安倍首相の正念場(PM Abe Faces a Hard Reality)

日経平均株価が一時10%も下がり、終値は7.3%減で落ちついたが、その原因は中国の製造業の減速とアメリカのバーナンキ連邦準備理事会議長の発言や理事会の議事録などから量的緩和を縮小するヒントがあったことによると言われる。欧州でも株価が下がっているが日本ほどではない。これは、日本では安倍政権の政策への期待がそれだけ大きかったことを示しているように思われる。

安倍政権の到来で、日本では金融緩和期待から経済の先行きに明るい見通しが広まり、また、円安を招き、それらが日本の株価をけん引していたが、その状況に一挙に陰りが出たようだ。

これは一時的なものだろうか?今後、これがなかったように安倍政権への期待が継続し、政権が運営できるかどうかが問われている。

安倍政権の誕生以来、強く感じられたのは、安倍政権のメディアマネジメントのうまさだ。政策にも連携した政権のアクションは、英国の政治メディアマネジメントにも似ており、もしかすると英国系のPR会社のアドバイスを受けているのではないかと感じられたほどだ。

ただし、メディアマネジメントで行えることには一定の限界がある。体裁を整えることができても、政治家、そして政権の本質を変えることは難しい。

現在の英国のキャメロン首相もメディアマネジメントを重視し、保守党が野党時代にアンディ・クールソンという人物を自分の給料の2倍以上支払って雇った。クールソンは、元ニューズ・オブ・ザ・ワールド編集長である。この新聞は英国の日曜紙最大の売り上げ数を誇っていたにもかかわらず、電話盗聴事件で廃刊となり、クールソンはその事件で起訴されている。この人物には、当初から疑問があったが、キャメロンは、自分の政権の広報局長として首相官邸入りさせ、なかなか手放そうとしなかった。クールソンは、自分は黒子の立場であるべきなのに、ニュースの焦点になったのでは仕事ができないと言って、逮捕されるかなり前に辞職した。

キャメロンは、ブレア労働党政権で広報戦略局長だったアラスター・キャンベルのような人物を求めていた。ブレアもキャンベルをなかなか手放そうとしなかった。キャンベルは、リーダーにビジョンがなくてもやっていけると言ったことがあるが、この発言は自分のブレアに仕えた経験からの話だと思われる。

確かにブレアが1994年に労働党の党首となった時には、労働党の近代化、つまり有権者が信頼して選挙で選ぶ政党にしたいと漠然とした方向性は持っていたものの、具体的に何をするかはっきりしていなかった。しかし、それ以降、ブレアは真剣に目的を追求し、国民に期待を与えて選挙に勝利し、そして政権に就いてから自分の取り組みたいのは公共サービスの向上だと信ずるに至った。そして3回の総選挙に勝ち、10年の長期政権を維持した。つまり、リーダーにビジョンや確信がなくても真剣に追求すれば、一定の成果が出せるといえるだろう。

この4月に亡くなったサッチャーはアイデアの人ではなかったが、自分の信ずる基本政策を首相となる前に用意していた。その1979年の保守党マニフェストを読むと、自立、税制、そして労働組合対策など、その意図がひしひしと伝わってくる。そしてサッチャーには、そういう基本政策を貫く強い意志があった。

キャメロンの基本的な政策、その最も重要なものは、政府の赤字・債務削減である。それに小さな政府を交えた基本的な考え方はある。保守党より左の自民党と連立政権を組んでいるために、政権の方針を必ずしも思うどおりに決められないという点があるものの、政権の基本的な方針というものはある。

しかし、ここにきて明らかになってきたのは、キャメロンのメディアマネジメントとスピン(情報操作)に頼った、状況に押されて変わる政権運営である。キャメロンはもともと政治家のスピンドクター(情報操作を担当する人)で、メディア関係の企業でも働いていた人物であり、もともと深く考える人ではないとされてきたが、その浅さが表面化してきた。キャメロンを信念の人と見る人は少ない。

つまり、メディアマネジメントは政権運営に大きな役割を果たすものの、首相には、基本的なビジョンと政策、そしてそれを貫こうとする意志、少なくともそれらを真剣に追求するといった資質が必要であるように思われる。

翻って、安倍首相はどうであろうか。安倍首相はどれだけの日本再生への基本構想を持ち、そしてそれをやり抜く信念があるのだろうか?

昨年末の総選挙で発表された自民党の「政権構想」を見るかぎり、その基本図は不確かである。安倍首相の第一次政権(2006-7年)から見ると、信念の面でも不確かだと言わざるを得ない。安倍政権には高い支持率があるが、キャメロンに見られるような浅さがもし現れるようなことがあれば、有権者からの評価は大きく変わるだろう。

こういう状況下で求められるのは、ブレアを補佐したキャンベルのような優れたアドバイザーと、首相自身が冷静に、そして真剣に自分のビジョンを再考し、または自ら作り出し、磨いていく努力のように思われる。

「日本は今何をしなければならないのか?」その理念 (What Japan now needs to do)

デービッド・キャメロン首相は、いったい何をしたいのかわからないと攻撃されている。そこでトニー・ブレア首相のチーフ・スピーチライターだったフィリップ・コリンズが、キャメロン首相へアドバイスする記事を2012年4月20日のタイムズ紙に書いた。それに触発されて、ここでは「日本は今何をしなければならないのか?」の基本的な考え・理念を英国式に表現してみた。なお、マーガレット・サッチャーが首相となった1979年の総選挙のマニフェストの前文も参考にしている。

私たちは今この時を生きているだけではありません。現在だけではなく、歴史的な時間の流れの中で私たちのなさねばならないことを捉える必要があります。英国の思想家エドマンド・バークが「フランス革命の省察」の中で言ったように、わたしたちは、現在生きている人たちだけのパートナーシップを考えるのではなく、既に亡くなった人たちやまだ生まれていない人たちを含めたパートナーシップを考えて行かねばならないということです。つまり、現在生きている私たちが、過去から引き継ぎ、学んできたことの恩恵を感謝するとともに、将来へきちんと責任を持って引き継いでいくことが必要だということです。

私たちが今直面している課題には、昨年の東日本大震災と福島第一原発事故からの復興がありますが、最大の課題は、この国を再び健全な経済に立て直すことだと思います。国の債務が非常に大きく、巨額の財政赤字が恒常的になっています。これをきちんと立て直すことなしには、いかなる経済的な成長も脆弱なものとなると思われます。特に人口の少子化高齢化が急速に進んでおり、長期的にいかに健全な経済を維持できるかがカギとなると思います。

そのためには、あらゆる方策がとられなければなりませんが、その負担は、精神的なものを含めて、世代を超えて誰もが公平に背負う必要があります。皆が、それぞれの能力に応じて貢献していくことが大切です。そして、日本が健全な経済を取り戻し、再び繁栄を取り戻した暁には、それまでの苦労・努力が報われ、私たちの責任の一端が果たせると思います。その時は必ず来ると信じています。

しかし、健全な経済を取り戻すことが、すべての目的ではありません。健全な経済を取り戻したときに、きちんとした目的に基づいた成果も生まれている必要があります。イギリスで言えば、第二次世界大戦後に生まれたアトリー政権は、破産状態の国を抱えて、非常に厳しい緊縮策を実施しましたが、英国民が今もなお誇りにしている国民保健サービス(NHS)を生み出しました。サッチャーは、「欧州の老人」と呼ばれたように、国が機能しなくなるような労使関係を抱えていましたが、イギリスの経済を現代の世界で競争できるほどに立て直しました。

行政を含む公共セクターは、国がまかなえる中で最高水準のものを創り出していく必要があります。しかし、公共セクターでは、人口の高齢化、要求の多様化の中で需要が増大しており、これらに対応するためには、公共セクターが変わる必要があります。

教育では、全国には素晴らしい学校があり、素晴らしい能力を持った多くの教師の皆さんがおられます。しかし、子供たちの能力が最も大切な経済的・文化的な要素だということを考えると、教育の質を高める必要があります。

将来の繁栄をもたらすためには、私たちが変わる必要があると思います。もちろん、困っている人たちに手を貸すのは当然のことです。それが日本の美徳の1つでもあると思います。しかし、イギリスで見られる福祉国家は、もしアトリーが現代によみがえってきて、現状を見れば、恐れおののくようなものとなっているように思います。感謝を生まずに依存心と権利意識を生む制度へ成り果ててしまっているからです。こういう発想も変えていく必要があると思います。

世界で日本はまだまだ高く評価されています。しかし、日本は今や自信喪失に陥り混迷しているように見えます。この状態を見過ごしておくことはできません。私たちが再び名実ともに誇りを持てる国にするためには、現在の問題に長期的な視点から真っ向から取り組んでいくことが今を生きる私たちの責務であると思います。