トニー・ブレアの下で労働党の副党首、そしてブレア労働党政権(1997-2007)で副首相を務めたジョン・プレスコット(在任期間1997-2007)が亡くなった。86歳だった。
プレスコットは、初等教育の後、グラマースクール(選別でして中等教育を与える公立学校)に入るためのイレブンプラスという試験に通らず、15歳でキュナードの客船で給仕になり、労働組合で叩き上げた政治家である。ブレアが私立学校(学費が高い)からオックスフォード大学のいわゆるエリート教育を受けたのと対比され、労働者階級の代表のイメージがあった。その意味でブレアとバランスをとったコンビであった。多くの失敗もあったが、多くの人から好かれた人物である。
プレスコットは、2010年の総選挙時に下院議員を退いたが、2007年にその意思を表明した。その選挙区の次期下院議員選挙に、プレスコットの次男デービッドが立とうとしたが、労働党の候補者選出選挙で敗れた。「世襲」は英国ではそう簡単なことではない。
プレスコットの死を悼んだ人たちの中には、ブレア(現在71歳)ならびにその後継首相となったゴードン・ブラウン(現在73歳)がいる。プレスコットの死は、ブレア時代の労働党との決別を感じさせる。