労働党のネガティブ・キャンペーン

労働党が2週間後に控えた欧州議会議員選挙のために公共放送BBCの政党選挙放送枠で公開した自民党のクレッグ副首相と保守党のキャメロン首相らを攻撃するパロディビデオはショッキングだった。ネガティブ・キャンペーンである。これからの1年間、このようなダーティー戦術が頻繁に使われるようになるだろう。どこまで行くのだろうか。

このビデオは白黒だが、きちんとした俳優が使われており、かなりの費用をかけていることは明らかである。アメリカでは対立する候補者や政党のイメージを悪くする攻撃宣伝が使われているが、ミリバンド労働党党首が新しく雇った、オバマ選対にいたデービッド・アクセルロッドの影響は否定できないだろう。

自民党はこのビデオに対抗してミリバンド労働党党首を攻撃するビデオをすぐに公開したが、そのクオリティは労働党のものとは比較にならない。保守党には対抗するようなものを作る資金力があるが、自民党にはそれが乏しいと思われる。

労働党のビデオでは、キャメロン首相を一般の人々のことを考えない高慢な上流階級の人物として描いているが、焦点が当たっているのはクレッグである。信念のない、自分のことしか考えず、すぐに服従させられる人物としている。1957年に出た「The Incredible Shrinking Man」という映画をもとに作られており、「The Un-Credible Shrinking Man」と題されている。3分余りのビデオであるが、閣議に出席したクレッグ副首相が、自分の約束や原則を守らず、キャメロン首相に従うたびにその体が縮んで行く。

クレッグは、2010年の総選挙で大学の学費の無料化を約束したが、キャメロン政権の副首相に就き、学費を3倍にすることを認めた。この事実は、自民党の連立政権参加の条件だった下院の選挙制度修正の賛否を問う2011年国民投票(AV制度の導入)で、反対派に使われた。修正案は大差で否決された。クレッグは個人的に大きな痛手を負い、それ以降立ち直れていない。

明らかに労働党はこのクレッグへの悪い記憶とキャメロン政権での好ましくない政策実施に果たした自民党の役割を有権者に思い出させようとしているようだ。容赦がない。522日の欧州議会議員選挙と同時に地方議会選挙も行われるが、欧州議会議員選では、自民党は前回2009年の11議席から23議席へと惨敗すると見られている。また、地方議会議員選でも多くの議席を失うだろう。自民党は総選挙で重要な役割を果たす地方議員を連立政権参加以来大きく失っているが、それがさらに輪をかけて悪化する状況だ。

1年後の来年57日予定の次期総選挙で労働党の標的にしている自民党の議席は14あると言われる。これらの議席を獲得するためにさらにクレッグへの個人攻撃は続くだろう。また、かなり議席を減らす見込みの自民党は党首交代を迫られる可能性が強い。もし、どの政党も過半数を得ることのないハングパーリアメント(宙づり議会)となり、労働党が自民党と連立政権を組まざるを得ないこととなっても新しい党首と協力してやっていけるというシナリオを描いているように思われる。

アッシュダウン卿の自民党への影響(Lord Ashdown’s Influence)

各政党ともに2015年総選挙の責任者を決め本格的な選挙準備に入っている。ニック・クレッグ副首相率いる自民党では責任者は上院議員のアッシュダウン卿である。アッシュダウン(1941年2月24日生まれ)はかつて自民党の党首であり、今でも自民党に大きな影響力を持っている。テレグラフ紙の編集した自民党の影響力の大きい人物ランキングでクレッグ党首・副首相、アレキサンダー財務副大臣、ロウズ教育、内閣府担当大臣に続いて第4位とされている。2013年9月の党大会でクレッグがアッシュダウンを2015年総選挙キャンペーン議長と紹介した時、アッシュダウンへの拍手はひときわ大きなものがあった。

次期総選挙は、2010年5月に保守党と連立を組み、低い支持率にあえぐ自民党にとって党の命運をかける戦いとなる。アッシュダウン卿は、これまでクレッグ党首のメンター的役割を果たしてきた。

2013年は自民党にスキャンダルが襲いかかった。自民党のチーフエグゼクティブだった上院議員レナード卿に性的ハラスメントの疑いがかかり、さらに前エネルギー大臣のクリス・ヒューンが司法妨害罪で刑務所に送られた。ヒューンは、クレッグと党首選を競い惜しくも破れた人である。レナード卿は起訴もされておらず司法的な処置はとられていないが、大きく報道され、いずれも自民党のイメージをさらに傷つけるものとなった。

アッシュダウンは、このような問題はどの党にも起きるとして、起きたことよりもそれらにいかに対応するが重要だと言う。アッシュダウンは、明らかに自分の経験に基づいた話をしているようだ。党首時代に、女性秘書とのかつての関係が明らかになる可能性があった時、先手を取って自ら記者会見を開いて公表し、「パンツダウン」などと揶揄されながらも、その影響を最小限に食い止めたことがある。

アッシュダウンはもともと英国海兵隊のエリート特殊部隊SBSの指揮官だった。その後外務省に入り、一等書記官などを務めたが、実は英国の対外諜報局MI6のメンバーだった。

1983年から2001年まで自民党下院議員を務め、1988年から1999年まで党首。1997年総選挙では18議席から46議席へと伸ばし、自民党の中興の祖ともいえる。2002年から2006年まで国連のボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表を務め多くの業績をあげた。その後、国連のアフガニスタン特別代表のポストを一度引き受けたものの、アフガニスタン政府側がアッシュダウンのボスニア・ヘルツェゴビナ時代に示した剛腕ぶりを嫌ったためにポスト就任を辞退したという経緯がある。

なお、アッシュダウンは、1997年総選挙前に労働党のトニー・ブレアと自民党・労働党の連立政権の話し合いを進めていた。労働党が地滑り的大勝利を収めたためにその連立政権の話は無くなったが、この経験が2010年にクレッグが保守党との連立に踏み切った一つの要因になっているように思える。

アッシュダウンがどの程度、自民党の党勢を回復できるか注目されるが、少なくとも自民党活動家にとっては頼りになる人物と言えるだろう。これまでの世論調査の結果では、全国的には支持率が大きく下がっているものの、現職の自民党下院議員の議席ではかなり善戦する傾向が出ており、党活動が命運を分けるカギとなる。その点でアッシュダウンの任命は当を得ていると言える。