シェークスピアと現代政治(Shakespeare and Modern Politics)

ストラトフォード・アポン・エイボンのロイヤル・シェークスピア・カンパニーの劇場でハムレットを見た。ハムレットは、’To be or not to be. That is the question’という言葉で有名だ。主人公のハムレットを演じたジョナサン・スリンガーの流暢さ、そして声のトーンの確さに感銘した。

ハムレットには、日本の一般的な考え方とは異なるものがある。例えば、叔父がハムレットの父を密かに毒殺し、ハムレットの母とあまり日をおかず結婚した。この劇では、ハムレットの叔父への復讐の念が中心となるが、ハムレットは、叔父が母と結婚したことに強い嫌悪感を抱く。そしてその結婚を近親婚だと忌み嫌うのである。

日本では、例えば、亡くなった姉の代わりに妹が姉の夫と結婚するといったようなことがよくあるが、英国では、かつてこれには倫理上問題があると考えられていた。20世紀に入ってから法律でこのような結婚も公式に認められたが、今でもそれを嫌う風潮は残っているようだ。また、ハムレットの中でも触れていることだが、自殺した者の埋葬の考え方など日本との違いがある。

それでも、人間としての葛藤は、16世紀から17世紀初めのシェークスピアの時代と現代、そして英国と日本の差を越えて共通のものがあるように思われる。

つまり、当たり前のことだが、英国の政治と日本の政治を見る場合にも、「違い」と「共通性」があるという事実に常に留意しておかねばならない。

なお、シェークスピア劇での言葉は、英国の政治では極めて大切である。英国での日常生活、新聞、本などでもそれらの言葉は常に出てくる。英国の下院での討論でも、言葉を聞いて、そのシェークスピア劇での場面が思い浮かぶほどでなければ、当意即妙の返事をすることは難しい。トップ政治家にとっては、シェークスピア劇の理解はかなり重要だといえる。

知り合いの小学校の先生に、何歳からシェークスピアを教えるのかと聞くと、6・7歳児のクラスからだという。内容は簡略化されたものだが、マクベスから始まり、ロメオとジュリエットという具合に進んでいくそうだ。英国人の多くは、その教養のレベルにかかわらず、シェークスピアから生まれた多くの言葉を知っている。

ストラトフォード・アポン・エイボンの、シェークスピアの長女がその夫と住んだホールズ・クロフトという建物に、フォルスタッフという人物の紹介がある。この人物は、シェークスピアの戯曲の中で登場する。言葉に巧みで、降りかかる問題から逃れる能力があったと記述されているが、ロンドン市長のボリス・ジョンソンに似ていると感じた。

ジョンソンは、オックスフォード大学で古典を学んだ。時に失言するが、その言葉を操る能力は非常に優れており、当意即妙な対応をする。それが多くの人たちへのアピールとなっている。それでもジョンソンは、その面での自分の力を過信しすぎる点があるように感じられるが(例えば、http://blogs.reuters.com/uknews/2008/04/25/mayoral-hopefuls-take-the-shakespeare-test/)。いずれにしても特に現在の政治では、言葉が大切で、シェークスピアを知ることは政治家にとって大きな力となる。

サッチャーを正面から批判した側近(Blockbuster Criticism to Thatcher)

権力の座にある人に率直に思ったことの言える人はそう多くはないだろう。そういう人が側近には必要だろうが、苦い薬は誰もが嫌う。

ブレア元首相の側近で広報局長だったアラスター・キャンベルは、ブレアに面とむかって思ったことを言ったという話は有名だ。キャンベルが仕事がきつすぎるので、やめさせてほしいとたびたび申し出たにもかかわらず、ブレアはその辞任をなかなか認めようとしなかった。キャンベルの能力と、その率直なサポートが必要だったからだ。

しかし、あのサッチャー(1979年から1990年首相)に向かって、首相府の政策の責任者が率直に思ったことを告げていたことが明らかになった。

この人物は、ジョン・ホスキンスというビジネスマンで、政治家でも公務員でもなかったが、野党時代のサッチャー保守党の政策形成に大きな貢献をした人物である。

それは1981年8月のことだった。サッチャーが夏季休暇に出かけるときのレッドボックス(政府の書類に入った赤いブリーフケース)に、ホスキンスとそれ以外の二人の連名のメモが入れられていた。サッチャーは、その数週間後、「こんなことを首相に書いた人はいない」とホスキンスに言ったといわれる。

この頃は、サッチャーの評価が保守党の内外で非常に低かったころだ。特にジェフリー・ハウ財相の1981年予算には非常に大きな批判が巻き起こり、364人の著名な経済学者・エコノミストが政府の経済政策の変更を求めた。

ホスキンスは、サッチャーにマネジメント能力が欠けていると指摘し、特にそのマン・マネジメントを厳しく批判した。やり方が誤っている。みんなのやる気を削いでいる。このままでは、サッチャーの再選はない。しかも痛烈なのは、サッチャーの日程を一杯にしているのは、戦略的なことを考えることを避けているためだとも言っている。

ホスキンスは、その翌年の春にそのポストを去った。英国を何とかして立て直したいと思い、それに専心していた裕福なビジネスマンであり、比較的自由な立場であったといえる。それでも、このような批判をしたということは、その時の政治状況があったとはいえ、かなりの勇気が必要だったろう。サッチャーは、ホスキンスのメモのアドバイスを受け入れた点があったと言われるが、このような厳しい指摘があったことは、サッチャーの心の中に残ったのではないかと思われる。