サッチャーの評価(British People’s View on Thatcher)

マーガレット・サッチャーは、1979年5月から1990年11月まで英国の首相を務めた。20世紀の首相として最も在任期間が長かったが、その評価は人によって大きく異なる。

サッチャーが2013年4月8日亡くなった後行われた世論調査では、サッチャーの行ったことは英国によかったという人は50%で、悪かったという人は34%いる。そのうち非常に良かったという人は25%だが、非常に悪かったという人は20%いる。今でもサッチャーを強く嫌っている人はかなりの割合に上る(参照http://www.guardian.co.uk/politics/2013/apr/08/britain-divided-margaret-thatcher-record-poll)。

サッチャーの業績を特に評価するのはイングランドの55%だが、スコットランドではそれが23%、そしてウェールズでは34%に減る。スコットランドとウェールズ、それに付け加えて北イングランドでは、サッチャーの国営現業事業の民営化、そして不採算事業の閉鎖、例えば炭鉱の廃坑などで多くの人が職を失った。その恨みが今でも残っている。

サッチャーの首相としての評価は、1990年11月の首相辞任時の調査にはっきりと現れている。サッチャーは英国に良かったという人が多かった反面、個人的には悪かったという人が多い。首相辞任時、サッチャーの政府は英国によかったという人は52%、悪かったという人は40%だが、個人的に良かったかどうかという問いには、44%が良かったと答え、悪かったという人は46%にも上った(参照http://www.ipsos-mori.com/researchpublications/researcharchive/poll.aspx?oItemId=223#q2a)。

サッチャーを嫌う人がかなり多く、その政策はさらに嫌われていた。首相辞任時、サッチャーを嫌いな人は60%、サッチャーの政策を嫌いな人は71%に上った(参照http://www.ipsos-mori.com/researchpublications/researcharchive/poll.aspx?oItemId=2398&view=wide)。

一方、サッチャーが有能な首相だったと考える人は、かなり多い。2011年6月に行われた世論調査では、過去30年間で最も有能な首相は、サッチャー36%、ブレア27%、ブラウン11%、キャメロン10%、そしてメージャー7%だった(http://www.ipsos-mori.com/researchpublications/researcharchive/2819/Most-capablemost-likeable-Prime-Minister.aspx)。

首相としてのサッチャーを評価したのは、中流階級だけではなく、労働者階級でもそうだった。「不満の冬」をもたらした労働党政権に1979年の総選挙で見切りをつけてサッチャーの保守党に投票した労働者階級の人々は、その後も、1983年、1987年の総選挙でも保守党に投票した。それは、労働者階級の中でも上の層である熟練労働者階級に端的に表れている。(下表参照)

総選挙 1974Oct 1979 1983 1987 1992
熟練労働者 保守党 26 41 40 40 39
労働党 49 41 32 36 40
自民党 20 15 26 22 17
非熟練労働者 保守党 22 34 33 30 31
労働党 57 49 41 48 49
自民党 16 13 24 20 16

いずれも%。参照 http://www.ipsos-mori.com/researchpublications/researcharchive/poll.aspx?oItemId=101&view=wide

サッチャーは、多くの政治家が直面する問題を提起していると言える。国のために、反対が多くても、本当に必要だと信じたことを行うか、どうかである。もちろん当該の政治家に「本当に必要だと信ずるもの」があるかどうかは別の問題であるけれども。

サッチャーの盛衰(Thatcher’s Rise and Fall)

マーガレット・サッチャー元首相(1925年10月13日-2013年4月8日)が87歳で亡くなった。

政治は、理屈だけで動くものではない。サッチャーの場合、その非常に強い信念と勇気で幸運を呼び込み、1979年から1990年の11年間もの長い間政権を担当し、英国の歴史に残る首相となった。

サッチャーの信念は、1979年の総選挙のマニフェストの前文に色濃く出ている。

FOR ME, THE HEART OF POLITICS is not political theory, it is people and how they want to live their lives.

No one who has lived in this country during the last five years can fail to be aware of how the balance of our society has been increasingly tilted in favour of the State at the expense of individual freedom.

中略

Together with the threat to freedom there has been a feeling of helplessness, that we are a once great nation that has somehow fallen behind and that it is too late now to turn things round.

I don’t accept that. 1 believe we not only can, we must. This manifesto points the way.

It contains no magic formula or lavish promises. It is not a recipe for an easy or a perfect life. But it sets out a broad framework for the recovery of our country, based not on dogma, but On reason, on common sense, above all on the liberty of the people under the law.

The things we have in common as a nation far outnumber those that set us apart.

It is in that spirit that I commend to you this manifesto.

Margaret Thatcher

ここでは、政治の中心にあるのは人だ、かつて偉大な国であった英国が今や後れをとっている、この事態を逆転させねばならない、国を立ち直らせるのは、常識と、とりわけ法の下での人々の自由だ、そういうサッチャーの思いが出ている。

サッチャーは、1975年に保守党の党首となったが、もし1978年から9年にかけての「不満の冬」がなかったら、サッチャーは、1979年の総選挙には勝っていなかっただろう。そして保守党の下院議員に不評だったサッチャーの党首としての役割は終わっていただろう。

1982年のフォークランド紛争では、多くの反対を押し切って、アルゼンチンと対決することを決め、軍艦と兵を送った。アルゼンチンのミサイルが英国の軍艦に多数命中したが、不発のものが多かった。もし不発のものが少なかったならば、英国は大損害を負い、撤退を余儀なくされていただろうといわれる。そして次の総選挙での勝利はなく、失業者を大きく増やし、戦争に負けた首相として、三流首相と見なされていただろう。

1984年にはIRA(アイルランド革命軍)が、サッチャーが保守党大会のために泊まっていたホテルに時限爆弾を仕掛けた。党首演説の当日午前3時前にそれが爆発し、サッチャーは危うく難を逃れたが、5人が死亡し、31人が負傷した。

サッチャーの信念と勇気が幸運を呼び、その長期政権につながり、ついには自分の目的としたことをやり遂げた。

しかし、サッチャーのいつまでも政権を担当したいという貪欲さが「人頭税」の失敗を招き、政権の重要な政治家を離反させ、サッチャーの失墜を招いた。その上、欧州懐疑派の中心的存在となりメージャー保守党政権の運営に大きな障害をもたらした。

サッチャーの盛衰から学ぶことは多い。