オズボーン財相の涙(Osborne’s Tear)

英国の首相を1979年から1990年まで11年半務めたマーガレット・サッチャー元首相の葬式がとり行われた。

その棺は、一晩、国会内の礼拝堂に安置された後、午前10時過ぎに国会を出発した。 9時半ごろ少し雨が降ったが、すぐに止んだ。そのころには沿道の人は多くはなかった。

官庁街のホワイトホールを通り、首相官邸のあるダウニング街10番地を通る。沿道に多くの人が集まったのは、その直前だったが、見守る人たちの中から静かな拍手が広がった。騎兵が先導し、しばらく時間を置いて白バイに先導された霊柩車と随行の車が通りすぎた。

集まった人の多くは、官庁街であったことを反映し、国家公務員であったのだろう。首相官邸や、その横の内閣府の建物に入っていく人を多く見かけた。

ストランドからセント・ポールズ大聖堂へ向かう棺の行進は、多くの人々が道の両側を埋める中、音楽バンドと軍人に先導され、粛々と進んだ。

観光客がこの行進を見るためにかなり集まったようで、テムズ川沿いを通るロンドン観光のツアーバスにはほとんど人が乗っていなかった。横道に整列した近衛兵の後ろから行進を見学することとなったが、横道も人で一杯だった。

反サッチャーの人と親サッチャーの人の言い合いがあったが、反サッチャーの人は、行進が到着するまでに立ち去った。ほとんどの人たちは、そのやり取りを眺めていただけで特に反応しなかった。

その後、午後には晴れて、いい天気となった。

この日、最も印象に残ったのは、ジョージ・オズボーン財相である。BBCの午後1時のニュースでも放映されたが、セント・ポールズ大聖堂内の式典で、キャメロン首相の後ろに座っていた。そこで、テレビのレポーターも、オズボーン財相の涙に触れた。よく見ると、確かに頬に涙が流れた跡がある。後にそれを自ら拭った。

オズボーン財相は、人情味がない冷たい人物のようなイメージがあるが、そのイメージを覆す光景だった。

昨日IMFが英国の経済成長率予測を引き下げ、しかも今日の発表で失業者の数が増えるなどいいニュースに乏しいが、オズボーン財相は、既定の方針を変えるつもりはない。自分の立場をサッチャー元首相の首相一期目の立場と重ね合わせて、感じた面があったのかもしれない。

なお、オズボーン財相は、セント・ポールズ大聖堂に関係のある、私立のセント・ポールズ・スクールの卒業生である。

 

ブレアのアドバイス(Blair’s Advice to Miliband)

トニー・ブレア元労働党首相がエド・ミリバンド労働党党首へのアドバイスを左よりの雑誌ニュー・ステイツマンに寄稿した。(http://www.newstatesman.com/politics/2013/04/exclusive-blairs-warning-miliband

ブレアは、ミリバンドを名指ししなかったものの、その意図は極めて明らかで、現在の労働党に必要なリーダーシップについて、自分の考えを明らかにしたものである。要は、労働党が安直に左寄りに動くのではなく、政治の考え方で真中の位置を保ちながら、はっきりと政策を打ち出していくべきだと言うのである。具体的な問題として挙げられたのは、緊縮財政策、福祉、移民そして欧州である。

ブレアは、また、マーガレット・サッチャー死去の後のインタヴューで、決断をすれば、賛成する人と反対する人を生み出すと言った(http://www.bbc.co.uk/programmes/p017gnb8)が、ミリバンドにそのような決断を促している。決断をせずに、現キャメロン政権の施策に反対しているだけでは、責任のある政党とはなりえない、と言うのである。

ブレアのアドバイスには、ブレアの側近で、後にブラウン政権でも重要な役割を果たしたピーター・マンデルソン、ブレア内閣で閣僚を務めたピーター・リードとデイビッド・ブランケットもブレアの危惧を反映した発言をしている(http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-22143354)。

ブレアは、1994年に労働党党首になり、1997年、2001年そして2005年の3度の総選挙に勝利した。この経験からのアドバイスにはかなりの重みがある。しかしながら、ミリバンドには一つ極めて根本的な問題があるように思われる。

それは、ミリバンドには、昨年秋の党大会で打ち出した「ワンネイション・レイバー」という基本的な枠組みはあるものの、それ以上の理念がないように思われる点だ。

ブレア自身、同じような問題に面したといえる。ブレアも1997年の総選挙前、自分が何を政権について成し遂げたいか分かっていなかったように思われる。この総選挙で「教育、教育、教育」と訴えたが、ブレアが自分の成し遂げたいことを見つけたのは、首相となってかなり後のことであり、2001年総選挙以降を自分の「1期目」と考えていたと言われる。

それに比べて、理念の面では、ミリバンドはブレアの1997年以前の状況からそう遅れているようには思えない。それは、キャメロン首相も、野党時代同じだった。ブレアは、「第三の道」を訴えた。キャメロンは選挙がかなり近くなって「ビッグ・ソサエティ」という考え方を打ち出した。いずれも、理念として中途半端であった。そして今やミリバンドは「ワンネイション・レイバー」の中身で苦しんでいる。

ただし、ブレアが労働党選挙戦略で取ったのは、焦点を、もともと中流階級の保守党投票者だが生活の質に関心の高い「ウスター女性」と呼ばれる層と、もともと労働者階級の労働党投票者だったが保守党に投票している「モンデオ男性」と呼ばれる層に定めた。そしてそれまでの左派寄りの考え方から政治の考え方の中央に移動させ、それは大きな成功をもたらせた。

ミリバンドはどうか?ミリバンドの戦略は、「35%戦略」と言われる。これは、2010年の総選挙で獲得した29%の得票にさらに自民党から6%を上積みすれば、次期総選挙に勝てると言うのである。つまり、次期総選挙では、自民党の得票率が低下し、その低下した部分のかなりが労働党に回るのは確実で、その結果、労働党が保守党と自民党にわずかな差で敗れた選挙区での勝利が見込まれ、それにプラスの議席獲得ができれば、過半数が獲得できるという計算に基づく。2005年の総選挙で労働党は35%の得票率だったが、それでも政権を余裕を持って維持した。

現在労働党は、世論調査で10ポイント程度保守党を継続的に上回っており、2015年に予定される総選挙では、労働党が勝つ可能性が高まっている。しかしながら、1997年にブレアがそれまでの保守党政権を破った時には、世論調査では、20ポイント以上の差をつけていたことから考えると、10ポイントのリードはそう大きくない。しかも、ブレアは、最後の最後まで気を抜かなかった。

そのブレアの目から見ると、ミリバンドの戦略は極めて弱く映ると思われる。つまり、事実上、現状維持の戦略であるからだ。ただし、1997年の景気が上向いていた時代と現在の経済停滞の状況とでは大きく異なる。ミリバンドが強い確信や理念があるのならいざ知らず、もう少し方向を見極めたいという考えも背景にあるように思われる。

ブレアのアドバイスはかなりプラグマティックなものではあるが、それでも理念抜きには一歩を踏み出しにくい。ブレアのアドバイスに対してミリバンドは、過去の労働党政権の移民問題などの失敗を反省し、これからの方向性を計画していると発言した(http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-22104974)。2010年9月に党首となり、既に2年半党首を務めてきたミリバンドの政治的リーダーシップの苦しみを物語っていると思われるが、同時に、現在の英国の政治的リーダーシップの貧困さを物語る一つの事例であろう。