スターマー首相の首席補佐官スー・グレイが就任3か月で辞任した。そして、パートタイムの仕事といえる、国(連合王国である英国の4つの国のイングランド、スコットランド、ウェールズと北アイルランド)と地域(特に直接選挙で市長を選ぶ地域)の首相特任担当者となった。
筆者は、元国家公務員のグレイの能力は、スターマー首相に必要不可欠のものだと信じていた。1997年のブレア労働党政権を広報局長として支えたアラスター・キャンベルもグレイが辞任する前、同じことを言っていた。
グレイへの攻撃、特に保守党支持の新聞各紙の攻撃は極めて強いものだった。公共放送BBCもそれに乗った格好だ。グレイも辞任声明で触れたが、それが主な辞任の理由のように思われる。保守党にとっては、グレイの行政全般の知識とその能力の点で、グレイは非常に大きな脅威であり、グレイをその地位から降ろすことは、スターマー政権にとって大きなマイナスであり、同時に労働党政権の行政能力の欠如としてアピールできる。グレイの辞任を受けて、保守党のスポークスマンが、「いったい誰が政権の中枢なのだ?」という質問を投げかけたが、想定される答えは「誰もいない」だと思われる。スターマー政権は軸となる人のいない政権だと言うのだろう。
グレイは、労働党の政治任用の臨時国家公務員であるスペシャルアドバイザーたちの不満を掻き立て、それらの様々なリークで内部からも攻撃された。筆者の印象では、グレイはトップ国家公務員の1人として多くのスペシャルアドバイザーたちと接触し、その結果、それらの人たちの能力を評価していなかったように思われる。
一方、グレイは、ブレア政権の首席補佐官だったジョナサン・ポオルと異なり、国家公務員を辞める前から政治家だけではなく、マスコミにも非常によく知られていた。特にボリス・ジョンソン元首相の退任のきっかけとなったパーティゲートの調査報告書を作成した人物として有名である。ジョンソンが首相退任後、保守党の党首そして首相となったリズ・トラスの政権がわずか50日で崩壊した後、労働党が次期総選挙で勝利するのは間違いないと見なされていた中、スターマーがグレイを自分の首席補佐官として求めた。そしてトップ官僚や大臣経験者らの民間機関就職などを監視する「ビジネス任用諮問委員会(ACOBA)」から6か月の期間を置くよう指示され、スターマー労働党党首首席補佐官になったのは、2023年9月からであった。なお、ジョンソン元首相は、退任後、デイリーメイル紙のコラムニストに就任した際、ACOBAを完全に無視してコラムニストとなった。
グレイは、労働党党首首席補佐官に就任後、労働党の政権準備を進め、政権誕生後は、それまでの計画を実施に移すとともにスターマー首相のゲートキーパーとして政権の中枢を担ってきた。
そのような人物が注目され、そして攻撃されはじめると、自分の仕事に専念できる環境ではなくなるように思われる。何か問題があると、その問題の対応に時間をつぎ込まざるをえなくなる。この点でブレア政権のポオルとは大きく異なる。ポオルは、1998年のグッドフライデー(ベルファスト)合意の背後の立役者であるが、北アイルランドのナショナリスト(アイルランドとの統一を望む勢力)とユニオニスト(英国との関係を維持することを望む勢力)側の合意に向けて黒子として動いた。なお、ブレア政権の人気は非常に高く、タイムズ紙やサン紙などマードック系のメディアなどはブレア政権支持だった。一方、スターマー政権はもともと人気が高くなく、さらに多くの年金受給者(年間収入が一定額以上)の冬季燃料補助金を廃止し、ワードローブゲートなどが叩かれ、支持率は大きく下がっている。
今回のグレイの辞任の一つの理由は、アリ労働党上院議員に首相官邸への自由な出入りを許すパスを出すことを許可した人物として報道されている。問題はスターマー首相と百万長者のアリ上院議員との間の長い関係である。アリ上院議員はスターマー首相に政治資金を出して援助してきた。ワードローブゲートもその一環だ。そのような関係は、スターマー首相の判断の問題である。
結局、政治は過去の関係を引きずったまま展開されていく。最終的にはスターマー首相の責任である。それでもスターマー首相には5年間の任期がある。この間に失った人気を回復することは可能だ。一方、グレイは、首席補佐官の地位は離れたが、スターマー政権の一員として残ることとなる。スターマー首相は必要があれば、グレイのアドバイスを受けられる。