レトリックの効用

キャメロン首相のレトリックの使い方には、驚くべきものがある。これで保守党が総選挙に勝ったのではないかと思えるぐらいだ。

その端的な例は、移民の数の問題である。イギリス国民は、これに非常に大きな関心を持っている。イギリス独立党(UKIP)への急激な支持の増加は、この問題に端を発する。キャメロンは、前回の2010年総選挙前、政権につけば、移民数(正味の移民数で、移入者の数から移出者の数を引いたもの。いずれも1年以上の動きが対象)を間違いなく10万人未満にすると約束した。この総選挙期間中には、当時のブラウン首相(労働党)が、遊説中、ダフィーさんという年金生活者から東欧からの移民の問題を質問された後、お付きの人に、あの頑迷な女と言ったことが明らかになり、わざわざダフィーさんの自宅に謝罪をするために訪問した事件(ダフィーゲート)があった。

キャメロンは、その約束にもかかわらず、首相を5年務めた後、当時の最新の移民数統計は29万8千人で、約束した数の約3倍だった。公約を果たせなかったのである。これを質問されたキャメロンの答えは揮っていた。

「10万人は今でも目標で、それを達成したい」

公約を果たせず、申し訳ないとは言わず、その目標に向けて今も努力しているとの答えだった。イギリス国民は、これを言葉通り受け止め、この公約違反は、選挙期間中、大きな問題とはならなかった。

そして、2015年総選挙の2週間後、最新の移民数の統計が発表された。それによると、前回より減るどころか、さらに増え、2014年には31万8千人だった。この数字は、過去最大の2005年の32万人に迫る数字である。前年から50%ほど増えている。キャメロンは、それでも、選挙期間中と同じことを主張した

労働党支持の新聞、デイリーミラーは「キャメロンの大嘘」と第一面で批判した。タイムズ紙は、社説で、キャメロンのように、恣意的に数字を決めるのは誤りとした。

もともと正味の移民の数を調整するのは、極めて難しい。移入してくる人には、大きく分けて3つある。移民の自由の権利のあるEU内の人たち、海外から帰国してくるイギリス人、それにEU外から来る人たちである。このうち、EU外からの人たちは規制できても、それ以外の人たちは難しい。その上、外貨の大きな収入源であるEU外からの学生、技能や人手の不足している分野の労働力など、規制を強めることは、自らの首を絞めかねないという問題がある。例えば、医師や看護婦などが不足しており、キャメロンは、医師5千人など、この分野での雇用を拡大するとしているが、いったいこの医師がどこから来るのかという疑問がある。EU外からの移民に頼らざるを得ないと見られている。

その上、EUの景気が低迷している中、経済成長で雇用の増加しているイギリスは、EU内の人たちには非常に魅力的だ。イギリスの増加する雇用の半分近くは、移民に行っている。

一方、移出していくのは、帰国する外国人と、海外に移住するイギリス人である。いずれも、数を規制するのは困難だが、この数字は30万人台で安定している。

これから見ると、もともと恣意的な数字を挙げたこと自体、判断に疑問がある。しかし、ここでの問題は、その判断ではなく、そのレトリックである。キャメロンは、偽りとも言えるような言葉、表現で乗り切っている点だ。

来るEUに留まるかどうかの国民投票の問題でも同じような手段を用いている。キャメロンは、2015年総選挙に勝ち、首相に留まれば、イギリスが有利となるようEU各国との交渉を行い、その上で、2017年末までに、この国民投票を実施すると約束していた。この国民投票は、2016年に行われるとの見通しが強まっているが、EUとの交渉でキャメロンの達成したい目標がはっきりしていない。

EU内の人の移動の自由を制限するための方策の中心は、イギリスで受けられる、タックス・クレジット(給付付き税額控除)などの福祉手当を、最初の4年間は受けられないとするものである。しかし、これがEUで認められるかどうかに疑問がある上、もし認められてもイギリスで福祉手当を受けているEU国民はわずか6%しかおらず、その効果は乏しいのではないかと見られている。しかも、違法移民の取り締まりを強化すると言うが、自発的、強制的国外退去の数は減っており、また、関連の予算はさらに削られる方向であり、言うことと実際に行うことの間にはかなり大きな差がある。

その上、イギリスのEU交渉での大きな目標の一つは、EUの統合を強めていくという従来の方向性を変え、イギリスに独自の道を許されるようにするというものである。確かに、シンボル的な意味はあろうが、実際にどの程度の効果があるか疑問である。

EU国民投票は、イギリスの将来に大きな影響を与えるが、レトリック、もしくは言葉で乗り切ろうとする意図があるようだ。確かにこれらは大切だ。特に政治家にとってはそうだろう。

国民は、保守党が過半数を獲得した今回の選挙結果を概して歓迎した。「ハングパーリメント(宙づり国会)」となる可能性が高かったために、不安があったからだ。そのためだろう、総選挙前に保守党が何を言ったかにこだわる向きはあまりない。このような有権者心理から考えると、キャメロンのレトリック戦略は成果を生む可能性が高いと思われる。しかし、同時に、危ういものがあるように感じられる。また、一つ間違えば、有権者の政治不信を招く可能性もあろう。

保守党支持拡大につながっていない予算発表

オズボーン財相は、現在のイギリスの経済成長は、自分の財政・経済政策が正しいからだ、有権者は保守党政権を堅持すべきだと訴える。

確かに、オズボーン財相は、イギリスの財政赤字の削減に尽力した。NHS、学校、海外援助以外の予算を約5分の1減らし、財政赤字を半分とした。また、財務省とイングランド銀行がFunding for Lending という金融機関に安くお金を貸し付ける制度を設け、一方、財務省は、Help to Buy という住宅購入補助政策を打ち出した。これが住宅価格を押し上げる効果を生み、消費ブームをもたらし、現在の経済成長につながっている。

ただし、現在の経済成長は、数々の幸運によるものでもある。例えば、2010年にオズボーン財相は、2015年までに財政赤字を無くすと約束したが、ユーロ圏危機とイギリスの経済停滞で、その約束を先延ばしにした。もし約束通りにしていれば、現在の経済成長はなかっただろうと言われている。

また、保守党の移民の公約は、正味の移民の数(1年以上滞在する入国者から同様の出国者を引いた数)を10万人以下とすることだった。しかし、実際には、30万人近くと、その3倍になっている。ところが、この移民なしでは、イギリスはここまで経済成長できなかったといわれる。

経済成長で、税収が伸びており、しかも、石油価格が低落し、低いインフレ率で、実質賃金が上がるばかりではなく、政府の債務に対する支払いも減っており、イギリスは、財政の黒字化に大きく踏み出した。

ただし、これらの成功と、5月の総選挙を有利に進めることができることとは別の問題である。予算発表後に行われた世論調査によると、確かに、有権者は、今回の予算を歓迎しており、オズボーン財相への評価は、高くなっている。しかしながら、もう一つの世論調査では支持率で労働党がリードしており、オズボーンの予算が政党支持に必ずしもつながっていないようだ。今回の予算発表の内容が、もう少しはっきりと理解されるようになるには、もう少し時間が必要かもしれないが、有権者は、保守党政権がどうしても必要だとはまだ考えていないようだ。