サッチャーを正面から批判した側近(Blockbuster Criticism to Thatcher)

権力の座にある人に率直に思ったことの言える人はそう多くはないだろう。そういう人が側近には必要だろうが、苦い薬は誰もが嫌う。

ブレア元首相の側近で広報局長だったアラスター・キャンベルは、ブレアに面とむかって思ったことを言ったという話は有名だ。キャンベルが仕事がきつすぎるので、やめさせてほしいとたびたび申し出たにもかかわらず、ブレアはその辞任をなかなか認めようとしなかった。キャンベルの能力と、その率直なサポートが必要だったからだ。

しかし、あのサッチャー(1979年から1990年首相)に向かって、首相府の政策の責任者が率直に思ったことを告げていたことが明らかになった。

この人物は、ジョン・ホスキンスというビジネスマンで、政治家でも公務員でもなかったが、野党時代のサッチャー保守党の政策形成に大きな貢献をした人物である。

それは1981年8月のことだった。サッチャーが夏季休暇に出かけるときのレッドボックス(政府の書類に入った赤いブリーフケース)に、ホスキンスとそれ以外の二人の連名のメモが入れられていた。サッチャーは、その数週間後、「こんなことを首相に書いた人はいない」とホスキンスに言ったといわれる。

この頃は、サッチャーの評価が保守党の内外で非常に低かったころだ。特にジェフリー・ハウ財相の1981年予算には非常に大きな批判が巻き起こり、364人の著名な経済学者・エコノミストが政府の経済政策の変更を求めた。

ホスキンスは、サッチャーにマネジメント能力が欠けていると指摘し、特にそのマン・マネジメントを厳しく批判した。やり方が誤っている。みんなのやる気を削いでいる。このままでは、サッチャーの再選はない。しかも痛烈なのは、サッチャーの日程を一杯にしているのは、戦略的なことを考えることを避けているためだとも言っている。

ホスキンスは、その翌年の春にそのポストを去った。英国を何とかして立て直したいと思い、それに専心していた裕福なビジネスマンであり、比較的自由な立場であったといえる。それでも、このような批判をしたということは、その時の政治状況があったとはいえ、かなりの勇気が必要だったろう。サッチャーは、ホスキンスのメモのアドバイスを受け入れた点があったと言われるが、このような厳しい指摘があったことは、サッチャーの心の中に残ったのではないかと思われる。