思惑通りにいかない予算

3月18日は、5月の総選挙を控え、今国会最後の予算発表だった。2010年5月に発足したキャメロン政権下で、オズボーン財相の6回目の予算である。キャメロン政権の総決算とも言えるものだった。

イギリスは、先進国G7の中で、2014年にはトップの経済成長率を達成し、しかも2015年はアメリカに次いで第2位の見込みである。独立機関の財政責任局OBRは、2015年の経済成長率の予測を2.4%から2.5%に上方修正した。雇用は上昇し、失業者の数は減っている。国民の多くは、キャメロン首相とオズボーン財相の財政・経済運営を高く評価している。一方、野党労働党のミリバンド党首とボールズ影の財相の財政・経済運営は、そう期待できないと見る人が多い。

そこで、これまでに政府の財政赤字を半分に減らしたオズボーン財相は、これまでの実績をもとに、来る選挙は、実績のある保守党に政権を継続させ、安定した財政・経済運営を行わせるか、2010年までの財政運営で巨額の財政赤字を生んだ労働党に、混乱した財政・経済運営を行わせるか、の選択肢だと訴えた。

なお、世論調査では、保守党と労働党の支持率は、30%台前半で並んでおり、保守党は、これを契機に、労働党に差をつける狙いがあった。

予算の中で発表されたものには、以下のようなものが含まれている。

・税がかかり始める、所得税の最低限度額を、2016年に10,800ポンド(194万4千円:£1=180円)に、2017年に11,000ポンド(198万円)まで上げる。また、40%の所得税のかかり始める限度額を、2017年に43,300ポンド(779万4千円)に上げる。

・貯蓄の利子にかかる税金額を1000ポンド(18万円)まで(40%の所得税のかかる人は500ポンドまで)免除する。

・Help to Buy ISAという、初めて住宅を買う人が手付金を作るのを援助するための少額投資制度を設け、200ポンド(3万6千円)に対し、政府が50ポンド(9千円)の上増しをする制度を設ける。

・ビール、ウィスキーなどの税を若干下げ、自動車燃料などの税を据え置く。

これらは、有権者の気持ちを良くさせる方策といえる。

また、財政赤字の額(単位は10億ポンド)は以下の計画のようにし、2019年度には70億ポンド(1兆2600億円)の黒字を出すようにした。

年度 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019
-97.5 -90.2 -75.3 -39.4 -12.8 +5.2 +7.0

実は、昨年12月の「秋の声明」で、2019年度の黒字額は、231億ポンド(4兆1580億円)としていたが、そこまで財政削減を進めると、GDPあたりの公共支出の割合が、1930年代と同じになると、労働党に攻撃されたため、70億ポンドとして、労働党のブラウン財相時代の2000年と同じ程度に変更した。この変更は、労働党を出し抜いたとして評価する向きが強かった。

ところが、意外にも、この「財政削減」が大きな焦点となった。

保守党は、選挙後、政権につけば、主に財政削減で財政赤字を減らす計画だ。OBRは、2016年度と2017年度の財政削減は、これまでの5年間で経験した最も厳しいものの2倍にもなる一方、2019年度には経済成長に見合って公共支出を増加するとの計画を、上下の動きの激しいローラーコースターのようだと形容したのである。

年度 2015年度 2016年度 2017年度 2018年度
削減割合 ‐1.3% ‐5.4% ‐5.1% ‐2.9%

オズボーンは、そのような厳しい財政削減を実施することを否定した。2016、17年度に300億ポンド(5兆4千億円)の財政削減を計画しているが、それは、福祉予算の120億ポンド(2兆1600億円)、政府省庁の予算の130億ポンド(2兆3400億円)の節約、そして税金逃れの取り締まりの強化で50億ポンド(9千億円)をねん出するから大丈夫だと主張していたが、OBRは、これらの内容の詳細が明らかにされていないことから計算に入れていない。そのために上記のような形容詞が使われる事態となった。

さらに、イギリスで最も信頼されている、独立シンクタンク、財政問題研究所IFSが、福祉予算の節約120億ポンドをどのようにして生み出すのか明らかにすべきだと求めたことから、この問題は、そう簡単に処理できる問題ではなくなった。

保守党は、既に、投票率の高い、年金生活者の福祉支出には手をつけないとしているだけに、福祉予算のうち、それ以外の分野、すなわち、勤労者、子供、身体障害者など、どの部分に手をつけるのかを明らかにすることは政治的に厄介な問題である。

今回の予算は、有権者の次期政権の選択に少なからぬ影響を与えそうな問題に発展してきた。

大失敗した、キャメロンの移民の約束

5月7日の総選挙で、移民の問題は、大きな争点の一つである。イギリス独立党(UKIP)への支持が高まった大きな原因は、移民である。

キャメロン首相は、前回の総選挙で、移民を減らすと約束した。そしてその数を10万人以下とすると言ったのである。ところが、その数は、今やその3倍近く、キャメロンが首相に就任した時より、はるかに多い。そしてこの数字は、総選挙前最後の数字であるために、キャメロン政権の移民政策が、これで評価される。つまり、キャメロンは、約束を守れなかった、むしろ、悪化させた。キャメロン首相は、その約束を全く守れなかったのである。

もちろんキャメロン首相には政治的な痛手が大きい。そこでメディア対策である。キャメロン首相は、メディアにこの問題で出ない。移民を管轄する内務省のメイ内相も出ない。テレビに出てくるのは、内務省の担当大臣である。また、約束を守れなかったのは、イギリスの経済が他のEU加盟国よりかなり良いためで、EU内の移民を誘っている、また、連立を組む自民党の制約があったからだ、と主張した。しかし、実際には、政府のコントロールが効くはずの、EU外からの移民が大きく増えている。

この移民の問題は、既にメディアでは織り込み済みで、当日、テレビやラジオのニュースではトップニュースの一つとして扱われたが、他に大きなニュースがあったために、翌日の主要新聞では第一面で扱われなかった

政府統計局が2月26日に発表した2014年9月までの1年間の移民の数は、29万8千人である。次の発表は、5月21日の予定であるため、5月7日の総選挙の後となる。つまり、キャメロン首相は、この数字で、約束を果たしたかどうかを判断されることとなる。キャメロン首相が政権に就いた時の移民数は25万2千人ほどであったため、就任時より大きく増えたことになる。

なお、この場合の移民の数は、外国からイギリスに、1年以上住むために、来る人の数から、イギリスから、1年以上、外国で住むために出ていく人の数を引いたものである。これには、イギリス人で外国に移住する人や外国から帰ってくる人も含んでいる。

また、政府は、外国からイギリスに来る人の数を制限することができるかもしれないが、イギリスから外国に行く人の数を制限したり、増やしたりすることはかなり難しい。このため、キャメロン首相の約束は、最初から、コントロールできないものを含んでいたが、2010年以降、移出の数は安定している。

EU加盟国からの正味の移民は16万2千人で、その前年の13万人より増えているが、EU外からの正味の移民は、19万人と、前年の13万8千人から大きく増えている。つまり、政府の説明は、実態をきちんと説明していない。

ただし、有権者がどの程度「10万人以下」にこだわっているかには、疑問がある。メディアが騒ぎ、野党労働党の「影の内相」は強く批判したが、それらは、うつろな批判に聞こえる。有権者の多くは、EUからの移民を大きく制限しない限り、移民は減らないと見ている。

政治的には、そのような「有権者の認識」は重要で、政治は、それをもとに動くが、それが必ずしも真実ではないことも注意しておく必要があろう。