苦しむスナク首相

スナク首相とは?

リシ・スナク英国首相は、昨年10月、わずか50日で首相の座を去ったリズ・トラス首相の後任の首相に就任した。スナクは、2015年の総選挙で下院議員に初めて選ばれ、2016年のEU離脱投票実施をめぐる国民投票の際にはボリス・ジョンソン元首相らと同じ離脱派だった。メイ政権で、2018年から地方自治担当省の大臣政務官を務めた後、ジョンソン政権が2019年7月に発足した際、財務副大臣に任命された。そして2020年に前任者がジョンソン首相とのスペシャルアドバイザーをめぐるいさかいで予想外に辞任した後、財務相に任命されたのである。

スナクは、インド系の総合診療医(GP)の父と薬局経営の母の間に生まれ、有名な寄宿制私立学校ウィンチェスター・カレッジを経て、オックスフォード大学で学んだ。ゴールドマン・サックスなどで投資銀行家として働き、またスタンフォード大学でMBAを取得した。スタンフォード大学時代に知り合った妻の父親は、インドのインフォシスの創立者で、億万長者。そしてスナクとその妻の合算資産は約1100億円(730 million pounds)と言われる。英国のリッチリストのトップ250に入っている。

トラスの大失敗で首相となったスナク

スナクは、2022年7月、ボリス・ジョンソン首相辞任後に行われた保守党党首選に立候補し、保守党下院議員の投票を経て、最後の2名の党首候補者となった。その2名のうちから1人の党首を党員が選ぶ仕組みだ。そして党員はトラスを選んだ。しかし、トラスは、その税・財政政策で大失敗を犯す。高給所得者の所得税を軽減するなど、公平とは言えない大規模な減税を、巨額の借り入れで賄う予算を発表したため、金融不安を招いた。それらの多くは撤回されたが、トラスへの信頼は失われ、トラスは首相就任後45日で辞任を表明。その5日後、スナクが新保守党党首に選出され、首相官邸を去った。

次々にUターンするスナク

スナクがチャールズ国王に首相に任命された直後、首相官邸前で演説した際、スナクは、政治に信頼を取り戻し、保守党の2019年総選挙マニフェストで約束したことを実行するとした。明らかに首相になって何をするかの準備が十分できていなかったことをあらわしている。後に、それまでの党首選で発表した政策は再検討するとした。

スナクは、これまでの経歴からもうかがえるように、大臣としての経験が乏しく、また、理想とする社会を建設するなどのような夢を持つ政治家ではないようだ。むしろテクノクラートで、軽量級の政治家と言える。人物判断を誤り、内閣発足後、その大臣らの適否をめぐる問題で批判を受けた。しかし、ものごとを荒立てずやり過ごすという方針を取っているようだ。

首相になって、次々にUターンを繰り返している。保守党内の反対を押し切れないためである。例えば、2019年マニフェストで約束していた1年30万戸の義務的住宅建設目標を多くの保守党下院議員の反対で事実上やめたことである。英国では住宅が大幅に不足しているが、住宅建設のために緑地を住宅地に変えることに住民が反対しているところが多いからである。

スナク首相は、2023年に入って初めてのスピーチで、5つの約束を掲げた。以下の5つである。

  • インフレの半減
  • 経済成長
  • 国の赤字を減らす
  • NHSの順番待ちを減らす
  • 小さなボートで非合法に英国に来ることをやめさせる法律の制定

特に最初の2つは、エコノミストたちが年末までにそうなるだろうと予想していることである。後の3つも高い目標とはいえない。⑤の法律制定は、比較的簡単なことだ。実際にやめさせることができるかどうかは別の問題である。スナクは、この成果で自分を評価してほしいと主張したが、もし、これらをすべて達成したとしても有権者がそれで評価するかどうかには疑問がある

公共サービスのストライキ

上記の5つの目標には入っていないが、スナク首相の直面する最大の問題は、英国の公共サービスのストライキである。英国のインフレ率が10%を超える中、公共サービスの労働者が賃上げを求めているのである。その公共サービスの分野は、鉄道、看護師、救急車、消防、出入国管理、教育などに及んでいる。

特に看護師では、1916年に創立された王立看護協会(Royal College of Nursing:RCN)が106年間で初めて2022年12月にストライキを行い、さらに実施の予定である。看護師の給与は、インフレ率に賃上げがついてきておらず、2010年と比較して、実質10%以上減っている2010年に保守党が政権に就いて以来、NHSへの予算そのものが年平均2%増加したのみで、その前の年平均4%から半減したことと関係がある。スナク政権は、既に看護師給与の約4%アップをのんでいるが、これでは、現在のインフレの半分にも満たない。

NHSが過去最悪の危機に陥っていると言われる中、患者の待ち時間が増え、医師との予約もとりにくい状態になっている。医療スタッフ危機で、医師や看護師の辞職も増えている。

このストライキを乗り切るため、スナク政権では、特定の公共サービスがストライキでマヒを起こさないよう、法律でストライキ中の最低サービスレベルを設け、それを破った場合、破った人を解雇できるようにするとした。問題を直接解決するのではなく、法律の制定で乗り切ろうというのである。労働組合側は、それに強く反発している。

一方、2022年の超過死亡の数が、過去50年で最大になっていることがわかった。超過死亡とは、死亡者の数から通常の原因とコロナによる死亡者の数を除いた数字である。コロナ禍の始まる前の2019年よりも2022年の超過死亡は9%も多くなっている。この超過死亡の原因はまだはっきりしていないが、これにはNHSが患者の増大に対応できていない実態があるためではないかと言われる。また、救急車で救急病院に運ばれても、待ち時間が非常に長くなっており、収容するベッドの不足で、廊下で台車に寝かされて治療を受けるのを長時間待つ(5時間から12時間)など、NHSへの圧力が異常に高くなっていることにも原因があるのではないかと言われる。

いずれにしてもスナク政権が厳しい状況に追い込まれていることには変わりがない。

次回総選挙の予想

次の総選挙はいつ?

英国下院の前回の総選挙は、2019年12月12日に行われた。英国の総選挙は、前回の総選挙から5年以内に行われる必要があるが、若干の調整日が加えられるため、次の総選挙は、2025年1月28日までに行われることになっている。しかし、首相の判断でそれより早く解散されて総選挙が実施される可能性があり、それは2024年夏ごろと見る人が多い。

なお、英国下院の議会議員の任期を5年と定めた2011年議会任期固定法が2020年に廃止され、首相は、自らの都合のよい時期に総選挙を実施できる。

もし、任期満了まで待つと、その時点での政治情勢に結果が左右される可能性がある。例えば、英国では国営のNHS(国民保健サービス)が医療サービスの中心で、基本的に無料で診察が受けられ、必要があれば入院できるが、冬期はインフルエンザの流行などで、病院が非常に忙しくなり、すぐに対応してくれなくなる可能性があり、そのような時期に総選挙を実施すると、有権者の不満が政権政党の得票に反映される可能性がある。そのような事態を避けるため、ある程度早めに総選挙を実施するほうが得策であるという考え方がある。また、少し早めに計画しておくと、政治上の大きな問題、例えばスキャンダルなどが起きた場合には、総選挙を先延ばしするなどの融通がきく。一方、次期総選挙で負ける可能性が高い場合には、任期満了まで待つという考え方もある。

英国の総選挙の仕組み

英国の総選挙は、小選挙区制で行われる。すなわち、一つの選挙区から最高の得票を獲得した1人の下院議員が選ばれる仕組みである。英国は二院制で、上院(貴族院)と下院(庶民院)の二つの議院があるが、上院は任命制であるのに対し、下院は公選で、一般有権者の投票で選ばれる。そのため、下院が上院に対して優越している。

英国には650の選挙区があり、地理的な条件の制約があるごく一部の選挙区を除き有権者7万2千人程度で1選挙区を構成する。基本的に8年に1回、選挙区の境界の見直しが行われることになっている。

英国の総選挙と政党

英国は、政党中心の選挙である。各政党が、総選挙の前にマニフェストを発表し、政策を訴え、それが選挙運動の中心となる。一般に有権者は、政党のイメージ、党首、そしてマニフェストを基に投票すると言われる。ただし、マニフェストをきちんと読む人はほとんどいないと言われる。マニフェストを読む人は、いわゆるオタクか政治ジャーナリストなど非常に限られた人たちとなる。

政党が中心となる選挙であり、個人票はほとんどなく、ベテラン議員でも個人票は1割程度しかないと言われる。むしろ、歴史的な経緯や住民のタイプによって保守党の強い選挙区、労働党の強い選挙区があり、それぞれの特に強い選挙区では、候補者に選ばれるだけで、当選が確実になる。650選挙区の地図で、それぞれの政党カラー、保守党は青、労働党は赤で選挙区を塗りつぶしていくと、一定の地域的なパターンが現れることから、それぞれ「青い壁」、「赤い壁(このリンクをクリックすると、2017年総選挙と2019年総選挙の結果が色で比較されているのを見ることができる)」と言われるようになった。2019年の総選挙では、「赤い壁」選挙区のかなり多くが青くなり、保守党の大勝につながった。

2019年総選挙の結果

2019年総選挙は、ブレクシット(英国のEUからの離脱)が大きなテーマであった。全650議席のうち、主要政党獲得議席数は以下のとおり。

(SNPはスコットランド国民党で、スコットランドの地域政党)

2019年総選挙で、保守党は議席を伸ばし、労働党は大きく議席を失った。この結果、保守党は650議席のうち、365議席を獲得し、他の政党の合計議席は285議席となった。これは、英国ではマジョリティ80議席(365-285=80)といわれる。もし、80人の保守党下院議員が重要投票に参加しなくても政権が維持できる状態を示し、政権の極めて強い立場をあらわしている。(なお、可否同数となった場合、下院議長は、中立的な立場を維持し、個人的な意見に基づく投票は行わず、議論を促進、または、現状維持につながる投票をすることになっている。実際には、北アイルランドの地域政党シンフェイン党が7議席持つが、国王に忠誠を誓うことを拒否して審議に参加していないため、マジョリティはさらに大きくなる。)

次回総選挙の予想

2022年で、これまでに行われた主要政党の議席獲得予想の世論調査の結果は以下のとおりである。

(*1: 労働党が最大政党だが、過半数に足りない状態。 *2:MRPは、近年広く使われるようになった世論調査手法である。サンプル数が千余りの世論調査を単純に広域に当てはめて議席数を予測するのではなく、有権者の動向とそれぞれの選挙区の特性、有権者の特徴などを分析したうえで、それぞれの選挙区の結果を予測して集計する手法である。2017年総選挙でYouGovがこの手法を用い、最も正確に予測したことで有名になった。*3:GBとUKの違いは、UKが北アイルランドを含んでいるのに対し、GBは含んでいない。北アイルランドは、英国の他の地域と大きく異なり、地域政党が競い合う地域である。)

Savantaが12月2日から5日に行った世論調査の議席数予想では、労働党が482議席、他の政党議席合計が168議席(保守党の69議席を含む)となり、労働党がマジョリティ314議席(482-168=314)という結果だった。保守党の壊滅的な敗北を示す数字である。これとよく比較されるのが、労働党が歴史的な地滑り的大勝利を収めた1997年の総選挙である。なお、1997年総選挙では、全659議席であったが、その主な結果は以下の通りである。

現在の保守党の低迷は、2010年に保守党が政権に就いて以来の緊縮財政で英国の公共サービスが弱体化していることに起因する。さらに2代前の首相、ボリス・ジョンソン時代の「パーティゲート」問題をはじめとするスキャンダル、さらに2022年9月にその後継首相となったリズ・トラスが経済政策で大失敗し、わずか50日で終わった短期政権を経て、保守党に対する信頼が低くなっている。

その上、ブレクシットを推進したのは保守党だが、EU離脱は誤りだったという人が多くなっている。英国は、2020年12月31日に正式にEUを離脱したが、YouGovの世論調査によると、ブレクシットは誤りだったという人が56%、正しかったという人は32%で、ブレクシット支持は記録上最低となっている。

現在のリシ・スナク首相は、それらの負の遺産を引きずっており、支持が増える兆しが見えていない。むしろ10%を超える急激なインフレのため、特に公共サービス関係の、鉄道、郵便、看護師、緊急医療関係者をはじめとする勤労者が賃上げを求めてストライキを実施しているが、スナク政権はまともに対応しようとしていない。さらなるストライキが計画されており、状況はさらに悪化する可能性がある。

ウクライナ戦争をはじめとする世界的規模の問題がいくつもある中、政治の方向性を出していくのは簡単ではない。スナク首相は、2022年10月に首相に就任したばかりだが、既に幾つも政策をUターンしている。保守党内に異なる意見があるためで、保守党をまとめるのに苦労している。公共サービス関係の賃金問題も党内の右派の批判を避けるために強硬な立場をとっている様子がうかがえ、党内対策が最優先になっているようだ。一方、労働党は非常に強い立場になっている。