女性の政治進出にカギとなるメディア

世界中で女性の政治進出が拡大している。かつて政治は男の世界という見方が強かったが、今ではその壁は破られ、女性が政治のトップに就く例は世界中で広がっている。欧州でもドイツのマルケル首相やイギリスのメイ首相をはじめ数多い。さらにニュージーランドの女性現職首相は妊娠中でマタニティーリーブ(出産休暇)を取る予定である。女性の政治進出への壁はさらに破られている。

日本にも女性首相の可能性はあるが、これまで実現していない。その大きな理由の一つは、政治に進む女性が少ないことだろう。日本の衆議院の女性議員の割合は、調査された世界193か国の中で158位だった。先進国(OECD加盟35か国)最低である。2018年5月、男女候補者均等法という女性の政治進出を促進する法律が成立したが、これには拘束力がなく、効果は疑問視されている。

ある研究によると、内閣の大臣の女性の割合を上げるのに最も効果のあるのは、トップ政治家の約束だという。選挙の前にこの約束がなされると、トップ政治家にそれを守らなければならないという精神的な圧力がかかる上、周辺や支持者もそれを達成できるように動くからだという。そして女性の割合が一定のレベル以下に下がらなくなるというのだ。研究者たちは、この一定のレベルを「コンクリートの床(Concrete Floor)」と呼んでいる。これは、女性らの昇進を妨げる障害としてよく使われる「ガラス天井(Glass Ceiling)」、すなわち、何もないように見えるが、実際には存在する、あるレベル以上昇進できなくする慣行や考え方を指すのに対比したものだ。

女性の大臣の数が増えることは、女性の政治進出に大きな影響を与えるだろう。ドイツなどでは閣僚の男女比はほぼ半々となっている。上から変えることが重要だ。そのためにはメディアの役割が極めて大きいと思われる。特に選挙前、トップ政治家に女性大臣の割合目標や、それに議員割合目標などをはっきりさせてもらうことに大きな役割を果たせるのではないか。

イギリスの下院議員の選挙で、保守党や労働党は候補者選定にしばしば女性のみの候補者リストを使う。この6月の補欠選挙でも、労働党は労働党の非常に強い選挙区の候補者を選ぶのに、女性の少数民族出身者のみのリストを使い、選挙区党員の投票で選んだ。こういう形で、女性の少数民族出身者の政界進出を促進している。

労働党内には、女性になった人を女性のみのリストに入れるのはどうかという議論がある。正式に女性となった人たちだけではなく、労働党は、自分が女性だという人をすべて含むこととしたが、それは不当だとして数百人の女性党員が労働党を離党したと言われる。

イギリスには、保守党党首のメイ首相の他、多くの優れた女性の政治リーダーがいる。スコットランド国民党(SNP)の党首でスコットランドの首席大臣二コラ・スタージョンやスコットランド保守党のルース・デービッドソン党首、北アイルランドの主要2政党の党首、それに労働党では、コービン現党首の次の党首には女性のエミリー・ソーンベリー影の外相かアンジェラ・レイナー影の教育相が有力視されている。

ただし、トップが女性だからといって、必ずしも女性の政治進出が進むというわけではない。例えばサッチャー政権には、女性閣僚がほとんどいなかった。20人ほどの閣僚のうち、ほとんどの期間1人だった。労働党のブレアは女性だけの候補者リストを初めて使ったが、政権に就いた後、女性閣僚の数を大きく増やす。その後のブラウンは女性閣僚の数を一時8人にまで伸ばした。キャメロン連立政権では、連立相手の自民党の都合もあり少なかったが、その後のキャメロン保守党政権で増やし、メイ保守党政権と女性閣僚の数はかなり多いまま推移している。

メイ首相は、サッチャーが1979年にイギリスの首相となった時、イギリス最初の女性首相になれなかったと機嫌が悪かったという。サッチャーは1975年に保守党の党首に選ばれていたから、次の首相になる可能性はかなりあると思われていたはずだ。しかし、この話は、1979年の総選挙でメイが保守党の敗北を考えていたことを示唆している。

結局、女性が首相などのトップ政治家になったからといって必ずしも女性の政治進出が進むわけではなく、むしろ、男性・女性にかかわらずトップ政治家が、女性の政治的役割、進出にどのような約束をしたかがカギになるようだ。そしてそのような約束を促すメディアの役割は重要だと思われる。

下院議長に反感を持つ保守党

保守党のかなり多くの議員が下院議長ジョン・バーコウに強い反感を持っている。バーコウが議長になったいきさつだけではなく、バーコウが保守党政権に都合のよいように下院を運営しないためである。そのため、機会があるごとにバーコウを攻撃し、バーコウの追い落としを画策してきた。

バーコウが議長に就任したのは、2009年6月であり、この6月で満9年となる。2010年に早期退職した議長秘書、そしてその後任で2011年にそのポストを離れた二人の苦情がメディアで取り上げられたのをきっかけにバーコウの「いじめ」を下院の行動基準コミッショナーに調べさせようとする動きがあった。ある保守党下院議員がコミッショナーに苦情を提出し、また、官邸が、この「いじめ」の問題には懸念を持っていると表明した。しかし、その調査を下院の行動基準委員会は認めなかった。

なお、この行動基準委員会には、下院議員の他に議員でない一般委員もいるが、委員会の採決は議員のみが行うことになっている。しかし、この委員会の委員長が後で述べたように一般委員の投票も認めるべきだという考えが出てきている。これは今後の下院での検討課題である。

バーコウの「いじめ」疑惑で、バーコウの追い落としに失敗した保守党は、さらなる攻撃材料を見つけた。保守党政府の下院のリーダー(通常は閣僚)であるアンドレア・レッドサムの政府の声明を突然発表しようとするやり方は、予定されていた無役の議員らの議会での発言機会を奪うと腹を立てた議長がその旨議長席から発言した後、「愚か(Stupid)」という言葉をつぶやいたのを保守党議員が聞き、それをもとに議長がレッドサムを「愚かな女(Stupid woman)」と言ったと主張してことは大きくなった。保守党支持のテレグラフ紙はそれを第一面で取り上げ、官邸はそのような言葉は受け入れられないとした。

議長がつぶやいて何を言ったかは、多くの人が聞いたわけではない。確かに、もし議長が「愚かな女(Stupid woman)」と女性のレッドサムに向かって言ったとすれば大きな問題である。労働党にもその言葉を取り上げ、議長を批判した女性議員がいる。しかし、議長はそれを公式に否定した

バーコウは、議会の役割を取り戻し、きちんと法案を吟味し、討議することに力を入れてきている。それを好感している議員は労働党に多く、保守党にもいる。「首相への質問(Prime Minister’s Questions)」は政府の施政を質す場として重要だとして、30分とされているが、予定された質問が済むまで延長して行うことがよくある。先週はそれが52分にもなった。メイは、それが嫌いだ。バーコウがあとどれくらい議長の地位に留まるか不明だが、いずれにしても議長は自分の退任の時期は、他の人ではなく、あくまで自分が決めると考えているようだ。

調査しないことになった下院議長のいじめ疑惑

ジョン・バーコウ下院議長のいじめ疑惑について、下院の行動基準委員会が行動基準コミッショナーに調査依頼しないこととした。5人の委員のうち、3人が調査に反対、2人が賛成だった(委員長は同数となった場合にしか投票しない)。調査するかどうかはコミッショナーの判断次第という点では委員全員が同意したが、この委員会のルールで7年を超える前の件については、コミッショナーは委員会に諮る必要があり、よほどの事情がない限り、委員会は調査依頼しないことになっている。バーコウはすべての疑惑を否定している。

バーコウは2009年から下院議長を務めている。下院の元職員でバーコウにいじめられたとする二人のうち一人は2010年、もう一人は2011年2月にそのポストを離れた。すなわち、7年を超えている。また、二人とも、その主張を正式な苦情申し立てとして訴え出ていない。2010年に退職した人物は口外禁止条項に署名したとしたが、バーコウは、その話には自分は関与していないし、自由に話してもらって結構だとしている。

なお、バーコウの件を調査するようコミッショナーに求めたのは、委員会に所属しない保守党議員。委員会でコミッショナーへの調査依頼に反対したのは保守党議員2人と労働党議員1人で、賛成したのは保守党議員と労働党議員1人ずつだった。

下院議員を辞任したハイジ・アレキサンダー

労働党のハイジ・アレキサンダー(1975年4月17日生まれ、43歳)が下院議員を辞任した。東京都に匹敵する大ロンドン市の副市長(交通担当)となるためである。

この辞任には様々な理由があるだろうが、最も大きな理由は、労働党下院議員としての将来に希望を持てず、見切りをつけたということである。政治の道を追求してきて、下院議員のスタッフ、地方議員を経て、2010年に下院議員に選ばれた。下院議員になることが目的であっただろうが、それを自らの判断でやめるというのはかなり大きな決断だっただろう。

アレキサンダーの選挙区は、大ロンドン市南側のルイシャムであり、労働党の非常に強い選挙区である。将来、総選挙の労働党候補者に選ばれない可能性はあるが、その可能性は小さく、そこに居続けようと思えばできただろうと思われる。

この転進にはいろいろな要素があるように思われる。

政治的な理由

  • 2015年9月にコービンが予想に反し、圧倒的な支持を受けて党首に選ばれた後、影の内閣に影の健康相として任命された。しかし、2016年6月のEU国民投票で離脱が多数を占めた後、影の内閣のメンバーが多数辞任した中、その先頭を切って辞任した。その時点では、コービンを党首辞任に追い込めるという読みがあったのだろう。そしてコービンを猛烈に批判する記事を新聞に投稿し、コービンは無能で、その影の内閣のメンバーであることが大嫌いだったと主張した。しかし、コービンは、行われた党首選でさらに支持を伸ばし当選した。その上、今や労働党の党員数は55万人を超え、西ヨーロッパ一である。さらにコービンは2017年6月の総選挙で、予想を裏切り健闘し、メイ保守党を過半数割れに追い込み、2015年から労働党の議席数を伸ばした。もし総選挙があれば、労働党が過半数を占めずとも最大政党となる可能性が大きい。そうなれば、コービンが首相となる可能性があるが、これまでのいきさつからアレキサンダーが閣僚や重要な役職に任命される可能性は非常にちいさい。
  • コービンが党首となる過程で生まれた、モメンタムというコービン支持の組織がその勢力を広げている。そのメンバーは3万6千人と言われる。この組織が各選挙区で勢力を伸ばしており、選挙区の労働党支部の幹部の地位を占めつつある。アレキサンダーの選挙区では、モメンタムが分裂しており、労働党の中道派が中心だが、アレキサンダーの影の内閣辞任当時には多くの反発があった。もしコービンが党首を辞任しても、モメンタムの影響力は残り、次期党首にはコービン系の人物となるだろうと思われる。
  • 2016年のロンドン市長選に出馬・当選した、サディック・カーンが労働党候補者に選ばれる運動の責任者をアレキサンダーが務めた。カーンは、今ではコービンと良い関係を保っているが、市長選ではコービンと距離を置き、コービンに批判的だった。ロンドン市民のカーンへの評価は高く、まだ先の話だが、2020年のロンドン市長選でカーンが再選されると見られている。

経済的な理由

その他の理由

  • 自分の能力を生かし、何か挑戦できる仕事にとりくみたいと思ったのだろう。ロンドンの交通、特に自動車による大気汚染対策、サイクリング化、公共交通網の整備発展など課題は多い。

すなわち、現在の労働党の状況では、アレキサンダーには、労働党の中での将来はない。労働党の中で腐って、モメンタムらの圧力に恐れをなしているよりも、自分の能力を評価してくれるカーンの下でやりがいのある仕事に取り組みたいと思ったのだろうと思われる。

いじめの疑いをかけられた下院議長

ジョン・バーコウは2009年に下院議長に就任した。その前任のマイケル・マーティンは労働党の下院議員だった人物で、もともと労働組合の代表をしており、議員の経費問題が出た時には、議員を労働組合のメンバーのように守ろうとした。その結果、この問題の処理を誤り、辞任を迫られることとなった。その後を受けたのが、バーコウである。それから9年、今やバーコウにいじめの疑いがかかっている。下院のバーコウの秘書をしていた職員が、バーコウからいじめを受け、その結果、「強制的に」辞職させられたと主張したのである。

バーコウはもともと保守党の右派の議員だったが、後に労働党からロンドンのウェストミンスター区の区議会議員選挙にも立ったサリーと付き合い、結婚し、その考え方が大きく変わった。2009年には労働党が下院の過半数を占めていたが、労働党の多くの議員の支持を受けて予想外に議長に選ばれた。一方、その経緯から保守党の一部から嫌われ、これまで何度も議長追い落としの攻撃を受けている。2010年の総選挙で労働党が敗れ、保守党・自民党の連立政権が生まれた時も攻撃を受けたが、保守党の中の支持者の援助も受けて議長の座に残った。

議長の職はイギリスでは特別に扱われており、就任後党籍を離れて中立の立場を取る。そして総選挙では、主要政党は議長の選挙区に候補者を立てない。議会のあるウェストミンスター宮殿の中に住居が設けられており、議長を退けば上院議員に任ぜられ、特別の年金もつく。なりたい人は多いが、運とタイミングが良くなければこのポストにはつけない。

イギリスの首相は、選挙で選ばれた独裁者と言われることがあるが、率いる政党が一旦下院の過半数を獲得すると、ほとんどのことを自分の判断で行うことができるようになる。そのため、議会無視の傾向が出てくる。バーコウはこの流れに歯止めをかけ、議会がその役割をきちんと担えるよう努力してきた。また無役の下院議員にできるだけ多くの発言機会を与えるようにしてきた。その結果、首相への質問時間が長くなり、首相らが不満を持っているとも伝えられた。これらの努力でバーコウを高く評価する声も少なくない。バーコウは下院の近代化をはかるために下院事務総長とも衝突した。ブラックロッドと呼ばれる議会の儀式をつかさどる役割を果たした人物がバーコウは激しやすい気性だと批判したが、さもありなんと思われる。

マーティンは、議長の職に9年あった。バーコウも9年で退くとしていたが、その9年は今年の6月に迎える。そのような中で、バーコウへのいじめ批判が出てきたことはうさん臭い要素もあるように思える。

バーコウは小柄で、保守党内のバーコウ批判派から、よく、聖人ぶった小人と呼ばれていた。妻のサリーの頓狂な振る舞いや浮気もバーコウの威厳を傷つけた。その中でよくこれまでやってきたと思われる。

それでも下院議長にはそれなりの威厳と抑制が必要だ。バーコウはいじめの疑いを否定しているが、本当にそのような問題があったのならば、その責任を取る必要があるだろう。

メイの命運

離脱後のEUとの経済関係をどのような形にするかで内閣の意見が分かれている。メイ首相の望む関税パートナーシップは、EUのルールに従う必要がある上、EU外の国と自由に貿易関係が結べないと強硬離脱派が反対。その一方、強硬離脱派の選択するMax-Fac案は、テクノロジーがまだ追いついていない上、EUとイギリスの陸上の国境となる北アイルランドとアイルランド共和国の間で何らかのチェックポイントを設ける必要がでてくる。

そこでメイ首相は、内閣のメンバーにこの2案を割り振り、ソフトな離脱を目指す立場と強硬な立場を取る閣僚を混ぜて検討させることとした。何らかの妥協案が出てくることを期待している。しかし、この2案のいずれにもEU側は消極的で、この答えを出さねばならない期限の6月のEUサミットまでにメイ首相が内閣のまとまる、そしてEU側の受け入れられる結論を出すことは極めて困難だ。

この中、2019年3月のイギリスのEU離脱後に計画されている「移行期間」を予定されている2020年末までからさらに3年伸ばし、2023年までにする案が浮上している。この間にテクノロジーを発展させ、また新たな案が出てくるのを待ってはどうかという考えだ。しかし、この案に強硬離脱派がそう簡単に合意するとは思われない。移行期間中、イギリスはEU外の国と貿易合意をすることができないだけでなく、EUの意思決定に参画できないのにそのルールに従う必要がある。また、先延ばしすることは、現在の不透明な状態が継続されるだけである。不透明な投資環境のため、既に多くの企業がイギリスへの投資を控えている中、このような状態を続けていくことはできず、もし一時的な経済的な落ち込みがあっても、むしろ来年の3月ですっぱりと離脱したほうがよいという意見が強くなっていく可能性があるのではないかと思われる。

保守党内のソフト離脱派と強硬離脱派の争いは深刻である。このため、総選挙が行われるのではないかという見方もある。5月の地方選挙で労働党が予想を下回り、保守党が予想以上に健闘したため、保守党内のコービンを恐れる気持ちが減ったのではないかという見方がその背景にあるようだ。しかし、ことはそう簡単ではない。もちろんコービンは総選挙を歓迎し、昨年6月に総選挙が行われたばかりだが、その際と同様、保守党と労働党が総選挙実施に賛成すれば、下院の3分の2以上の賛成を確保し総選挙ができる。ただし、メイが勝てるという保証はない。昨年の総選挙では、保守党が世論調査の支持率で労働党を大きくリードしており、しかも党首のメイの評価は高く、労働党のコービンの2倍近くあった。現在再びメイがコービンに大きな差をつけているが、これらが役に立たない可能性の高いことは誰もが承知している。

また、タイミングの問題がある。6月のEUサミットまでに将来のイギリス・EUの経済関係の枠組みを決めなければならないという状況があるのに、5週間の政治的な空白が生まれることが許されるだろうか。

一方、保守党内でメイの引き落としが本格化する可能性がある。メイがこれまでのまずい離脱交渉の責任を取らねばならないということはわかる。数か月前に党首選などを扱う1922年委員会への保守党党首信任投票の請求は既に40を超え、あと一握りの保守党下院議員が請求すれば、信任投票が実施されるという風評が出たことがある。もし信任投票が行われ、メイが不信任となれば、代わりの党首が選出されることとなる。時間の制約から、マイケル・ハワードが党首となった時のように、保守党下院議員が一致して推せる人物があれば、党員の投票なしで党首が決まるが、ソフト離脱派と強硬離脱派の考え方がはっきりと異なる中、そのような人物は考えにくい。時に名のあがる新内相サジード・ジャビドでは、野心のある国防相ギャビン・ウィリアムソンなどが黙っておかないだろう。そうなると、下院議員の中から二人の候補者を選ぶ作業が始まり、そして党員がその二人のうち一人を選ぶこととなる。党首選出までに数か月かかる。その間、EUとの離脱交渉を放っておくことはできないだろう。その上、もしメイが信任されたとしてもメイの立場が強くなるわけではない。

上院でEU離脱法案に修正が加えられ、下院に戻ってきた。保守党にはソフトな離脱を求める下院議員がかなりいる。強硬離脱派は労働党にもいるが、下院全体では強硬離脱派は少数だ。そのため、メイが労働党らのソフト離脱支持議員をあてにして、ソフトな離脱に大きくかじ取りをし、押し切ろうとするかもしれないという憶測もある。ただし、本当に労働党下院議員らをあてにできるのかという疑問がある。

EU離脱とは関係ないことだが、メイは自分が首相となって推し進めようとした選別教育の「グラマースクール」拡大策に再び取り組み始めた。保守党内にも反対が多くうまくいかなかった政策だが、メイは自分の政治的遺産のことを考え始めているのかもしれない。いずれに転んでもメイの命運には厳しいものがある。

公務員の新首相へのアドバイス

1997年5月、トニー・ブレア率いる労働党が18年間継続して政権を担った保守党を総選挙で破り、政権に就いた。ブレア首相の広報局長だったアラスター・キャンベルによると、財相に任命されたゴードン・ブラウンは着任早々から財務省スタッフに厳しい指示を出しており、やりすぎなければいいがと思ったそうだ。それでも労働党が長く政権に就いていなかったため、戸惑った政権関係者は多かっただろう。

公共放送BBCが情報公開法を利用し、政権初日にブレアに渡された公務員からのアドバイスを入手した。

これらのアドバイスは、新首相の仕事をできるだけスムーズにそしてやりやすくさせるためのものである。それでも政権を無難に運営していくために首相がどうしていくべきなのか、イギリスの公務員の考え方がよくわかる。

上院議員にも大臣職を与えるようにというアドバイスは、公選ではないが、法案の審議などで重要な役割を担う上院で、政権の考え方や方針をきちんと伝えることができるためには重要なアドバイスだろう。特に、世襲貴族の上院議員をなくすという約束をしていた中ではそのように思える。

首相(それに家族)は、首相官邸の上(または横上)に住むので、例えば、どのような飲み物が公費で賄われ、どのようなものを自費で払わなければならないかなどの実際的なアドバイスは重要だ。

服装にもう少しお金がかかるだろうというアドバイスは、公式な行事に出席するために購入してもその費用が出るわけではないが、首相や首相夫人として必要な費用は財務省・歳入庁との取り決めで経費として計上できることになっている。それは、2014年に明らかになった1992年の総選挙の際に用意されたアドバイスでも同じである。

政策については、公務員が総選挙キャンペーン中にマニフェストを詳細に分析している。また、現職の首相の許可を得て、公務員が野党の党首、関係者に接触し、それぞれの政党の政策の情報を得られる機会が与えられることになっている。政権に就いて、いかにそれらの政策を実現するか、または問題点、注意点などの指摘があるのは当然だろう。

もちろんこのようなアドバイスを聞くか聞かないかは、それぞれの政治家の判断による。政治家の中には、無難に運営していくことにそれほど興味のない人もいるだろうからである。

変わらないジョンソン外相

ボリス・ジョンソン外相が、メイ首相がEU離脱後導入したいと考えている、EUとの関税パートナーシップ案を愚かな案だとけなしたジョンソンは、この案のアイデアをこれまで閣僚として支持してきた。ところが、保守党内で影響力の増しているジェイコブ・リース=モグ率いる強硬離脱派のERG(European Research Group)がこの案では求められたEU離脱はできないと強く反対し、関税パートナーシップの問題点が浮き彫りになっていることから気持ちが変わったようだ。

ジョンソンが気持ちを変えるのはそう稀なことではない。そもそも2016年のEU国民投票前にも残留派、離脱派でなかなか立場を決められなかった。それでも残留派でキャンペーンすると思われていたが、直前になって離脱派に変わった。

その原因は、残留派が予想通り勝てば、残留派の中心人物だった当時のオズボーン財相がキャメロン後継者の地位をさらに固めると見られていたためのように思われる。離脱派で運動すれば、保守党内で強い離脱派のリーダーとしてオズボーンに対抗できると判断したためだろう。

自分の損得やその場の状況で立場を変えるのはジョンソンにとってそう不思議なことではない。

ただメイ首相は閣僚として前例のないジョンソンの批判を受け流し、ジョンソンを外相の地位にとどめるつもりだ。メイ首相の弱い立場を改めて浮き彫りにした出来事だと言える。

新内相サジード・ジャビド

新しく内務大臣に就いたサジード・ジャビドの親はパキスタン出身だ。父親は1961年にイギリスに来た。バス車掌などの仕事をしたという。インド系の人がイギリスの4つのトップ大臣ポスト(Great Offices of State)の一つに就くのは初めてのことである。なお4つのトップ大臣ポストとは、首相、財務大臣、内務大臣、外務大臣だ。メイ首相に批判的な元閣僚でパキスタン系のワルジ女男爵は、この任命を「ガラス天井を打ち破った」として評価した。

48歳のジャビド(1969年12月5日生まれ)はこれまで何度も天井を打ち破ってきた。家庭環境を乗り越え、近年評価の高まっているエクセター大学で経済と政治を学んだ。保守党に入党し、20歳で初めて党大会に出席する。サッチャーを尊敬し、大臣に就任した後、大臣室にサッチャーの写真を飾っていたという。

大学卒業後、金融の仕事に就こうとしたが、あるイギリスの銀行で、顔がその仕事に合わないとして採用されなかったという。そこでアメリカのチェースマンハッタン銀行に入る。瞬く間に昇進し、記録を破り、25歳でVice Presidentとなる。後にヘッドハントされ、ドイツ銀行に移り、役員となった。2009年にドイツ銀行を辞め、2010年に保守党の下院議員に当選。それまで年俸300万ポンド(4億5千万円)だったと言われ、当時の下院議員の年俸6万ポンド(900万円)あまりと比較して、98パーセント減給との評もあった。それでも大学時代からの政治の思いを果たしかったようだ。

キャメロン政権でオズボーン財相に目をかけられて頭角を現し、文化相、ビジネス相、そしてメイ政権でコミュニティ・地方自治相を経験し、今回内相となった。内相への任命は、前内相の辞任のきっかけが内務省の少数民族への対応だったことから出てきたもので、幸運であったといえるだろう。しかし、政治の世界でも、ビジネスの世界でも運は非常に重要だ。

まだ政治経歴は長くない。それでも2016年のEU国民投票でイギリスがEUを離脱することとなり、キャメロン首相が責任を取って、辞任した後の党首選挙で、同じ閣僚だったスティーブン・クラブと組んだ。結局クラブは党首選を退くが、もしクラブが党首・首相となっていれば、ジャビドは財相となることとなっていた。ジャビドが将来の保守党党首、首相を目指しているのは間違いないだろう。

ジャビドはイスラム教徒の家に生まれたが、イスラム教を実践していないという。頭に髪はなく、奥さんローラが剃っていると言われる。その顔が将来の保守党のイメージにふさわしいかどうかという問題はあるかもしれない。それでも、これまでの「天井破り」の事例から見ると、それも克服するかもしれない。

辞任した内務相

内務相のアンバー・ラッドが辞任した。ラッドの下で移民担当の閣外相だった、現保守党幹事長が4月29日のBBCテレビの看板政治番組アンドリュー・マーショーで、ラッドを救おうと細かな議論をしようとしたが、逆効果に終わり、事態はさらに悪化した。ラッドが自らを強制退去数の目標の問題から遠ざけようとする試みは、完全に失敗し、さらに多くの情報の漏えいが始まる中、ラッドはとても4月30日の下院内務委員会の厳しい尋問に耐えられないと判断したのだろう、4月29日午後10時前(イギリス時間)、メイ首相に辞表を提出し、メイはそれを受諾した。

ラッドは、前任の内務相メイや自分が、内務省の役人に強制退去数の目標で強い圧力をかけていたことを隠したかったのだろう。その目標を達成するため、役人が「ウィンドラッシュ世代」をはじめ、本来在留権はあるが、必要な書類をすぐに提出できない、簡単な標的(Low-hanging fruitsという表現がよく使われる)を狙い、それぞれの個人の事情を慎重に見極めることなく、非情な処分に走っていた事実から自分たちを守りたかったように思われる。

国家公務員は、ラッドやメイ政権の言動に強い不満を持っていた。内務相の大臣室の首席秘書官も自分が重要書類をラッドに渡さなかったという疑いを受け、自分の立場を守るためにも内務省の事務方トップの事務次官に文句を言っていたのではないか。ガーディアン紙が内務省筋の強い不満を報道し、BBCはさらなる情報の漏えいを指摘した。

メイがラッドを何とかして守ろうとしたのは、2010年から、首相となる2016年7月まで自分が内相としてこの状況を作り出したためだ。これまで盾となっていたラッドがいなくなり、自分が直接その標的になる可能性がある。内務相の後任には、現コミュニティ相のサジード・ジャビドが就く可能性が高い。少数民族出身のジャビドを内相にし、より同情的な対応を内務省がするような印象を与えたい狙いがあるだろう。

いずれにしても5月3日にはイングランドの都市部の多くで地方選挙がある。特にロンドンの区議会議員選挙では、労働党がかなり優勢だと見られており、ラッド辞任は、メイ政権にとって大きな打撃だ。