北アイルランドのプロトコールをめぐるジョンソン政権の2019年の決断

英国はEUと離脱協定を結び、2020年1月31日にEUを離脱した。その離脱協定の中の北アイルランドのプロトコール(貿易上の手続き)をめぐって、英国とEUが対立している。英国は、北アイルランドの現状にふさわしくないとして、このプロトコールの抜本的な見直しを求めているが、EUにはその意思はなく、その代わりに現在のプロトコールをできるだけ柔軟に適用することで対応しようとしているEU側は、貿易上の手続きをしなければならないモノを大幅に減らす案を出してきた。英国側は、それでは十分ではないとの立場だ。

この中、2019年12月の総選挙時のジョンソン政権の考え方が改めて注目を浴びている。ジョンソン首相のトップアドバイザーだったドミニク・カミングスによると、ジョンソン政権は、英国のEUからの離脱を最優先し、北アイルランドの問題を含め、離脱協定の中で、ジョンソン政権の気にいらないものは、離脱後、改めて蒸し返すつもりだったというのである。そのため、不十分なものだとわかっていたが、北アイルランド問題の合意ができた時点で、ジョンソン首相が非常によい合意だと国民に訴えて英国の離脱を進めたというのである。

カミングスは、労働党のコービン党首(当時)が総選挙に勝って首相になるのを防ぎ、機運が大きくなりつつあったEU離脱をめぐる第2の国民投票につながるような芽を摘む必要があったとし、とにかくEUとの離脱協定をまとめる必要があった。そしてその判断は、北アイルランドの問題でさらに揉めるより、1万倍の意義があったとする。なお、カミングスによると、ジョンソン首相は、2020年11月まで北アイルランドのプロトコールの意味を分かっていなかったという。

カミングスは、2016年の国民投票で離脱賛成多数の結果をもたらした人物であり、何がなんでも英国のEU離脱を成し遂げるつもりだったのは明らかだ。もし2019年末の時点で、北アイルランドの問題のために離脱協定をまとめることができていなければ、総選挙に臨む国民に「この離脱協定で離脱する」と主張することができず、総選挙の結果が変わっていた可能性がある。そうなれば、英国のEU離脱が宙に浮く可能性もあった。カミングスらの戦略で、保守党は、総選挙で大勝利を収め、労働党には、歴史的な敗北を喫した。カミングスの判断はかなりの成功を収めたが、北アイルランドのプロトコール再交渉問題は大きな危険性を秘めている。

英国のEU離脱交渉の失敗から学べる事

英国のEU離脱交渉でEU側の交渉責任者である「チーフネゴシエーター」だったミシェル・バルニエの「私の秘密のブレクジット日記」が出版された。この日記の書評をもとに、英国側の交渉の問題点を見てみたい。なお、この書評は、英国のブレア首相のチーフオブスタッフ(首席補佐官)だったジョナサン・パウルによるものである。パウルは、イギリスの北アイルランドの平和をもたらした1998年のベルファスト(グッドフライデー)合意の舞台裏で交渉を取り仕切った人物で、北アイルランド議会が2007年に再開するまで北アイルランド問題に尽力した人物である。「北アイルランドの平和プロセスのチーフネゴシエーター」とも表現される。それ以降も世界中の紛争の調停者として活動している。

EU側は、終始一貫して、英国がEUにメンバーとして残ることを希望していた。交渉がどうなろうとも、EUの主力メンバーである英国が離脱することは大きな打撃である。パウルは、EU側が英国のEU離脱交渉で勝ち、英国は、欠陥のある離脱協定と不利な将来関係を背負ったとするが、より大きな観点では、この交渉では勝利者はいないとする。

パウルは、EU側がこの離脱交渉で成功した理由と英国側の失敗した理由を以下のように5つ挙げる。

1.EU側は、プロフェッショナルできちんと準備をしたが、英国側はそうではなかった。バルニエは、最初から交渉の着地点を想定し、交渉が始まる前に自由貿易協定の完全な法律文書を用意していた。

2.EU側27か国が結束した。バルニエを通さず、英国は個別の国と話をしようとしたが、バルニエと話すように言われた。

3.EU側は、この交渉で求めているものを知っており、それを貫き通した。一方、英国側は独りよがりな交渉に終始した。そのため、EU側が主導権を握り、議題を決め、思うように交渉を進めたという。

4.英国側のジョンソン首相は、EU側が動揺することを狙ってEU側を怒らせようとしたが、EU側は冷静に受け止めた。

5.EU側は、「最終期限」を効果的に使った。ジョンソン首相の前任者メイ首相は、その目的がはっきりしないまま、リスボン条約50条で定められた2年間の期間制限を開始させてしまった。

2016年に英国で行われた、EUから離脱するかどうかの国民投票で、英国民は離脱を選択した。なお、国民投票は、英国ではほとんど行われない。英国は、議会主権(日本は国民主権)であり、議会が決めることになっているからである。また、英国の下院(上院は公選ではない)は完全小選挙区制であり、一つの政党が比較的多数を占めやすいことから、総選挙で代表者が選ばれ、下院議員が総体として決定すれば足りるという考え方があった。そのため、これまで行われた全国的な国民投票は、1975年のEEC国民投票、2011年の選挙制度改革国民投票、そして2016年のEU離脱国民投票の3回である。この3番目の国民投票は、当時の保守党のキャメロン首相が、党内のEU離脱派を抑えるために実施したが、キャメロンは、EU離脱賛成票が多数を占めることになるとは考えていなかった。そしてキャメロンは首相を辞任する。準備が整っていなかった上、EU側を見くびっていたことが、交渉をより難しくしたと言える。

北アイルランドのプロトコールの問題

英国はEUを2020年1月31日に離脱した。その離脱協定で最も大きな問題の一つとなっているのが、北アイルランドのプロトコールと呼ばれる手続きである。この手続きは、多くの努力を経て達成された北アイルランドの平和を維持していくため、英国とEUが特別に設けたものである。

北アイルランドの平和は、1998年のベルファスト(グッドフライデー)合意で基本的に達成されたが、英国とEUの両者は離脱交渉の最初からこの合意を尊重することとしていた。この合意は、ユニオニスト(英国との関係を、英国の他の地域と同じレベルで維持していくことを求める立場)と、ナショナリスト(アイルランド共和国との統一を求める立場)の間のバランスを保ち、北アイルランドの将来を自ら判断していくことで成り立っている。この合意でユニオニストとナショナリストの代表者たちはノーベル平和賞を受賞した。

なお、英国の北アイルランドと南のアイルランド共和国は、同じアイルランド島にある。国境はあるが、税関の施設などはない。国境を通り過ぎるのは、日本の高速道路で異なる県に入ったことを告げる看板を見るようなものである。

英国がEUのメンバーだった時には、アイルランド共和国がメンバーのEU域内の単一市場でモノの流通が自由であった。しかし、英国がEUを離脱すれば、EUのメンバーであるアイルランド共和国と、メンバーでない英国との間に通関する場所を設けることが必要となる。しかし、そのような施設を設けると、過激派の標的になりかねない、また、セクト間の抗争を招く可能性があるとして、英国(北アイルランド)とアイルランド共和国の陸上の国境には、何も構築物を設けないことにし、北アイルランドとアイルランド共和国の間のモノのやり取りは、北アイルランドがEUの商品規格に従うことで、チェックなしで行うこととした。その代わりに、英国の本土のグレートブリテン島とアイルランド島の間のアイルランド海に事実上通関上の線を引くこととし、モノの移動は、北アイルランドの港で事務的な手続きを行うこととしたのである。

すなわち、北アイルランドは、英国の一部でありながら、アイルランド共和国とのモノの移動の面で、EUの単一市場のような扱いを受けるようになったのである。当初、この新しい仕組みを歓迎する声が北アイルランドのユニオニストの中にもあった。北アイルランドが英国とEUの「いいとこ取り」できるかもしれないとの思惑があったからである。ところが、北アイルランドと英国のグレートブリテン島とのモノのやりとりには一定の事務的なルールがある。手続きには時間がかかり、到着の遅れ、非EU国である英国からの食品のチェック、ソーセージなどの冷蔵食品の輸入制限の問題をはじめ、英国本土と同じ扱いを求めてきたユニオニストの人たちには大きな問題となった。2021年3月末から4月初めの北アイルランド各地の暴動は、この問題と大きな関係がある。さらに2021年9月には、ユニオニストの4政党は、このプロトコールを廃止するよう共同声明で要求した。なお、プロトコールには、4年ごとにこのプロトコールの是非について判断する条項があり、北アイルランド議会がそれを判断することになっているが、それはまだ先のことである。

ジョンソン首相の前のメイ首相は、北アイルランドの通関の問題で新たな仕組みを英国とEUが合意できるまで、英国全体をEUとの関税同盟に残すという案(バックストップ)をEU側と同意した。メイ首相はその案を下院に提出したが3度否決された。ジョンソン首相は、その案の代わりにプロトコールをEU側と合意したのである。

ただし、ジョンソン首相が、北アイルランドをどれほど真剣に考えていたか疑問が残る。英国政府は、今や、モノの移動がよりスムーズに進むよう、このプロトコールにまつわるほとんどのチェックをやめたいと考えている。また、欧州委員会と欧州裁判所のプロトコール遵守の監視もやめさせたいとする。英国政府は、プロトコールの影響を過小評価していたため現在の問題が起きたと主張するが、これらのプロトコールの問題は、離脱協定が結ばれる前から分かっていたようだとBBCが報道した。すなわち、問題があるのは十分に分かっていたが、とりあえずEUを離脱し、その後で問題を蒸し返して変えさせるつもりだったというのである。

一方、EU側は、できるだけ柔軟に対応したいとする考えはあるものの、このプロトコールそのものを廃止したり、変更したりする意図はない。

この北アイルランドのプロトコールの問題は、英国のアメリカとの貿易交渉にも悪影響を与えている。ジョンソン首相は、2021年9月の国際連合総会に出席した際、英国とアメリカの自由貿易協定の足掛かりをつかもうと考えていた。ジョンソン首相は、英国のEU離脱キャンペーンのリーダーだったが、EUから離脱すれば、EUの枷を離れて自由に世界各国と貿易協定が結べると訴え、その代表格としてアメリカとの自由貿易協定を挙げていたのである。しかし、バイデン大統領には、そのような意思はなかった。逆に北アイルランドのプロトコールの問題をジョンソン首相にきちんと対応するよう要請した

バイデン首相は、アイルランド系アメリカ人である。アメリカにはアイルランド系の人が多い。アメリカの統計局が2019年に行ったコミュニティ調査によると、自分をアイルランド系と考えるアメリカ人は、人口の9.7%、3200万人に上る。特に民主党とアイルランドとの関係の強さはよく知られている。1998年のベルファスト合意でも、アメリカのクリントン大統領が、IRAを含めて当事者たちに相当な圧力をかけて、合意に至るよう力を尽くした。通常、自由貿易協定の締結にはかなり時間がかかるが、北アイルランドのプロトコールの問題も含め、英国とアメリカとの自由貿易協定が結ばれるような状態となるまでには、まだ長い時間がかかりそうだ。

北アイルランドのプロトコールに関連して、10月にEU側の提案が出されるようだが、ユニオニスト側が強硬になっているため、ジョンソン政権には前途多難な秋となりそうである。

EU離脱後のイギリスの経済への影響

コロナパンデミックの影響で、EU離脱後のイギリスの経済状況がどうなっているかわかりにくい面がある。イギリスは、2020年1月31日にEUを離脱し、12月31日に貿易などの移行措置が終了した。イギリスのEU離脱に賛成した人たちは、イギリスのEU離脱後、短期的な悪影響はあるだろうがやむをえないと思っている。しかし、その悪影響は具体的に出ており、長期的なものであるという見方がある。具体的には、EUとの貿易に悪影響が出ており、外国からのイギリスへの投資が減っているという。

コロナパンデミックがやや落ち着いてきて、世界貿易がブームになっている中、イギリスからのEUへの輸出は2019年レベルより下がっており、イギリスの輸出企業は、EU離脱に関連した「お役所仕事」の増加に影響を受けているそうだ。また、外国からの欧州への投資のイギリスへの割合が減っており、特に製造業へのイギリスへの外国直接投資は2015年には欧州全体の13%だったが、今では8%余りになっているという。

イギリスは、EU以外の国との貿易交渉に躍起だ。EUの結んでいる合意の継承交渉を進めるとともに新しい貿易合意も結んできている。イギリスの貿易の2%を占める日本との新しい合意も結んだ。これらが、どの程度実り多いものとなるかは今後の課題である。

EUの慎重なブレクジット戦略

イギリスのボリス・ジョンソン首相は、EUとの離脱合意ができるかどうかにかかわらず、10月31日にEUを離脱するという立場を崩していない。これに対して、EUは巧妙で慎重な戦略にでてきた。

10月11日のイギリスの新聞の多くは、10月10日のジョンソンとアイルランド首相との会談で10月31日までにイギリスとEUとの合意のできる可能性が出てきたとする。(例えば、https://twitter.com/hendopolis/status/1182405405227520000/photo/1

しかしながら、EU側とジョンソン側との考えの違いは大きすぎ、そう簡単に埋められるものではない。特に以下の2点である。

①    ジョンソンは、イギリスがEU離脱後、自由にそれ以外の国と貿易交渉できるよう、EUと関税同盟を結ばない方針だ。EUとイギリスとの「国境」となる、アイルランド島内の北アイルランド(イギリス領)とアイルランド共和国(EU加盟国)との間には、現在何らの国境施設はなく、自由通行だが、イギリスのEU離脱後、モノの移動や基準を監視し、必要な関税を課するには、それを可能にする施設やシステムが必要である。ジョンソンは、テクノロジーを使った解決法を提示しているが、すぐ使えるものではなく、専門家はシステム構築を含めて最低10年はかかるという。つまり、EUがそのようなものを直ちに受け入れるとは思われない。

②    上記のような解決法を、すでに合意している暫定期間(離脱後2020年末まで)後、適用するかどうか、そして4年ごとにさらに継続していくかどうかについて、ジョンソンが閣外協力をしている民主統一党(DUP)に事実上、拒否権を与えていることだ。北アイルランドは、30余年の長い「トラブルズ」と呼ばれる域内闘争があり、その再来を防ぐような、ユニオニスト側(イギリスとの関係を継続したい立場で、DUPを含む)とナショナリスト側(アイルランドとの関係を重んじる立場)との両者が合意しなければ意思決定が極めて難しい制度を設けているためである。

ジョンソンは、第2点目を譲歩することができるかもしれないが、第1点目の譲歩は極めて難しい。この譲歩は、イギリスの自由な貿易交渉を制限することにつながり、ジョンソンが描いているような、大胆な国際貿易交渉をできるようなイギリスとはなれない可能性が高いからだ。

9月に成立した「ベン法」で、10月19日までにEUとの離脱合意ができる、若しくは、議会の納得する結果が得られなければ、ジョンソンは、EU側に10月31日までの交渉期間の延長を求めねばならないこととなっている。しかし、ジョンソンは、10月31日に離脱するという立場を崩していない。延長を避けるためにジョンソンの打てる手はないと見られているが、ジョンソン内閣が下院で不信任されても、ジョンソンは慣例を無視して首相官邸に居座るなどという情報が流されるなど、不測の事態が起きる可能性が指摘されている。

ジョンソンは、多くのコメンテーターも指摘するように、行き詰まった段階、もしくは最も自分に有利だと思われるタイミングで総選挙に打って出るつもりだろう。つまり、10月31日に離脱できるかどうかにかかわらず、「2016年の国民投票でEU離脱を支持した国民の意思を貫くジョンソン政権」と「その意思に背く議会」の対立構図を最大限に効果的に利用し、次期総選挙では、ブレクジット党の票も吸収して過半数を占めることが目的である。ジョンソン率いる保守党には、DUPを入れても過半数がない。もしEUとの交渉期間が延長されても、過半数を取れば、ジョンソン政権が強化され、EUとの交渉を有利に進められるとの考えがあろう。

なお、野党は、数的には、ジョンソンらの政権側を上回る。すなわち、数的にはジョンソン政権をいつでも倒せる。ところが、ジョンソン後に誰を首班とするかでまとまらない。一方、首相が総選挙の日を決められるため、ジョンソン政権を倒せば、ジョンソンが勝手に総選挙の日を10月31日離脱が可能な日に設定しかねないという恐れがある。そのため、ジョンソンを首相から除くことができないというジレンマにある。

このようなジョンソン政権の状況に対して、EU側は、3つの状況に対して準備を進める必要がある。まず、総選挙が実施され、ジョンソン保守党が過半数を占める場合だ。その場合には、さらに慎重に交渉をしていかねばならない。次に総選挙の結果、再び過半数を占める政党のない「宙づりの議会」となる可能性がある。その場合、連立、若しくは少数与党政権となり、政情は不安定、そして次の総選挙が早期に行われる可能性がある。そしてジョンソン保守党が再び復活するかもしれない。そして、3番目に、ジョンソンが無理に10月31日にEU離脱してしまう可能性だ。

EUは、その経済に与える影響を考えると、イギリスに合意なしで離脱をしてもらいたくない。一方、ジョンソンら離脱派に、EUのかたくなさのためにイギリスは合意なしで離脱したという理由を与えたくない。EU側は、EUの経済的統合を揺るがしかねないイギリスの要求を絶対に受け入れられないが、ジョンソンの現在の要求は、まさしくこれに触れる。それでも今後のシナリオを考えると、ジョンソンらに希望を与え続けておく必要があり、アイルランド首相は、まさしくそれをしていると言えるだろう。

手段を選ばないジョンソン首相

ボリス・ジョンソン首相は、目的を達成するためには手段を選ぼうとしないようだ。もちろん最終的な目標は、次期総選挙で勝利することである。それにはいくつかの方法がある。

まず、10月31日にEU離脱を成し遂げることである。EU離脱を成し遂げれば、EU離脱を目的に掲げるブレクジット党の存在意義がなくなる。この党は5月の欧州議会議員選挙で勝ち、世論調査で現在10数パーセントの支持を得ている。保守党のジョンソンがEU離脱を成し遂げたということで、現在のブレクジット党の支持者が保守党支持にかわり、保守党が総選挙に勝つという読みだ。

これを成し遂げるため、ジョンソンらは、合意なしでEU離脱をした場合に想定される大きな経済的打撃を打ち消すのに躍起だ。政府の「合意なしのEU離脱の影響」を査定した文書(「イエローハンマー」文書と呼ばれる)が漏洩され、その後、その要約が発表されたが、それを古いものだと言い張っている。それどころか、担当のゴブ大臣は、ビジネスは、合意なしでEU離脱をした場合の準備ができていると主張しているが、ビジネス側は、否定している。ジョンソンらは、一度EUを離脱してしまえば、結果は後の祭りというわけだ。大きな経済的混乱が生じても、その責任は誰かほかに負わせられると見ているようだ。

その一方、「合意なしのEU離脱」を防ぐ法律の裏をかく手段が明らかになった。この法律は「ベン法」と呼ばれる。ジョンソンが合意なしでEU離脱するのを恐れた議会が、9月3日に提案し、9月9日に法律となったものである。10月19日までにEUとの合意ができなければ、ジョンソンがEUに離脱交渉の3か月延長を申し入れなければならないとするものである。

ところが、ジョンソンは、法を尊重するが、EUに交渉延長を求めることはしないと主張している。そのため、この法律には強制力があるが、ジョンソンが何らかのずるい手を考えているのではないかと野党が慎重になっていた。その手の一つが明らかになった。大臣らだけによる枢密院令を使って、議会を停止し、10月31日までに議会が手を打つのを止めようとするものである。

古くから存在する制度を恣意的に使って、特定の目的に供しようとするこのような試みは、9月24日に出された最高裁の、議会の意思を重んじる判示に反する。ただし、限られた時間内で、このようなすべての試みに対応するのには限界があろう。

次に、もし、10月31日にEU離脱ができない場合、総選挙が直ちに行われるのは確実である。ジョンソンは、その場合、「国民」対「議会」の構図で選挙を行うつもりだ。すなわち、議会はEUに降伏した、その主権を取り戻すには、ジョンソン率いる保守党が総選挙で勝たねばならないとするものである。

この構図を維持していくため、ジョンソンはそのレトリックを緩めないだろう。ジョンソンは、国民の中に怒りを植え付けることで、保守党に勝利をもたらせようとしている。国民をさらに分断し、国民の統一を犠牲にしてでもだ。このようなタイプの政治家は近年、イギリスにはいなかった。アメリカのトランプ大統領の影響といえるかもしれない。

ジョンソン政権の命運と総選挙

イギリスの最高裁が、2019年9月24日、ボリス・ジョンソン首相が女王の大権を利用して議会を2019年9月9日から10月14日の期間、閉会としたのは違法で無効であり、そのような閉会はなかったと判示した。ジョンソンは、裁判所の判断は尊重するが、その判断は誤りだと主張している。野党らはジョンソンの辞職を求めているが、ジョンソンがそうするとは思われない。それでは、ジョンソンのこれからの行動はどうか。また、野党はどう対応するのか。

ジョンソンの行動

ジョンソンは、完全に総選挙狙いである。国民投票では離脱が多数を占めたのに、国民の願いを議会が踏みにじっている、議会を変える必要がある、そのためには保守党が勝たなければならないと主張するだろう。

ジョンソンは、EUとの離脱合意ができようができまいが、10月31日にEUを離脱すると主張している。しかし、それができない可能性が高い。EUとの離脱交渉で最大の障害となっている、アイルランド島内のアイルランド共和国とイギリスの北アイルランドとの国境問題がこれまでのところ解決できる状況にはなく、10月末までに合意することは困難だ。一方、9月9日に成立したベン法と呼ばれる新法で、10月19日までにEUとの合意ができない場合、ジョンソンはEUに交渉期間の3か月延長を申し入れなければならないこととなっている。ただし、ジョンソンのこれまでの言動から見ると、ジョンソンがそのような申し入れをしない可能性がある。その場合、野党らが裁判所に申し出て、国家公務員に代わりに申請させる方法があるとされる。この場合、EUに延長申し入れはしないと主張するジョンソンの言い訳にはなるかもしれないが、少なくともジョンソンは、10月31日に離脱するつもりであったのに議会がそれを邪魔したと訴えるだろう。

なお、イギリスがEUとの交渉期間の延長を求めれば、それが認められるのはほぼ間違いない。EU側は、イギリス離脱はEUの責任だったという非難をできるだけ避けたいとみられるからだ。延長が認められれば、野党側は、合意なしのEU離脱の可能性がなくなったとして総選挙に賛成するだろう。

ジョンソンは、これまでも繰り返し総選挙を実施するよう求めている。しかし、総選挙の実施のタイミングは首相に決める権限があるため、総選挙の日を10月31日、もしくはそれより後にすることで、事実上、イギリスのEU合意なし離脱を可能にさせる可能性があるとの不安がある。

さらに、ジョンソンは、女王のスピーチ(政権の施政方針演説)を予定通り実施するつもりのようだ。施政方針は、通常1週間程度で採決されることとなるが、下院の過半数を持たないジョンソン政権では否決されるだろう。ジョンソンはそのような施政方針が実現可能かどうかよりも、いかに有権者にアピールできるかの方に関心があると思われる。そしてそのような「素晴らしい」施政方針を否決する議会は国民の敵だというスタンスをとるだろう。

施政方針の否決は、政権の信任を否定されたことと見なされ、女王が野党第一党の労働党の党首コービンに政権を担当するよう依頼する可能性がある。その結果、コービンが過半数を得たとしても、そのような寄せ集めの政権は、単にEUとの交渉期間を延長して、直ちに総選挙を実施するだけのものとなる。

その総選挙で、ジョンソンは、国民対議会の対決だと訴え、ブレクジット党を含めたEU離脱支持の有権者の支持を得て、総選挙に勝利し、過半数を確保し、EU離脱を実施するつもりだろう。これまでのほとんどの世論調査では、保守党がリードしている。

野党の対応

野党は、総選挙を実施するよう求めているが、ジョンソンがずるい手法で何をするかわからないと慎重になっている。

総選挙を実施する一番簡単な方法は、ジョンソンがこれまでにも試みたように、2011年固定議会法に従い、下院の3分の2の賛成で総選挙を実施するものである。また、内閣不信任案を提出してそれを採決する方法もある。ジョンソン率いる保守党は閣外協力をしている北アイルランドの民主統一党(DUP)を入れても過半数に足りない。

なお、総選挙が始まると、下院議員は議員でなくなり、議会で政府の行動を監視できなくなる。一方、ジョンソン首相ら政府のポストについている議員は、議員でなくなるが、政府のポストはそのままである。すなわち、ジョンソン首相が勝手に行動しても歯止めがかけられなくなる恐れがある。そのため、離脱合意なしでEU離脱することも可能になるかもしれない。そのため、「合意なしのEU離脱」の事態が起きないようにすることが最優先課題だ。

野党には、総選挙をにらんで、それぞれの思惑や戦略がある。それらは必ずしも野党間で一致しない。そのため、ジョンソン政権を倒したとしても、その後、代替の政権をどうするか、どういう体制で総選挙を実施するかなどで意見が一致しない。

反「合意なし離脱」グループが協力しても、コービンに反発して労働党を離党した議員を抱える自民党などの勢力が野党第一党の党首コービンを支持して暫定首相に推すことは考えにくい。コービン以外の暫定首相には、労働党が同意しないだろう。結局、総選挙時の首相は、ジョンソンである可能性が最も高いだろう。

恐らくEUとの交渉期間が延長された後、ジョンソン首相の下で総選挙が行われることとなる。議会が閉会された数日後に解散され、その25勤務日後に投票されることから11月後半か遅くとも12月初めまでに総選挙が行われるだろう。

現在の下院の各党の勢力

保守党 労働党 SNP 無所属 自民党 民主統一党 シンフェイン ICG PC 緑の党 議長 全議席数
288 247 35 34 18 10 7 5 4 1 1 650

なお、SNPはスコットランド国民党。無所属の過半数は、「合意なしのEU離脱」を嫌って保守党から除名された議員である。また、北アイルランドのシンフェインの下院議員は議員に当選したものの下院の議席についていない。ICGはチェンジのための独立グループ、PCはウェールズの地域政党プライドカムリである。

イギリス最高裁:ジョンソンの国会閉会は違法

イギリス最高裁の大法廷が全員一致でボリス・ジョンソン首相の議会閉会は違法で、議会閉会はなかったと判断した。普通の首相なら辞任するだろう。しかし、ジョンソンは今でも強気で、その意志はない。

ジョンソンが、女王の大権を使い、議会を9月9日から閉会した。10月14日までの予定だった。10月14日に開会して「女王のスピーチ」(政権の施政方針演説)を実施するのをその理由とした。しかし、最高裁はその理由を受け入れず、そのような長期の閉会は、格別の理由なく議会の責務を果たさせなくするものだと判示し、議会閉会は違法だとした。ジョンソンは、EUとの離脱合意ができようができまいがイギリスを10月31日にEUから離脱させようとしており、議会の口出しを阻もうとしたのである。

議会は、ジョンソンの議会閉会に危機感を持った。イギリスとEUとの離脱交渉は進展しておらず、とても10月31日までに合意ができる状況にはない。もし合意なしでEU離脱ということになればイギリスの経済と生活が大きな混乱に陥る。それを食い止めようとし、議会は、10月19日までにEUとの合意ができなければ、ジョンソンはEUに離脱交渉の延長を申し入れなければならないとの法律を制定した。しかし、ジョンソンは10月31日に離脱するとの立場を今でも崩しておらず、議会にはジョンソンがこれからどのような手段をとるか警戒している。

最高裁の判断は、イギリスの憲法を変えるものである。政府の法務長官はジョンソンの議会閉会は合法だとしていた。政府が議会のスケジュールを管理し、首相は女王の大権を女王にアドバイスすることで行使し、それには誰も抗えないと考えていたのである。イングランドの高等法院は議会閉会が合法と判断した。一方、スコットランドの最上級審は、3人の判事が全員一致で違法とした。それでもイギリス全体の最高審である最高裁がストレートに違法と判断するとは思われていなかった。ところが、最高裁がはっきりと違法とした。この結果で、首相の権限に大きな制約が加わり、一方、議会の権威が大きく高まったこととなる。

最高裁の審議の内容から、はっきり合法と言うことはないだろうと思われたが、それでも最高裁の判断が読み上げられると、法曹関係者をはじめ、大きなショックが襲った。その判断は当然だと多くが感じたが、それまでの「常識」が覆され、イギリスの統治システムそのものが変わったと感じられたからである。

日本の硬直したシステムと比べると、イギリスのシステムは極めて柔軟である。「常識」は時とともに変化するが、「常識」の範囲内で行動しないものが出てくると、それに対するために動く。今回の最高裁の判断でも1611年の判例を使い、古いものも重んじる慣習はあるが、イギリスの不文憲法を成文憲法に変えようとする声は、大きく減るものと思われる。

総選挙必至のイギリス

イギリスでは今秋総選挙が実施されることが確実になった。総選挙の告示と選挙の間には5週間必要で、総選挙は10月か11月となる。

ボリス・ジョンソン首相には「嘘つき」という評判がある。記事をでっちあげてタイムズ紙を首になったり、女性関係で嘘をつき、影の内閣を首になったりと話題には事欠かない人物である。

現在でも、EUとまともな交渉をしている気配が全くないのに、交渉は進展している、EUと合意して離脱するとしながらも、その一方、EUとの合意ができようができまいが、法律で離脱する日となっている10月31日にイギリスはEUを離脱すると約束している。多くは、ジョンソンは全く合意を結ぼうとしていないと考えている。そして合意なしで離脱した後、合意ができなかったのは、議会が悪い、EUが悪い、労働党が悪いと責任転嫁するつもりだろうとみている。

そのため、10月31日にイギリスが合意なしでEU離脱をすることがないようにと、野党と保守党の21人の下院議員が協力して、「10月19日までにEUと合意ができなければ、ジョンソン首相はEUに3か月の延期を申し入れなければならない」という法案を下院が通し、現在上院で審議中である。この法案は、来週早々にも女王に裁可される見通しである。

この過程で、保守党の下院議員で自民党に党を替わった者がおり、ジョンソン政権は、閣外協力をしている民主統一党(北アイルランドの政党、DUP)の数を入れても下院過半数を割った。その上、ジョンソンの手を縛った21人の保守党下院議員を保守党から除名したため、政権がまともに運営できない状況となっている。

もちろん反ジョンソンの勢力が結集すれば、別の政権を作ることは不可能ではないが、誰を首相にするかでまとまる状況ではない。そのため、この宙ぶらりんの状況が続くことになる。

もともと、議会の口を封じて、何が何でもEU離脱を成し遂げるために議会を閉会にしたのは、開会後の新議会で政権の施政方針演説である「女王のスピーチ」を発表するということが理由であった。しかし、いくら施政方針演説を行っても、下院で賛成を得られない方針は、絵に描いた餅である。

この手詰まりの状態を打開するため、ジョンソンは総選挙に出ようとした。しかし、現在では首相に解散権はない。野党も総選挙の必要なことはわかっているが、総選挙を合意した途端、ジョンソンが総選挙の日を変更して「合意なし離脱」をしようとするのではないか、すなわち、総選挙の話は「合意なしのEU離脱」を成し遂げるための策略だろうとして野党は慎重になっている。ジョンソンは、必死になってコービン労働党党首を臆病者だ、意気地なしだと攻撃している。

コービンは、「合意なし離脱」の可能性がないということがはっきりすれば、総選挙に出てもよいという考えだが、今はまだそれを見極めようとしている。

いずれにしても総選挙が10月か11月に行われることは必至である。

不文憲法に付け入ったジョンソン

イギリスの不文憲法は、日本の成文憲法と異なり、状況の変化によって変わっていけるのでよいという見方があった。しかし、ボリス・ジョンソン首相は、イギリスがEUからの離脱問題を抱え、大きな決断を迫られているこの時期に、イギリス憲法の中核をなす女王を使って、9月中旬から10月中旬まで議会を閉会するという挙に出た。議会がジョンソンの動きを妨げることができないようにするのが狙いである。女王は首相の助言に逆らえない。ジョンソンのやったことは、ほとんど独裁的な行為である。自分の目的のため、不文憲法に付け入り、これまでイギリスが誇りにしてきた民主的な意思決定過程を踏みにじるものだ。

イギリスは国民主権の日本と異なり、議会主権の国である。その議会の口を封じようとするのは独裁的としか言いようがない。確かに不文憲法がそれを可能にしたわけだが、その基本原則を踏みにじるような行為は、罰されねばならない。

ジョンソンを罰することができるのは国民だ。早晩行われる総選挙でそれができるかどうかがイギリスの民主主義がどの程度のものかをはかるバロメーターとなろう。