キャメロン首相のストラテジストの長期休暇(Steve Hilton’s Temporary Retreat)

デービッド・キャメロン首相のストラテジスト、スティーブ・ヒルトンがしばらく首相官邸を去ることとなった。今年夏からカリフォルニアのスタンフォード大学の研究所で客員研究員となり、1年後に英国に帰ってくるという。ヒルトンはストラテジストとしてキャメロンが保守党の党首となる前から戦略をアドバイスしてきており、キャメロンのスペシャルアドバイザーとして官邸に入った人物である。官邸では、それまで構築してきた政策を実施する役割を果たしてきたが、連立政権内の自民党、官僚、EUなどの制約のために思うように進まず、不満が高まっていたといわれる。なお、キャメロン首相のストラテジストには、概して長期並びに全体戦略担当としてヒルトン、それ以外の戦略にはオズボーン財相がいる。オズボーン財相は、その多忙な仕事にもかかわらず一日二回の官邸での戦略会議に参加していると言われる。

ヒルトンは、キャメロンが保守党党首となった後、保守党の「嫌な党」イメージを無くすためにグリーンキャンペーンなどを仕掛け、また、キャメロン首相の中心政策ともいえるビッグソサエティの構想を打ち立てた人物でもある。この構想がうまくいっていないこともヒルトンの動機の一つになっているように思われる

ヒルトンは、オックスフォード大学で学んだ後、キャメロンと同じく保守党本部に入った。そこで保守党の選挙キャンペーンを担当した大手広告宣伝会社に引き抜かれる。そして自分で企業イメージを向上させる会社を設立し、成功したが、その後、キャメロンに依頼されキャメロンの戦略を立て始めた。キャメロンはヒルトンのサービスに当時の自分の給料の2倍以上を支払ったといわれる。ヒルトンの妻は、もともと保守党のマイケル・ハワード党首の政治秘書を務めた人物で、当時からその有能ぶりは有名だったが、現在は、グーグルのコミュニケーション担当の副社長である。ヒルトン夫人は、かつてキャメロン首相の妻サマンサの義父と関係があったことから、サマンサとそう仲が良いわけではないと見られているが、ヒルトンとキャメロン首相との関係の強さはよく知られている。

ヒルトンが首相官邸を離れると聞いた途端、恐らく、アイデアが尽きてきて充電が必要だと判断して一時官邸を離れるのではないかと思った。サンデータイムズ紙は、政府がこれ以上の改革を進める意欲を失ったことが原因というが、これは同じことを違うアングルから見ているように思われる。来年夏にロンドンに帰ってきた時には恐らく次の総選挙の準備にあたるのではないかと思われる。

ロンドン市長選の動向(Forthcoming London Mayoral Election)

この5月3日(木曜日)にロンドンの市長選が行われる。このロンドン市長選は、日本で言えば東京都知事選にあたる重要な選挙だ。

この選挙は、保守党のボリス・ジョンソン現市長と労働党のケン・リビングストン前市長の争いである。現在までの世論調査では、二人の差はかなり小さく、接戦となっていると見られている。

二人の間の主な争点は、ロンドンの公共交通の運賃である。ロンドン内では、地下鉄、バス、それに一般の鉄道網は私鉄も含めて基本的にロンドン交通局の統一運賃の下で運営されている。この運賃をジョンソン市長が今年1月に上げたのに対し、リビングストン前市長は、当選すれば運賃を7%カットすると表明した。このため、それまで劣勢と見られていたリビングストンが支持率を上げ、接戦となっている。

ジョンソンは、リビングストンの運賃引き下げは、ロンドン交通局の予算から10億ポンド(1300億円)が失われることを意味し、地下鉄の改善整備ができなくなる、リビングストンは向こう見ずだと非難した。ジョンソン市長の政策には、以下のようなものを含む。

 20万人の仕事をつくる
 首都に300エーカー(120ha)の緑のスペースを復活させる
 街路に2万本の気を植える
 商業の中心街改善のために2億2100万ポンド(290億円)を投資する
 大ロンドン庁分の地方税を引き下げる
 地下鉄の遅れを2015年までに30%減らす

ジョンソン市長には個人的な人気があるが、上記のような政策に有権者がどの程度関心を示すだろうか?

なお、ジョンソンは、保守党支持のテレグラフ紙のジャーナリストを務めた後、人気のある保守党寄りの人気雑誌スペクテイターの編集長を務めた。そして保守党の下院議員としてよく知られていた人物で、キャメロン首相の後の保守党党首の最有力候補である。

一方、リビングストンは、ブレア政権で新たに設置した大ロンドン庁(Greater London Authority)で初代市長を2000年から2008年まで務め、ロンドンの混雑税やオイスターカードと呼ばれる自動運賃支払いシステムを導入した。かつては、サッチャーが廃止する前の大ロンドン議会(Greater London Council)の多数派だった労働党のリーダーとして市長のような立場にあった。その後、労働党の下院議員となった。