コービン後の党首の最有力候補者となったヒラリー・ベン

12月のシリアへの空爆を巡る下院の審議で、空爆反対の立場を取るコービン労働党党首と異なり、空爆賛成の演説を行った「影の外相」ヒラリー・ベンが、保守党、労働党を含めて議場から拍手喝さいを浴びた。「影の内閣」の重要メンバーが、党首の考え方に真っ向から反対する演説を行うのは極めて異例である。また、議場でそのような喝采を受けるのもそうあることではない。

この高い評価を受けた演説で、ベンは、賭け屋の賭け率で、コービン後の労働党党首の筆頭候補となった。キャメロン首相を上回る演説をしたベンに期待が集まるのは当然だともいえる。党首選で、労働党の人材不足が明らかになったが、その問題を解決できる人物だと思われるほどの演説だったからだ。

ベンの演説は、あまり準備したものではなかったという見方があるが、緩急をつけた演説は、非常によく練られ、しかも、かなり練習していたことがうかがわれるものだった。この演説の後、ベンの父親のトニー・ベンの下院の演説と比較する映像が公共放送BBCで報道されたが、父親の方は、アドリブ的な要素が強かったように思われる。二人の演説のスタイルはやや異なる。また、父親の方は、2003年のブレア政権下でのイラク進攻に反対したものだったが、息子の方は、シリア空爆賛成で、二人の立場も異なる。

ベンは、もしコービンが退いた場合、臨時党首となる可能性があると見られていたが、労働党党首の最有力候補者となるとは、誰も予想していなかった。労働党の左で知られた父親とは異なり、ベンは、労働党の穏健派(Soft Leftと呼ばれる)である。1953年11月26日生まれの62歳。労働組合の政策畑や地方議会で頭角を現したが、下院議員となったのは、2度の落選の後、1999年の補欠選挙である。それでも閣僚職に就くのは早く、2003年にブレア労働党政権の国際開発相、そしてブラウン政権では、環境相に就任した。

2014年に亡くなった、元労働党政権閣僚の父親トニーの次男で、曽祖父以来、4代目の下院議員である。父親は、下院議員を継続するために、その父親から受け継いだ子爵位を捨てたが、子爵位は、ヒラリーの兄が受け継いだ。

ヒラリーは、危ういことには手を出さないような慎重派で、身の回りもきちんとする人物であり、2008年に政界を揺るがす事件となった議員経費乱用問題でも、傷つかなかった。酒も飲まない菜食主義者である。

ブレア・ブラウン政権で閣僚を務めた時に見られたように、目前の仕事に最善を尽くすまじめな人柄だ。ただし、「地域の牧師」のようだとも形容された実直な人物が、真剣に党首の座を求めるか、またそれにふさわしいかどうかには疑問がある。

現在の労働党の中では、空爆反対の左が強く、空爆賛成の穏健派は弱い。ベンが党首の機嫌を損ねることを恐れず、自分の信じたことを発言した態度には、優れたものがあると思われるが、一人一票の労働党の党首選で投票権のある人たちの中では、空爆反対が圧倒的だ。党首選有権者がベンをそう簡単に受け入れるとは思われない。

 

ただし、もし、コービンが失敗し、その上、労働党の左派には将来がないと判断された場合には、キャメロン首相にも対決でき、党内をまとめられる人物としてベンを救世主と見なす向きが出てくるかもしれない。

底流の変化するイギリス政治

イギリス政治の底流が大きく変化している。

2015年5月の総選挙は、保守党が過半数を占めるという予想外の結果となった。そして9月には、労働党の党首に、誰も予想していなかったジェレミー・コービンが就任。コービンブームが労働党を含めた左派を席巻、他の候補者を圧倒した結果である。保守党はコービン当選を喜んだ。労働党の中の異端で、過去30年余り、イギリス政治の辺境にいた「極左」のコービンが相手では、次の総選挙は、保守党が楽勝すると信じたからだ。

そして、この12月のシリアへの空爆を巡る下院の審議。キャメロン首相は、11月のパリ同時多発テロ事件の後、フランス、アメリカなどの要請も受け、その事件を起こした過激集団「イスラム国」(ISIL)を攻撃するため、シリアへの空爆参加に踏み切りたいと考えた。しかし、下院の支持が得られるかどうか疑問があった。そのカギとなったのは、労働党の対応である。平和主義者のコービンは空爆に反対で、コービンが労働党下院議員に空爆反対の投票指示をするかどうかが注目された。労働党では、影の内閣のメンバーをはじめ、空爆に賛成する下院議員がかなりおり、メディアが「労働党は分裂している」と報道する中、コービンは、結局、自由投票とした。そして、その結果、下院は大差でシリア空爆に賛成。コービンは、このため、その立場をかなり弱めたと見られた。

一方、この過程で、有権者は、当初、空爆に賛成していたが、その支持はかなり弱まる。

そして下院の採決の翌日、12月3日に行われた、下院の補欠選挙。労働党の圧倒的に強い選挙区だが、労働党が敗れる可能性も指摘されていた。しかし、労働党新人が、予想を裏切り、62%の票を獲得し、5月の総選挙時より得票率を伸ばし、次点のUKIPに大差をつけて当選。第3位の保守党は10%ほど得票率を減らした。コービンは、一挙に面目を回復した。

イギリス政治は大きく変わっているが、ほとんどの政治コメンテーターの見方は、これまでの政治の見方、価値観に基づいたものである。「予想外」の出来事が多発しているのは、イギリスの政治の底流が大きく変化しているためのように思われる。