誰が機密情報を取扱えるか?

キャメロン首相の広報局長だったアンディ・クールソンが2007年まで編集長として働いていた新聞紙の違法電話盗聴の共謀罪で有罪となった。そのため、政府の機密取扱いに関するチェックがどうなされていたのかに焦点が当たっている。

クールソンは、2007年に保守党のキャメロン党首の広報局長となった。そして20105月の総選挙後、首相となったキャメロンと一緒に首相官邸入りした。その際には、スペシャル・アドバイザーという特別国家公務員としてキャメロン首相の広報戦略を担当し、その給与は、首相よりやや少ないが、閣僚より上であった。 

イギリスの政治では広報戦略は極めて重要であり、この仕事はキャメロン政権の中枢である。首相のすべての動きを把握するばかりではなく、政府内の情報や一般の情報もすべてに目を通し、首相や政府の動きを決定する役割を果たす。つまり、重要な判断がこの担当者に吟味されずに発表されるということはほとんどない。かつてブレア首相の下でこの役割を務めたアラスター・キャンベルは、この仕事はきつすぎる、自分は何度も涙を流した、やめさせてほしいとブレアに訴えたが、ブレアがキャンベルをなかなか手放さなかった。キャンベルが非常に有能だったからである。

クールソンで問題となっているのは、クールソンの機密情報取扱い資格への疑問である。上記で触れたように、クールソンは政府の機密情報に頻繁に目を通す可能性があり、その仕事を行うにはそれなりの資格が必要である。625日の「首相への質問」で労働党のミリバンド党首がキャメロン首相に質問したように、過去14年間に6人のクールソンの前任者がいたが、そのいずれもがDVDeveloped Vetting)と呼ばれる機密情報処理資格を所持していたが、クールソンにはその資格がなかった。むしろその処理資格を得ようとしなかったと見られている。つまり、クールソンがそれを申請しても得られる可能性がないと見られたので、それより低いレベルのSCSecurity Check)で留めておいたのではないかと言うのである。                        

この機密情報取扱い資格には幾つかのレベルがあるが、DVはその最も高いレベルのものである。しかし、DVはそれぞれの候補者の履歴、家族、財政状況などについて徹底的に調べられ、専門家によるインタヴューとそれ以外の情報とのダブルチェックがあるなど、個人のプライバシーにも深く関わった調査が行われる。BBCTwoDaily Politicsに出演した労働党下院議員は、労働党政権下でスペシャル・アドバイザーをしていたが、その際に受けたDVのチェックについての経験を語っている。

キャメロン首相は、クールソンのチェックについては国家公務員側の判断だったとしており、自分の責任ではなかったとしているが、BBCの政治部長ニック・ロビンソンが指摘したように、国家公務員がキャメロンに、クールソンを任命することが賢明かどうかについて何らかの助言を与えた可能性は極めて高い。この問題は、今後の政治任用について重要な前例になるように思われる。

問われる、キャメロン首相の判断力

EUで最も重要なポストである欧州委員会委員長の後任をめぐり、キャメロン首相は、本命と目されるルクセンブルグ前首相のジャン=クロード・ユンケルの任命に真っ向から反対している。ユンケルではイギリスが考えているようなEU改革ができないと見ているためだが、キャメロン首相があてにしていたドイツ、スウェーデンなどがユンケルを支持する方向がはっきりとし、イギリスはEUの中で孤立する状況になっている。そのため、キャメロン首相が大上段に振りかざしたようにユンケルに反対した戦略判断に疑問が投げかけられている。

この人事には、5月に選挙が行われた欧州議会の意思が反映されることとなっている。この選挙で最も多数の議席を占めたのは欧州議会内のグループ、欧州人民党(EEP)であり、ドイツのメルケル首相のキリスト教民主同盟をはじめ、多くの保守中道の政党が参加している。ユンケルはこのグループに支持されている。

実は、キャメロン首相の保守党はこのグループに2009年の欧州議会議員選挙まで所属していたが、選挙後、このグループは欧州連邦主義的過ぎるとして、脱退した。もし、保守党がこのグループに残っていれば、ユンケルを支持するかどうかで発言権があったはずだと見られている。

ちょうどそれに重なるように、キャメロン首相の広報局長であったアンディ・クールソンが過去の違法な電話盗聴問題で有罪となった。クールソンは、廃刊となった、当時イギリス最大の売り上げを誇っていたニューズ・オブ・ザ・ワールドの編集長だった。その編集長時代に電話盗聴に関与していたことが明らかになったのである。 

キャメロンは、2005年に保守党党首となったが、クールソンがキャメロンの下で働き始めたのは、2007年のことである。トニー・ブレアの下で大きな役割を果たしたアラスター・キャンベルのような広報戦略担当者を求めていた。当時、キャメロンの参謀を務めてオズボーン現財相のアドバイスでクールソンを雇ったと言われる。キャメロンは当時、野党第一党の党首として閣僚並みの給与を得ていたが、自分の2倍以上の年俸を払って雇ったと見られている。

そしてキャメロンが2010年に首相となった時、首相よりわずかに少ない給料で、広報局長として首相官邸に入った。ところが黒子役の自分に盗聴問題で焦点が当たるのでは仕事ができないとして2011年1月に辞職した。

クールソンは当初から少し危ういという見方があった。編集長職を離れたのは、ニューズ・オブ・ザ・ワールド関係者の盗聴問題の責任を取ったためである。つまり、クールソンがその盗聴に関与しているのではないかという疑いがあった。そのような人物を雇い、非常に重要な役割を任せることに疑問が投げかけられたのである。

しかしながら、クールソンには、その広報戦略上の能力だけではなく、イギリスのメディアの世界で非常に大きな影響力を持っていたルパート・マードックに直結できるという便益があった。あのサッチャーもマードックに便宜を図ったことが明らかになっている。また、1992年の総選挙で予想を裏切り、保守党が勝ったのはその傘下のサン紙の影響だと多くが信じている。ブレアが1995年にオーストラリアまで行き、マードックの新聞グループの総会でスピーチしたのはその影響力を考慮したためだ。2007年に首相となったゴードン・ブラウンも、マードックのイギリスでの代理人の役割を果たしていたレベッカ・ブルークスに卑屈とまで言えるような態度を取っていた。

そのため、2007年にクールソンがキャメロンの広報戦略担当に任命されたときには、見事だという見方が強かった。キャメロンにとっては、リスクを伴うが、それだけの価値があると見られていた。

ところが、実際に有罪となると状況は全く異なってくる。キャメロンは、クールソンを首相官邸で特別国家公務員として働かせ、高度な機密にも触れさせたと見られている。キャメロンは、誰もが「第二のチャンス」を与えられるべきで、自分はそれをクールソンに与えただけだ、その判断が誤っていたのは申し訳ないと謝罪する。しかし、その「第二のチャンス」を、国を預かる首相の最も重要な側近として働く機会として与えたのは、少なからず論理の飛躍のように思われる。キャメロン首相の判断力が改めて問われることとなろう。