう政治の方向を取るか直感で判断できるとか、人々の気持ちを感じられ、それに対応できるというように、頭よりも心でそれを察知できる能力と言える。メイ首相はそれに欠ける。すなわち、多くの官僚に見られるように、与えられた仕事をきちんとこなす能力があっても、刻一刻変化する状況に対してクリエイティブな行動のできる能力に乏しい。メイは官僚としては優れているかもしれないが、イギリスがEUを離脱するような重大な時に国の舵を取る役割は、荷が重すぎる。メイが力を失い、早晩その地位から去る状況が生まれているのは、イギリスという国に運があることを示しているかもしれない。

イギリスは、1973年以来、過去44年間メンバーだったEUを離れることとなった。イギリスとEUとの関係は、単に全貿易の44%を占めるEUとの貿易関係だけではなく、産業、労働、消費、人権、研究開発、地域開発、セキュリティなどを含め、社会のほとんどすべての分野に及ぶ。EUを離れるにあたり、EU法や規制に関わる19000の法令を見直す必要がある。すなわち、EUを離れることは、イギリス人にとって、非常に大きな変化だ。そしていかにEUと別れるかは、今後のイギリスに大きな影響を与える。

メイ首相は、68日の総選挙で率いる保守党の議席を減らし、第一党の座を維持したものの全650議席のうち318議席と過半数を割った。お粗末な選挙戦を展開したためだ。その後のロンドンの公営住宅グレンフェル火災、10議席を持つ、北アイルランドの統一民主党(DUP)との閣外協力をめぐる協議、さらに、イギリスに住むEU国人のEU離脱後の権利をめぐるイギリスの提案などお粗末な対応が続いている。

メイのお粗末な政権運営

EU離脱交渉は、619日から始まったが、メイが昨年713日に首相となって以来の言動で、EU側(イギリスを除く27か国)の態度を硬化させ、EU側は、その既得権の維持、EUの今後を優先し、容易に譲歩する考えはない。EU側は、EU内のセキュリティなど他の問題の方が大切で、イギリスとのEU離脱交渉は二の次だとする。

メイは総選挙で当初、地滑り的大勝利を予測されながら、それまでの過半数をやや上回る状態から、少数政権となったことから、権威を失った。メイの側近らのスピン(情報、印象操作)で、有権者からの支持率はサッチャーを上回る、戦後最高レベルとなったが、本人の政治センスのなさが曝け出され、支持を失ったのである。

メイは、施政方針である、621日の「女王のスピーチ」で、首相就任以来主張してきた数々の政策を放棄した。保守党が過半数を大きく下回る非公選の上院(執筆時点で807議席のうち254議席)ばかりではなく、下院保守党内での見解の相違から、下院の賛成を得る見込みのないものは放棄せざるを得なくなったためだ。また、EUとの対決的な離脱交渉戦略を改めざるをえなくなった。しかし、メイの施政方針もEU離脱交渉も中途半端でとても維持できるものとは思えない。

メイの政策変更

メイ政権は、3月の予算で、2025年までに財政赤字をなくすとしたが、総選挙後、これまでの緊縮財政を緩和し、国家公務員や看護師らのNHSスタッフの給料も、過去7年間の1%アップ上限を変更し、増やす構えだ。ポンドが下落し、輸入品などの価格が上がり、物価が2.9%上昇する中、ある程度の賃上げが必要となっている。

グレンフェル火災以来、公営住宅をはじめとする、公共建築物の火災対策をめぐる巨額の財政負担が予想され、しかも総選挙マニフェストで挙げていた、高齢者の冬季燃料補助、年金上昇率の計算基準、高齢者ケア費用負担、無料学校給食の変更など数々の財源確保策を実施しないこととしたため、財政が混乱するのは間違いない。

壁にぶち当たるEU離脱交渉

EU離脱交渉は、既に壁にぶち当たっている。イギリスは、既に、EU側の求めた、2段階交渉プロセスに合意した。最初にイギリスのEU離脱交渉で合意し、その後、貿易をはじめとするお互いの将来の関係交渉に入るという段取りである。

第一段階のEU離脱交渉では、①イギリスに住むEU国人の権利、②メンバー国としてイギリスに責任のある、EU側に支払うべき「離婚料」、③アイルランドの北アイルランドと南のアイルランド共和国の国境問題がある。このうち最も容易な問題だと思われた、①イギリスに住むEU国人の権利とEU国に住むイギリス人の権利の問題では、メイが622日のEU首脳会談で提案したが、十分ではないと冷たい反応を受けた。それだけではなく、今後、このようなことは、正式な交渉の場で対応すべきで、重要なサミットで持ち出さないようにという指摘を受けたと言われる。さらには、EU加盟国のリーダーと個別に話をする場合には、離脱交渉に関する話を持ち出さないようにとクギをさされたと言われる。

このイギリスに住むEU国人の権利に関して最も重要な問題は、合意ができても、どのような形でその合意がきちんと実行されるかという点である。EU側は、欧州司法裁判所がその任に当たるべきだとする。メイは、まず、イギリスの裁判所がその任を果たすとする。メイは、これまでにイギリスが主権を取り戻すために欧州司法裁判所の管轄から離れると発言しており、また、保守党内の強硬離脱派への配慮から、欧州司法裁判所は受け入れ難い。一方、将来結ばれるであろう離脱条約で明記されれば、国際司法裁判所で扱える、もしくは、新たに仲裁機関を設けるなどの案もあるが、いずれも現在のところ実現性は乏しい。メイは、基本的に、これまでの発言から強硬離脱的戦略を捨てられない。

スムーズにいかないDUP閣外協力

メイの期待したDUPとの協力関係交渉も壁にぶち当たっている。DUPの要求しているとされる、北アイルランドのNHS(国民保健サービス)へ10億ポンド(1400億円)、さらにインフラ整備などに10億ポンド、計20億ポンド(2800億円)の財政要求は、バーネット・フォーミュラと呼ばれる予算計算方式で、自動的に他の地域、イングランド、スコットランド、ウェールズへの増額を招き、20億ポンドで済まず、総額700億ポンド(49千億円)となるという見方もある。北アイルランドの人口185万人はイギリスの全人口の3%弱であるため、全体額が35倍膨れ上がる可能性がある。財務省らが慎重だとも言われている。

その上、DUPはもともとEU離脱派だが、ソフトなEU離脱を求めている。また、北アイルランドと南のアイルランド共和国との国境は、現在のように、地図上国境はあるが、物理的な国境のない状態を維持したいとしており、メイの強硬離脱的な戦略とどのように折り合えるか疑問がある。

メイの後継首相 

現在のメイは、総選挙直後より強い立場だとする見方もあるが、とてもそのような状況とは言えず、まさしく風前の灯火であり、メイ政権は早晩崩れるだろう。

その後継首相は、もしすぐに総選挙が行われなければ、現離脱相のデービスとなるだろう。

長く筆頭候補だったジョンソン外相は、離脱交渉の終わる2019年前には党首選に出ないと示唆した。EU離脱に当たり、イギリスは何らの支払いをする必要はないどころか、むしろこれまでの貢献分から払い戻しがあるべきだと主張した上、昨年6月のEU国民投票キャンペーン中にEUを離脱すれば、週に35千万ポンド(490億円)をNHSに向けられると主張した。これらの発言と現実の交渉を両立させることは極めて難しい。また、ハモンド財相は、EU残留派だった上、ソフトな離脱を訴えており、党内をまとめることは難しい。

デービスは、離脱派の一人だったが、既に離脱交渉の難しさを十分に理解している。2005年の党首選で勝利するだろうと見られていたが、キャメロンに敗れた。キャメロン党首の下で影の内相となったが、人権問題で自分の考えを貫くために、議員辞職して再び立候補し、当選した人物である。625日のBBCテレビでのインタビューで、イギリス側とEU側が折り合える点を探ると発言したが、現実的な対応をするように思われる。

一方、もし、総選挙があれば、労働党が政権に就き、党首コービンが首相となるだろう。コービンは政治センスが意外に優れていることが明らかになってきている。コービンは、昨年のEU国民投票の前、EU残留を10の内、7もしくは7.5賛成とし、EU残留に100%賛成ではなかった。しかし、EU離脱交渉では、労働党は、合意を必ずするとし、労働者を守るために、貿易関係を重視するとしている。メイと比べて、これまでのお荷物がはるかに少なく、より現実的な交渉ができるだろう。

メイの困難な立場は、多くの国民にEU離脱後の不安を掻き立てており、貿易で現実的な妥協を求めるようになってきている

この状況の中では、メイが首相の座を去ることは、恐らくイギリスにとって望ましいことのように思われる。イギリスがEUから離脱すること自体、長期的に見れば悪いことばかりではないだろう。しかし、その離脱の仕方が大切で、長期的な関係が維持できる、スムーズな離脱となるよう慎重な配慮が必要だ。もしイギリスに運があれば、政治センスのないメイがこの舞台から退場させられることとなるだろうと思われる。

なぜ保守党は総選挙を避けたいのか?

611日、保守党の無役の下院議員の会、1922年委員会のブレイディ会長がテレビに出演し、議員たちには「総選挙に臨みたいという気持ちはない」と発言した。この会は、保守党の党首選挙を運営し、また党首への不信任案を扱うなど非常に重要な役割を果たしている。68日の総選挙の結果が分かった9日には、ブレイディはメイ首相と会談している。

この発言の背後には、総選挙で保守党が13議席減らしたのに対し、前評判を覆して2015年総選挙から30議席を積み増した労働党の現状がある。もし総選挙が行われれば、勢いのある労働党がさらに議席を獲得し、メイ政権ではなく、労働党のコービン政権が誕生するだろうという判断がある。

これには、総選挙後の最初の世論調査が指標となっているように思われる。Servationの政党支持率は以下の通りである。

労働党45%、保守党39%、自民党7%UKIP3%、その他6%

労働党が保守党を6ポイントリードしている。すなわち、労働党がさらに議席を伸ばし、保守党は減らすことを示唆している。

Servationは、今回の総選挙で、多くの世論調査会社が世論の状態を読み誤ったのに対し、最も選挙結果に近かった。実は、2015年総選挙でも世論調査会社がこぞって読み誤った。その中、Servationは、ほとんど正しい結果を出していた。ある新聞社と話をしたそうだが、他の会社のものと比べておかしいとして乗り気ではなく、結局、選挙前発表しなかったという話がある。これらの事実から考えると、Servationのこの選挙後の世論調査はかなり信用できるものだと言えるだろう。

このような政情の中で、前財相のジョージ・オズボーンが、メイ首相は、「死刑囚(Dead Woman Walking)」だと発言した。「死刑を待っている女性」だというのである。総選挙の結果、メイ首相の権威はなくなった。本来なら、党首選挙の話が大きく取り上げられるところである。

611日の日曜紙は、ボリス・ジョンソン外相の出馬の憶測を大きく取り上げたが、ジョンソン本人は、くだらない話だと打ち消した。もちろん、上記のServationの世論調査でもジョンソンが最も有権者の支持を集められる候補だ。しかし、党首選となれば、ハングパーラメントの状態の中で、新しい党首は、総選挙を求められるだろう。その時期ではないという判断から、ジョンソンらは様子を見ており、メイ首相が存命している状況だ。611日に行われた内閣改造では、主要閣僚を異動させることができなかった。多くが、サンデーテレグラフ紙が1面トップで指摘したように、メイは首相だが、権力はなくなったと見ている。

ただし、このようなメイ政権で、果たしてきちんとしたEU離脱交渉ができるかという疑問がある。また、メイ政権が北アイルランドの民主統一党(DUP)の支援で、過半数の数を確保できたとしても、それが何らかの事情で機能しなくなる可能性も無視できないように思われる。労働党は、メイ政権の政策を発表する「女王のスピーチ」で、大規模な修正案を出してメイ政権を揺さぶる構えだ。事態はかなり流動的だと言える。

保守党少数政権の行方

68日のイギリス総選挙の結果、保守党は、前回の2015年総選挙から13議席減らして318議席にとどまり、過半数を獲得できなかった。そこでメイ首相は、10議席を獲得したDUP(北アイルランドの民主統一党)の支持を閣外協力で得、少数政権を運営していくこととした。この合意で本当にメイ政権はやっていけるのだろうか?

保守党とDUPの合意で、全650議席のうち過半数(650の半分に1を足したもので、小数点以下切り捨て)を意味する326議席を2議席上回る。ただし、シンフェイン(北アイルランド)は、女王に忠誠を誓うことを拒否して下院の審議に参加しておらず、今回もその旨を明確にした。そのため、事実上の過半数は322である。

メイは、EUとの交渉が始まる前に、その立場を強くするためとし、必要のない総選挙を実施したが、13千万ポンド(182億円)の公費を選挙に使った上、議席数を減らした。権威を失ったメイ政権は、そう長く続かないだろう。保守党をまとめることも難しく、しかもかなり極端な政党であるDUPへの対応も簡単ではない。恐らく年内、遅くとも来年前半にはメイの後任が選ばれ、直ちに総選挙となるだろう。

総選挙結果

政党 議席数 増減 得票増減%
保守党 318 -13 +5.5
労働党 262 +30 +9.5
SNP 35 -21 -1.7
自民党 12 +4 -0.5
DUP 10 +2 +0.3
シンフェイン 7 +3 +0.2
プライドカムリ 4 +1 -0.1
緑の党 1 ±0 -2.1
無所属 1 ±0  

投票率68.7%
SNP
:スコットランド国民党
DUP:民主統一党

保守党の中の問題

保守党が一致結束してメイ首相を支えれば、この政権がしばらく続く可能性がある。しかし、それはかなり難しい。

最大の課題であるEU離脱交渉では、離脱派と残留派の対立が表面化するだろう。メイ首相はこれまでEUの単一市場並びに関税同盟に残らないとし、EUと新しい自由貿易の枠組みを作ることを想定してきた。しかし、権威を失ったメイ首相は、すでに内閣改造をする力も乏しく、そのような枠組みへの党内調整能力はないだろう。

しかも619日に始まる、EUとの交渉ではいわゆる「離婚料」の問題がある。EU側は1000億ユーロ(123500億円)を求めてくるという憶測がある。これがもし、600億ユーロ(74千億円)程度で落ち着いたとしても、保守党内に、これまでのイギリスの貢献額を考えれば、むしろお金が返ってくるはずで、一切そのような「離婚料」を支払う必要がないという考え方がある。その金額の多寡にかかわらず、党内の考え方をまとめることは難しい。

党内の問題は、EU離脱に関わる問題だけではない。例えば、メイ政権は、ヒースロー空港の第3滑走路の建設推進を決めているが、今でも空港周辺の保守党下院議員たちには不満がある。飛航路のリッチモンドパーク選挙区で当選したゴールドスミスは反対派だが、今回の選挙ではわずか45票の差で当選した。ロンドンとイングランド北部を結ぶ高速鉄道HS2建設問題など、それぞれの地元の事情でメイ政権の政策に反対する議員が少なからずでるだろう。

しかも党内の右左の問題もある。福祉政策などをめぐり、対立が表面化する可能性もある。

DUPの問題

DUPは、もともと過激なロイヤリスト(イギリスとの関係を維持する立場)だった牧師イアン・ペーズリーの設立した政党である。1998年のグッドフライデー合意に反対。2006年のセントアンドリュース合意で、仇敵だったシンフェイン(アイルランド共和国との統一を求める立場)と北アイルランド分権政府をともに運営していくことに合意したが、それまで北アイルランド政治の異端だった。

今でも同性婚反対、妊娠中絶反対などかなり極端な政党である。一方では、過激ロイヤリスト武装集団との関係が今でもあると見られている。このため、従来の保守党政権はDUPと深い関係にならないよう注意してきた。

北アイルランド最大政党であるDUPのフォスター党首は、北アイルランドの首席大臣だったが、ビジネス相時代に推進した再生エネルギー政策の大失敗で、その後始末のコストが49000万ポンド(690億円)に上ると見られている。この問題で、北アイルランド議会は解散され、3月に北アイルランド議会議員選挙が行われた。しかし、この問題は解決に至っておらず、未だに再開されていない。

本来、イギリスの中央政府は、この北アイルランドの問題に中立的な立場で臨み、利害の対立する政党を融和させ、話し合いを促進させる立場にある。しかし、メイ政権がDUPの支援を受け、その中立性が失われてしまった。北アイルランドの分権政権回復が難しくなったのは間違いなく、現在の中途半端な状態が慢性化する可能性がある。

すなわち、今回の合意で保守党が支払う代償は、そう小さなものではない。

次期総選挙

保守党が、党内の対立を防ぎ、DUPの枷を一刻も早くなくしたいと考えるのは当然だろう。そのベストの方法は、党首を入れ替え、総選挙を実施し、勝つことである。野党労働党のコービン党首の人気が高まっていることから、人気の点で対抗できるのは、現外相のジョンソンである。すなわち次期保守党党首・首相にジョンソンが就任する可能性は高い。

コービンは2017年総選挙で勝てなかったが、その評価は大きく上がった。労働党内の反コービン勢力の多くが、コービンのリーダーシップを称えた。一般でも、若者だけではなく、コービンを評価する見方が広がっている。

今やコービン率いる労働党は、これまでよりはるかに統一され、活性化された集団となっている。恐らく、労働党は、今回の総選挙直後に政権に就かなかったことを幸運だと考えているだろう。少数政権ではできることが限られているからだ。次期総選挙が実施されるのはそう遠い先ではなく、その準備に既に走り始めていると思われる。

コービンにとっては、次期総選挙、そして政権に就くまでの準備が十分にできることになる。柔軟性に欠けるメイ政権が早晩挫折するのは間違いなく、次の総選挙では、人気はあるが、信念の乏しいジョンソンを党首に抱く保守党をコービン労働党が大きく破ることとなるだろう。

その際、労働党は今回の総選挙で掲げた政策を実施していくこととなる。保守党は、コービンの政策は「魔法のお金のなる木」に頼っていると主張した。しかし、その経済政策は、ノーベル経済学賞を受賞した、アメリカのジョセフ・スティグリッツが「慎重に練られた計画」だと評価している。

いずれにしても、これからメイ政権への重圧は高まる一方で、メイ首相にとっては非常に厳しい政権運営となる。

総選挙結果

メイ首相は、68日、イギリス下院の総選挙を実施した。その結果、総選挙前にあった330議席を獲得できなかった。しかも下院の650議席のうち、過半数の326議席(650の半数+1)も下回った。北アイルランドで10議席を獲得した民主統一党(DUP)の協力で、メイ首相は、政権は維持できるものの、この選挙中、そのポリティカル・キャピタルを使い果たし、今やその進退が議論される状況だ。この状態で、11日後に始まるEUとの離脱交渉に臨まねばならない。メイが首相と保守党党首を辞任する可能性が高まっている。

その結果、EU離脱に関しては、メイが移民の制限を優先して欧州単一市場から離れる意思を明確にし、これまで「悪い合意より合意のない方がよい」と度々主張して示唆してきたような強硬離脱の可能性は薄れ、イギリスはソフトな離脱に向かうのではないかという見方が強まっている。

今回の総選挙は、メイ首相が、保守党が圧勝して100議席を大きく上回るマジョリティを獲得するのは間違いないという考えから自らの判断で引き起こしたものである。世論調査で圧倒的に優位な立場にあったためである。

ところが、選挙中に発表したマニフェストの「認知症税」問題、度重なるUターン、それに選挙期間中にマンチェスターとロンドンでイスラム教過激派によるテロ事件があり、選挙戦の様相が大きく変化した。

一方、多くの有権者だけではなく、労働党の多くの下院議員が、コービン党首は強硬左派で無能だと信じていたが、そのコービンが予想外に健闘した。そのマニフェストは緊縮財政を覆すもので、有権者の多くから評価された。若者を中心にコービンブームが起きた。コービンは明らかにこの選挙戦を楽しんでいる雰囲気があった。また、メイと交互に行われた、2度の聴衆らとのテレビでの質疑応答では、メイを上回る評価を受けた。コービンのスピーチには非常に多くの聴衆が回り、その聴衆の数は増える一方で、あるベテラン政治記者は、これほど各地で多くの人が集まるのは、チャーチル以来だとコメントしたほどである。

選挙期間中に実施された世論調査では、保守党と労働党との差が大きく縮まり、当初の20ポイント余りの差から、一桁、そして最後には、1ポイントの差とするものも出てきた。

メイとコービンのいずれが首相にふさわしいかという選択では、メイが418日に総選挙を実施したいと発表した際には、メイがコービンを39ポイント上回っていた。それが投票日直前には9ポイントとなった。それでも多くの世論調査会社は、保守党が過半数をかなり上回るような世論調査を発表していたが、これらの世論調査会社は面目を失った形だ。

69日の午前7時時点、全650議席の644議席が開票済みだが、各党の獲得議席数は以下の通りである。

保守党:314
労働党:
260
SNP
35
自民党:
12
DUP
10
その他:13

若者の支持で選挙結果が変わる

68歳のコービンを驚くべきほどの若者が支持している。

2015年の総選挙では、若者(18歳以上25歳未満)の投票率は、43%だった。ところが、63日発表の若者を対象にした世論調査(世論調査会社ICMによる)で、必ず投票に行くと答えた若者は63%にのぼる。しかもこれらの若者の中で、労働党に投票するとしたのは68%、メイ首相率いる保守党へは16%だった。

これは、非常に大きな動きである。選挙の結果を大きく左右するものだ。

5月末、世論調査会社大手のYouGovがその政党支持率調査の方法を変えた。68日の総選挙まで10日となって方法を変えるのは、無謀だという見方があった。他の世論調査会社の中には、YouGovを「勇敢」だとし、その上、その結果に基づいて議席予想をし、ハングパーラメント(宙づり国会:過半数を獲得した政党がない状況)になるとの結果を1面トップで掲載したタイムズ紙を「もっと勇敢」だとコメントしたものがある。

現在の主な議席数予測は以下のようだ。

 (出典:63日現在のWikipedia

確かに、YouGovのみがハングパーラメントで、それ以外は、保守党の獲得議席予想が354から368の間にある。全650議席の過半数は326議席だが、YouGov308とし、他の世論調査会社のものとはかなり離れている。

ただし、このYouGovの転換には、それなりの理由があった。それは、主に若者の投票率の問題である。

前回2015年の総選挙で、世論調査会社はその結果を予想できなかった。総選挙前、保守党と労働党の支持率が均衡しており、ハングパーラメントとなると予測したが保守党が過半数を獲得したのである。そのため、英国世論調査協会はその原因を調査した。そして、主な原因は、サンプルに問題があったという結果となった。その一つは、世論調査に応じる、特に若い人たちの投票率は高いが、同じ世代で実際に投票に行く人が比較的少なかったという点である。すなわち、サンプルがその同じ世代の代表値となるとは必ずしも言えないということである。そのため、年齢を区分けして、それぞれの投票する確率を想定し、それで生のデータを加工する方式が主流となった。

6月3日に発表された今回の総選挙の世論調査では、保守党が労働党を12ポイントリードしているものから1ポイントリードのものまである。2015年総選挙の際の年齢別投票率を参考にして結果を出している世論調査会社があるが、このような方法をとっている会社は、保守党のリードが大きい。

YouGovは、その最近の調査の結果から、25歳未満の人の投票率を51%65歳以上の投票率を75%と見ている。その差は24ポイント。下院の調査によると、2015年総選挙では、その差は35ポイントだった。2010年は23ポイント、そして2005年は36ポイント

YouGovは、今回の総選挙では、若者のコービン支持が急増している。そのため、今回は2015年のパターンではなく、2010年のパターンに近いと見ている。そして、もし、若者の中のコービンブームが実際の投票に結び付けば、調査時点での保守党の獲得議席は265から340議席の間となり、その中央点は308、労働党は230から301議席の間で、その中央点は261となるとする。

確かに若者の支持が実際に投票に結びつくかどうかには不確かな点がある。YouGovの新しいモデルが正しいかどうかは総選挙が終わるまでわからない。しかし、最初に触れた「若者の世論調査」のように、2015年の投票率を20%も上回る、もしくはそれに近い投票が現実のものとなれば、メイ保守党の過半数獲得が困難になるのは間違いない。