北アイルランドの行方

英国の北アイルランドは、アイルランド島にある。島内のアイルランド共和国と国境で隔てられているが、この国境は地図上のもので、国境を超える時に通過しなければならない税関やチェックポイントのようなものは実際にはない。

これは、もともとアイルランド共和国が英国から分離して生まれ、その後の歴史的な関係を反映したものだが、この北アイルランドの地位は、英国がEUを離脱するブレクジット交渉の際に大きな問題となった。アイルランド共和国は今もなおEUのメンバーだが、英国はEUを離れ、EU外の国である。そのため、同じアイルランド島にある、北アイルランドとアイルランド共和国との間の関係を調整する必要ができたのである。妥協策として合意した、英国とEUとの間の貿易上のプロトコール(ルール)は、今になって英国側が受け入れられないとして再交渉を求める展開となっている

その中、北アイルランドの住民の考え方も変化してきている。北アイルランドが英国から別れて、南のアイルランド共和国と統一されるべきかどうかという点では、最近の世論調査によると、北アイルランドをアイルランド共和国と統一するべきかどうかという「国境投票(Border Poll)」を5年以内に実施すべきだという人が37%、それ以降に実施すべきだという人が31%と、合わせて住民の3分の2になっている(そのような投票はすべきではないという人は29%)。なお、もしそのような国境投票があれば、英国に残るべきだという人は49%、アイルランド共和国と統一されるべきだという人は42%である。問題は、英国がEU離脱交渉を始めて以来、北アイルランドがアイルランド共和国と統一されるべきだという人の割合が増えてきている点だ。

同じ目的を持つ国境投票は、1973年に実施されたことがある。最初から結果がわかっていたからこそ実施したということがあったのだろうが、その際、ナショナリストと呼ばれる、アイルランド共和国との統一を求める人たちは、その投票をボイコットした。結果は、投票率58.7%で、98.9%が英国に残りたいであった。その時に採用された国境投票の制度は、1998年のベルファスト(グッドフライデー)合意で受け継がれた。そのような国境投票は、英国の北アイルランド相が実施時期の裁量権を持つが、北アイルランドの半数以上が統一支持になれば、実施しなければならないことになっている。ただし念頭に置いておかなければならないのは、2016年の英国のEU離脱の国民投票でも予想を裏切って離脱が多数を占め、離脱することになったように、特に現在のような世論の動きの中で、国境投票を実施することは大きなギャンブルであり、英国は北アイルランドを失う可能性がある。

現アイルランド共和国副首相で、前首相のレオ・バラッカーは、自分の生きている間にアイルランドが統一されるかもしれないと示唆し、英国政府はそれに強く反発したが、その可能性も出てきた。ブレクジットの中長期的な結果が、国境投票が行われるかどうか、または行われた場合、その結果を左右するだろう。

北アイルランドでは、ジョンソン首相の業績を悪い、もしくはひどく悪いと評価する人が79%にも上っており、将来、北アイルランドが英国を離れるというような事態が発生すれば、EU離脱国民投票で離脱派のリーダーだった上、首相としてブレクジットを推進したジョンソン政権が、その大きなきっかけを作ったと批判されかねない状態となっている。

北アイルランド問題で苦しむメイ首相

メイ首相のEUとの離脱合意には、アイルランド島内の「イギリスの北アイルランド」と南のEU加盟国アイルランド共和国との間の国境に関する「バックストップ」が含まれている。バックストップとは、安全ネットもしくは「保険」と表現されるが、アメリカの野球のホームベース後ろの安全柵のことで、観客の安全のために設けられたものである。

現在、北アイルランドとアイルランド共和国の間の国境に建造物はない。自由通行できる。そのため、ブレクシットのバックストップとは、国境にそのような建造物を作る必要がないようにするものである。これは、1998年のグッドフライデー(ベルファスト)合意で一応終えた、北アイルランドの30年余りにわたるナショナリスト(カソリックでアイルランド共和国との統一を求める勢力)とユニオニスト(プロテスタントでイギリスとのつながりを維持していく勢力)の血にまみれた「トラブルズ」と呼ばれる状況を再びもたらせないようにするものである。国境を区切る建造物が生まれると、再びテロ活動の標的とされる可能性があると多くが心配しているためだ。

メイ首相の合意案は、EUとの関税同盟に参加しないなどのレッドラインに固執しているため、このバックストップを含まざるをえない。そしてこのバックストップゆえに、メイ率いる保守党の中の欧州リサーチグループ(ERG)がこの合意案に賛成しない。そのバックストップが半永久的に続き、イギリスはいつまでたってもEUを離脱できないのではないかと心配しているからだ。

メイ首相は北アイルランドをレベルの低い地域とでも考えていた節がある。2019年2月の初めに北アイルランドを訪れ、国境に建造物は作らないと、下院でいつも行うようなスピーチを行った。その反応は?もろ手を挙げて称賛されるようなものとは遠く離れたものだった。北アイルランドの新聞は極めて冷静で、事態を鋭く見抜いたものだった。メイのスピーチは疑問を解決し、不安を和らげるようなものではなかったというのである。メイにとっては、北アイルランドの政治関係者は、今もなお、子供のような争いを繰り広げているように見えるかもしれない。しかし、北アイルランドの政治は、その困難な時代を潜り抜けて成熟したものになっている。

メイ首相は、最初から北アイルランドを軽視していたように見える。北アイルランド問題を十分に理解していない人物を2人続けて北アイルランド相につけた。一番目のジェームス・ブロークンシャーは、本来、中立的な立場であるべきなのに、民主統一党(DUP)寄りのスタンスで、「愚か」だと批判される始末だった。二人目のカレン・ブラッドリーは、北アイルランド相に就任するまで北アイルランドの政治を十分知らなかったと話し、あきれられた。二人とも内務省でメイの下で仕えた人物である。他の多くのポストの任命と同じように、その人物の適性よりもメイとの距離を考慮した人選であったことは疑いがない。

北アイルランドでは、2016年EU国民投票で56%がEU残留に投票したように、もともと新EU寄りの姿勢が強かった。もしイギリスが合意なしでEUを離脱するようなこととなると、北アイルランドがアイルランド共和国と統一するかどうかのいわゆる「国境投票」への声が強まるだろう。そのような場合には55%の有権者が統一に投票するという世論調査がある。このままではメイ首相は、イギリスをEUから合意なしで離脱させ、しかも北アイルランドを失う役割を果たした人物となる可能性があろう。