危機に立つ北アイルランド政治

北アイルランド政府のマクギネス副首席大臣が辞任し、北アイルランド政治が再び混乱に陥った。

イギリスの正式な名称は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国であり、基本的にグレートブリテン島とその周辺の島を含むイングランド、スコットランド、ウェールズとアイルランド島の北アイルランドで構成される。このうち北アイルランドでは、アイルランド共和国との統合を求めるナショナリスト(カソリック)とイギリスとの関係を維持しようとするユニオニスト(プロテスタント)の対立が深刻となり、トラブルズと呼ばれる血で血を洗う事態で、3千人以上の人が殺された。これを解決するため、メージャー保守党政権の努力を引き継いだブレア労働党政権下、アイルランド政府を交えたグッドフライデー合意が結ばれた。その後のブラウン労働党政権下でセントアンドリュース合意が結ばれ、北アイルランドの政治は大きく前進し、やっと落ち着いたように見えていた。

これらの合意の中心は北アイルランドのナショナリスト側とユニオニスト側の共同統治の原則であり、両者の合意で運営される仕組みとなっている。すなわち、両者の最大政党から同じ権限を持つ首席大臣と副首席大臣が選出され、政府が構成される。このため、ナショナリスト側最大政党のシンフェイン党のマクギネス副首席大臣が辞任し、ユニオニスト側最大政党の民主統一党(DUP)の首席大臣もその地位を失った。もし1週間以内にシンフェイン党がマクギネスの後任を指名しなければ、ウェストミンスターの中央政府の北アイルランド大臣が北アイルランド議会の選挙を実施することとなる。

マクギネス副首席大臣が辞任したのは、DUPのフォスター(Arlene Foster)首席大臣が2012年に企業相として開始したRHI(Renewable Heat Initiative)と呼ばれるスキームに関連している。RHIは、再生可能燃料源使用促進のため、燃料源を切り替えた場合に補助金を出す仕組みだが、その補助金支払いの上限を決めておらず、再生可能燃料を燃やせば燃やすほど、それを上回る補助金が得られるため、必要のない燃料を燃やし補助金を受け取る事例があることがわかった。現在では、これからの20年で4億9000万ポンド(700億円:£1=143円)の超過支払いが必要となると見られている。人口200万人足らずの分権政府で、一般財源からこの金額をねん出するのは非常に大きな重荷だ。

このスキームを巡り、フォスター首席大臣が不審な動きをしたという疑惑が浮上し、北アイルランド議会でフォスターへの不信任案が出され、過半数が賛成したが、不信任案は否決された。ナショナリスト側とユニオニスト側のそれぞれの賛成が必要だが、ユニオニスト側でDUPが反対し、ユニオニスト側の過半数が得られなかったためである。

DUP以外の政党は、この「灰買収(Cash for Ash)」スキャンダルの公的な調査を要求した。シンフェイン党は、公的な調査の一次報告書を4週間で出させ、3か月で最終報告書を出し、一次報告書が出されるまでの期間、首席大臣は、その職務を離れるという案を出した。フォスター首席大臣は、自分には何らやましいものはないと主張し、シンフェイン党の要求を拒否したが、過去数日、公的な調査を受け入れる用意はあるが、職務は離れないとしていた。

この状況を受け、シンフェイン党は、もし自分たちの案が受け入れられなければ、マクギネス副首席大臣が辞任すると発表し、その通り1月9日、マクギネスが副首席大臣を辞任したのである。

ただし、新たな選挙が実施されてもDUPが最大政党であり続ける可能性がある。

2016年北アイルランド議会議員選挙

政党

 

党首

議席

DUP

ユニオニスト

Arlene Foster

38

シンフェイン

ナショナリスト

Gerry Adams

28

UUP

ユニオニスト

Mike Nesbitt

16

社会民主労働党

ナショナリスト

Colum Eastwood

12

同盟党

その他

David Ford

8

伝統的ユニオニスト声党

ユニオニスト

Jim Allister

1

緑の党 (北アイルランド)

その他

Steven Agnew

2

利潤の前に人間党

その他

Eamonn McCann

2

無所属

ユニオニスト

  1

世論調査によると、DUPのフォスターの評価は大幅に下がっており、49%から29%になっている。ユニオニストだけを見れば、ユニオニスト第2党のアルスター統一党(UUP)のネスビット党首がフォスターを上回っている。

もし万一この選挙後、DUPのフォスターが再び首席大臣候補となるようなことになれば、シンフェイン党がDUPと協働する可能性はほとんどなく、北アイルランド政府が構成できない状態に陥ることとなるかもしれない。何度も崩れた北アイルランド政府の正常化にブレアやブラウン元首相が非常に多くの時間と労力を費やしたことを思い起こすと、メイ首相に非常に大きな重荷となることは間違いないように思われる。現在のブロークンシャー北アイルランド相は、メイ内相の下で忠実に働き、閣僚に任命された人物であり、その能力は未知数である。そのため、この問題の対応には、メイ首相が直接携わる可能性がある。

北アイルランドの平和に貢献した「Dr. No」の死

北アイルランドのDr. Noこと、イアン・ペーズリーが2014912日、88歳で亡くなった。ペーズリーは北アイルランドの前首席大臣である。キャメロン首相は、「物議をかもす人物だったが、後年、北アイルランドの平和に大きな貢献をした」と評した。

なぜ、Dr. Noが「首席大臣」になったのか?どのような貢献をしたのか?

ペーズリーは、プロテスタントのキリスト教長老派の牧師だったが、カトリックを心底嫌った人物である。そして北アイルランドを南のアイルランド共和国と統一させようとするカトリックの「ナショナリスト」に強く反発した。 

イギリスとの継続した関係を求める「ユニオニスト」の強硬派として、ナショリストたちとの妥協を拒否した。そして政治のリーダーとなり、後に民主統一党(DUP)を設立するに至る。ペーズリーは、欧州議会議員とイギリスの下院議員、そして北アイルランド議会議員も同時に務め、北アイルランドで最も有名な政治家となる。

その立場は後年までほとんど変わらなかった。北アイルランドを武力で南のアイルランド共和国と統一しようとしたアイルランド共和軍(IRA)の政治団体シンフェイン党との交渉を一切拒否した。二つの立場の対立で多くの死者を出した北アイルランド問題を解決するための1998年のベルファスト合意(グッドフライデー合意)にも反対した。ベルファスト合意後の北アイルランドの住民投票では75%以上の人が賛成したが、その際にも反対運動を展開した。それでもベルファスト合意に基づいて行われた北アイルランド議会議員選挙でDUPがユニオニスト側第二位の議席を獲得し、二つの大臣ポストを獲得すると、自党から二人の大臣を出したが、閣議にあたる会議にはシンフェイン党とは同席しないと出席を拒否した。

その段階では、ベルファスト合意をもたらせたユニオニスト側最大勢力のアルスター統一党(UUP)が主力で、ペーズリーのDUPは脇役と考えられていた。ところが、IRAの武装放棄が予定通り進まなかったことなどから議会が混乱し、その結果、北アイルランド議会が停止された。この過程でUUPがユニオニスト側の有権者の信用を失い、2003年に行われた議会議員選挙ではペーズリー率いるDUPが第一党となる。

DUPでは、北アイルランド問題解決への話が進むわけがないと思われたが、ペーズリーはこれから妥協への道を進んだ。トニー・ブレア元首相の首席補佐官だったジョナサン・パウエルは、重病を患い、生死の境をさまよったペーズリーが、「これからはイエスと言うよ」と言ったと言うが、ペーズリーは2006年のセントアンドリュース合意を経て、2007年に行われた議会選挙後、かつて不倶戴天の敵であったシンフェイン党の元IRA司令官マーティン・マクギネスを副首席大臣とした分権政府の首席大臣となる。

これにはDUP内に非常に大きな影響力のあるペーズリーの役割が極めて大きかった。しかし、ペーズリーはマクギネスと非常に仲がよくなり、「クスクス笑いの兄弟」と呼ばれるほどの関係となり、ユニオニストの関係者から顰蹙をかった。

ペーズリーの悲報を聞いたマクギネスは、二人の親しい関係はペーズリーの首席大臣退任後も続いたとコメントした。 

ペーズリーがなぜ、Dr. NoからDr. Yesとなったのか?

ペーズリーがDUP党首・首席大臣を退いた後、後任となったピーター・ロビンソンは、状況が変わったからだという。これは正しいようにと思われる。ペーズリーは、それまで自分の信じる方向にのみ向かっていた。ところが、突然、自分が動かなければ何も動かないという状況になり、「神の手」を感じたのではないだろうか?信仰者独特の啓示のようなものを受けたように思ったのではないかと思われる。ペーズリーの突然の「転向」は、多くを驚かせ、また、厳しい非難も浴びた。

シンフェインとIRAは交渉の相手がペーズリーでなければ、武装放棄などの問題で大きな譲歩には踏み切っていなかったかもしれない。つまり、ちょうどよいタイミングでペーズリーが主役となったように思われる。北アイルランドの問題はまだ続いているが、ペーズリーが残した遺産には非常に大きなものがあるように思う。