次期総選挙への展望

イギリス議会は、日本と同様、2院である。上院(貴族院)と下院(庶民院)だが、上院議員は公選で選ばれず、一代貴族と100人足らずの世襲貴族らがその議員である。そのため、国政の行方を決めるのは下院の総選挙である。

次期総選挙は2015年5月7日に行われる予定だ。これは、2010年5月に政権についた保守党と自民党の連立政権が、政権の継続性を重視し、5年間の定期国会法を制定したことによる。つまり、任期5年の範囲内で首相が時機を見て、いつでもその判断で解散できた仕組みから、それが難しい仕組みへと変えたのである。

その総選挙まで7か月ほどとなった現在、その選挙に対して様々な憶測がなされている。例えば、YouGovの世論調査では、保守党が35%、労働党が34%と、2012年3月以来はじめて保守党が労働党を追い抜いた。10月1日のキャメロン首相の党大会演説は高く評価されたが、その前週に行われたミリバンド労働党党首の党大会演説で、ミリバンドが移民と財政立て直しのための財政削減に触れるのを忘れていたことを取り上げて、労働党の中に、次期総選挙を危ぶむ声がある。

ただし、世論調査にはある程度の誤差があり、特に党大会はメディアが詳細に報道するため、党大会直後の政党の支持率が上昇するのはよくみられることである。その後の世論調査の全体的な傾向を見る必要がある。例えば、このYouGovの世論調査とかなり異なるのはPopulusの世論調査である。YouGovの世論調査と同時期に行われたが、労働党が38%、保守党が33%と労働党が5ポイントリードしている。しかも党大会の演説はすぐに忘れられる傾向がある。

それでもキャメロンにとって、今回の党大会の演説は大切だった。労働党に世論調査でリードされ、保守党下院議員が2人離党してUKIPへ党を移るなど、保守党内の士気に大きな影響を与える事件がおきていた。保守党活動家らのモラールを高め、総選挙準備を進めるには、最低限、キャメロンは素晴らしい演説をする必要があったと言える。 

一方、ミリバンドには少なからず驕りがあったように思える。昨年の党大会で1時間余りの演説すべてを転記してメモなしで話し、高い評価を受けた。ところが、今大会でも同じことをしようとして重要な課題に触れることを忘れた。この演説の原稿は、事前にメディアに配られており、それではもちろんこれらの課題に触れられていたが、実際のスピーチで触れられれなかったことが大きなニュースとなった。

キャメロンとミリバンドの態度の違いの背景には、ComRes/NTVの世論調査で現れた現状が背景にあるように思える。保守党と労働党が競っている、2010年総選挙で両党の最も票差の少なかった40選挙区で、労働党が41%、保守党が30%と労働党が11%リードしていることがわかった。なお、2010年の総選挙時には両党とも37%であった。 

イギリスの総選挙は、完全小選挙区制であり、それぞれの選挙区の最多得票者が一人だけ当選する。いずれの政党も、選挙区を、当選者と次点者の票差の少ない選挙区から多い選挙区へと順番に並べ、一般に、票差の少ない選挙区から重点地区としていく。票差の少ない選挙区で勝つことが極めて大切だからである。

保守党は、この票差の少ない労働党現有議席を40獲得し、しかも票差の少ない保守党現有議席を40守るという戦略を立てている。しかし、この現状では、これらの議席は労働党の手中に入り、その結果、労働党が他の政党の合計を30議席ほど上回る見込みという。この保守党の揮わない原因の一つは、UKIPが17%の支持を集めていることだ。

もちろん、来年5月の選挙結果がそのようになるという保証はない。しかし、イギリスの賭け屋では、最多の議席を獲得するのは労働党という見方が優勢で、保守党との差を徐々に広げている。

なお、ミリバンドのいわゆる「35%戦略」を批判する声がある。2010年の総選挙の主要3党の得票率は、保守党36%、労働党29%、自民党23%だった。そこで労働党の票を固め、2010年以降大きく支持を失った自民党から流れてくる票を加えて35%の得票をすれば、総選挙に勝てるというものである。この戦略は、保守党がUKIPに大きく票を奪われることを想定したものだ。確かに消極的な戦略と言え、労働党はもっと多様な有権者にアピールすべきだという批判がある。ただし、世論調査の個人評価でミリバンドがキャメロンに大きく下回っている現状から見ると、ミリバンドを売り出すよりも、政党として地道な戦略を追求した方が得策と言えるかもしれない。それでも保守党からUKIPへ移る有権者は峠を越え、労働党からUKIPに移る有権者が増えているという見方もあり、現在の状況が7か月先まで続くという保証はない。今なお、UKIPがどの程度の得票をするかで、保守党と労働党の命運を決めるといえる。

「鉄の女」サッチャーの真実

イギリス最初の女性首相マーガレット・サッチャーは、「鉄の女」として有名だ。しかし、そのそばで1981年から84年まで働いた人物によると、1982年のフォークランド戦争はサッチャーに非常に大きな負担だったようだ。この戦争にサッチャーはたいへんな責任を感じ、心配し、そしてそれがサッチャーのそれ以降に大きな影を投げかけたという。

1979年に首相となってから党内でサッチャーの強硬な政策に反対する勢力(ウェット派(Wets))に対応するのに神経をすり減らしたこともあるようだ。

首相に就任したが、支持率が歴史的に低くなったサッチャーが首相として再選されるとは誰も思っていなかった。しかし、1982年のフォークランド戦争がその命運を変えた。この戦争で勝利を勝ち取り、人気を回復し、しかも野党第一党の労働党が分裂する中、サッチャーは1983年の総選挙で大勝した。保守党は下院で他の政党の合計を144議席上回ったのである。

誰もがサッチャーは政権運営に自信を持っているだろうと思ったが、実はそうではなかったという。この総選挙勝利の数日後、サッチャーは、自分はそう長くない、党は次の選挙を自分の下で戦いたいと思わないだろうが、それらの人たちを責められない、と語ったという。サッチャーは弱気になっていた。

サッチャーの仕事ぶりは有名だ。深夜まで働き、その睡眠時間は4時間と言われた。しかし、1983年総選挙以降、サッチャーの仕事のペースはそれまでと同じではなかったという。サッチャーはエネルギーが衰えたように見え、真夜中を超えて働いたり、夕食会のお客を引き留め、さらにディスカッションをしたりするといったことがほとんどなくなったという。

それでも、サッチャーは「鉄の女」の面を大いに発揮する。それまで党内基盤がぜい弱であったためにウェット派を自分の内閣に多数抱えていたが、それらの多くを内閣から追い払い、また、1985年には、政権を象徴した出来事の一つである鉱山労働者との対決で、鉱山組合に対する勝利を収めた。次の1987年の総選挙でも保守党は余裕をもって勝ち、サッチャー政権は1990年まで続く。

ただし、今回明らかになったのは、自分を信じ、疲れを知らず、強いリーダーシップを発揮して働き続けたと信じられていたサッチャーに非常に人間的な面があったことだ。自分への疑いを持ち、しかも政敵との戦いに神経をすり減らしていた。サッチャーの「鉄の女」の面は、自分を守る仮面であったかもしれない。ただし、多くの重圧にさらされ、苦しみながらも、理想の首相像を演じ続けたサッチャーから私たちが学べることは少なくないように思える。

サッチャーの人生については拙著「マーガレット・サッチャー:イギリスを変えた女性」を参照。