メイ首相の思惑違い

メイ首相は、9月18日、19日にオーストリアのザルツブルグで開かれた、EU首脳会議で、自分の「チェッカーズプラン」が撥ね付けられるとは考えていなかったようだ。メイ首相は、このプランしかないと主張する。そしてこれを維持し、保守党大会(9月30日から10月3日)をやり過ごし、最終的なEUとの合意で「妥協」して修正するという方針だったように思われる。しかし、それが極めて難しくなった。

この出来事にも、メイ首相の典型的な仕事のやり方が表れている。メイ首相は、2010年から内相、そして首相になり、2年余り。この間、8年余りの間、年間のイギリスへの純移民数(入国者マイナス出国者)を10万人未満に抑えると公約し、主張し続けてきた。しかし、2012年に一度17万7千人となったが、それ以外の年は20万人超である。2015年には33万2千人、そして今年3月はブレクシットの関係などで27万1千人である。この間、議会などから純移民数の目標を変えるよう求められたが、それを無視してきた。言い続ければそれが実現されると信じているかのようだ。

ブレクシットでも、保守党の中で、強硬離脱派だけではなく、残留派などからも「チェッカーズプラン」に反対する声が多い。メイ首相は、昨年1月、「悪い合意より、合意のない方がよい」と言い放った。しかし、本当は「合意のない」ことは最近までほとんど考えに入れていなかったようで、EU加盟国のオランダやアイルランドの「合意なし」の準備と比べると、イギリスの準備はかなり遅れているようだ。

現実よりもレトリックに頼るメイ首相が、「チェッカーズプラン」を貫いて保守党大会を乗り切り、そしてEUとの10、11月の最終交渉にどのように至るか見ものである。

リコールを免れた北アイルランド下院議員

北アイルランドの下院議員が地元選挙区でリコールされる可能性があった(拙稿)が、それを免れた。民主統一党(DUP)の下院議員イアン・ペイズリー・ジュニアが、かつてスリランカ政府から手厚いもてなしを受け、スリランカ政府の依頼でキャメロン保守党政府にロビーイングしたことが表面化し、30日の登院日出席停止処分を受けた。オンライン記録の残っている1949年以来最も長い出席停止処分である。実際、家族も含めたそのもてなしは、10万ポンド(1500万円)にも上ると見られ、法外なものだった。そしてペイズリーは新法に基づき、選挙民からのリコールにさらされる最初の下院議員となる。

その新法は、もし、選挙区の有権者の10%がリコール署名をすれば、現職下院議員が失職し、補欠選挙が行われるというものだが、ペイズリーは、かろうじてその不名誉を免れることとなった。その選挙区の有権者の10%は7543人だが、9.6%の7099人が署名し、444署名不足したのである。

この結果を受け、DUPの対立政党である、北アイルランド第二の政党シンフェイン党は、選挙委員会が最大10か所まで開設できる署名所を3か所しか設けなかったと批判した。ただし、この選挙区と北アイルランドの政治風土を考えれば、地元の有権者が選挙に消極的になったことは十分理解できる。

メイ政権のカレン・ブレイドリー北アイルランド相が、ここはイングランドと全く違う、違う筋の投票は全くしないことを知らなかったと発言して批判を浴びたが、北アイルランドの政治風土はそれ以外の地域と大きく異なる。それに付け加え、この選挙区は、ペイズリー議員の父親であり、DUPの創設者で、後に北アイルランド首席大臣となるペイズリー・シニアが、1970年から議席を保持してきた選挙区である。そのため、前回の2017年総選挙でも、ペイズリー・ジュニアは、2万8521票と投票総数の6割近くの票を獲得し、次点の7878票を大きく引き離して当選した。

もし、ペイズリー・ジュニアがリコールされていたとしても、再び立候補することが許されているため、当選確実だった。DUPは既に亡くなっている父親の盟友や支持者たちに強い力があり、ペイズリー・ジュニアの再立候補が阻止される可能性はなく、補欠選挙そのものが茶番となる可能性があった。有権者がそのような選挙を好まなかったのは明らかである。結局、北アイルランドの特殊性が改めて浮き彫りになったリコール騒動だったと言える。