歴史の評価(The Verdict of Posterity)

マーガレット・サッチャー元首相の葬儀が国葬に準じた形で行われ、セント・ポールズ大聖堂にはエリザベス女王以下2300人が集まった。

それで対比的に思い出されるのが、労働党の首相(1945-1951年)であったクレメント・アトリーである。キャメロン首相が4月10日の下院でのスピーチの中で、優れた業績を残した首相の一人として名を挙げたアトリーは、第二次世界大戦後の首相として、戦後の復興をリードし、その政権ではNHSを創設した(http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-22096469)。

アトリーは、二十世紀で最も優れた首相として挙げられることが多い。下院議員を退いた後、伯爵に任ぜられたが、1967年に亡くなった時の葬儀は、極めてつつましかった。ロンドンのテンプル教会で行われたが、出席者は、当時のウィルソン労働党首相夫妻を含んでいたものの、150人にも満たず、外で参列したのは30人ほどだったと言われる。しかも式は20分もかからなかったそうだ(http://static.guim.co.uk/sys-images/Guardian/Pix/pictures/2013/4/12/1365777944820/Attlee-funeral-001.jpg)。それでもアトリーの遺灰がウェストミンスター寺院に収められた時には、2000人が出席した。(http://www.britishpathe.com/video/earl-attlees-remains-interred-aka-service-of-memor)

アトリーが亡くなったのは、首相の地位を離れてから16年後のことであったが、その時点では、ガーディアン紙は、アトリーは偉大な首相ではなかったと書いた(http://static.guim.co.uk/sys-images/Guardian/Pix/pictures/2013/4/12/1365777984207/Attlee-obit-001.jpg)。近年では、アトリーは歴史家や政治学者たちから高く評価されている(http://www.ipsos-mori.com/researchpublications/researcharchive/661/Rating-British-Prime-Ministers.aspxhttp://www.woodnewtonassociates.co.uk/analysis/Papers/Rating%20PostWar%20British%20Prime%20Ministers.pdf)。アトリーの真価を見るには半世紀ほどの時間が必要だったようだ。

一方、サッチャーの評価は、1990年に政権を去って、四半世紀近いが、サッチャー政権時代に心に傷を受けた人たちは未だに癒えているとは言えず、非常に批判的な意見もかなりある。恐らくサッチャーの場合も、あと四半世紀もたてば、その歴史的な評価はより落ち着いたものとなるのではないだろうか。つまり、歴史の評価には、半世紀ぐらいの時間を見ておいた方が確かなように思われる。

現在の日本にそのような評価に耐えられるだけのビジョンと覚悟を持つ政治家がどの程度いるだろうか?

オズボーン財相の涙(Osborne’s Tear)

英国の首相を1979年から1990年まで11年半務めたマーガレット・サッチャー元首相の葬式がとり行われた。

その棺は、一晩、国会内の礼拝堂に安置された後、午前10時過ぎに国会を出発した。 9時半ごろ少し雨が降ったが、すぐに止んだ。そのころには沿道の人は多くはなかった。

官庁街のホワイトホールを通り、首相官邸のあるダウニング街10番地を通る。沿道に多くの人が集まったのは、その直前だったが、見守る人たちの中から静かな拍手が広がった。騎兵が先導し、しばらく時間を置いて白バイに先導された霊柩車と随行の車が通りすぎた。

集まった人の多くは、官庁街であったことを反映し、国家公務員であったのだろう。首相官邸や、その横の内閣府の建物に入っていく人を多く見かけた。

ストランドからセント・ポールズ大聖堂へ向かう棺の行進は、多くの人々が道の両側を埋める中、音楽バンドと軍人に先導され、粛々と進んだ。

観光客がこの行進を見るためにかなり集まったようで、テムズ川沿いを通るロンドン観光のツアーバスにはほとんど人が乗っていなかった。横道に整列した近衛兵の後ろから行進を見学することとなったが、横道も人で一杯だった。

反サッチャーの人と親サッチャーの人の言い合いがあったが、反サッチャーの人は、行進が到着するまでに立ち去った。ほとんどの人たちは、そのやり取りを眺めていただけで特に反応しなかった。

その後、午後には晴れて、いい天気となった。

この日、最も印象に残ったのは、ジョージ・オズボーン財相である。BBCの午後1時のニュースでも放映されたが、セント・ポールズ大聖堂内の式典で、キャメロン首相の後ろに座っていた。そこで、テレビのレポーターも、オズボーン財相の涙に触れた。よく見ると、確かに頬に涙が流れた跡がある。後にそれを自ら拭った。

オズボーン財相は、人情味がない冷たい人物のようなイメージがあるが、そのイメージを覆す光景だった。

昨日IMFが英国の経済成長率予測を引き下げ、しかも今日の発表で失業者の数が増えるなどいいニュースに乏しいが、オズボーン財相は、既定の方針を変えるつもりはない。自分の立場をサッチャー元首相の首相一期目の立場と重ね合わせて、感じた面があったのかもしれない。

なお、オズボーン財相は、セント・ポールズ大聖堂に関係のある、私立のセント・ポールズ・スクールの卒業生である。