2011年夏の暴動から学んだこと

暴動はかなり広がっている移民や日常生活に対する一般の人たちの不安や反感に火をつけた、一部の極右の行動に端を発した暴動はまだ社会そのものを揺るがすほどのものではないが、スターマー首相が、その火消しの先頭に立っている。スターマー首相は、もともと人権弁護士だったが、選ばれて2008年から2013年まで検事総長(イングランドとウェールズ、なお、スコットランドと北アイルランドは異なる制度)だった。検事総長だった時、イングランドに2011年8月の暴動が起きた。その際に、暴動に直接対応した経験がある。

2011年の暴動の際には、3000人を超える容疑者を扱った。2011年の暴動の分析で興味深いのは、容疑者の27%が、10歳から17歳であり、26%が18歳から20歳であったことだ。一方、40歳以上の割合は、わずか6%だったという。また、容疑の半分は強盗だったという。なお、今回のケースでは、11歳の子供が警察の車に放火した疑いで逮捕されている

スターマーが、2011年の暴動の対応で重要だと思ったのは、容疑者をスピーディに逮捕していくことだった。容疑者にとっては、刑期の長短よりも、捕まるかどうか、刑務所に入れられるかどうかの方がもっと大きな関心だというのである。捕まりそうだと思えば、行動に出るのに消極的になるのだろう。これは、恐らく、2011年には容疑者の半分以上が20歳以下であったことと関係がありそうだ。

もちろん2024年に起きている暴動は、2011年とは異なる。それでも、暴動の中核になる可能性のある人たちを次から次に逮捕し、収監していくことは、暴動を抑える目的では、大きな手段になるだろう。さらにソーシャルメディアなどの対策も必要だ。

下院議員の中には、夏季休暇中の下院を呼び戻して議論すべきだという見解もある。しかし、それよりも、現在の状況を一刻も早く収束させることの方がはるかに大切で、それに精力を傾けるべきだと思われる。少なくとも、スターマー首相が同じ問題の経験者で、トップダウンで暴動対策に取り組んでいることは、不幸中の幸いと言えるだろう。

サウスポートから始まった暴動

2024年7月29日に起きた、リバプールに近いサウスポートの殺人事件を契機に、サウスポートで暴動が起こり、ロンドンを始め、イングランド各地に暴動が広がった。殺人事件は、アフリカのウガンダ出身の両親を持ち、ウェールズのカーディフで生まれた17歳の男子が、サウスポートで夏季休暇中に開催されていたダンスクラスの生徒らを包丁で刺し、3人の子供が亡くなり、大人2人を含む10人が大けがをしたというものである。

亡くなった子供たちを悼むお通夜が行われたが、ソーシャルメディアなどで、17歳の男子はイスラム教徒の移民だとされ、サウスポートのイスラム教寺院が極右のグループなどに攻撃され、暴動になった。反移民感情は英国がEUを離脱した大きな要因であり、さらに7月4日の英国総選挙でリフォームUK党が大きく得票を伸ばし、5人の下院議員を生んだ原因でもある。通常、18歳未満の容疑者は、名前を報道されることはないが、偽の情報がさらに流されることを防ぐため、一週間以内に18歳になることもあったが、裁判所は、容疑者の名前を公表することを許可した。

問題は、このような事件は、極右の活動のきっかけになりやすく、しかも日頃の不満を発散する場になりやすいことだ。

スターマー首相は、直ちに、暴動対策に対応するための本部を設置し、地方警察の連携を強めるとともに警察の権限を強化し、暴動の扇動者や参加者に厳しい対応をすることを発表した。平和的なプロテストとは異なり、参加者は「犯罪者」として扱うとの態度を明確にした。サッカーのフーリガン(サッカーに関する暴力的行動の扇動者並びに暴徒化したファン)を対象にしたような制度を使い、また、顔認識システムを利用するとし、さらに、ソーシャルメディア会社の責任を問う姿勢を明らかにした。地方警察は、さらなる暴動に十分な準備をしているとする。

2011年8月にもイングランド各地で暴動が起きたことがある。筆者は、当時、暴動の起きた、ロンドンのバタシーの暴動の翌朝様子を見に行ったことがある。多くの店が略奪に会い、消防車がまだ活動しており、悲惨な姿を呈していた。後に、当時のロンドン市長ボリス・ジョンソン(後に首相)が住民らと話をしていたが、何をしたらいいかわかっていないような印象を受けた。

それと比べると、元検事総長のスターマー首相は、今何をしなければならないかを十分に理解しているような印象を受ける。