どうなる北アイルランド

北アイルランドの政治は、イギリスとの関係を維持しようとするユニオニスト側の政党と南のアイルランド共和国との統一を目指すナショナリスト側政党との共同統治である。すなわち、両側が協力しなければ運営できない仕組みだ。政府のトップである首席大臣と副首席大臣は全く同じ権限を持つが、ユニオニスト側とナショナリスト側の最大政党から一人ずつ選ばれ、そのうち最も多数の議員を擁する政党から首席大臣が選ばれることとなる。

昨年、ユニオニスト側の民主統一党(DUP)党首で首席大臣であるアーリン・フォスターがかつて企業相時代に導入した、再生可能エネルギー政策(Renewable Heating Initiative:RHI)の不備で、4億9千万ポンド(690億円:£1=140円)の欠損が出ることが判明した。これは、人口185万人の北アイルランドでは極めて大きな金額である。ナショナリスト側のシンフェイン党は、この問題の公的な調査の結果が出るまで、フォスターが首席大臣の地位から一時的に身を引くべきとしたが、フォスターは拒否。それ以外の政策でも不満を持っていたシンフェインのマーティン・マクギネス(3月21日死去)は、副首席大臣を辞任した。シンフェイン党が代わりの候補者を立てることを拒否した結果、首席大臣が自動的に失職し、選挙が行われることとなった。

2017年3月選挙

3月2日に行われた北アイルランド議会選挙は、議席数が108議席から90議席に減らされた。前回の議会選挙は2016年5月に行われたばかりで、次期選挙予定の2021年5月にこの議席数削減が実施されるはずだったが、この突然の選挙でそれが大幅に早められることになった。なお、この選挙は、18の選挙区に分かれた比例代表制で、各選挙区から5人ずつ選出される。有権者はその選好に従い順位をつけて投票する。

前回2016年5月選挙結果(投票率54.2%)

政党 議席数 派別 第一選好得票
DUP 38 ユニオニスト 29.2%
SF 28 ナショナリスト 24.0%
UUP 16 ユニオニスト 12.6%
SDLP 12 ナショナリスト 12.0%
APNI 8 中立 7.0%
その他 6    
合計 108    

DUP: 民主統一党、SF:シンフェイン、UUP:アルスター統一党、SDLP:社会民主労働党、APNI: 同盟党

2017年3月選挙結果(投票率64.8%)

政党 議席数 派別 第一選好得票
DUP 28 ユニオニスト 28.1%
SF 27 ナショナリスト 27.9%
SDLP 12 ナショナリスト 11.9%
UUP 10 ユニオニスト 12.9%
APNI 8 中立 9.1%
その他 5    
合計 90    

この選挙で、最大政党のDUPが議席を38議席から28議席へと大きく減らし、党単独で法制等の拒否権が行使できる30議席も下回った。一方、シンフェインは1議席減らしただけで27議席を獲得し、2党の差が、得票でわずか1168票差、議席数で1議席となり、大きく躍進した。

RHI問題が起こり、投票率が前回2016年よりも10%余り上昇し、DUPは得票を伸ばしたものの、得票率を落としたのに対し、シンフェインは、得票率を4%近く伸ばした。ユニオニスト側は、それまで過半数を維持していたが、それも失うこととなる。

選挙後、イギリス中央政府の北アイルランド相は、3週間の交渉期間で新政府樹立の話が政党間でまとまらなければ、規定に従い、再び選挙を実施するという方針を示した。この期限は、3月27日である。

RHI問題の調査委員長の判事が、調査には少なくとも半年はかかるとしたことから、この問題の解決はまだはるかに遠いといえる。シンフェインはRHI問題ばかりではなく、「トラブルズの遺産問題」、すなわち多くの未解決の殺人事件の解明への中央政府からの財政援助やアイルランド語への補助を要求し、一方、DUPは「遺産問題」で、かつての軍人らが未解決の殺人事件の容疑者となっているとしてそれらの関係者が訴追されないよう赦免すべきだと要求している。今のところDUPとシンフェインが折れ合う可能性は乏しく、事態は膠着状態といえる。

このような中、中央政府の北アイルランド相は、昨年5月以来3回目となる選挙を実施するかどうか、もしくは中央政府が直接統治するかの選択肢を迫られることとなる。

もし選挙を実施することとなれば、3月に躍進したシンフェインが、マクギネス死去後の弔い合戦でさらに躍進する可能性があるのに対し、DUP、さらにユニオニスト側の勢力がさらに弱まる可能性がある。

問題の一つは、メイ政権が、EU離脱派のDUP(イギリス下院に8議席持つ)の協力を下院で得るため、特別扱いしてきたという印象を与えたことだ。すなわち、北アイルランド相は中立的な立場であるべきであるのに、それがえこひいきをしているように受け止められている。

さらに、中央政府が直接統治することとなれば、かつてブレア、ブラウン首相らも経験してきたように、メイ首相がDUPやシンフェインのトップからの直接の電話に悩まされることとなる。メイ首相は、特にシンフェインのアダムズ党首の扱いには苦労するだろう。

シンフェインは、既に、南のアイルランド共和国との統一を望むかどうかの北アイルランド住民投票の実施を要求し、メイ首相が拒否した。この要求の背景には、昨年6月23日のEU国民投票で、北アイルランド住民の55.8%が残留に投票したことがある。

現在、アイルランド島内の北アイルランドとアイルランド共和国の間の国境には「仕切り」がなく、自由に往来できるが、イギリスがEUから離脱すれば、その「仕切り」が必要になるのではないかという危惧がある。ただし、昨年9月にBBCが行った世論調査では、住民の63%はそのような住民投票を望んでおらず、今のところユニオニストだけではなく、カソリックのかなり多くもイギリス残留を望んでいる。

なお、北アイルランドの住民は、アイルランド共和国のパスポートを得られるが、イギリスのEU離脱で、プロテスタントやユニオニストまでもがアイルランド共和国のパスポートを入手しているとされる。すわなち、これらの人たちのナショナリスト側への反感が減ってきている一方、カソリックは反カソリックのオレンジ結社やユニオニスト運動に未だに強い不信感を持っている人が多い。

アイルランド共和国でのシンフェイン

南のアイルランド共和国では、自分をカソリックと考える人が人口の84%、プロテスタントと考える人が4%(北アイルランドでは48%)であるが、テロ組織のイメージの重なるシンフェインへの不信が強かった。シンフェインは、1986年、アイルランド議会の議席に就くことに方針を変えたが、選挙での支持を増やすのはそう簡単ではなかった。

党首のアダムズは、イギリスの下院議員を2011年に辞職し、アイルランド下院議員選挙に出馬、当選し、また、同年、上述のマーティン・マクギネスがアイルランド大統領選挙に出馬した。マクギネスは3位となり当選しなかったが、シンフェインがアイルランドで本格的に政治運動に取り組み始めた。2012年にマクギネスが、北アイルランドを訪れたエリザベス女王と握手し、また、アダムズは2015年にアイルランドを訪れたチャールズ皇太子と握手した。

なお、2016年のアイルランド下院議員選挙で、157議席が争われ(議長は無投票)、シンフェインは14%の第一選好票を獲得し、23議席を獲得。この3月の世論調査ではシンフェインの支持率が23%とアップした。比例代表制のため、次期選挙ではシンフェインの大幅議席増が予測される。

また、マクギネスの葬儀にはクリントン元米大統領がアイルランド大統領や首相らとともに出席した。アイルランドでのシンフェインのプロフィールは上昇している。

さらにアイルランドのケニー首相らは、大統領選挙に北アイルランド住民も投票できるようにする方針だ。北アイルランドに住むマクギネスは、アイルランド大統領選に立候補できたが、自分に投票できなかった。北アイルランド住民に大統領選挙投票権を与えれば、アイルランドへの見方が大きく変わる可能性がある。

北アイルランドはどうなるか

もし選挙が行われれば、その選挙の結果は、いずれにしてもDUPとシンフェインがそれぞれの立場で第一党となるのは間違いなく、事態は膠着状態のままだろう。

いつまでも選挙をし続けるわけにはいかず、北アイルランドの不透明な政治状況は、まだまだ続きそうだ。

その一方、もしメイ首相らがBrexitの対応を誤り、北アイルランド住民が、中長期的にイギリスよりアイルランド共和国の方が有利だと判断するようなこととなれば、プロフィールを向上させるシンフェインが行動に出て、イギリスが北アイルランドを失うような危機に面する可能性も出てくるかもしれない。

マーティン・マクギネスの死

北アイルランド自治政府の副首席大臣だったマーティン・マクギネスが、2017年3月21日に亡くなった。1950年5月23日生まれ。66歳だった。稀な心臓病だったという。マクギネスの死は、イギリスの一つの醜い歴史が終わりかけていることを感じさせる。

北アイルランドの問題は、アイルランド南部が自治領となってイギリスから自立し、その際、プロテスタントが主流の北アイルランドがイギリスの一部となって残ったことに始まる。

マクギネスは、北アイルランドのデリー(ロンドンデリー)のカソリック教徒の貧しい家庭に生まれ、15歳で肉屋の見習いとなった。当時、北アイルランドでは、カソリック教徒に対する公式並びに非公式の差別が強かった。マクギネスは、北アイルランドを南のアイルランド共和国と統合させ、アイルランド島全体で統一されたアイルランド共和国の建設を目的としたアイルランド共和国軍(IRA)の武闘派に加入する。若くしてデリーのリーダーとなり、後にはIRAの主流派「暫定IRA」の参謀長となったと言われる。

この間、IRAは、1979年、女王のいとこで、チャールズ皇太子に近かったマウントバッテン伯爵を爆殺。1984年には、イングランド南岸のブライトンで開かれた保守党大会でマーガレット・サッチャー首相の暗殺を謀り、保守党幹部の宿泊していたホテルで爆弾を爆発させ、5人を死亡させるなど、数多くの事件で多くの血を流した。

その一方、武力闘争から民主的な政治闘争へと徐々に切り替えを図り、マクギネスは、IRAの政治組織シンフェイン党の幹部として地歩を築く。1994年にシンフェイン党のチーフネゴーシエーターとなり、1998年のグッドフライデー合意(ベルファスト合意ともいわれる)に結び付けた。この合意では、イギリスとの関係維持派(ユニオニストと呼ばれる)とアイルランド統合支持派(ナショナリストと呼ばれる)との共同統治のシステムが設けられた。それまでの30年にわたる、トラブルズと呼ばれ、3千人以上が殺された歴史に終止符を打つためだった。その結果、1998年選挙後、元IRAリーダーのマクギネスが、なんと北アイルランド政府の教育相となる。しかし、この議会は2002年から2007年まで停止される。

北アイルランドでは、もともと、アイルランド共和国との平和的な統合を目指した社会民主労働党(SDLP)がナショナリスト側の主流派だった。しかし、2007年選挙で、シンフェイン党がナショナリスト側の最大議席を持つ政党となり、マクギネスは首席大臣と完全に同じ権限を持つ副首席大臣となる。

マクギネスは、ユニオニスト側の最強硬派だった民主統一党(DUP)の設立者で党首のイアン・ペースリーと首席大臣・副首席大臣のコンビで働き、シンフェインが大嫌いだったペースリーと個人的な信頼関係を築き上げる。そして二人が「クスクス笑いの兄弟」と言われるほどになり、DUPの関係者らを含め、多くを驚かせる。

シンフェイン党の党首は、ジェリー・アダムズ(現アイルランド下院議員)だが、北アイルランド政府トップにマクギネスを送り込んだのは極めて適切な判断だったように思われる。アダムズはマクギネスほど柔軟ではなく、ペースリーとアダムズでは、油と水のような関係となっていたかもしれないからだ。

マクギネスは、2012年、北アイルランドを訪れたエリザベス女王と握手する。シンフェイン党は、イギリス下院議員選挙で5人当選させている。しかし、正式に議員となるにはエリザベス女王への忠誠を誓う必要があるため、それを拒否して通常の議員活動をしていない。そのため、マクギネスと、いとこをIRAに殺された女王との握手には象徴的な意味があった。

今年1月、首席大臣の再生可能エネルギー施策のスキャンダルで、マクギネスが副首席大臣を辞任したため、3月2日に北アイルランド議会議員選挙が行われたが、マクギネスは健康上の問題で立候補しなかった。インタビューで「選挙には立候補しないが、どこへも行かない」と答え、マクギネスがこれからもにらみをきかせるつもりだと見られた。

かつてBBCテレビのドキュメンタリーで、マイケル・コックレルがマクギネスにインタビューした時のことを思い出した。マクギネスの顔の周りをハエが飛び回っていた。マクギネスは、それを全く気にしなかった。そこで、そのハエをコックレルが追い払おうとすると、マクギネスは、そんなことはどうでもいいことだと静かな声で言い、コックレルがたじろいだ。マクギネスの凄味を感じた。

マクギネスのイギリス政治への最大の貢献は、アダムズとともにIRAに武器を放棄させ、政治勢力へと転換させたことだ。徐々にメンバーの考えかたを変えさせ、状況を受け入れられるようにしていった。これは簡単なことではない。戦略的な思考と、忍耐、そして最大の警戒が必要だ。二人が暗殺されず、マクギネスは自然死を迎えたが、いかに上手にこの過程を進めたかがうかがわれる。

マクギネスは酒を嗜まなかったが、それは、飲めないのではなく、油断を排除するためだった。また、マクギネスは長く収入がほとんどなく、その妻バーナデットが4人の子供を養うため、イギリス名物フィッシュ&チップスの店でも働いたといわれる。

マクギネスの死は、シンフェイン党の世代交代も象徴している。マクギネス本人が手掛け、指示を出し、また容認した殺人事件は数多あると考えられている。血で汚れた世代から新しい世代へとシンフェイン党が変わる時代が来ている。

ご参考: 幣著「いかに平和をもたらすか?: IRAリーダーからトップ政治家へ マーティン・マクギネス」