政治問題のヒースロー空港第3滑走路建設

空港建設・増設は、経済問題であるが、同時に政治問題でもある。イギリスのハブ空港であるロンドンのヒースロー空港の場合、極めて政治的な問題となっている。

ヒースロー空港(現在2滑走路、以下同様)は、キャパシティが満杯で、ロンドン周辺の空港の拡張が緊急の課題である。例えば、ドイツのフランクフルト空港(4滑走路)からは、新興経済国の中国やブラジルの地方大都市にも直接飛べる便が出ている。それは、パリのシャルル・ド・ゴール空港(4滑走路)やオランダのスキポール空港(6滑走路)でも同様だ。中国には、以上の4空港ともに北京と上海への直行便があるが、ヒースローからはそれ以外の地方都市への便はなく、これではビジネス機会を失うとの危惧がある。

なお、ロンドンには、いくつかの空港があり、ロンドンで2番目の空港ガトウィック(1滑走路)は、比較的近距離の航路が中心である。現在使われているキャパシティは85%だが、ピーク時には満杯であるため、ロンドン地域の空港のキャパシティを増やすには滑走路を建設する必要がある。

ブラウン労働党政権下で、ヒースロー空港の第3滑走路の建設を決定したが、2010年総選挙で、保守党、自由民主党は、建設反対を訴えた。この理由の一つは、両党にとって重要な選挙区がヒースロー空港の離着陸ルートやその近辺にあり、約100万人が影響を受けているとの指摘もある騒音などの被害で住民が拡張に強く反対していたことがある。キャメロン連立政権誕生後、ヒースロー空港第3滑走路の建設は棚上げされた。しかし、空港の能力拡張は、経済的、政治的に急務であり、その結果、キャメロン政権は、第3者の「空港委員会(デイビス委員会)」を設けて、どのように対応するか勧告を出すよう求めた。

この委員会は、2015年総選挙に影響を与えないよう、総選挙後に報告することになっていたが、選挙前に3つの候補空港を発表した。①ロンドン西のヒースロー空港の第3滑走路の建設、➁ヒースロー空港の既存滑走路の延長、さらに③ロンドン南のガトウィック空港の第2滑走路建設だった。

それでも、オズボーン財相は、ビジネスの推す、ヒースロー空港第3滑走路の建設に前向きと言われており、当初からそれが有力であった。デイビス委員会の答申では、予想通りヒースロー空港の第3滑走路建設を強く勧告した。それでもガトウィック空港第2滑走路の可能性を残したものである。

デイビス委員会の答申の主な内容

項目 答申内容
建設コスト 176億ポンド(約3兆3千億円:£1=190円)。道路・鉄道追加公費57億ポンド(約1兆1千億円)
撤去の必要な住宅 783軒。時価に25%追加して買上げ。関連コストも負担
夜間飛行 午後11時30分から午前6時は禁止。拡張後可能となる
第4滑走路の可能性 法律で禁止すべき
騒音規制 騒音は増加しない
大気汚染規制 周辺自動車への課金など
離着陸 年に48万件から74万件へ増加
経済効果 今後60年間で1470億ポンド(約28兆円)
新航路 40。新興経済国の長距離ルート12を含む

この答申は、これまでヒースロー空港拡張に大きな障害となると見られていた、騒音問題、大気汚染も細かく検討し、しかも地元コミュニティへの配慮も含んだ、総括的なものである。委員会の委員全員一致の結論だという。イギリスの将来を見据え、イギリスに最も必要な新興経済国との長距離ルートの新航路を重視した結果、ヒースロー空港第3滑走路を選択した。なお、ガトウィック空港の第2滑走路建設の地元住民への影響は最も少ないが、長距離ルートの点で大きく劣ると判断された。

この答申を受け、キャメロン首相は、年末までに政府の方針を決定すると発表した。しかし、ヒースロー空港第3滑走路の建設には保守党内部に強い反対の声がある。

次期保守党党首の最有力候補者であるロンドン市長ボリス・ジョンソンは、2015年総選挙で下院議員にも選出されたが、ヒースロー空港拡張に真っ向から反対し、自分のロンドン市長選挙でも、それを強く押し出した。テムズ川河口の新空港建設を強く推したが、この案は、デイビス委員会の最終候補に残らなかった。ジョンソンは、デイビス委員会の勧告を聞いても、ヒースロー空港の第3滑走路の建設は全くないと主張している。

また、来年2016年の次期ロンドン市長選の保守党候補となるのは確実と見られている、下院議員ザック・ゴールドスミスは、2010年の総選挙で、離着陸ルートの通る選挙区から、ヒースロー空港拡張反対を掲げて初当選した。もともと環境問題活動家で、もし保守党がヒースロー空港拡張を推進するようなら、下院議員を辞職して、補欠選挙を行うと約束した。デイビス委員会の勧告発表後も、その立場は同じだと主張した。すなわち、もしキャメロン首相がヒースロー空港第3滑走路建設を決めれば、ゴールドスミスは、保守党の政策に反対することとなり、その関係は、かなり複雑となる。

また、国際開発相のジャスティン・グリニングは2005年総選挙で初当選した時から、ヒースロー空港拡張に反対してきている。2010年総選挙後、キャメロン政権で、オズボーン財相の下、財務省の閣外相を務め、その後、運輸相に任ぜられたが、グリニングがヒースロー空港拡張に強く反対していることから、すぐに国際開発相に回された。この際、グリニングは、運輸相在任を強く求めたが、キャメロン首相の意向でやむなく受け入れたという経緯がある。グリニングは、ヒースロー空港第3滑走路建設に強く反対すると見られている。

さらに、メイ内相やハモンド外相もヒースロー空港の離着陸ルートに近い選挙区から選ばれており、これらの有力議員が強く反対すれば、それを押し切って、ヒースロー空港第3滑走路建設を推進するのはそう簡単なことではない。一方、ガトウィック空港周辺の選挙区選出の保守党下院議員には、ヒースロー空港拡張を速やかに進めるべきだという主張もある。

下院議員の空港拡張への立場には、これまでの主張や利害が深く絡んでおり、それらを乗り越えてまとめるのはそう簡単ではない。しかも、キャメロン首相は、2010年総選挙前の2009年に、ヒースロー空港の拡張は、絶対にないと主張している。つまり、公約違反ということとなる。

一方、野党の労働党は、ヒースロー空港第3滑走路建設賛成の立場だ。そのため、もしキャメロン首相がヒースロー空港第3滑走路の建設を決定すれば、下院で多数を得ることができると見られる。

政治的な判断でカギとなるのは、キャメロン首相は、5年未満で首相の地位を退くと総選挙前に発表していることだ。ヒースロー空港第3滑走路建設の決定をし、次期総選挙前に首相を退くという可能性があるだろう。近年の住民パワー、それに有力下院議員の反対、これまでの発言などで、このような重要な決定が引き延ばされ、ビジネスに影響を与えることは遺憾だが、それでも様々な利害が関係する中で、できるだけ多くの人の納得が得られるよう努力することは、政治家にとって必要なものと言える。