意外な展開となった労働党党首選

5月の総選挙で敗退した労働党は、エド・ミリバンドが党首を辞任した後、後任の党首を選ぶための党首選を実施しているが、4人の立候補者のうち、左のジェレミー・コービンが優勢となっている。党首選のスタートした時には、イギリス名物の賭け屋の、コービンが労働党党首となる賭け率は、100対1、すなわち1ポンド(190円:£1=190円)賭けて、もしそれが的中すれば100ポンド(1万9千円)となる賭け率だったが、今では、賭け屋大手のウィリアム・ヒルによると、11対10である。これまで本命だった、2番手のアンディ・ダーナムは2対1で、賭け屋によると、ダーナムの勝利は遠のいてきている。

もともとコービンは、党首選に立候補するために必要な35人の労働党下院議員の推薦がなかなか得られず、立候補締め切りにぎりぎりで間に合ったという状況だった。支持しないが、候補者同士の議論を左の観点から盛り上げるためという理由で推薦人となった人たちがかなりいた。来年のロンドン市長選に立候補したい下院議員たちの中には、ロンドンの選挙区選出のコービンやその支援者の支持を得られるかもしれないという目論見で推薦した人もいるようだ。

66歳のコービンは労働党の左で、ブレア政権の始まった1997年以来、下院で500回以上、党の指示に背いて投票している名うての「反抗者」である。財政の緊縮に反対し、戦争などの武力行使に反対し、イギリスの持つ核ミサイルシステムを廃止する考えを持つ。王室を廃止して共和国とすべきだとし、不平等と貧困をイギリスからなくすことに熱心で、子供の学校の選択を巡って、選考試験のある学校へ子供を進学させたい妻に、選考試験は不平等だとして反対し、その結果、妻と別れたというエピソードもある。1983年に下院議員に選出されたが、これまでその頑固といえるほどの主張のために、政府入りの経験はなく、今回の党首選でも一種の泡沫候補のように扱われてきた。

ところが、他の候補者に決め手が欠ける中で、その信念に満ちた主張に支持が集まり始め、状況が大きく変わってきた。労働組合最大手のユナイト、また公共セクター最大の労働組合で、穏健派と見られていたユニゾンもコービン支持を推薦し、郵便関係を中心にしたCWUも同調するなど、その支持は、日ごとに大きくなる勢いだ。

コービンを労働党党首に選ぶのは労働党の自殺行為だという声が強い中、コービンを党首にするために、党員が急増していると言われる。この選挙では、前党首のミリバンドが、従来の3つの選挙人団による選挙形態を変え、有権者の投票で決まる1人1票のものとした。労働党関連の労働組合などの組合員は、さらに党費を払わずに党員となれ、それ以外の人たちも、3ポンド(570円)支払えば登録サポーターとして党首選に投票できる。保守党支持者の中に、労働党を選挙で勝てなくするために、コービンを労働党党首にしようと、登録サポーターとなっている者もいると言われる。

かなり茶番的に事が進展していると言える。党首選の投票では、投票用紙上の候補者に順位をつけ、その順位に従って、最下位の者の票から、それ以外の者に票が割り振られ、最終的な当選者が決まる。コービンが第1選好の票でトップを占めるのは間違いない状況だが、有権者が第2、第3選好に誰を選ぶかで結果が異なってくる可能性がある。そのため、最後まで、かなり盛り上がった党首選挙となるのは間違いない。誰もがコービンの動向に注目する中、有権者の登録は、8月12日に締め切られ、郵便投票による最終的な結果は、9月12日に発表される。

生活賃金を義務付けた財相

2015年総選挙のマニフェストで、保守党は、財政赤字を削減する一環として、福祉予算を削減するとした。その詳細は、7月8日の緊急予算で明らかにされたが、その中には、低賃金や貧困家庭の人たちの生活を助けるためのタックス・クレジットの制限・凍結が含まれている。

タックス・クレジットは、負の所得税とも言われる。この制度は、ブレア労働党政権のブラウン財相が、貧困家庭を無くすための手段として特に力を入れ、2003年に導入した。貧困家庭対策には確かに役に立ったが、弊害が生まれている。低所得者がこの制度に頼る傾向が出てきていること、さらに、使用者もこの制度に依存し、勤労者に低賃金を支払っても、タックス・クレジットで補われるという状況が生まれてきていることである。

また、勤労者にとっては、必要最低限以上の時間働くと、給付にマイナスに働き、働く価値が乏しくなるという問題がある。例えば、1人親家族の場合、最低週16時間、1人暮らしの場合、最低週30時間という具合である。

このため、財政削減の必要と、勤労者や使用者の依存に歯止めをかけるために、キャメロン首相は新しい方策を提唱した。つまり、福祉依存を減らし、賃金を上げるというものである。イギリスは生産性が低いが、これを改善するためにも、賃金を上げ、使用者に効率を上げるインセンティブを与える目的もある。

これは言うは易く、行うは難しいという部類に入る。しかし、キャメロン政権では、オズボーン財相が、7月8日の予算発表で、全国的に生活賃金を導入することを発表した。

イギリスの最低賃金は現在、時間当たり、6.50ポンド(1235円:£1=190円)である。これは法定である。それ以外に基本的な生活が営める生活賃金が設定されている(拙稿参照)が、これは、全国で7.85ポンド(1492円)、ロンドンで9.15ポンド(1739円)で、任意のものである。

キャメロン首相の戦略アドバイザーだったスティーブ・ヒルトンは、大手企業、例えば大手スーパーのテスコが従業員に低賃金を支払い、それを補うために政府がタックス・クレジットを支給しているのは、おかしいと指摘した。テスコが生活賃金を支払わないのは、企業がそれだけの利潤を得ていないためではなく、そのように選択しているからだという。生活賃金の支払いを義務化すべきだとした。

確かにヒルトンの言い分は正しい。ただし、使用者に生活賃金の支払いを実施させるにはどうすればよいかという問題がある。野党の労働党は、総選挙のマニフェストで、2019年までに最低賃金を8ポンド(1520円)に上げることを挙げていた。労働党は、ヒルトンの主張に賛成したが、生活賃金を支払う使用者には税控除を提案した。

しかし、オズボーン財相の発表は、これらを上回るもので、新たに「全国生活賃金」を義務付け、2020年までに25歳以上の人の時給を9ポンド(1710円)にするというものである。そして来年の4月からは、時給が7.20ポンド(1368円)となる。

財務省は、「全国生活賃金」の導入で、270万人の賃金が上がり、その波及効果で325万人の賃金が上がると見ている。週に35時間、最低賃金で働いている人は、2020年までに、賃金が3分の1上がり、年に5020ポンド(95万3800円)収入がアップするという。

この「全国生活賃金」は、現在の「低賃金委員会(Low Pay Commission)」が今後、勧告する予定で、賃金のメジアン(中央値)の60%とするという。

一方、雇用に与える「全国生活賃金」の導入の影響は、2020年までに6万人の雇用減と見ているが、2020年までには雇用が全体で110万増加すると見ており、その影響は少ない。企業の利益には1%減の影響があると見ている。その結果、政府の税収入に若干の影響が出る見込みだ。

オズボーン財相は、また、雇用の増加に力を入れ、また、この2015年4月に20%となった法人税を、2020年までに18%とすると発表した。

「全国生活賃金」には、懐疑的な見方もあるが、オズボーン財相が発表した時、下院の端で、立って聞いていた、労働年金相のイアン・ダンカン=スミスが、両手のこぶしを振り上げて、喜びをあらわにした。保守党の党首の座を引きずり落とされた後、貧困の問題に取り組むため、社会正義センターを設立した人物である。その気持ちが伝わってきた。これが政治であると感じた。