英国の議員の行動の監視制度

英国の下院議員には、公職を担う議員として守るべきルールがある。ある保守党下院議員が、企業の依頼を受けて顧問料を受け取り、大臣や政府関係機関に働きかけていた疑いが表面化し、下院議員の行動を監視するコミッショナー(The Parliamentary Commissioner for Standards)が調査した。そして、その事実があったとし、登院停止30日間の勧告をした。その後、下院の行動基準委員会(The Committee on Standards )がその勧告を審査する。そしてその勧告を受け入れる、もしくはその勧告を変更するなどの決定をする。このケースの場合、登院停止30日間の勧告通りに下院本会議に諮られた。最終的には下院が判断するからである。ところが、ジョンソン首相の指示を受けて、保守党が過半数を占める下院がその通り承認しなかったために、大きな騒動となった。その上、当の保守党下院議員は、保守党支持のテレグラフ紙のインタビューを受けて、自分は何も悪いことをしていない、また同じことをすると居直ったのである。ところが、ジョンソン首相は、下院の採決の翌日には考えを変え、その結果、当の下院議員は議員を辞職した。

なお、下院が登院停止10日以上と決定した場合、若しくは他の特定された条件を満たした場合、下院議員のリコール請願が行われる。この請願に選挙区の有権者の10%以上が署名すると、リコール選挙が実施される。対象となった下院議員は再び立候補することも可能だが、上記のケースの場合、そのような不名誉を避けたかったことが背景にあるようだ。

この騒動で、下院議員の利害登録や議員活動に注目が集まった。その結果、保守党の幹部で、ジョンソン政権の下院院内総務と枢密院議長を兼ねるジェイコブ・リース=モグが、現在、コミッショナーに調べられている。自分の所有する会社から計600万ポンド(約9億円)ほどのお金を低利で借りたにもかかわらず、それを登録しなかった疑いのためである。

一方、下院議員で法廷弁護士のジェフリー・コックスが、弁護士として多額の報酬を受け取り、コロナパンデミックの最中に、西インド諸島の政府の仕事で西インド諸島に飛び、また、議会の議員事務所からビデオ会議に参加していたなどで批判されていた問題では、コミッショナーが調査をしないことが明らかになった。コミッショナーは、それぞれの事案が調査に値するかどうかを独立して判断して調査をするかどうかを決定する。そして調査中の事案は、コミッショナーのウェブサイトで発表される

それでも下院議員の行動基準や大臣や国家公務員らの行動基準には、まだあいまいな点が多く、さらなる検討が必要である。

首相としての仕事がおっくうになってきたようなジョンソン首相

2021年11月22日、英国産業連盟(CBI、日本の経団連のような団体)の総会でスピーチしたジョンソン首相は、話が脱線し、演説原稿のどこを読んでいるかわからなくなってしまった。産業界のリーダーたちは、コロナパンデミック後の産業政策、サプライチェーン問題、技能者不足対策、クリーンエネルギー問題など多くの課題の政府の対応の話が聞けると思っていたと思われる。また、首相にとっては、これらの課題を直接リーダーたちに語りかけられる良いチャンスだったが、スピーチの時間を埋めるためだったのだろう、話がそれてしまって、折角のチャンスを無駄にしてしまった。この後、取材していた記者から「大丈夫ですか?」と聞かれる羽目となった。

ジョンソン首相が国政に真剣に取り組んでいるのか疑問を抱かせるエピソードである。ジョンソン首相は、2週間前には、保守党下院議員の行動基準ルール違反問題で大失敗した。ジョンソン首相は、問題の議員を救済し、さらに行動基準ルールの体制の見直しを図ろうとし、保守党議員に強引に指示して投票させ、自分の思う通りの結果を得たが、世論や保守党内の反発を受けて、一日で方針を転換する羽目に陥った。それまでも政府の政策の度重なるUターンが批判されていたが、この問題を契機に保守党関係の疑惑(スリーズと言われるが)が次々とメディアで報道されるに至り、保守党の中でもジョンソン首相の施政能力と信頼度に大きな疑問が生まれてきている。

世論調査でも、ジョンソン首相の自ら招いた問題で、保守党と野党第一党の労働党の支持率が拮抗している。前回総選挙では、ジョンソン首相の魅力が、保守党が多くの労働党議席を奪った原動力となったと分析されている。これらの議席は、よく「赤い壁(Red Wall)」と呼ばれるが、これらの議席から選出された保守党の議員は、ジョンソンが約束をしたことを守らない上、しかもジョンソン自身の魅力が減退する中で、次の総選挙がどうなるか心配している。一方、保守党のベテラン下院議員らは、ジョンソンの行動基準ルールをめぐる失敗で、自分たちの議員以外の収入への影響を心配している。

前回総選挙は2019年12月だった。5年の任期があることから次期総選挙はまだ先である。しかし、英国のEU離脱の悪影響が、身近に感じられるようになったり、北アイルランド問題の処理をめぐるEUとの対立が円満に収まらない事態となったりした場合には、ジョンソン首相を交代させる動きが出てくる可能性がある。現在は、まだ、メイ前首相の際にあったような、党首不信任の手紙が提出される動きにはなっていないと言われる。ただし、ジョンソン首相には、何が何でも首相として継続してやっていくという気迫に欠ける。ジョンソン首相には健康問題があるように思われるが、自ら退陣するという事態があるかもしれない。

公職に関するノーラン7原則とジョンソン首相

公職にある者が心がけておかなければならない原則として、「公職にあるものの行動基準に関する委員会」の初代会長ノーランが掲げた7原則がある。それらは以下の通り

  1. 無私無欲
  2. 誠実さ
  3. 客観性
  4. 説明責任
  5. オープン性
  6. 正直
  7. リーダーシップ

ジョンソン首相が、30日間の登院停止処分を勧告された保守党下院議員を救い、それとともに、行動基準を逸脱、もしくは逸脱した可能性のある議員の調査を実施し、その処分を決定するシステム全体を改革しようとした。そして、下院のその勧告に関する投票で、保守党所属下院議員に指示し、以上の2つの投票で勝利を収めた。ところが、これを英国政治の大きな危機だとみなしたメディアや識者が強く反発したため、ジョンソン政権はその翌日Uターンすることとなる。そのUターンの前、上記委員会の現会長のエバンス卿(元MI5のトップ)が政府の倫理基準は、国民の信頼の基盤であるとして、強く批判し、ノーラン7原則を改めて強調した。

そして、これまであった、Good Chap theory という、みんなが自制してうまくいくように運営できるという前提は当てにできないとし、コンプライアンスのシステムが必要で、その文化を養成していく必要があると強調したのである。

ジョンソン首相の狙いは、下院議員の行動基準コミッショナーのキャスリン・ストーンの排除にあったと見られている。ジョンソン首相は、既にストーンに3度調べられている。ストーンが公職にあるものとして自分の仕事をきちんと行っているところが煙たがられたようだ。しかも首相の住居の改修費用の問題やホリデーなど、さらに調べられる材料がいくつもある。ジョンソン首相のトップアドバイザーだったドミニク・カニングスは、ジョンソンは、自分への非合法な献金が暴かれるのを恐れているのだと言う。ストーンに脅迫などの攻撃が激しくなったとして、警察のセキュリティが強化されたと伝えられるが、ストーンは現在の職を離れるつもりはないと明言している。

今回の件で、公職への任命を含み、公職の行動基準への関心が大きく高まったことから、ジョンソン首相の行動は、やぶ蛇になったと言えよう。

ロビーイングのルールを破った下院議員への制裁が二転三転

ロビーイングのルールを破った下院議員への制裁が、ジョンソン首相の指示で二転三転し、ジョンソン首相に大きなダメージとなった。

2021年11月3日、英国の下院は、ロビーイングのルールを破って、大臣や官僚など関係者に陳情していた保守党下院議員への制裁(30日間の登院停止)勧告を覆した。そしてこの勧告を出した制度そのものの見直しを始めることを賛成多数で決めたのである。このベテラン保守党下院議員オーウェン・パターソンは元閣僚で、1年に112,000ポンド(1736万円:£1=155円)ものコンサルタント料を受け取り、合わせて50万ポンド(7,750万円)もの報酬を2つの会社から受け取っていたと言われる。

この勧告は、下院の規範委員会の決定に基づくものだ。この委員会は、下院議員7名と一般人7名で構成される。その下院議員の内訳は、保守党4名、労働党2名、SNP1名である。この委員会は、下院の議会規範コミッショナーの報告に基づき判断する。そして委員会の判断は、通常、下院がそのまま承認する。特に今回は、委員会が、パターソンの件は、おカネをもらって大臣や当局に働きかけた「悪質なケースだ」とし、全員一致で制裁に賛成した。

ところが、保守党党首であるジョンソン首相は、規範委員会の勧告に反対するよう保守党下院議員に指示した。保守党は2019年下院総選挙で他の政党議席を80議席上回る勝利を収め、首相の指示通りに投票すれば、下院の投票でその通りの結果を得られる。投票結果は、規範委員会の勧告は承認されず、また、同時に、下院は、議員の規範問題を扱う新しい仕組みを作ることに賛成した。この投票には、野党の労働党、SNP、自民党などがこぞって反対票を投じた上、保守党議員が13名反対票を投じた。また、投票に出席しなかった保守党議員も多かった。政府の役職についていたが投票しなかった保守党下院議員は直ちにその役職をクビになった。一方、野党は、新しい委員会を作ることには反対で協力しないと表明した。

この結果は、1晩で覆ることになった。ビジネス相が、報道機関を回って、規範コミッショナーは辞職を考えるべきだと示唆したが、朝刊は、この下院投票の結果を第一面トップで取り上げて批判したものが多かった。「恥を知らない保守党下院議員が汚職ルールを引き破る」といったセンセーショナルで猛烈な反発に、保守党は突然方針を転換することとなる。パターソンの件は改めて採決するとし、規範の新体制は、野党と相談しながら進めるとした。また、政府の役職をクビになった保守党下院議員には、新しい役職を与えた。行き場を失ったパターソンは、下院議員を辞職した。

このUターンは、ジョンソン政権に大きな痛手となったように思われる。下院での投票直後、BBCの政治部長が規範委員会の勧告に反対した保守党議員は、そのことをこれからずっと言われ続けるだろうと発言したが、保守党議員のジョンソン首相への信頼は大きく揺らぐだろう。

この問題は、ジョンソンの2019年12月のカリブ海ホリデーに関連しているのではないかと見る向きもある。パターソン問題を扱った議会規範コミッショナーがジョンソンのホリデーのお金の出所を詮索し、ジョンソンがルールを破ったとの結論を出し、それを規範委員会に送った。規範委員会がさらに調査を進め、ジョンソンの報告には誤りがなかったとしたが、ジョンソンのコミッショナーへの対応を批判した。ジョンソンは、パターソンの件をこの規範コミッショナーへの復讐に使ったのではないかというのである。この規範コミッショナーに調べられて制裁を科されたり、調査を受けていたりする議員はかなりおり、このコミッショナーを嫌っている下院議員はかなりいると思われるが、ジョンソン首相の復讐の話はさもありなんと思わせるところにジョンソンの問題がある。

新教育相ナディム・ザハウィ

2021年9月15日、ジョンソン首相は、ナディム・ザハウィを新しい教育相とした。多くの人がこの人事を歓迎している。前任者がコロナパンデミックの中、教育行政に混乱を起こしたと考えられているからだ。ザハウィは、2020年11月にジョンソン首相からコロナワクチン接種担当相として指名され、非常にスムーズにワクチン接種を実施した人物である。その実績を買われ、教育行政の立て直しの仕事を託された。なお、かつて教育省で子供家族担当相だったことがある。

ザハウィは、起業家として知られ、「生まれつきのオーガナイザー」と評価する人がいる。その一人は、作家のジェフリー・アーチャーである。この点では、拙稿の「成功する首相の要件」の中の「適切な人を選ぶ」という点に当てはまるだろう。

ザハウィは、1967年6月2日にイラクのバグダッドで生まれたクルド人だ。祖父はイラクの中央銀行の総裁も務めた人物で、ビジネスマンの父と歯科医の母の間に生まれた。ところが、9歳の時、サダム・フセインが政権を握り、自分たちの身に危険が迫ったため、家族で英国に難民として渡った。私立の学校で学んだ後、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで化学工学を学ぶ。そこから、起業家としての活動が始まる。アーチャーの知遇を得て、政治に関係するようになり、2010年に下院議員に保守党の強い選挙区から選出された。

ザハウィは、イスラム教徒である。ザハウィらが国際的マーケットリサーチ・世論調査会社のYouGovを設立した時に協力した世論調査専門家のピーター・ケルナーが、ザハウィのラマダンの時のことを語る。ラマダンの時、イスラム教徒は、日の出から日没まで断食する必要がある。ザハウィは、その時間が過ぎればすぐに大きなピザを買いに走り、パクパク食べたという。

もちろん英国でも人種差別はある。ザハウィは、選挙前の戸別訪問(英国では戸別訪問は自由である)の際に人種差別的なことを言われたこともあるという。ザハウィと親しい厚生相のジャビッドは、そのようなことをする人はごく少数で、大多数の人はそのようなことはしないという。それでもザハウィは、イラクを離れて英国に来たことをラッキーだったと言う

ザハウィは、コロナパンデミックで混乱した学校現場を落ち着かせ、パンデミックで見送られたAレベルなどの資格試験を再開させることが期待されている。さらに緊縮財政の中で遅れている校舎の修繕などの事業、教員の待遇、高等教育の予算なども財務省からより多くを獲得して進めることが期待されている。その手腕に期待する人が多いが、どの程度実行できるか注目される。

首相として成功する要件

ジョンソン首相が2021年9月15日、内閣改造を行った。3閣僚が更迭された。なお、ジョンソン内閣の財務相はヒンズー教徒、新教育相はイスラム教徒だ。タイムズ紙のコラムニストで元保守党下院議員のマシュー・パリスは、かつてサッチャー首相に仕えたことがある人物だが、ジョンソン首相は山師で、ジョンソン内閣は、山師の内閣(BBCのRadio4のTodayの最後の5分ほどの中のコメント)だという。

過去の多くの英国首相を分析しているアンソニー・セルドンは、成功する首相のチェックリスト(Institute for Governmentのポッドキャスト)をあげている。そのトップ5は、以下の通りだ。

1.鉄の意志

2.はっきりしたビジョン

3.国民とのコミュニケーション能力

4.自らに近い人々を容赦なく切って捨てる冷酷さ

5.内閣と首相官邸のスタッフに適切な人を選ぶ

このうち、ジョンソン首相にあると思われるものはそれほどない。ただし、今回の内閣改造でマイケル・ゴーブ大臣を「住宅・コミュニティ・地方政府大臣」とし、地方の格差を解消させ、英国の統合を維持する役割を与えたのは重要だと思われる。ゴーブは、恐らく保守党の中で最も能力のある政治家だ。その政治家に喫緊の課題を担当させるのは、5の「適切な人」と言えるだろう。ただし、ジョンソン首相の問題の一つは、対応が後手に回る傾向があることだ。ゴーブがジョンソン政権の抱える問題で結果を出すには、それなりの時間がかかる。今回の内閣改造が結果を生むかどうか注目される。

アフガニスタンからの犬猫救出にジョンソン首相夫人が関与?

アメリカとイスラム教過激派組織のタリバンは、アメリカ軍が8月31日までにアフガニスタンを撤退することにと合意していた。ところが、アメリカ軍の支援していたアフガニスタン政府軍が、タリバンの侵攻にほとんど対抗することなく、次々に撤退したため、タリバンが予想以上に早く、8月15日に首都カブールに入った。そのため、アメリカをはじめとする西側諸国の軍人、外交関係者、その国民、並びにそれらの活動に関与したアフガン人たちやその家族を安全に国外に送り出そうと、大わらわで救出作戦が展開されることとなった。

英国政府も、他の国と同様、そのような事態に十分に準備ができておらず、期限内の撤退終了までに、英国に移る権利のあるアフガン人千人ほど(実数はさらに多いといわれる)をアフガニスタンに残したままとなった。それでも合わせて1万5千人を英国へ送ったといわれるが、政府の対応に批判が集まった。その中でも、特に、混乱の中、動物愛護の慈善団体が170匹ほどの犬と猫を飛行機で英国へ送ったことに大きな批判がある。アフガン人の命より犬猫の命の方が大切なのかというのである。

ワレス国防相は、もともと犬猫を優先して救出することはできないとしていたが、突然、その考えを変え、その慈善団体の用意した飛行機で動物を英国に送ることを援助したのである。慈善団体の責任者が、ワレス国防相のスペシャルアドバイザーの電話に脅迫するようなメッセージを残したことが明らかになっているが、それ以外に、ジョンソン夫人が(ジョンソン首相を通じて)国防相に圧力をかけたのではないかという疑いがある。首相官邸はそれを否定しているが、ジョンソン首相の夫人キャリーは、動物愛護活動家として知られている。この経過は、アメリカの雑誌、ニューズウィークのウェブサイトでも詳細に報告された。

ジョンソン夫人のジョンソン内閣に対する影響力の大きさはよく知られている。しかし、このような問題でジョンソン夫人の関与が報じられるのは、ジョンソン首相にとって良いことではないように思われる。

北アイルランドの行方

英国の北アイルランドは、アイルランド島にある。島内のアイルランド共和国と国境で隔てられているが、この国境は地図上のもので、国境を超える時に通過しなければならない税関やチェックポイントのようなものは実際にはない。

これは、もともとアイルランド共和国が英国から分離して生まれ、その後の歴史的な関係を反映したものだが、この北アイルランドの地位は、英国がEUを離脱するブレクジット交渉の際に大きな問題となった。アイルランド共和国は今もなおEUのメンバーだが、英国はEUを離れ、EU外の国である。そのため、同じアイルランド島にある、北アイルランドとアイルランド共和国との間の関係を調整する必要ができたのである。妥協策として合意した、英国とEUとの間の貿易上のプロトコール(ルール)は、今になって英国側が受け入れられないとして再交渉を求める展開となっている

その中、北アイルランドの住民の考え方も変化してきている。北アイルランドが英国から別れて、南のアイルランド共和国と統一されるべきかどうかという点では、最近の世論調査によると、北アイルランドをアイルランド共和国と統一するべきかどうかという「国境投票(Border Poll)」を5年以内に実施すべきだという人が37%、それ以降に実施すべきだという人が31%と、合わせて住民の3分の2になっている(そのような投票はすべきではないという人は29%)。なお、もしそのような国境投票があれば、英国に残るべきだという人は49%、アイルランド共和国と統一されるべきだという人は42%である。問題は、英国がEU離脱交渉を始めて以来、北アイルランドがアイルランド共和国と統一されるべきだという人の割合が増えてきている点だ。

同じ目的を持つ国境投票は、1973年に実施されたことがある。最初から結果がわかっていたからこそ実施したということがあったのだろうが、その際、ナショナリストと呼ばれる、アイルランド共和国との統一を求める人たちは、その投票をボイコットした。結果は、投票率58.7%で、98.9%が英国に残りたいであった。その時に採用された国境投票の制度は、1998年のベルファスト(グッドフライデー)合意で受け継がれた。そのような国境投票は、英国の北アイルランド相が実施時期の裁量権を持つが、北アイルランドの半数以上が統一支持になれば、実施しなければならないことになっている。ただし念頭に置いておかなければならないのは、2016年の英国のEU離脱の国民投票でも予想を裏切って離脱が多数を占め、離脱することになったように、特に現在のような世論の動きの中で、国境投票を実施することは大きなギャンブルであり、英国は北アイルランドを失う可能性がある。

現アイルランド共和国副首相で、前首相のレオ・バラッカーは、自分の生きている間にアイルランドが統一されるかもしれないと示唆し、英国政府はそれに強く反発したが、その可能性も出てきた。ブレクジットの中長期的な結果が、国境投票が行われるかどうか、または行われた場合、その結果を左右するだろう。

北アイルランドでは、ジョンソン首相の業績を悪い、もしくはひどく悪いと評価する人が79%にも上っており、将来、北アイルランドが英国を離れるというような事態が発生すれば、EU離脱国民投票で離脱派のリーダーだった上、首相としてブレクジットを推進したジョンソン政権が、その大きなきっかけを作ったと批判されかねない状態となっている。

ジョンソン政権後に向けて動き出した保守党

ジョンソン首相の保守党政権は、長期政権と思われたが、必ずしもそうではない状況になっている。

保守党を率いるジョンソン首相は、2019年12月の下院総選挙(上院は公選ではない)で大勝した。保守党議席が下院の他の議席の合計を80議席上回ったのである。英国の下院は、任期が5年の固定制である。下院の3分の2が賛成すれば、解散総選挙できることになっており、任期途中で総選挙が行われる可能性はあるが、そういう事態でも、ジョンソン首相に都合の良い時に実施されるだろうということから、ジョンソン首相の地位は安泰だと見られてきた。ところが、前回の総選挙から2年もたたないうちに、ジョンソン首相の後の政権を想定した動きが出てきている。

2019年総選挙では、保守党が労働党の伝統的に強い議席を多数獲得したことが、保守党の大勝につながった。その傾向は、2021年5月の地方選挙・下院補欠選挙でも続き、保守党は地方選挙で大きく議席数を増やした上、下院補欠選挙では、野党第一党の労働党が継続して維持してきた「労働党の指定席」ともいえる選挙区だったが、保守党が大勝して議席を獲得し、繰り返し選挙区に入ったジョンソン効果が出ていると思われた。ところが、その翌月6月に行われた、現職の保守党下院議員が死去したために行われた「保守党の指定席」の選挙区補欠選挙で、自民党の候補者に大差で敗れた。敗北した保守党候補者が予想もしていなかったと言ったほどで、保守党に衝撃が走った。ジョンソン政権に不満のある保守党支持者が自民党に投票し、また、勝ち目のないと思われた労働党支持者が自民党に投票したために起きた結果だが、ジョンソン政権への不満が想像以上に大きいことがわかったのである。さらに7月には、保守党が労働党から議席を奪えるだろうと思われた下院補欠選挙で、わずかな差で敗れ、議席が奪えなかった。

ジョンソン首相の政権運営には、多くの批判がある。数々の政策変更、ジョンソンの元トップアドバイザーからの強い批判、コロナパンデミック対応策など、枚挙にいとまがない。ジョンソンへの批判は、世論調査でも高まってきており、保守党の下院議員の中には自分たちの次の選挙を心配する声が出てきている

これらの批判の中でも、特にジョンソンが自分たちを特別扱いし、一般の人たちの従わねばならないルールに従わないという批判は強いものがある。また、いいことを言っても、その内容が希薄(例えば、イングランドの比較的恵まれない地域をレベルアップすると主張しながらその具体策に欠けるなど)で、しかも実行が伴わない(今後の介護負担に関する政策を決めると首相就任時に約束しながら進んでいない)など、ジョンソンは都合のいいことばかりを言うが、「嘘つき」だという批判を生むに至っている。根底には、ジョンソンが、本当に国民のことを考えているのかという疑問(昨年秋、専門家らがコロナによる死者の数が急速に増えているためロックダウンをするよう求めたのに対し、「死体が山積みになっても」ロックダウンをしたくないと叫んだ、また、死亡者の多くは80歳以上の高齢者で、平均余命を考えると早晩死ぬのだからと言ったといわれる)と、首相としてのジョンソンの能力への疑問が出てきていることだ。

ジョンソンの能力への疑問は、アフガニスタンのタリバンが首都カブールを押さえた問題で端的に出た。もちろん、タリバンの動きを把握する、英国のインテリジェンス(諜報)に問題があり、そのような事態になることを予測できていなかったことは、統治能力の欠如を疑われても当然だ。夏季休暇中の下院を臨時に呼び戻してアフガン問題の緊急討論の機会を持ったが、ここでは、メイ前首相を含む保守党の議員たち、特にアフガニスタン派遣も経験した軍経験者たちから非常に強い批判を浴びた。その中でも、英軍の駐留に協力した通訳などが、タリバンから迫害を受けることのないように、英国への移住を認める政策で、ジョンソン政権の対応の遅れが大きな争点になった。特に、8月15日にカブールのほとんどがタリバンの手に落ちたのに、そのような事態の起きる重大な時にジョンソン首相とラーブ外相の最も重要な人物2人とも休暇中だったことが大きなニュースとなった。ジョンソンは、国内でのホリデーで、14日の土曜日に出発し、その後の事態の進展を受けて日曜日にロンドンに帰り、緊急事態に省庁を超えて対応するコブラ(COBR or COBRA)と呼ばれる会議を開いた。一方、ラーブ外相は、地中海のギリシャのクレタ島の海辺で日光浴をしており、イギリスに帰国したのは16日の月曜日だった。しかも13日の金曜日、英国外務省の官僚が、英軍に協力したアフガン人を助けるため、ラーブにアフガン外相に直接電話をしてくれるよう頼んだが、ラーブは副大臣に頼んでくれと断ったという。アフガン外相は、英国の副大臣からの電話は格が違うためとらないとしたため、その電話がなされないまま、タリバンがカブールに入ってしまったというのである。

ラーブに批判が集まったが、ラーブは野党などから求められた辞任を拒否し、ジョンソンはラーブを信任しているとして更迭することを拒否した。ジョンソンは、これまでも、内相(パテル内相による内務省職員の取り扱いがハラスメントだとし、事務次官が辞任し、その事務次官は自分の件を労働裁判所に提訴している。パテル内相は、その前の職でも同じような問題があったことが明らかになっているが、更迭されず、今も内相のままだ)、厚生相(ハンコック厚生相が、政府のコロナのソーシャルディスタンスのルールを破って、自分のアドバイザーである人妻と不倫をしていたことがわかったが更迭されず、その後、大臣の職務上の情報管理の問題で辞任した)、そして今回の外相と、深刻な問題があっても、ジョンソン自身の行跡を追求されるのを恐れてか、更迭を拒否するばかりである(この理由についての一つの分析参照)。

ただし、ジョンソン首相には、ラーブのことよりも、アフガニスタンから8月末に撤退するとしているアメリカの問題の方がはるかに重要だ。それまでに英国関係の人の撤退、国外脱出を完了するのは難しいためだ。この問題での英国とアメリカとのやり取りの中で、英国はアメリカと特別な関係にあるとのジョンソンの主張が、アメリカにとってそれほど重要なものではないことが明らかになってきた。ジョンソンがEU離脱の際に、アメリカとの特別な関係があるから大丈夫だと主張してきたのとはかなり様相が異なる。EUとの関係も良好ではない。EU離脱交渉の中で、アイルランド島にある英国領の北アイルランドの特殊な問題を解決するために特別な手続きを定めたのに、英国はそれを蒸し返そうとしている。英国の2020年のGDPは、日本の半分を少し上回る程度である。そのような国が、アメリカとの絆を基に、世界を席巻するグローバル英国と主張するのには少し無理がある。ただし、そのような英国の優越を信じてEU離脱に賛成した有権者の夢を砕く可能性を秘めている。

これらの問題が次々に展開する中、国民のジョンソンへの信頼は大きく失われてきたようだ。ジョンソンがどこまで持ちこたえられるか、見どころである。

ジョンソン夫人への批判

ジョンソン首相の妻のキャリーは、ジョンソン政権に大きな影響力があると見られている。そのため、キャリーをマクベス夫人(シェークスピアの「マクベス」の登場人物)やマリー・アントワネット(フランス革命時のルイ16世の王妃)になぞらえた批判がある。マクベス夫人やマリー・アントワネットは悲劇的な最期を遂げた人物だが、時には夫をしのぎ、政治に介入した女性たちを引き合いに出してキャリーを揶揄するものに対しては、キャリーが女性差別の対象にされているという批判がある。確かにそのような面はある。その反面、キャリーは公的な役職についていないが、そのような影響力を発揮している人物を批判するのは、当然だとする見方がある。

一方、ジョンソン首相のトップアドバイザーだったドミニク・カミングスは、2016年のEU国民投票で、ジョンソンらの離脱派の公式団体の責任者として大胆なキャンペーン戦略を打ち出し、予想を裏切って離脱派の勝利をもたらした人物である。2019年7月にジョンソンが保守党党首、そして首相となるや首相のトップアドバイザーとして招かれ、12月の総選挙でジョンソン率いる保守党に大勝をもたらした人物だが、キャリーは、その総選挙直後からカミングスらを首相官邸から追い出す動きを始めたという。カミングスは、2020年11月に辞任するに至る。キャリーは保守党本部で働いていた人で、動物愛護を中心にした環境保護の考えを持つ人だとされているが、どの程度政治のことが分かっているか不明だ。カミングスは非常に癖の強い人物であり、このような人物を嫌う人は少なくないだろうが、ジョンソンの水先案内人だったカミングスのような人物を排除しようとするからには替わりの候補者がいるか、自分によほどの自信があるかのどちらかと思われる。カミングスに代わるような「他の候補者」はまだ現れていない。

なお、ジョンソン首相の子供が12月に生まれる予定である。ジョンソン首相(57歳)には、これまで「少なくとも6人」の子供がいると言われてきたが、これが「少なくとも7人」になることになる。2021年5月に正式に結婚したキャリー(33歳)との間には、2020年4月に息子が生まれている。3人目の妻のキャリーとの間では2人目の子供になる。

現職の首相に子供が生まれるのは、2000年のブレア首相、2010年のキャメロン首相の例がある。ブレア首相の場合、4人目の子供が生まれるということは、ブレア首相や妻のシェリーがあまり積極的に触れることはなかった。逆に、4人目の子供の生まれた後、ブレアが全国婦人会の総会に出席した際、子供のことに触れなかったので出席者から批判されるほどだった。キャメロン首相の場合には、首相になる前に重度の身体障碍者の息子を失っていたので、一般に同情的に受け止められた。ジョンソン首相の場合、妻のキャリーがこの妊娠をジョンソンに政治的に利用しようと思っているように感じられる。2021年7月にイギリスで行われたG7のサミットでも、キャリーは息子を連れだし、G7出席者らとの会話の材料に使っていた。子供の生まれることは喜ばしいことだが、キャリーの打つ手が限られてきているように感じられる。