キャメロン首相の限界 Cameron – just spin, spin and spin

ロンドンから始まり、英国各地に瞬く間に広まった暴動は、警察が強硬な対処法を取り始めた途端、急速に止まった。マスコミがこぞってCCTVなどの映像を発表し、容疑者の顔写真を公表し、容疑者が次から次に警察に逮捕されるのを見て、一般の人々は胸をなでおろし、暴動を始める準備のあった者は考えを変えたようだ。暴動を起こしても、自分が痛い目に遭うとは思ってもいなかった者たちが、今回は違うと気が付いたようだった。

イタリアのトスカニーで休暇中だったキャメロン首相は、休暇を途中で切り上げ、ロンドンに帰り、コブラと呼ばれる緊急事態対応会議を開いた。その日からロンドン警視庁などが警官の大動員をかけ、警官の休養日と休暇をキャンセルし、それまでの6千人から1万6千人に増員した。警官がロンドンの商店街など暴動の標的になりそうな場所にはあふれ、多くの商店やパブ、バーなどが店を早く締めた。店の中には、木製のボードで外回りを完全に覆い、自己防衛するものもかなり出た。その結果、ロンドンでは直ちに暴動騒ぎは収まり、それ以外の地域でもその翌日には収まった。

この結果を見て、キャメロン首相は、自分が「勝利」をもたらしたかのような発言をした。キャメロン首相にとっての誤算は、警察側が直ちにそれに反駁したことだ。事態を鎮静化させた手段は、すべて警察が判断して実施したものであり、首相は、直接指示したり、警官の休養日や休暇をキャンセルしたりする権限はない、と言ったのだ。国民の多くは、首相にどういう権限があり、首相と警察との関係を知らなかった。結局、警察側の剣幕に驚いたキャメロン首相は、翌日には、警察官の勇気を称えるなど大幅にトーンダウンした。

キャメロン首相は、もともと広報マンで、見栄えの良い、聞こえのよい話を好む傾向がある。自分にプラスになると思われるチャンスは見逃さない。問題は、それが行き過ぎると、かえって逆効果になることだ。本来、責任は自分が取り、手柄は警察に与えるという態度が本当のリーダーである。「広報マン」首相キャメロンの限界である。

どうすれば能力のある大臣になれるか – How to become an effective Minister

先日ある有力シンクタンク(The Institute for Government)が「大臣の課題(The Challenge of being a Minister)」と題するレポートを発表した。これでは、どういう基準で大臣や大臣の候補者を評価するかはっきりしていないために、大臣の任命は、偶然に任されることが多く、大臣に選ばれた人に必要な能力がない場合がしばしばあると言う。

しかもこれまで一つの大臣職に就いている期間は、平均で2年余りと短く、回転率が高いためにその職を効果的に遂行する専門知識や経験を積む時間が短く、内閣改造をするたびに政府の質を悪化させることになると言う。

この問題に取り組むためには、大臣の勤務評定を取り入れるべきであり、野党である「影の内閣」の閣僚も日ごろからもっと真剣に仕事に取り組むべきだと言う。また、経験の十分でない人をその役割に備えさせ、いったんポストに就いた後もその能力を継続して伸ばすことができるようなシステムが必要だと言う。

つまり、能力のある大臣とするには、まず、その基本的な能力のある人を選び、継続して勤務評価しながらその能力を伸ばし、経験を積ませ、そしてかなり長い期間その職に在任させることだというのだ。

日本で「能力のある大臣」もしくは「効果的な大臣」となるためにはどうしたらよいか、という議論があるのだろうか?