ポジショニング段階のメイ新首相

7月20日、メイ新首相が最初の首相への質問に立った。そのパフォーマンスを誉め称える政治コメンテーターは公共放送のBBCを含め多い。確かにメリハリのきいた返答ぶりだった。それでも、メイは、野党第1党の労働党のコービン党首の真剣な質問に答えず、その代わりにコービンを冷笑しただけだった。メイの「冷笑」は、保守党下院議員や、反コービン派の労働党下院議員たちを喜ばせ、政治コメンテーターたちにもエンターテインメントを提供した。しかし、有権者の多くが、まじめで真剣な議論を軽視した、このような政治関係者たちの言動に大きな不満と不信を持っていることを思い起こすべきだろう。欧州連合(EU)国民投票で離脱に投票した友人は、政治家たちは何もわかっていない、目を覚まさせるために離脱に投票したと言う。

メイは、まず、7月20日に発表された、いいニュースとしたうえで、イギリスの雇用が上昇したと言った。実は、これは、2016年3月から5月の数字であり、イギリスがEUから離脱することを決めた後のものではない。オーグリーブズの戦い、すなわちサッチャー政権時代の鉱山労働者と警察との衝突をめぐる真相解明、また、喫緊の問題である住宅問題、生活困窮者らに関する質問にはほとんど答えずなかった。また、イギリスのEU離脱について語れる答えを持っていなかった。このような答えで、なぜ政治コメンテーターたちが高い評価をするのだろうか。政治コメンテーターたちの評価の基準がおかしいのではないか。

メイは、まだ新政権のポジショニング、すなわち、自分の政権をどこに位置付けるかが明確ではなく、今の段階では、スローガンに終始している。メイは、首相に任命された直後の演説で、誰にもうまく働く政権を作りたいと語った。恵まれない人たちを真っ先に考えるとしたが、それを実現する具体策はまだ遠い。

イギリスの統合を重視するとし、首相に就任して最初に訪れたスコットランドでは、スコットランド住民のことを真っ先に考えるとしたが、この訪問は戦略的なものであり、スコットランド住民が、イギリス政府から大切に思われているから独立を考える必要がないと思わせる心理的戦略のように思われる。今のところ、スコットランドのスタージョン首席大臣との関係を作る以上にスコットランドに関して何をするかの具体的な戦略はないのではないか。

一方、7月20日には、ドイツのマーケル首相を訪ね、リスボン条約50条に基づく、EU離脱通知は年内ではなく、来年となると話した。ところが、その通知を出すまでは、具体的な話はしないと釘を刺される。さらにメイが7月21日に訪問したフランスのオランド大統領は、メイの立場に一定の理解を示しながらも、なるべく早くその通知を出して離脱交渉を始めるべきだとする立場を崩していない。これらの訪問では、トップ同士だけではなく、同行のスタッフらの顔合わせの意味もあるのだろうが、いずれにしても、イギリスの交渉のポジションを定めるのにかかる時間の合意も取れていないようだ。

確かに、新政権が発足したばかりで、すべてを要求するには無理があるだろう。中央銀行のイングランド銀行がイギリスのEU離脱の影響はそれほど出ていないとする報告書を出したが、まだ4週間では、今後どうなるか不透明である。EU離脱の影響がもう少しはっきりと見えてくるまでには、もう少し時間がかかるだろうし、恐らく財相の「秋の声明」で財政状況の説明があるまで、今後の財政を含めた方針が立てにくい状況にある。

メイは、首相への質問で、労働党が党首選でもめている間に、EU国民投票で分断した国を統一させると言ったが、それをどのようにして、また、どの程度できるのだろうか。それに、メイは、国民を分断させた国民投票は、保守党のキャメロンが実施したことを忘れているようだ。

高望みしすぎのメイ首相

7月13日、キャメロン首相が辞任し、メイ新首相(59歳)が誕生した。キャメロン首相は、第2のアンソニー・イーデンとも揶揄されている。イーデンは、1956年のスエズ危機で誤算し、イギリス兵を送り、自滅した元保守党首相である。戦後のイギリス首相のランキングでイーデンは最下位に置かれるが、6月23日の欧州連合(EU)国民投票で計算を誤ったキャメロンは「EU離脱の首相」として歴史に残ることとなると見られている。

キャメロンは、2010年当時の不安定な経済状況から、首相として財政赤字を半分に減らし、また、G7でトップクラスの経済へ導いた。運営の難しいと思われていた自民党との連立政権を5年間うまく運営し、2015年総選挙では、保守党として1992年以来の過半数を成し遂げた。2019年には首相を退くと見られていたが、キャメロンは、既に2度のレファレンダム(自民党の求めた下院議員選挙へのAV 選挙制度の導入、スコットランド独立)で勝っており、さらに6月のEU国民投票でも勝ち、首相在任期間9年の、歴史に残る業績を成し遂げた首相となるのではないかと見られていた。しかし、このEU国民投票で敗れ、キャメロンの命運は尽きた。キャメロンは、これからの数年で、自分の政治的遺産をまとめようと考えていたようだが、時間切れとなってしまった。

一方、EU国民投票で残留派だったが、あまり目立たないようにしていたメイは、イギリスのEU離脱でほとんど傷を受けなかった。そしてキャメロンの後継首相となる最大のライバルと見られていた、残留派のジョージ・オズボーン前財相と、離脱派のリーダーだったボリス・ジョンソン前ロンドン市長が脱落した結果、首相の座が転がり込んできたのである。

メイは、バッキンガム宮殿で、エリザベス女王に首相として任命された後、ダウニング街10番地の首相官邸の前に立って、首相として初めてのスピーチを行い、「誰にもうまく働く国」を築きたいと抱負を述べた。ただし、目下のイギリスの最大の課題は、EUからの離脱にいかに対処するかである。保守党党首選での7月11日の演説では社会正義に重点を置き、さらに残留派、離脱派で割れた保守党の融和、その上、女性を閣僚級に大幅登用する計画など、必ずしも関連していない多くの課題を一挙に解決しようとするメイの試みは、すべてがそう簡単に成功するとは思えない。

メイのこれまでを見ると、危険なことを極力避けてきた、いわゆる優等生タイプのようだ。メイは、小さなことにこだわりすぎ(マイクロマネジャー)、コントロールフリークとも言われる。それがゆえに内相として6年間やってこられた。そして首相の地位が回ってきたと言える。しかし、首相には、内相とかなり違う能力が要求される。その一つは、いかにそれぞれの大臣に権限を委譲し、それぞれの能力を最大限に発揮させるかである。コントロールフリークには、そのような転換は極めて困難なのではないか。むしろ、目的を広げようとすればするほど、自分でコントロールできる範囲が狭まり、その狭間で苦しむことになりかねない。

メイの場合、内相としての業績がそう優れていたとは言えない。犯罪の数が減ったと言われるが、その原因ははっきりしていない。最も注目された、正味の移民数を10万人未満とする目標は、最終的に33万人と全く達成できなかった。イングランドとウェールズの41警察管区で設けられた犯罪・警察コミッショナーは、成功したどころか、次々に問題が起き、2015年総選挙の労働党のマニフェストでも廃止するとうたわれていたが、保守党の中でも失敗だったとする声がある。メイが内相として6年間生き延びたのは、むしろ、あまり内閣改造を好まないキャメロンと、メイをそう攻撃しなかった右寄りのメディアによるところが大きい。もちろん、イギリスでは、6年間、内相の職務についていたこと自体に重みがあるのは事実である。そのような運があったとも言える。

それでも、メイは「ピーターの法則」の典型的な人物のように思える。ピーターの法則とは、ある地位への候補者を、その地位に適切な能力によって判断するよりも、現在の役割での業績に基づいて判断するものである。メイの場合、その「業績」は、在任期間の長さであろう。

メイはこの重要な時期に、おっちょこちょいのボリス・ジョンソンを外相に任じた。党内対策を考慮したのだろう。メイは、目的を拡散させずに、むしろ、絞ることからスタートすべきであったように思われる。