2015年総選挙への準備 (2015 General Election Is Not Far Away)

2015年総選挙の準備が活発化してきた。次の総選挙は、2015年5月の予定であり、まだ2年近く先のことである。しかし、オズボーン財相が2015~6年の歳出のフレームワーク(Spending Review)をこの6月26日に発表することにしたことから、連立政権を組む自民党も総選挙をにらんだ対応が迫られたことと、労働党は、何も決められないという批判を避けるため、財相の発表前に独自の方針を発表しておく必要があったためである。財相の発表では、既に守られている予算の他は、ほとんどの省庁がこれまでの削減に加え、8~10%の歳出削減を強いられる。

6月22日の、自民党の党首であるクレッグ副首相と労働党のミリバンド党首によるそれぞれのスピーチで2015年に向かっての両者の戦略の基本が明らかになった。興味深いことに、いずれの党も有権者からの「信頼」がキーとなっている。

クレッグ首相は、党所属の地方議員らに対して、2010年の総選挙で大学授業料の値上げに反対すると約束したのに、連立政権に入ってそれを破ったことから、「できることを訴える」と発言した。そして、次回総選挙後、2010年のようにどの政党も過半数を占めることのない「ハング・パーリアメント」となった場合には、党として譲歩できない点をもとに交渉するという。

その譲歩できない点とは、地方議会選挙への比例代表制導入、課税最低限度額の1万2千ポンド(180万円)以上への引き上げ、脱炭化策などだと言われる。

自民党の目標は、保守党と連立政権を組んだことや大学授業料の問題で自民党から離れた多くの有権者を再び引き寄せ、さらに新しい支持者を獲得することである。また、前チーフ・エグゼクティブのレナード卿のセクハラの問題で、クレッグ党首を含め、自民党の幹部が大きな批判を浴びた。つまり、いかに「信頼」を取り戻すかが党への支持を回復するカギである。

自民党は、その下院議員と地方議員、党員が、信頼を取り戻すために尋常ではない努力をしている。それでも次の総選挙は、非常に厳しい状況だ。クレッグは、これまでの抗議政党の立場を越えて、政府の党としての役割を担っていく覚悟があるべきだと発言したが、これは、クレッグの現在の立場を考えると当然の発言だろう。

自民党に今もなお大きな影響力を持つアッシュダウン元党首らの支持を受けている中、次の総選挙までその立場に留まるのは間違いない状況だが、総選挙の結果次第で、自らの進退を考えるように思われる。

一方、ミリバンド党首が、その政策フォーラムで訴えたことは、2015年~16年の予算では、オズボーン財相の予算の枠組みを踏襲し、追加の借金をして歳出を増やすことはしないということである。1997年にブレア労働党政権が誕生した時には、経済が上向いており、歳出を増やせる状況であったが、2015年は状況が異なるとし、もし、労働党が政権を担当しても、政府支出を削減する必要のある状況は変わらないとした。

ミリバンドには保守党の批判を予め封じる目的があった。「政策がない」とか「借金して使うだけだ」という批判をかわし、一般の有権者のミリバンドの「経済・財政に弱い」という評価を覆していく必要がある。つまり、ミリバンドは、自ら率いる労働党政権の経済財政政策への「信頼」を獲得しようとしている。

その一環として労働党は既に裕福な年金生活者への冬季燃料手当を廃止することや、子供手当も年収による額の削減を打ち出したキャメロン連立政権を踏襲することを表明している。

ミリバンドは、労働党の中では、労働党政権の政策的な夢を語りながらも、財政的には過大な期待が高まるのを防ぎ、同時に有権者にミリバンドらの「信頼性」を増そうとする対応をしようとしている。

すでに、国家公務員の一般スタッフの組合PCSは、ミリバンドは頼りにならない、とこき下ろしている。また、保守党はミリバンドの発言に、「ミリバンドは弱すぎて約束を守れない。信頼できない」と批判している。しかし、ミリバンドは、これから同じメッセージを繰り返し、訴えていくことで有権者の理解を得ようとする作戦である。

なお、賭け屋大手のウィリアム・ヒルの賭け率は、次期総選挙で労働党が最大政党になるのは4/9で、次の首相にミリバンドがなる賭け率は4/6であり、ミリバンドにかなり有利な状況だと見ている。しかし、労働党が単独で過半数を取る賭け率は5/4で、やや不安がある。

各政党は、次の総選挙に向かって、できるだけ有利な立場に立てるよう、その準備に本格的に走り始めている。

ヒューン元大臣の今後(What’s Next for Huhne)

クリス・ヒューン前エネルギー相は、3月11日、ロンドンの南西部にあるワンズワース刑務所に収監された。10年前にスピード違反の点数を自分の代わりに元妻に被ってもらった司法妨害罪で、8か月の刑期を宣告されたためである。

ヒューンは、自民党所属の下院議員だった。2007年12月の自民党党首選挙で現党首ニック・クレッグにわずかな票差で敗れたが、実は、12月はクリスマス前の郵便ラッシュのシーズンで、郵便投票の中に遅配があり、そのため、この党首選で勘定に入らなかった票があった。後にこの遅配票を計算に入れると、ヒューンがクレッグを上回っていたという話が明らかになったが、ヒューンは正式な結果を受け入れた。英国の有権者には負けっぷりが悪い人を嫌う傾向がある。

ヒューンは、2010年総選挙後の保守党・自民党の連立政権でエネルギー・気候変動相となった。しかし、自分のアドバイザーとの不倫がタブロイド紙に発表されそうになったため、妻と別れた。

ヒューンは、トニー・ブレア労働党政権当時のロビン・クック外相と同じことをしたのである。クックは妻と別れて不倫の相手と一緒になる道を選んだが、外相の地位を維持した。ヒューンはそうすることで、恐らく、自分の政治家としてのダメージを最小限にする意図があったのではないかと思われる。つまり、有権者に人気のないクレッグ党首・副首相が退任した暁には、自分が党首となれる芽を残しておきたかったのではないか。

クック元外相の前例もあり、マスコミはヒューンの問題に冷静に対応した。もちろん、この問題が発覚した時には、高級紙も含めて大きく取り上げられたが、すぐに鎮静化し、ヒューンは何もなかったかのように大臣としての仕事を継続した。それでもヒューンが一緒になった女性アドバイザーにはかつて他の女性と市民婚をしていた過去があり、それに関する記事がしばらく続いた。

ヒューンは、ジャーナリストからビジネスに転じた後、自民党の欧州議会議員、そして2005年に下院議員となった人物であり、有能な政治家として知られていた。大臣としても公務員がその有能ぶりを認めていたという。

ヒューンにとって誤算だったのは、ヒューンに突然見捨てられ、大打撃を受けた元妻が復讐を企てたことである。この点でヒューンは、クックの例を十分に頭に入れていなかったといえるだろう。クックの場合、その元妻で医師のマーガレット・クックが、クックの人格を否定するような内容の本を書き、出版した。この本は評判になり、テレビ、ラジオ、新聞などマスコミにも数多く出演した。これはクックにかなり大きな打撃を与えた。

この点で、ヒューンは、その元妻ヴィッキー・プライスを低く見過ぎていたといえる。過去に英国政府のトップエコノミストであり、局長級のポストを辞職した後、民間会社に移った元妻が、自らの評判を大きく傷つけるかもしれないような危険なことをするはずがない、と考えていたように思われる。

実際には、ヴィッキー・プライスは、怒りのあまり、復讐の念に燃え、自分への害の可能性も深く顧みず、危険な道を走り始めてしまった。一旦、10年前に何が起きたかの話が報道され始めると、あとは、物事は自らの手を離れ、勝手に走り始めてしまった。10年前にヒューンのスピード違反の点数を自分が被ったのは、夫に強制されたためだ、と古い法律を使って主張したが、それは認められず、自分も司法妨害罪で8か月の刑期を受け、ロンドンの北部の女性刑務所、ホロウェイ刑務所に送られた。

ヒューンは、ワンズワース刑務所での刑務囚としての生活を始めた。サン紙(2013年3月13日)が、ヒューンの生活に触れ、あまりうまく行っていないことを示唆した。刑務官が、所内放送で、下院で議長のよく使う言葉を使って「尊敬すべきワンズワース北の紳士、朝食を事務所まで取りに来るように、静粛に、静粛に(オーダー、オーダー)」と言ったという。また、ヒューンに「金があるのだってね」と付きまとう他の刑務囚もおり、ヒューンは他の刑務囚から遠ざけるために隔離棟に送られたという。これらの話は、ヒューンの愛人が否定している。

話の真偽はともかく、かつて同じく司法妨害罪で刑務所に送られた、上院議員のジェフリー・アーチャーはすぐに他の刑務囚と仲良くなり、刑務囚にサインをしてあげる代わりに何かと便益を受けたという。ヒューンは、恐らく2か月程度の服役の後、電子タグをつけられた上で出所すると思われるが、それまでの辛抱である。

ヒューンの今後については、様々な憶測がある。ヒューンはかなり多くの不動産を持っているが、取りざたされているのは、ジャーナリズムもしくはシティーへの復帰だ。ヒューンはかつて格付け会社のフィッチの副会長を務めたこともあり、その能力がシティーで評価されるのではないかという。

ヒューンは、高転びに転んだといえるが(裁判官は、スピード違反の点数を他の人に被ってもらったことが明らかになっていれば、高い地位に就くことさえできなかっただろうと言うが)、社会でその能力を生かして働く機会を与えられる方が社会全体としては望ましいと思われる。