看護師団体のリーダーがシンフェイン党から総選挙に出馬

英国の看護師の団体のリーダーが、北アイルランドのシンフェイン党から7月4日の総選挙に出馬する。シンフェイン党は、もともと北アイルランドと南のアイルランド共和国の統一を目指すアイルランド共和国軍(IRA)の政治組織だった。今では、北アイルランド議会で最も多くの議員を持ち、北アイルランドのシンフェイン党のリーダーは、北アイルランド政府の第一首相である。

なお、英国の保守党も労働党も北アイルランドに下院議員はいない。

パット・カレン(Pat Cullen:1965年生まれ)は、50万人を超えるメンバーを持つロイヤルカレッジオブナーシング(Royal College of Nursing)のチーフエグゼクティブ・書記長であった。ロイヤルカレッジオブナーシングは、看護師らの職能団体で、労働組合でもある。カレンは、かつて北アイルランド支部の責任者として2019年ストライキを実施し、また、2022年には本部の責任者として、保守党政府との賃金交渉のため、団体として初めてストライキを行った。そのため、一般にも有名になった人物である。

その人物が、今回の総選挙に出馬するために、ロイヤルカレッジオブナーシングの職を辞任した。新しいチャレンジを求めているのだろうか?

シンフェイン党は英国の下院に対して、独特の立場を貫いている。2019年の総選挙で、北アイルランドに割り当てられた18議席のうち、シンフェイン党は7議席を獲得した。しかし、シンフェイン党は、選挙に候補者を立て、選挙運動をするものの、当選しても下院で国王(女王)への忠誠を宣誓することを拒否して、議席に就かない。そのため、議員としての歳費は受け取っていない。なお、英国下院議員の歳費(年俸)は£91,346(約1800万円)である。この歳費は受け取っていないが、もちろん、選挙で選ばれた者として選挙民のための活動・陳情はしており、経費は下院から受け取っている。

歳費は受け取っていないが、シンフェイン党の議員は、一定の賃金を党から受け取っているようだ。シンフェイン党は党独自の規定で、議員は誰もが、一般の平均賃金から計算された金額を受け取っているようだ。その金額は、2018年には£28,480(約560万円)だったという報道がある。通常、下院議員は賃金などの報酬を受け取ると、それは議会の行動規範コミッショナーに届け出る必要がある。しかし、コミッショナーは、シンフェイン党の場合その必要はないという立場をとっている。

ロイヤルカレッジオブナーシングのチーフエグゼクティブ・書記長の年俸は、2019年には197000ポンド(約4000万円)だった。カレンはこれまで20万ポンド以上の年俸を受け取っていたと思われるが、年俸の面では比べ物にならない。それでも新しい役割をシンフェイン党の政治に見出したように思われる。

様々な思惑の絡む北アイルランド議会再開問題

英国の一部である北アイルランドは、アイルランド島の中でアイルランド共和国と陸上の国境を分かち合う。南のアイルランド共和国との統一を望む「ナショナリスト」と英国本土との強固なつながりの維持を求める「ユニオニスト」の間の、北アイルランドを中心にした血で血を洗う争いは、1998年のベルファスト合意(グッドフライデー合意)で一応の和解をし、ナショナリストとユニオニストそれぞれのリーダーにはノーベル平和賞が与えられた。その結果生まれた北アイルランド議会と政府は、何回もの長い中断を経て、途切れ途切れながらも、英国中央政府とアイルランド共和国などの介入でなんとか維持されてきた。しかし、2022年2月から北アイルランド議会と政府は停止しており、5月に議会議員の選挙が実施されたが、議会は再開されず、その後も停止したままだ。

その5月の選挙では、ナショナリストのシンフェイン党が最大政党となり、ユニオニストの民主統一党(DUP)が議会第二党となった。ナショナリストとユニオニストの共同統治の形をとる政府のトップ首席大臣と副首席大臣はそれぞれの側の最大政党から指名される。いずれかが欠けると政権は成立せず、DUPが副首席大臣の指名を拒否しているため、政権がスタートできない。DUPは、英国のEU離脱条約に含まれる北アイルランドプロトコールに反対しており、その改正もしくは廃止を求めているからである。

英国がEUを離脱する際の最も大きな問題の一つは、北アイルランドをどう扱うかであった。それまでEUの統一市場の下、EUメンバーだった英国とアイルランド共和国の間で、北アイルランドとアイルアンド共和国の間の国境は、地図上の境界線にすぎなかったが、英国がEUを離れると、EUの統一市場とEU外の市場との境を設ける必要が出てくる。最も容易な方法は、国境に検問所を設けることだが、これまでの歴史的な問題を考えると、そのような検問所は、テロの標的になりかねないということから、北アイルランドをEUの統一市場の一部とみなし、北アイルランドとアイルランド共和国の間のモノの往来をチェックしないこととした。その代わりに、英国本土のグレートブリテン島とアイルランド島の間のアイリッシュ海に想定上の貿易国境を設けて、グレートブリテン島とアイルランド島の間のモノの行き来をチェックすることとしたのである。ところが、DUPをはじめ、英国本土とのつながりを重んじるユニオニストの多くは、北アイルランドが本土と異なる扱いを受けるのは承服できないとしてプロトコールの改正、もしくは廃止を求めているのである。それがなされないと、北アイルランド政府を成立させないとする。

北アイルランドでは、一定の期日の前に政権が発足しないと、法律で、英国中央政府が選挙の実施を命じることになっている。そのため、当初選挙が2022年12月に行われると見られていたが、北アイルランド相クリス・ヒートン=ハリスは、クリスマス前に北アイルランド議会議員選挙を実施しないと発表した。選挙の実施には約600万ポンド(約10億円)の費用がかかる上、DUPがユニオニスト側最大政党になるのは確実で、政治情勢は何も変わらないと考えられたためだ。そしてウェストミンスター議会による法制定で4月ごろまで選挙を延ばし、その間にEUとの交渉を進め、プロトコールの修正で政権の発足できる状況を作りたいと考えている。

北アイルランドの情勢は、徐々に変化してきている。2022年5月の選挙で、ナショナリストのシンフェイン党が北アイルランド議会で最大政党となった。そして、その勢いは、継続し、支持率を上げており、もし選挙が行われれば、シンフェイン党はさらに数議席延ばす勢いだ。一方、ユニオニストのDUPも、プロトコールをめぐる強硬な立場で、ユニオニストの支持を強めており、支持率を上げている。ただし、北アイルランドの2021年国勢調査の結果では、ナショナリストを支持する傾向の強いカトリック信者の割合が、ユニオニストを支持する傾向の強いプロテスタント信者の割合を初めて上回った。また、自分を英国民とみなす人の割合が減り、アイルランド人とみなす人の割合が増えている。

一方、アイルランド共和国の政治情勢も変化している。シンフェイン党は、アイルランド共和国と北アイルランドの二つの地域にまたがる政党である。シンフェイン党全体の党首はアイルランド共和国下院議員、シンフェイン党全体の副党首は北アイルランド議会議員であり、北アイルランドのシンフェイン党を率い、北アイルランド議会・政権が再開すれば、北アイルランドの首席大臣となる立場だ。もともとIRAの政治組織であったシンフェイン党は、北アイルランドで勢力を伸ばす一方、アイルランド共和国でも勢力を大きく伸ばし、支持率で他の政党に大きな差をつけている。アイルランド共和国の前回の2020年総選挙では、シンフェイン党は最大の議席を獲得した。第2党、第3党と緑の党が連立し、連立政権が発足したが、シンフェイン党の支持率は最も高い。

もし、北アイルランド議会が再開しない場合、北アイルランドの有権者の59%は、ロンドンの英国政権がアイルランド共和国と相談しながら北アイルランドを統治していくべきだとする。徐々にアイルランド共和国の北アイルランドへの関与を増大していくことになるような対応は、ユニオニストの立場をさらに弱めていくことになりかねず、それは、結果的に、北アイルランドとアイルランド共和国両方のシンフェイン党への支持をさらに増やしていく可能性がある。

もし、北アイルランドとアイルランド共和国の両方で、シンフェイン党がトップの政治ポストを握るようなことがあると、北アイルランドをアイルランド共和国と統一させるかどうかの「国境投票」実施への圧力が高まるのは確実だ。そのような事態をいかに避けるかがシンフェイン党以外の政党の頭にあるように思われる。