キャメロンの苦悩

保守党のもともとの選挙戦略は、投票日が近づくに従い、支持率で労働党に追いつき、逆転し、その差を拡大していくというものだった。つまり、有権者は、経済財政政策で弱い労働党を信頼できず、しかも「首相らしくない」ミリバンド労働党党首に投票できないと判断し、保守党に支持が帰ってくるとの計算であった。

このシナリオは、多くの政治コメンテーターも描いており、また、イギリスの賭け屋もそうだった。そのため、保守党は、これらの労働党の「弱み」を強調することに重点をおいた選挙運動を展開してきた。

ところが、実際に起きたことはこのシナリオどおりではなかった。保守党は、支持率で労働党に追いつき、少しリードし始めたものの、労働党の大学学費値下げや非定住外国人の税優遇取扱い廃止などの政策、さらに「テレビ討論」で、ミリバンドの評価が次第に上がり、再び、労働党に少し差をつけられ始めた。

それに慌てた保守党は、ミリバンドへの個人攻撃を強めるとともに、人気取りのために、国民保健サービスNHSへの予算に80億ポンド(1兆4400億円:£1=180円)追加、さらには、公共住宅の住民購入権の拡大など、予算の裏付けに乏しい、疑問のある政策を打ち出し、また、かつて人気のあった政策、すなわち、相続税がかかり始める額を、住宅の場合100万ポンド(1億8千万円)まで拡大する公約も出した。

しかし、これらの支持拡大を狙った政策は、有権者から予期した反応が得られておらず、不発に終わっているばかりではなく、逆に保守党の経済財政運営能力に疑問を投げかけることとなっている。

一方、保守党のマニフェストの主要な政策である、欧州連合(EU)のメンバーシップに関する国民投票を2017年末までに実施することは、大きな頭痛の種になっているように思われる。キャメロン首相は、イギリスのEUとの関係を見直し、その関係を再交渉し、イギリスに有利な状況を作った上で、EUに留まるかどうかの国民投票をすることとしていた。ところが、EUの欧州委員会委員長周辺や他の加盟国から、そのような交渉は、現欧州委員会委員長の任期の終わる2019年11月までないという話が伝わった。フランスなどは、かつて条約批准のための国民投票で敗れた過去があり、EUの加盟国との関係を見直すことに消極的だ。

これは、キャメロン首相にはかなり悪いニュースである。それでも、交渉し、一定の成果を得られるとする見方もあるが、実質的な交渉ができないまま、もし国民投票が行われるようなら、イギリスのEU脱退の可能性が大きく高まることになりかねないからである。

労働党のミリバンド党首が、「テレビ討論」など、メディアに頻繁に登場し、その評価が上がる中、キャメロン首相は、決め手となるはずの政策が不発で、しかも次から次に出てくる問題に対処しながら、接戦の選挙を戦うのは容易なことではない。

さらに輪をかけているのは、キャメロン政権の経済財政運営の成果と誇る、経済成長の結果、雇用が大きく増え、失業率が大きく下がり、しかも所得が上昇しているのに、それが保守党支持につながっていないように見える点だ。キャメロン首相の苦悩は続く。

 

保守党マニフェストの目玉:住宅組合の住宅購入権

保守党のマニフェストの発表で、キャメロン首相は、労働党のお株を奪うかのように、保守党を「働く人の党」と主張した。ミリバンド労働党党首への個人攻撃はなく、有権者に前向きなメッセージを送ることを狙ったものだった。

その目玉は、低中所得層をターゲットにした住宅政策である。住宅組合(Housing Association)の住宅に住む人たちに、その住宅を購入できるようにすると約束した。これは、かつて保守党が大きな成功を収めた政策の焼き直しで、相続税の削減政策とともに、かつて一定の効果のあった政策である。この住宅政策には、特に、前回総選挙で次点との差の少ない選挙区のイギリス独立党UKIPの支持者を保守党支持へ向けるという選挙上の戦略があるが、保守党のアイデアが枯渇していることのあらわれとも言える。

このもともとの政策は、マーガレット・サッチャーのもので、サッチャーが保守党党首として、1979年の総選挙で勝利を収め、首相となったが、その際のマニフェストに「不動産所有デモクラシー」として、公営住宅を借りている人に、その住宅を買う権利を与えるとしたものだ。

そして、そのマニフェストで謳っていた通り、1980年から住民が住んでいる公営住宅を割引価格で買えるようにしたのである。この政策は、非常に人気があり、1983年の次の総選挙までに50万軒の公営住宅が買われた。また、この政策で、150万軒の公営住宅が購入されることとなる。

イギリスでは、不動産を所有することは、中流の象徴であり、その結果、その人たちの多くは、保守党を支持することとなり、この政策は、保守党支持の強化に役立った。一方、労働党はこの政策を嫌った。利用できる公営住宅の数が減ることとなり、しかも保守党の勢力拡大の道具という意識があったためだ。そのため、1997年からの労働党政権では、割引率を徐々に下げた。ところが、キャメロン政権では、その割引率を大幅に拡大し、現在では、最大限70%の割引が適用されることとなっている。

今回の保守党のマニフェストでの公約は、この方式をイングランドの住宅組合の家にも、公営住宅と同様、住民が買える仕組みを導入するというものである。住宅組合は、民間の組織であるが、公共的な役割を果たしており、公費を受け取っているが、これまで大半の住宅には購入制度はなかった。しかし、もし、保守党が総選挙後に政権を担当することとなれば、この制度を利用できる世帯は130万ある。

保守党は、この政策を、低中所得層への明るい材料とし、特にこの層に多い、UKIP支持を保守党支持へと向ける狙いがあった。

しかしながら、この政策には少なからぬ批判がある。まず、この政策の実施に必要なお金の調達方法である。それぞれの地方自治体の公営住宅のうち、最も価値のあるトップの3分の1の公営住宅が空いた場合、それを販売した収益を充てることにしている。この収益から、その住宅の割引額、そして、汚染されているなどの理由で使えない、もしくは使っていない用地を使えるようにする費用、さらに、売った住宅の代替住宅を建設する費用に充てられることになっており、その金額は年に45億ポンド(8100億円:£1=180円)が期待されており、政府の追加の財源は必要ないことになっている。

ただし、これが計画通りにいくかどうかには疑問がある上、売った後、その代替の住宅を建設したとしても、それまでにはかなりの時間がかかり、ただでさえ、住宅の供給が大幅に遅れている状態をさらに悪化させる可能性が高い。

労働党は、この計画は、お金の裏付けがないと批判している。サッチャー政権時代、特にその初期に大きなインパクトがあったが、その効果が、今回もあるかには疑問がある。保守党のマニフェストの目玉のうちの一つで、保守党支持新聞が特に大きく第一面で報じたが、これで保守党支持への大きな原動力となるだろうか?

保守党のマニフェスト発表は、インパクトを欠き、恐らく、このまま労働党との支持獲得競争が膠着したまま、投票日を迎えるのではないかと思われる。