英国王室の将来

2022年9月8日、エリザベス女王が96歳で亡くなり、その長男のチャールズ皇太子がチャールズ3世として国王となった。英国の王室は世界で最もよく知られている王室の一つであるが、その将来はどうなるだろうか。

エリザベス女王の治世を扱ったネットフリックスの「ザ・クラウン(王位)」という番組がある。2016年に放映が始まり、これまで5シリーズ50エピソードが放映されているが、最終の第6シリーズはまだ公開されていない。この番組には多くの批判もあるが、王室の実態にかなり深く立ち入っている。また、チャールズ国王の次男ハリー王子は、王室の公務を離れて米国に移ったが、ハリー王子の「ハリーとメガン」(ネットフリックス)などの番組やインタビュー、それに販売開始日に英米カナダで140万部売れ、ノンフィクションの売れ行きでギネスレコードを塗り替えた自伝「スペア(予備)」での率直な発言、記述は多くの批判を招いたものの、ハリー王子の視点で王室を見たものだ。これらで、今までヴェールで被われていた王室が一般の人にもかなりよく理解できるようになってきたといえるだろう。

チャールズ国王は、最初の妻で、ウィリアム皇太子とハリー王子の2人の母親ダイアナ妃と1996年に離婚した。その離婚の大きな原因は、2005年に再婚した相手のカミラ現女王である。ダイアナ妃は、1997年にパリの交通事故で悲劇的に亡くなった。その際の、英国国民のヒステリー的ともいえる反応と王室への批判は、王室の危機と感じられた。ダイアナ妃は今でもかなり人気がある。一方、カミラへの反感は今でもあり、チャールズ国王が戴冠式で、それまでの王妃(Queen Consort)から女王(Queen)の地位を与えたことが気に入らない人がかなりいる。

エリザベス女王の治世70年のお祝いは、英国至る所で多くの国民が自発的にストリートパーティを開くなどして祝ったが、それと比べると2023年5月に行われたチャールズ国王の戴冠式のお祝いは、はるかに低調だった。

NatCenという権威ある世論調査によると、君主制への支持は、歴史的に見て低くなっている。君主制がたいへん重要だとする人は29%で、10人に3人しかいない。また、君主制を廃止すべき、君主制は全く重要でない、または、君主制はあまり重要でないとする人は45%にのぼるという。

さらに公共放送BBCの番組のために世論調査会社大手のYouGovが行った世論調査によると、君主制を維持するべきだという人は58%、選挙で選ぶべきだとする人は26%、そしてわからないとした人が16%だった。注目すべきは、78%の65歳以上の人たちが維持すべきだとしたのに対し、18歳から24歳の人たちで維持すべきとした人は、32%しかいなかった。なお、上記のNatCenの世論調査で、18歳から34歳の人たちで君主制をたいへん重要だとしたのは、12%にすぎず、55歳以上の人たちでは、たいへん重要だとしたのは42%だった。

君主制と共和制を比較した継続的な世論調査の結果によると、君主制に対する支持は下降しているが、60%程度とまだかなり強いが、近年、共和国への支持が徐々に増えて行っている。

ただし、隣のフランスでは君主制にかなり興味があるようだ。チャールズ国王の戴冠式はテレビで実況放映されたが、英国では1800万人が見たとされるのに対し、共和国のフランスで900万人が見たという。フランスでも各種メディアが大きく注目し、記念版にした新聞もあり、特別番組を組んだテレビ局もいくつもあったという。

なぜ英国で君主制がいいのかというと、過去何百年も英国を支配してきて、英国の歴史と遺産の統一のシンボルである、国民意識や国に対する誇りの焦点となる、世界中で知られているなどという考えがある。

一方、君主制には、一つの家族で地位を継承していき、民主的でない、不平等や時代遅れの階級社会を促進する、現代社会に向かないなどという声がある。

社会が大きく変化している中で、君主制、共和制の議論も、世代交代とともに変化していくものだろう。英国の君主制がどうなっていくか注目される。

軽量級のスナク首相の限界

スナク首相(1980年生)は、2015年の総選挙で保守党から下院議員に初当選。金融界で働いていた経験を買われ、2019年に副財務相、そして2020年、前任の財相が当時のジョンソン首相の扱いに腹を立てて辞任した後、財相の座を獲得。そして2022年10月に保守党党首・首相となった。父親は医師、母親は薬局を経営する裕福な家庭で育ち、学費の極めて高い有名私立校で教育を受け、オックスフォード大学で学んだ。政治の経験が乏しい人物だといえる。

スナク首相と同じように、下院議員になった後、トントン拍子で出世した人物にジョン・メージャー元保守党首相(1943年生)がいる。1979年に初当選し、1987年副財務相、そして1989年に外相をしばらく務めた後、財相に就任、1990年にマーガレット・サッチャー首相が辞職した後、サッチャーの後押しを受けて首相に就任した。しかし、スナク首相とは、その生い立ちが大きく異なる。メージャーが生まれた時、ミュージック・ホールやサーカスで演じていたことのある父親は63歳だった。その父親が病気になり、経営していた事業が失敗、家を売り、アパートに移る。そして16歳になる前に学校を出て、働き始めた。政治に関心を持ち始め、保守党青年部に入り、総選挙の手伝いなどに従事。21歳でロンドンの区議会議員選挙に出馬するも落選。1968年にロンドンの区議会議員となったが、3年後に落選した。仕事の面では、失業していた時期もあったが、ロンドン電気局、ナショナル・ウェストミンスター銀行(NatWest)の前身の銀行、さらにスタンダードチャータード銀行に勤め、後に財相になるきっかけを作った。36歳で下院議員に当選するが、生活の面でも、政治の面でもたたき上げで、粘り強い人物と言える。

スナクは、メージャーのような経験がない。2023年6月25日の朝の公共放送テレビBBC1の政治番組で前BBC政治部長のローラ・クーンズバーグにインタビューされたが、ビジネスコンサルタント風で、政治家としての風格に欠けるように思われた。

首相としての初めてのスピーチで、スナクは「すべてのレベルにおいて高潔でプロ意識を持ち、説明・結果責任を果たす」と約束しながら、特にボリス・ジョンソン元首相の絡む問題では、態度を明らかにすることを避け、保守党内の軋轢を避けようとしていることが明らかだ。もともとジョンソンと同じEU離脱派である。EUを離脱したジョンソン政権で財相に任命されたが、ジョンソンのパーティゲート(コロナ危機でロックダウン中に首相官邸などでパーティが行われていた事件)が発覚し、また、度重なるジョンソンの議員倫理に対する判断の大失敗(オーウェン・パターソン、クリス・ピンチャーにまつわる問題)で保守党の支持率が大幅に下がる中、スナクは、もう一人の閣僚とともにジョンソン内閣を劇的に辞任した。多数の保守党下院議員が政府内の役職を次々に辞任し、ジョンソンは首相辞任に追い込まれた。ジョンソン支持者らから見れば、スナクはジョンソンを追い落とした張本人ともいえる。さらに、トラス前首相が首相就任後2カ月もたたないうちに辞任した後に行われた党首選に立候補したが、党首(首相)に選ばれるためには、その党首選に出馬して多くの支持を得た、保守党右派のスエラ・ブレバマンの支持を得る必要があった。ブレバマンは、内閣規範違反でトラスに内相の地位から更迭されたばかりだったが、ブレバマンの要求を呑み、同じ内相のポストに任命した。その後も自動車のスピード違反に関する講習で内閣規範違反の疑いがあったが、内相の地位に留めた。明らかに内閣規範に反していたラーブ法相とザハウィ保守党幹事長など内閣のポストに就いていた人物は更迭したものの、スナクには、保守党の中で強力なリーダーシップを揮えるだけの経験も力もなく、その立場にはないといえる。

世論調査の支持率で、労働党との差が15%程度まで下がっていたが、医師や看護婦をはじめとする公共サービスの労働者の賃上げをめぐるストライキや物価の高騰、公定歩合の引き上げで住宅ローンの金利、家賃の大幅アップなどによる生活苦の問題などで、労働党との支持率の差が再び20%を超えるような状態になってきた。スナク首相で政治状況の好転を期待していたが、その期待に沿えない状況になってきたようだ。それでも2022年夏から2回の党首選を実施した保守党にとっては、来年にも総選挙が予想される中で他の人物に替えようとすることは極めて難しい。

スナク首相の2023年1月に発表した5つの約束は、達成が厳しい状況となっている(BBCガーディアン)。しかもこれから次々にある予定の元保守党議席の補欠選挙で議席を失う可能性が極めて高い。保守党内でも来年の秋にも予測されている総選挙を悲観する声が強まっている。それを反映して、既に40人以上の現職議員が出馬しない意向を表明している。

次期総選挙までは、まだ1年以上あると見られている。もちろん劣勢を跳ね返す可能性がないとは言えない。政治状況は時に急速に展開する。しかし、過去の保守党政権の失政を引き継いだのが、軽量級のスナク首相では、自発的に政治状況を変えることにあまり大きな期待はできないだろう。その一方、既に多くがスタマー労働党政権を想定して動き始めているようだ。