スナク首相が英国の総選挙を7月4日に実施することにした理由

スナク首相が、2024年5月22日、7月4日に英国の総選挙を実施すると発表した。

前回総選挙が実施されたのは、2019年12月であり、5年の任期の終わる日は、2025年1月28日であり、それまでかなり時間の余裕があった。一方、スナク首相は、これまで次期総選挙は2024年の後半に想定していると発言しており、一般には、2024年秋、特に11月ごろになるのではないかと見られていた。

ところが、5月22日になって突然、総選挙のうわさが流れ始めた。欧州にいたキャメロン外相が予定を変更して早く英国に帰国するとか、シャップス国防相が海外に出発する時間を遅らせたなどといった話が出てきて、臨時の閣議が開催されるとの話が出てきて、そして総選挙が行われるという見込みが強まり、スナク首相が、その日の夕方、雨の降る中、官邸前で総選挙の実施を発表したのである。保守党の下院議員の多くもこの展開には驚いた。

なぜ、スナク首相は、7月4日に総選挙をすることにしたのか?幾つかの要因が考えられる。経済的、政策的、政治的、そしてスナク首相の個人的なものがあるだろう。

  • 経済的

5月22日朝、4月のインフレ指数が発表された。2.3%。事前に予想されていた2.1%より高かった。確かに、2022年10月には11.1%だったのが、かなり下がってきた。しかし、英国の中央銀行のイングランド銀行の公定歩合の引き下げは先になるとの見通しが広がり、さらに良くなるのを待っているよりも、少し状況の良くなってきた今の方が有権者に訴えやすいとの判断があったようだ。

  • 政策的

スナク首相が特に力を入れていたのが、フランスから小さなボートで渡ってくる不法移民の対策である。2代前のジョンソン首相が、そのような不法移民をアフリカのルワンダに送る案を出したが、まだ実現していない。英国の最高裁判所が、安全でないルワンダに送るのは違法だとしたが、スナク首相は、英国の議会主権の立場を使い、「ルワンダは安全な国だ」とする法律を通した。そして6月末から7月初めに開始するとした。そして、もし、欧州人権裁判所(EUとは別の組織)に訴え出るものがあれば、それは無視する方針だったようだ。しかし、北アイルランドの裁判所が、EUと英国の、主に貿易に関係するウィンザー・フレームワーク合意で定められた、ベルファスト(グッドフライデー)合意下の人権を弱めることはできないとの条項に反するとの判断を示した。さらに、欧州人権条約を離れることは、北アイルランドの長年のトラブルを解決したグッドフライデー合意に違反するとの見方が強くなり、スナク首相は、ルワンダに不法移民を送ることが極めて難しい状態となってきた。スナク首相は、ルワンダに移民を送るのは7月までに始まるとしていたが、それが守れなくなった。「選挙のタイミング」の著者、ニューヨーク大学のアラスター・スミスによると早く選挙をするのは将来の政策の失敗を予期している時だという。今回は、それが当てはまるケースではないかと思われる。その上、9月に入ると、保育所の受入拡大が実施されるが、保育所スタッフの不足など多くの問題が吹き出す可能性がある。

  • 政治的

世論調査の保守党支持率は上がらず、野党第一党の労働党に20%強の差をつけられたままだ。秋まで選挙を待っていると、保守党の下院議員から党首として不信任される可能性もゼロではない。さらに、首相の地位にすがりついているとの批判も受けやすい。

  • 個人的

スナク首相は、まだ44歳だ。保守党の強い選挙区から選出されているため、総選挙で落選する可能性は少ない。総選挙で保守党が敗れても、下院議員を継続すると発言したが、保守党が大敗する見込みの中、総選挙後、党首を辞任し、時期を見て政界から離れ、ビジネスの世界に復帰するように思われる。これまでとんとん拍子に出世し過ぎ、政治や行政のプロセスを十分に理解できないまま首相となった。高速鉄道HS2の北部路線の廃止決定の際に見られた混乱、さらに今回の突然の選挙でもスナク首相の優先法案が廃案になるなど、自分の施政を十分理解できていないような点が目立つ。今回の選挙は「大きなギャンブル」と言われているが、追い詰められて実施して大敗するよりも、少なくとも、自ら進んで早く実施すれば、「元首相」のビジネスマンとしてのこれからの経歴に与えるダメージが少なくなるだろう。

  • 英国は2院制。ただし、上院(貴族院)は公選で選ばれないため、公選で選ばれるのは下院(庶民院)だけ。上院で過半数を占める政党はない。スナク首相率いる保守党は下院の過半数を占め、スナク首相には、議会の信任があるとして、事実上、総選挙の期日を決定できる。総選挙の実施には英国の君主である国王の許可が必要だが、議会の信任のあるスナク首相にとっては、形式的なものである。

2024年7月4日は木曜日。英国では伝統的に木曜日に選挙が行われている

次期英国総選挙の予想

次期総選挙は、2025年1月28日までに行わねばならない。スナク首相は、今年の後半に総選挙を想定していると発言しているが、状況によっては、それより前に行う可能性もあると見られている。これまでの世論調査では、野党第一党の労働党が政権政党の保守党に支持率で20%前後の差をつけている。

選挙学(Psephology)の大家ジョン・カーティス教授が、次期総選挙で労働党の勝つ可能性は99%だと発言した。カーティス教授は、英国の世論調査会社や専門家などで構成する英国世論調査会議(British Polling Council)の会長を2008年から2024年2月まで16年にわたって務めた人物で、英国の公共放送BBCの総選挙番組などに頻繁に出演している。総選挙の際にBBCらが行う出口調査のリーダーでもある。

その数日後に発表された、サーベーション(Survation)という世論調査会社のMRP(マルチレベル回帰事後層化シミュレーション)という手法で15000余りのサンプルを用いた次期総選挙の議席予想によると、保守党は全650議席のうち、98議席の獲得に留まり、大敗するという結果を出した。この結果は、その後、YouGovが同じMRPの手法で18000余のサンプルを基に、保守党は155議席という予測をだした。いずれの結果も、保守党は、2019年総選挙の半分の議席も獲得できないという予想だ。スナク首相のこれまでの保守党への支持回復策は不発に終わっており、有権者のスナク首相への評価は低くスナク首相の言うことを聞く耳を持つ人が大きく減っている。選挙の大勢は既に形作られているといえる。保守党は、現状では、1997年総選挙でブレア労働党に敗れたレベルの大敗を喫する状態である。

 実施日保守党労働党SNP自民党その他総議席マジョリティ
YouGov7-27/3/2024155403194924650労154
Survation8-22/3/202498468412221650労286
2019結果12/12/2019365202481124650保80
1997結果1/5/199716541864624659労179
マジョリティとは、英国下院の最大政党が他の政党の合計議席よりも何議席多いかを示したもので、最大政党の基盤の強さをあらわすもの。

一方、世論調査で保守党に大きな差をつけている労働党は、現在のリードを維持していくため、有権者の労働党への投票意欲を削がないよう安全第一の策を取っている。労働党の党員数は2019年末の53万2000人から2024年3月の36万7000人ほどまでに大きく減った。特にパレスチナのガザ問題に関する煮え切らない政策などで、過去2か月で23000人減ったという。それでも労働党は、総選挙で勝つためには「妥協」が必要だという考えだ。