高卒で事務次官にまで上り詰めたスー・グレイ

英国内閣府の第二事務次官スー・グレイが辞任した。野党第一党労働党の党首の首席補佐官になるためである。このニュースは、英国の政界、特に政権政党である保守党に大きなショックを与えた。同様の動きをする国家公務員はこれまでにもいたが、グレイほどの地位にある国家公務員が、このような動きをした前例はないようだ。そのグレイは、大学には行っておらず、高卒で国家公務員となり、そして事務次官にまで上り詰めた。

グレイは、ジョンソン元首相が首相を辞任することになった大きな原因であるパーティゲートの調査を命じられ、その報告書を書いた人物である。その報告書でグレイは、この問題は、「リーダーシップの欠如」と指摘した。パーティゲートの調査は、もともと英国の国家公務員全体のトップの内閣書記官長(Cabinet Secretary)が行うことになっていたが、調査を始めて、内閣書記官長のオフィスでも「パーティ」が行われていたことがわかり、内閣書記官長が辞退し、その代わりに、筋を通す評判のあるグレイがその任を任されたのである。当時、野党労働党を含め、グレイがその調査をすることにほとんどが歓迎した。なお、内閣書記官長は、後に罰金刑を受ける。

パーティゲートは、コロナの拡大を防ぐために、法律で人の交流を大幅に制限したロックダウン中に、一般の人たちは、親や家族の死に目に会うことも許されていないにもかかわらず、首相官邸などでは、法律に違反して、飲酒を伴う集まり、パーティが開かれていたというものである。

グレイは、次期総選挙後に政権に就くことが確実とみられる野党第一党の労働党のキア・スターマー党首から首席補佐官(Chief of Staff)に就くよう頼まれ、それを受けた。そして第二事務次官職を辞任した。なお、元国家公務員で、党首や首相の首席補佐官となった人としては、トニー・ブレア元首相の首席補佐官だったジョナサン・パウルが有名である。

労働党側は、かつて「政府を動かしている」とまで言われたグレイがスターマーを支えることを歓迎しているが、保守党側、特にジョンソン元首相に近い議員たちは、パーティゲートの調査報告書は、労働党の意向を受けた、ジョンソンを追い落とす策謀だったと攻撃する。しかし、グレイは、かつてメイ政権下で副首相格にあった、ダミエン・グリーンの調査をメイから命じられ、その結果、メイがグリーンを更迭した例にみられるように、筋を通す人物である。キャメロン保守党政権下、内閣府大臣だったフランシス・モードは、グレイには影はないとする。

筋を通すことがグレイの特質であるとはいえるが、それがトップのトップに就けない大きな原因だったように思われる。グレイは、かつて北アイルランド地方政府の財務省のトップとして働いた時に、北アイルランドの国家公務員のトップのポストに応募したことがある。しかし、失敗に終わった。後に公共放送BBCのインタビューに答えて、グレイは、難しい人物だと思われたのでしょうねと答えている。

かつて内閣書記官長を経験した、ガス・オードンネルは、政府の中枢で長年働いてきて、しかも倫理問題の責任者でもあったグレイは、もし回顧録を書けば、これまでにないものとなるだろうとするが、グレイはそのようなものは書かないだろうとする。この点でも、保守党側は、グレイの知識は脅威だと見ているようだ。

グレイは、家具のセールスマンだった父が亡くなり、大学に行くのをあきらめ、高校を卒業後、国家公務員となる。それから数々の省庁を経て、局長になり、最終的に事務次官職まで上り詰める。その間、キャリアブレーク(休職)して、北アイルランドで夫としばらくパブを経営していたことがあるが、うまくいかず、国家公務員に復帰したようだ。

労働党とのつながりは、2人の息子のうちの1人が、労働党のアイルランド協会の会長を務めており、それがきっかけになった可能性がある。

ただし、労働党もしくは労働党政権での年俸は、せいぜい15万ポンド(約2400万円)程度で、これまでの20万ポンド(約3200万円)を超えるレベルの給料より落ちる。それでも、筆者には、グレイは、自分がやりたかったが残した仕事があるのではないかと思われる。それが労働党政権下で可能になるかもしれないという気持ちがあるのではないだろうか。

グレイが、スターマー労働党党首の首席補佐官になるという話が出てから辞任したことについて保守党などから強い批判がある。この点については、自分の現在の仕事が嫌なら、トップレベル国家公務員や閣僚経験者などの政府外雇用を監視するビジネス任用諮問委員会 (ACOBA:Advisory Committee on Business Appointments) に報告してすぐに辞めたかもしれないが、自分の仕事に本当に責任を持っている人ならそう簡単には辞められないように思われる。現在の職で、やりかけている仕事や、やり残した仕事もあるだろうからである。実際、現在の保守党政権下で、労働党で働くかもしれないと言っただけで、現在の仕事を外されるだろう。そのことを考えると、同情できる余地があるように思われる

グレイは、基本的に3か月間は政府外の仕事につけないが、ACOBAの判断によっては、最長2年の制限がつけられるかもしれない。次期総選挙は、現在のところ1年半先と予測されている。グレイの制限期間の最終権限はスナク首相にある。

それでも高卒で入った人物を国の公務員のトップレベルにまで上り詰めさせることのできる英国の国家公務員制度には学ぶことができる点があると思われる。また、グレイは1957年もしくは1958年生まれとされる。すなわち、現在65歳程度である。英国では、国家公務員は、基本的に自分の辞めたい時まで働ける。能力がある人は、定年退職で辞めさせるのではなく、継続して働ける仕組みは非常に大切だと思われる。

議員のリコール(解職)

ボリス・ジョンソン元首相が、いわゆるパーティゲートに関連して、首相在任中にウソ(もしくは本当ではないこと)を下院で発言したことについて下院の名誉委員会(Privileges Committee )が調査を進めている。この調査にはまだ数カ月はかかると見られているが、その結果、ジョンソン元首相が一定期間登院停止になる可能性が高まっている。

もし、登院停止期間が一定のレベルを超えれば、リコール選挙が行われる可能性があるので、その点について触れておきたい。

リコール選挙とは、2015年に設けられた比較的新しい制度で、下院議員のみリコールの対象となる。

一般に、下院議員が失職(ここでは失職の可能性を含む)する場合には以下の3つの場合がある。

  • 有罪刑を受け、それが12カ月以上の収監刑(刑務所)である場合には、自動的に下院議員を失職する。
  • 2009年議会倫理規範法10条で、虚偽などの経費請求をして有罪刑を受けた場合には、収監されたかどうかにかかわらず、失職する。
  • 登院停止処分を受け、登院停止日が10日以上の場合(ただし、会期日が指定されていない場合には14日以上)には、リコール請願過程を経て、失職する可能性がある。

以上のいずれかの場合、下院議長は、当該議員の選挙区の選挙管理者に通知し、補欠選挙、または、リコール請願過程が開始される。

登院停止処分が10日以上の場合、その選挙区の請願管理者(選挙管理者が請願管理者と呼ばれる)は、6週間、請願署名所を設け、当該選挙区の有権者の10%以上がそれに署名すれば、下院議長に報告し、その結果、議席は空席となる。そしてリコール選挙が行われるが、失職した前議員もその選挙の候補者となれる。

ジョンソン元首相の場合、選挙区がロンドン郊外の「アックスブリッジとサウスライスリップ」で、有権者数が7万あまりである。すなわち、有権者のうち、7千人余がリコール請願に署名すれば、補欠選挙が行われる。前回2019年の総選挙(この選挙区の投票率68.5%)では、ジョンソンが全体の53%ほどの票を獲得したものの、次点の労働党、そして自由民主党、緑の党など反保守党と思われる票が2万2千票余りあり、リコール選挙が行われる可能性は高い。

また、この選挙区の住民の過半数は、ジョンソンの推し進めた、ブレクシットを後悔しており、全国的に労働党が支持率で保守党に20%ほどの差をつけている中で、MRP分析をしたElectoral Calculousの分析では、野党労働党の候補者が過半数の票を獲得し、保守党は30%あまりにとどまると見ており、保守党の勝つ可能性はわずか12%としている。

すなわち、もしリコール選挙が行われれば、ジョンソン元首相が敗北する可能性は極めて大きく、ジョンソン元首相の政治生命の終わりとなるだろう。