スターマー政権の予算発表

2024年10月30日、スターマー政権の予算をリーブズ財相が下院で発表した。7月4日の総選挙で労働党が地滑り的大勝利を収めて以来、4か月近く経っている。予算発表が遅すぎるとの批判があったが、恐らく拙速よりはましだろう。14年間にわたる前保守党政権の、緊縮財政を基軸にした財政運営でNHSや地方自治体の財政などが大きなダメージを受けている。コロナ禍以降、英国の経済成長率はG7の中で6番目であり、経済成長を促すことは重要だ。そのため、スターマー政権の課題は、経済成長をはかりながら、NHSや地方自治体のダメージを回復し、同時に国民の多くの生活をサポートしていくということになる。

スターマー政権がこれらの課題に取り組むには、前政権の財政をはじめとした問題を洗い出し、何をどういう優先順位でしなければならないかを決める作業が大切だ。その実施過程で明らかになったのは、前保守党政権下で明らかにされていなかった問題がいくつもあったことである。

その結果、リーブズ財相は今後5年間毎年700億ポンド(約14兆円)の支出増の実施を決め、400億ポンド(約8兆円)の大きな増税に踏み切り、後は借金をすることとした。この増税は、1993年のメージャー保守党政権のノーマン・ラモント財相の予算に次ぐ規模である。

予算発表の日、水曜日正午恒例の「首相への質問」から始まり、12時半過ぎからリーブズ財相の1時間半近い発表が始まった。この予算は、スターマー政権最初の予算であることもあり、非常に注目されていた。各種の憶測が流されており、あまり期待が持てそうではなかった。

ところが、「首相への質問」の頃から、下院の与党議席の一番前に座っていたスターマー首相や閣僚が非常にリラックスしているように見え、リーブズ財相の予算発表にかなり自信を持っているように伺われた。そして、リーブズ財相の発表が始まると、労働党側の歓声が始まり、その一方、野党の保守党は、一部の人を除いて静かな状態が続いた。これには650議席のうち400余りの議席を持つ労働党と、100余りの議席に減った保守党との差も反映されているだろう。

通常、増税する際の中心になる税は、所得税、国民保険、付加価値税(消費税)である。しかし、労働党は、総選挙で勤労者の所得税、国民保険、付加価値税は上げないとしていた。そのため、これらとは異なる、雇い主の国民保険料負担を上げることで、400億ポンドのうち250億ポンドをねん出した。一方、最低賃金(時間給、2025年4月から)を6.7%あげ、12.21ポンド(約2400円)とした。

なお、226億ポンド(約5兆5200億円)は、イングランドの国民健康サービス(NHS)につぎ込まれる。NHSは分権されており、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドは別だ。NHSが改善されるなら、増税を受け入れてもよいという有権者がかなりいたが、この財政投入でどの程度効果が上がるか注目される。

ただし、今回の予算を使った投資の結果が出てくるのは、この一期5年間内には困難で、それより先になると予測されている。しかし、リーブズ財相の計画では、政権の最初の2年間でかなりの効果が出てくることを期待しているようであり、そのあてが外れるとかなり難しい立場になりかねない。そのため、この予算は、リーブズ財相の「ギャンブル」とも言われている。それでも、今回の予算の増税では、企業や裕福な人たちがその主な担い手となっており、もしNHSが大きく改善すれば、一般有権者のスターマー政権への評価が上昇する可能性が高いように思われる。

追い詰められているスナク首相

スナク首相率いる保守党は、世論調査の支持率で労働党に20%程度の差をつけられている。劣勢挽回を狙ったハント財相の「秋の声明」で働く人とビジネスに対する減税を打ち出した。しかし、その減税は、公共サービスに必要な支出を軽視して生み出したもので、物価上昇率が4.6%に下がったとはいえ、依然大きく物価が上昇している中で生活苦の中にある人々にはそれほど大きな助けにはなっていない。

スナク首相の対応は、目先の問題に対応したもので、長期的な展望に立ったものではない。例えば、ロンドンからバーミンガムを経てマンチェスターなどのイングランド北部への高速鉄道HS2の建設で、バーミンガム以降の路線の建設をキャンセルした。しかし、バーミンガムからマンチェスターの鉄道路線は、キャパシティの余裕が乏しく、老朽化している。キャンセルされた区間の既に買収された土地は売りに出される予定だ。これでは、この路線の復活は極めて困難だ。

HS2の代替策として「自動車の運転手」を助けるとして、道路の傷み修理の遅れている道路網の改善を図る計画を打ち出した。また、ロンドンの空気浄化対策に反対し、また電気自動車への移行目標年を先延ばしし、さらに化石燃料開発の促進に踏み切った。次の総選挙が1年以内に行われる見込み(13カ月以内に実施しなければならない)で、来年2024年5月にある可能性もささやかれている中、スナク首相が英国の長期的なビジョンよりも目先の有権者にアピールする政策を重視していることは明らかである。むしろ、大方が次期総選挙では労働党が勝つと見ていることを考えると、スナク首相は、後のことを考えずに、次期総選挙後のことは労働党に心配させた方がよいと見ているように思われる。なお、次期総選挙での労働党勝利の賭け率は1-8である。ほぼまちがいなく労働党が勝つと出ている。

一方、コロナウィルスによるパンデミックの政府の対応をめぐる公的調査が行われている。この中で、医療の専門家や科学者が、それぞれの日記に、当時財相だったスナク首相を「死の医師(Dr. Death)」や「人を死なせてもOKだ(Just let people die, that’s OK)」などと記していたことがわかった。人々の行動の自由を大幅に制限するロックダウンで飲食業界が大きな影響を被ったことに対して、スナクが多額の補助金を出して「外食して助ける(eat out to help out)」政策を打ち出したことに関連している。この政策が発表される前にスナクは専門家に相談しなかった。専門家たちはこの政策を、政府がお金を使ってコロナを拡散させたとして厳しく批判している。数週間後には、スナク首相が、この公的調査に出席して質問を受けることになっている

また、スナク首相は、移民問題でも苦しい立場に立っている。2022年の移民数(移民として入国してきた人の数から移民として外国に移った人を差し引いた数)が74万5千人だったと統計局が発表し、移民数が大きく増えていることが明らかになったからだ。この移民の最も大きな原因は、学生、そしてケアワーカーや看護師である。その上、不法移民の問題もある。いずれも2023年は2022年よりも減少しているとされるが、有権者の6割が移民は多すぎると思っており、スナク首相に大きな圧力がかかっている。ただし、外国人学生の受け入れは学費収入や生活費で英国の経済にプラスになる上、大学の財政を助けている。また、ケアワーカーや看護師が不足しており、急には移民を止められない状況だ。経済成長がほとんどない中、来年にも景気後退の可能性があるとの予測もあり、移民の減少がマイナス成長をもたらす可能性がある。

いずれにしても、問題解決には、抜本的な対策が必要だ。しかし、保守党内に次期総選挙への不安が高まり、批判勢力を抱え、将来へのビジョンに欠けるスナク首相には、極めて厳しい前途であると言える。