下院議員のリコール

今年7月、北アイルランドの民主統一党(DUP)所属のイアン・ペーズリー・ジュニア下院議員が、イギリスの下院から30日の登院停止処分を受けた。オンラインで記録をさかのぼることのできる1949年以来最長の登院停止処分である。そして、現在、2015年下院議員リコール法が設けられて以来初めて、リコールするかどうかの公式な署名がペーズリーの選挙区で行われている。 

このリコール法では、下院議長の要請で選挙管理官が選挙区内に署名所を設け、有権者総数の10%がリコールに賛成すれば、現職議員が失職し。補欠選挙が実施されることとなる。今回の署名期間は、88日から919日までであり、3つの署名所で、平日午前9時から午後5時まで、そして96日から13日までは午後9時まで行われる。失職した議員は再び立候補でき、ペーズリーはたとえ失職しても再立候補する意思をすでに表明している。 

北アイルランドの選挙は、極めて特殊であり、党派色が極めて強い。ペーズリーの父親は、DUPの創立者の宗教家で、下院議員、北アイルランド政府首席大臣、上院議員も務めた人物である。個人の信奉者が多かったため、それらの人々がペーズリーを今でも支援している。2017年の総選挙では、この選挙区(North Antrim)では、76000人ほどの有権者で、投票率が約64%、ペーズリーは60%ほどを得票した。その選挙で他の政党に投票した有権者数は約2万人で、全有権者数の10%の7600人署名は到達可能な数字だ。補欠選挙があっても、ペーズリーが立たず、DUPから他の候補者が立てば楽勝するだろうが、ペーズリーの背景からそれはできず、結果はDUP支持者の投票率次第だろう。それでも、ペーズリーが再選される可能性は極めて大きい。

なお、DUPもペーズリーもEU離脱派だ。2016年のEU国民投票では、北アイルランド全体の56%が残留に投票したのに対し、この選挙区では離脱賛成派が62%だった。この選挙区は南のアイルランド共和国との国境から遠く離れているため、イギリスとEUとのブレクシット交渉で「合意なし」の可能性が高まっていることはそう大きく影響しないだろう。 

ペーズリーの登院停止処分を引き起こした問題は、2013年の家族でのスリランカへの3度にわたる招待旅行で、スリランカ政府から旅費などを含む過剰な接待を受けたことだ。その金額は、10万ポンド(1400万円)ともいわれる。下院議員の利益供与などの登録をきちんとしていなかった上、スリランカ政府の要請を受けてイギリス政府に対してロビイングをしていた。これは明らかに「有償受託ルール(Paid advocacy rules)」に反しているとして、下院の倫理基準委員会が、夏休み後下院の再開する94日から30日の登院停止(30日間ではなく、30日の登院日の登院停止のため、政党の党大会休会期間も含み、かなり長くなる)を提案し、下院がそれを承認したのである。 

メイ首相は、DUPから閣外協力を受けて政権を運営しているが、DUPの下院議員数が当面10人から9人となったことは痛手だ。これが秋の政局にどのように影響するか注目される。

メイ首相の苦しみは続く

イギリスの通貨ポンドの価値が下がってきている。これは、イギリスがEUを将来関係の合意なしに離脱する可能性が高まってきていることに関連している。フォックス国際貿易相が、EU側の非妥協的な態度のため、合意のできない可能性とできる可能性は、6040だと発言したが、その前にも、英国の中央銀行であるイングランド銀行総裁が、合意のない可能性は不快なほど高いと発言した。

 ポンドの価値が下がってきているのは、サッカー界にも絵響が出ていると言われる。イギリスのトップリーグのプレミアリーグのトッテナムは、2003年に夏の移籍期間が始まって以来、プレミアリーグで初めてこの期間中に誰も獲得しなかった。監督は、弱いポンドで新競技場の建設費が大きく増加したことをその一つの理由に挙げた。

 イギリスの失業率は4%と1975年以来という低さだが、賃金上昇の伸びは鈍い。ブレクシット交渉で企業に投資を控える傾向がある一方、EUから特にA8(チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、ポーランド、スロバキア、スロベニア)と呼ばれる東欧諸国からの労働者が減ってきている。

 メイ首相が7月にEUに提案した「促進通関制度(Facilitated Customs Arrangement)」に対して、EUのバーニエ交渉代表は、EUの単一市場の整合性(Integrity)を損なうものは受け入れられないという立場を表明している。この制度自体に実際に実施できるものかどうか大きな疑問がある上、メイ首相の率いる保守党の離脱派には、メイ首相の提案の中の「共通ルールブック」は、EUのルールを基本的に受け入れるものであり、これではほかの国と貿易協定を結べないと批判的だ。

一方、政治的には、有権者のブレクシットに関する考え方が変化しているという分析がある。特に労働党の強いイングランド北部やウェールズでその傾向が強く出ているという。632選挙区のうち(下院の全650議席から独特な地域の北アイルランド18議席を差し引いたもの)、かつてEU残留派の多い選挙区が離脱派の多い選挙区に対して229403であったのが、今では341288(と互角3)となっているというのだ。 

イギリスとEUとの離脱条約交渉は既に8割合意しているといわれるが、最も大きな問題は、北アイルランドと南のアイルランド共和国(EUメンバー)の国境問題である。昨年12月にはイギリス側とEU側が国境設備を設けないことで合意し、具体的な対応策で合意できない場合には「バックストップ(野球場のホームベース後ろのフェンスのことで、ボールが後ろに飛んでいくのを止めるもの)」を設けることとした。EU側は、その場合、合意できる対応策が見つかるまでイギリスの北アイルランドがEUの関税同盟と単一市場の一定のルールに従うことを求めたが、イギリス側は、それでは事実上アイルランド島(北アイルランドとアイルランド共和国)とグレートブリテン島(イングランド、スコットランド、ウェールズ)の間に国境を設けることとなるとして受け入れられないという立場だ。そのために「促進通関制度」を提案しているが、それが現状の形で受け入れられる状況にはない。

メイ首相は、EU側と何らかの合意をし、来年3月のEU離脱以後予定されている「移行期間」まで持ち込み、そこで対応策に取り組みたいと考えているのではないかと思われる。しかし、EU側は、全体的な合意ができなければ「移行期間」もないという立場だ。このままでは、イギリス側から新しい案が出てくる可能性は乏しく、EU側が、何らかの妥協策を出してくるしか方法はないように思われる。事実上、816日から再開する交渉でもイギリス側がEUに嘆願する状況だ。ただし、そのような妥協策がもし出てくるとしても、それは、EU側がイギリスの政治状況を十分に把握した上でのこととなると思われる。下院は94日に再開するが、メイ首相が国内政治的に生き延びれるかがカギとなるだろう。

ブレクシット白書後続く混迷

下院で過半数を持たないため、10議席を持つ、北アイルランドの民主統一党(DUP)の閣外協力に頼っているメイ首相の政権運営はただでさえ困難だ。そして率いる保守党内の強硬離脱派とソフト離脱派の対立のため、ほとんど不可能に近い状態になっている。

それでもメイ首相は、政権としてのブレクシット後の立場を首相別邸の会議でまとめ、白書として発表した。この過程で、ブレクシット担当相と外相らが辞任した。その白書へEUがどのように反応するか注目されていたが、EUの交渉責任者のバーニエの反応が出た。

バーニエは、この白書には、前向きな面があるものの、この白書を基には交渉しないとした。もちろんバーニエの立場には難しいものがある。メイ政権がどれほどの期間持ちこたえられるか、メイがどれほど譲歩できるか、それにEU側の残された27ケ国の思惑もある。状況が大きく変化しない限り、来年3月29日にイギリスはEUを離れる。「すべてが合意しなければ何の合意もない」の原則があり、既に合意しているイギリス離脱後の「移行期間」も「すべてが合意しなければ」吹き飛んでしまう。3月29日までに合意ができればよいのではなく、イギリス議会や欧州議会の承認が必要であり、それを考えれば、今秋までには合意ができていなければならない。とにかく時間がなくなってきている。

メイ首相は、首の皮一枚で首相の座にあると言っても過言ではない。首相別邸での合意は、有権者への受けが悪く、保守党は、労働党に世論調査の支持率で5%の差をつけられている。メイ首相への支持率も下がる一方だ。このような中、保守党下院議員の中には、メイに不信任を突きつけると、メイが総選挙に打って出ると恐れる声がある。そのような総選挙へのきっかけを作る動きはしたくないという心理がある。

一方、メイ首相にはこの白書以上の譲歩は難しい。このような白書は、本来、交渉時間がなくなってきてから出すものではなく、交渉初期、もしくは交渉が始まる前に出されておくべきものだ。しかも、この白書自体、強硬離脱派とソフト離脱派の間のわずかな隙間を縫って構築されたものであり、このポジションから動くことが難しい。

それでも、もし合意なしでイギリスがEUを離れることとなれば、イギリスだけではなく、EUへの経済的な悪影響も大きい。イギリスでのEU国民の地位の問題(そしてその逆)もある。その一方、イギリスに有利な離脱条件を認めれば、EU内で他の加盟国の離脱を促進することにもなりかねず、慎重な対応が要求される。

このメイ首相がどの程度の期間、首相の座にあるのかによって、イギリス政府の対応だけではなく、EU側の対応も異なってくるだろう。来週、下院は夏休みに入る。9月4日に再開するが、それまでに保守党党首の不信任案投票を実施するのに必要な、保守党下院議員の15%を満たす、48人の下院議員の要求が集まるという見方がある上、ブレクシット関連法案で防戦一方のメイ政権の頼りとするDUPの一下院議員が数週間、登院禁止処分を受けると見られており、メイ首相がさらに苦しむこととなるだろう。

もし万一メイが保守党党首交代を迫られれば、新しい党首選出には3か月かかるとの見方もあり、EUとの交渉が宙に浮く可能性がある。また、野党の労働党は、急な総選挙が行われ、政権についた場合の対応について検討を始めている。

アイルランドでイギリスの北アイルランドと国境をともにするアイルランド共和国(EUメンバー)は、国境管理に関するスタッフを千人採用することを決めたが、EUが加盟メンバー国や、業界、企業に、「合意なし」の場合の準備を進めるよう警告するのも当然の状況だ。

メイ首相は、下院の夏休みを5日早く始めようとしたほど切羽詰まっている。メイ首相の去就をめぐる動きを中心に、イギリスのブレクシットに関する混迷は、まだ続く。

トランプショック

アメリカのトランプ大統領が訪英し、首相別邸前での記者会見が終わったところだ。訪英前、イギリスのタブロイド紙サン紙とのインタビュー(録音付き)で、トランプ大統領は、メイ首相にEUとの交渉をいかにするかについてアドバイスしたが、メイ首相は聞かなかった、メイ首相のソフトなBrexit案ではイギリスとアメリカとの自由貿易はできそうにない、アメリカがイギリスと話をするのではなく、EUと話をしなければならないからだ、と主張した。メイ首相はアメリカとの自由貿易合意締結に大きな期待を抱いており、しかもトランプ大統領との強い関係を印象付ければ、自分の率いる保守党の強硬離脱派を抑えられるという期待があった。これらの期待を打ち消すような発言をしていたために首相別邸前の記者会見には多くの注目が集まったが、トランプ大統領は当り障りのない発言に終始した。それでもメイ首相はトランプ大統領の訪英で大きなダメージを受けたといえる。

なお、サン紙とのインタビューで特に注目されるのは、ボリス・ジョンソン前外相が素晴らしい首相となるだろうと発言した点だ。ジョンソンは先週金曜日の首相別邸でのBrexit閣議合意に反対して外相を辞任した人物である。この発言は、メイ首相に将来はなく、その後任にはジョンソンが就くという見方をしていることをうかがわせる。

記者会見で、アメリカのジャーナリストが最初にトランプ大統領に聞いたのは、日曜日のプーチン露大統領との会談についてだった。明らかにアメリカの注目はイギリスとの関係ではなく、ロシアとの関係である。サン紙のジャーナリストが、公共放送BBCの看板番組Todayでトランプ大統領はBrexitについて非常に詳しく知っていると発言し、母親がスコットランド出身で、スコットランドにゴルフコースを持つトランプ大統領の発言はいい加減なものではないように思われる。トランプ大統領の最大の関心がロシア、それにNATOにある時に、過大な期待を抱いたメイ首相には大きなショックだっただろう。

先の見えないイギリス政局

メイ首相が7月6日に首相別邸で開いた内閣の会議で、内閣のブレクシットへの方針が決まったと思いきや、7月8日、9日とブレクシット大臣と外務大臣が辞任した。メイの方針はEUに譲歩しすぎで、これでは本当のブレクシットはできないと主張したのである。

メイの率いる保守党は、EUからの強硬離脱を目指す勢力と、ソフトな離脱を図る勢力とが対峙してきたが、強硬離脱派が今回のメイの方針に強く反発しており、保守党がこの問題でまとまることはほとんど不可能な状態になってきている。

ただし、メイを保守党党首・首相の座から引き下ろすことはそう簡単ではない。強硬離脱派は既に80名ほどの勢力があり、保守党の党首信任投票に必要な48名は超えている。しかし、信任投票を行うことはできても、保守党の316人の下院議員の中でメイの不信任が勝ち取れるかどうかは不透明だ。もし、不信任とならなければ、それから12ヶ月は再び不信任投票を行うことができない。その上、もし不信任となり、党首が交代することとなっても、党首選には3か月程度かかり、今年の秋(遅くても11月と言われるが)までの期限に新しい首相による交渉が間に合うかどうか疑問がある。

メイは、首相別邸で合意された内容を白書としてまとめ、今週中に発表する予定だ。そこで問題になるのが、EU側がそれをきちんと受け止めてさらに交渉するかという点と、最大野党の労働党がどう対応するかである。

EU側は、白書を見てからという態度だ。メイ保守党政権が生き延びれるかどうか、保守党内でどの程度の支持が得られるか、または労働党がどのような対応をするかなどを見極めた上で反応が返ってくることとなるだろう。EUがその白書を交渉の基礎とするのに消極的だと根本的に状況が異なってくる。

上記でも触れたが、野党労働党の対応が重要だ。今のままでは、全650議席の下院(議席に就いていないシンフェイン党の議席も含む)で、保守党の強硬離脱派の支持を受けずに過半数の賛成を得るには、メイ首相は労働党のかなり大きな支持が必要だ。しかし、労働党も総選挙の可能性を見極めながら動かざるを得ず、最初から方針を決めて対応することは難しい。

結局、当面はメイ政権のまま、どの当事者も今後の政局の行方を見ながら判断していかざるをえない状況にあると言える。白書が発表された後の来週あたりに状況がもう少しはっきりしてくるだろう。

保守党党首選の可能性?

6月のEUサミットで、ブレクシットの概要が決まるはずだった。ところが、このサミットでは移民の扱いが中心課題となり、ブレクシットはその他の話題の一つに過ぎなかった。その理由の一つには、保守党の中だけではなく、メイ政権の中でもブレクシットに関する考え方がまとまっていないことがある。それをまとめるのは、7月6日(金)に首相別邸で予定されている閣僚の集まりとされている。2016年6月のEU国民投票から2年たち、来年3月にはEUを離脱するというのに、未だに政府の立場が決まっておらず、追い詰められた状態になっていること自体、危機的な状態である。

ところが、問題はそれだけにとどまらない。有力閣僚のゴブ環境相が、首相別邸の会議で提出される予定の文書が気にいらず、破り捨てたと報道された。この文書は、ブレクシットに関する内閣小委員会の中のワーキンググループの報告書で、内閣の中の意見の相違をまとめるための重要なものである。すなわち、7月6日の会議の、少なくとも基礎になる文書にケチがついたことで、この会議そのものの意義が疑われる事態になってきた。

ゴブ環境相は、2016年のEU国民投票で離脱派キャンペーンの有力者の一人だった。ゴブ環境相の動きは、メイ下ろしの一環である可能性がある。強硬離脱派の中の他の有力リーダーであるジェイコブ・リース=モグは「原理主義的」であり、ジョンソン外相は、その軽率な言動に問題がある。もしメイが退くこととなった場合、リース=モグかジョンソンが後任の保守党党首、首相となって、EU側と交渉する立場となることには、保守党内からも、EU側からも理解されることが難しいだろう。その一方、ゴブの能力を高く評価する声があり、しかもプラグマティックな人物だ。保守党内をまとめ、EUに対峙するには、恐らく、これらの人物の中では最もふさわしいだろう。

そのようなことを反映しているのだろう、ブックメーカーの賭けでは、ゴブは次期保守党党首候補の筆頭となっている。ゴブに首相となる野心があることはよく知られており、現在の火中の栗を拾う覚悟はあるように思われる。むしろ今を逃せば、2016年の党首選でミソをつけたゴブのチャンスはなくなるかもしれない。7月6日の会議がどうなるかで、保守党の党首が交代する可能性が出てくる。

ブレクシットの行方

EU離脱法案をついに上下両院が承認した。メイ政権が崩壊する可能性があったが、保守党内のソフトな離脱を求める勢力の反乱を妥協で何とか抑えきった。しかし、メイ首相が主張するようなスムーズな離脱ができると見る人は多くない。メイ首相がEU離脱法案の問題を乗り切ったのは、メイ政権が極度に弱体化しており、政権が崩壊して総選挙や党首選挙などの混乱を避けたいなどという保守党下院議員の身内の事情による。メイ首相が強硬離脱派とソフトな離脱派のはざまで苦しんでいる構図が変わったわけではない。メイ首相の弱い立場を利用しようとする防衛相らをはじめとする勢力もある

なお、世論調査では保守党が労働党を数ポイントリードしているが、保守党の世論調査でのポジションは、2017年総選挙前の世論調査より大幅に悪化している。

また、世論調査でメイ首相が、ブレクシットの交渉をうまくしていると見ている人は少なく、3分の2の有権者はメイの交渉はまずいと見ている。このような状態にしたメイ首相の責任が問われるのは確かだ。メイ首相は、セキュリティなどの面からEU側が折れてくると考えていた節があるが、欧州版GPSガリレオ衛星システムや欧州逮捕状の問題などでイギリスがEU枠外におかれることがはっきりした。今やメイ首相の状況は切羽詰まっており、メイ首相は、EU側の助けを求めなければならないような状況におかれていると言える。

この中、強硬離脱派は、メイ首相に、EUと合意しないまま離脱する準備も進めるよう要求した。EUやアイルランドも合意なしのイギリス離脱の準備を進めておりエアバスやBMWなどの大手企業も合意なしの場合の警告を発している。しかし、メイ首相の性格を考えると、合意なしでEU離脱をするとは考えにくく、そのためメイ首相の苦悩はさらに深まることが予想される。

必死なメイ首相

メイ首相は、自分の政権を守るために国民の最も関心の高い政治課題、国民保健サービス(NHS)に飛びついた。国民は誰でもNHSで無料の診療、手術、投薬、入院などの医療が受けられ、中流階級を含め、多くの国民がその恩恵を受けている。しかしながら、NHSは、緊縮財政の中、お金が不足しており、人手不足でその運営目標が達成できない例がほとんどだが、これまで冬季のNHSの最も忙しい時期でも追加のお金を渋っていたメイ首相が、突然、気前のいいことを言い始め、毎年大きく増やし、2023年には実質200億ポンド(3兆円)あまりのお金を追加すると約束したのである。しかもその財源の一部は、EU離脱のため支払う必要のなくなる負担金だと言うのである。

こういう財政問題が問われる際、多くの人がコメントを求める先は、政治的に中立の立場で権威のある財政問題研究所(IFS)である。IFSのトップは、EU離脱で浮く負担金は、離脱の際の清算金や国内でEU補助金がなくなるための埋め合わせなどで既に数年間の分はなくなっているとコメントした。そのため、大幅な増税が予想されている。これは昨年の総選挙での公約に反する可能性がある。その財政的な裏付けは、今秋の予算で発表されるが、メイ首相は、ハモンド財相に任せているとする。

一方、メイ首相は先週EU離脱法案の最初の危機を乗り切ったが、それが爆発する可能性がある。EU離脱法案は、イギリスがEUを離脱した後、効力のなくなるEU法に取り替わって、それをイギリス国内法とするための手続き法案である。この法案が下院の審議を終えた後、上院で、政府の意思に反して修正が加えられた。その修正は、再び下院で覆されたが、議会が「意味のある」判断をするという点で、上院が、前回よりもさらに大きな差で再び修正した。それが再び水曜日に下院で採決される。

前回は、メイ首相が、上院の修正に賛成する可能性の高かった、保守党内のソフト離脱派と交渉して反乱を防いだが、その後、メイ首相が上院に提出した新修正案はソフト離脱派に裏切りとみなされており、今回は反乱につながる可能性がある。NHSへのお金投入の話は、この反乱を防ぐ狙いもあると見られるが、その効果がどこまであるか注目される。いずれにしても、メイ首相は、これまでの方針を歪めても生き残りに必死にならざるを得ない状況になっている。

メイ首相と保守党のドラマ

メイ首相のドラマはまだまだ続く。EU離脱法案をめぐる保守党内の争いは終わる気配が見えない。その中心にあるのはメイ首相だ。6月12日と13日、下院は、EU離脱法案の上院で修正された条項についての採決を行った。結果によっては、メイ首相のEU離脱交渉と政権の将来に大きな影響を与えると思われたが、いずれもメイ首相側の勝利に終わった。

保守党下院議員には、EUからの強硬離脱派60人余りと、ソフトな離脱を目指す議員/EU残留派の議員たち20人足らずが対峙している。そしてメイ首相は、その両方のバランスを取ろうとしている。メイ首相には、いずれの支持も失えない。

そこでメイ首相は、ソフトな離脱を目指す議員たちに、EUとの合意ができたかどうかにかかわらず、議会に最終的にどうするかを決めさせると約束した。少なくとも、これらの議員たちは、メイ首相がそう約束したと思った。

ところが、上院に再び戻されたEU離脱法案への政府提出の修正案では、その約束は消え、代わりにメイ首相がかつて主張していたような「受け入れるか受け入れないか」の二者択一に戻っていた。すなわち、政府がEUと合意ができれば、議会がそれをそのまま受け入れるか、もしくはその合意に納得しなければ、そのまま合意なしで離脱するかの選択肢のような形である。政府がEUとの合意をしないと決めても議会が政府にEUとの交渉の席に戻るよう強制できない。

これは国際条約の場合にあてはまることである。しかし、交渉期限が決まっており、イギリスの経済をはじめとする国際関係に大きな影響をもたらせるEU離脱交渉でそれがよいのかどうか議論があろう。もちろん、下院でメイ政権の合意や立場が受け入れられなければ、メイ政権は不信任され、政権が崩壊するだろう。

いずれにしても、保守党の強硬離脱派は、EUとの関係について議会に決めさせる力を与えることには反対だ。上院ではもちろん、下院でも全体としてソフトな離脱を求める勢力の方が強硬離脱派より多い。そのため、信用できないが、今のところ自分たちが影響力を行使できるメイ首相に自分たちが受け入れられる合意、もしくはそのような合意ができなければ合意なしの離脱をさせた方がよいと考えている。

一方、保守党のソフトな離脱派は、最終的には、議会がどのようにするかを決めるべきであるという考えを崩していない。イギリスは、結局、議会主権の国である。

強硬離脱派とソフトな離脱派の対立は、そう簡単には解決できない。保守党のドラマ、メイ首相のドラマはまだ続く。

メイ首相の二枚舌

イギリスの下院で、上院から返ってきたEU離脱法案の討議と採決が行われた(その結果)。上院ではメイ政権の意思に反して15の修正が行われたが、下院での採決を巡り、保守党議員の中に、メイ政権の指示に背いて、修正に賛成する動きがあるのではないかと見られていた。当初政府側は6月12日にすべてを処理するつもりでいたが、議員らの反発を受けて2日間に伸ばした。結局、メイ首相の妥協策でその動きは抑えられた(6月12日、13日)が、その後始末を巡って様々な憶測が強まっている。

メイ首相の出した妥協策とは?まず、ソフトな離脱を目指す議員たちに議会が最後にどのような離脱をするかを決められるようにすると約束したと言われる。一方、強硬離脱派には、そのような約束はしていないとしたと伝えられる。すなわち、相反する妥協策で、保守党の中の強硬派とソフトな離脱派を宥めたようだ。

これは二枚舌といえる。タブロイドのサン紙もそれを第一面で指摘した。今回メイ首相が行ったのは、危機を先送りしただけで、早晩、さらなる危機にさらされると見られている

メイ首相がこのような策に打って出たのには、単なる引き延ばし以外の理由があるように思われる。例えば、6月末のEUサミットで何らかの妥協がなされる可能性を期待しているのかもしれない。もしくは7月には夏季の休会が控えており、9月に再開されるまで、次の手を準備する時間があると考えているのかもしれない。そして何らかの方法で10月末ごろまでに何とかEU側と合意をすることを考えているのかもしれない。さらに2007年から8年にかけての世界信用危機のような事態の発生、または、サッチャー政権でのフォークランド紛争のような外部要因で、EU離脱問題自体が、全く異なる視点で対応する必要が出てくる可能性が出てくるかもしれないと考えているのかもしれない。

ただ、メイ政権は弱体化しており、今回のような綱渡りを繰り返せる状況にはない。その一方、もし、メイ政権がこの下院での投票で敗れていれば、保守党の党首交代の機運が盛り上がる可能性があった。そしてこの夏に党首選を行うことは可能だったろうが、その機会は消えたように思われる。一方、来年3月29日のEU離脱を控え、イギリス議会と欧州議会に離脱条約などを審議、承認させる時間の必要があることを考えると、今秋に党首選を行うことも難しい。メイ首相は、これらのロジスティックの問題を背景に首相に居座る思惑なのだろうが、果たしてその通りにいくか?ボリス・ジョンソン外相が指摘したようなメルトダウンの可能性もあろう。