落ち着かないスターマー政権

アメリカ大統領選挙でドナルド・トランプ前大統領が当選した。大統領には2025年1月に就任するが、どう出るか予想の難しいトランプ政権の動きをめぐって、EUと英国はしばらく落ち着かない時間が続く。

この中、スターマー首相は、政権の形を整えるため、ブレア労働党政権で重要な役割を担った人物を何人も政権に取り込んだ。その中でも、特に目立つのは、ブレアの首席補佐官だったジョナサン・ポオルや保健大臣だったアラン・ミルバーンなどである。

スターマー首相の首席補佐官だったスー・グレイは、2023年9月からスターマーの首席補佐官となり、2014年7月の総選挙で労働党が保守党を破って地滑り的大勝利を収め、そのまま首相の首席秘書官となった。しかし、グレイの運営に不満を抱く労働党内のスペシャルアドバイザーらが始めた内部情報の漏洩などで、保守党支持新聞らがグレイとスターマーを継続的に叩き、さらに不満が広がることとなった。結局、スターマーはグレイをあきらめ、選挙戦略を担当したモーガン・マクスウィーニーを代わりの首席補佐官とした。しかし、マクスウィーニーは、労働党内の不満を抑えることに役立っても、政府の機構に精通したグレイの代わりにはならない。元ジャーナリストをコミュニケーション局長に任命し、2人の女性を副首席補佐官に据えてマクスウィーニーを支え、さらにポオルを国家安全保障担当補佐官にし、ミルバーンを保健省の非公式アドバイザーとした

筆者は、この過程で、スターマーの経験不足が明らかになったように思われる。スターマーは、検察のトップだったが、自分でチームを作り上げていくという経験に欠けているようだ。既存の組織に入って、既にトップを支える仕組みができている場合にはよいが、政府のように既存の組織はあるが、選挙後、かなり大きなトップの構造を根本的に変える必要があり、自分が仕事をしやすい体制を整えなければならない場合とは大きく異なる。

あるジャーナリストは、スターマーがグレイを除いたのは、グレイがスターマーの「使命(missions)」や「優先事項(priorities)」を優先しなかったためだという。これは奇妙に聞こえる。もし、スターマーが本当にやりたいことがあるなら、その首席補佐官には繰り返し、念を入れて話し、完全に分かるまで繰り返すだろうからだ。また、実際に首席補佐官が自分の言ったとおりのことをしているかどうかは仕事ぶりを見ていればわかることだ。もしスターマーがそのようにしていなかったとすれば、それはスターマーの責任といえるだろう。

確かに、ある政治家の「使命」や「優先事項」がなし上げられるかどうかは、本人の能力や努力だけでは解決できないものがある。世界第一の経済大国であるアメリカがどうなるか、ウクライナ戦争や中東情勢をめぐる情勢などで世界は大きく変わる。これからどうなるか不明な点はある。スターマー首相は、自分の政権体制を変更する必要に迫られ、それが落ち着くにはまだ時間がかかるだろう。

スターマーは2020年4月に労働党の党首になったが、その翌年2021年5月の地方選挙で党勢が回復しなかった。特に、同時に行われた労働党の伝統的に強い選挙区の補欠選挙で、保守党の候補に大差をつけられ敗北した。スターマーは、労働党のトップ級人事の改造をし、それが2024年7月の総選挙につながることとなる。それが今回も繰り返せるかどうかは、今後の施政にかかっているといえるだろう。

スターマー政権の予算発表

2024年10月30日、スターマー政権の予算をリーブズ財相が下院で発表した。7月4日の総選挙で労働党が地滑り的大勝利を収めて以来、4か月近く経っている。予算発表が遅すぎるとの批判があったが、恐らく拙速よりはましだろう。14年間にわたる前保守党政権の、緊縮財政を基軸にした財政運営でNHSや地方自治体の財政などが大きなダメージを受けている。コロナ禍以降、英国の経済成長率はG7の中で6番目であり、経済成長を促すことは重要だ。そのため、スターマー政権の課題は、経済成長をはかりながら、NHSや地方自治体のダメージを回復し、同時に国民の多くの生活をサポートしていくということになる。

スターマー政権がこれらの課題に取り組むには、前政権の財政をはじめとした問題を洗い出し、何をどういう優先順位でしなければならないかを決める作業が大切だ。その実施過程で明らかになったのは、前保守党政権下で明らかにされていなかった問題がいくつもあったことである。

その結果、リーブズ財相は今後5年間毎年700億ポンド(約14兆円)の支出増の実施を決め、400億ポンド(約8兆円)の大きな増税に踏み切り、後は借金をすることとした。この増税は、1993年のメージャー保守党政権のノーマン・ラモント財相の予算に次ぐ規模である。

予算発表の日、水曜日正午恒例の「首相への質問」から始まり、12時半過ぎからリーブズ財相の1時間半近い発表が始まった。この予算は、スターマー政権最初の予算であることもあり、非常に注目されていた。各種の憶測が流されており、あまり期待が持てそうではなかった。

ところが、「首相への質問」の頃から、下院の与党議席の一番前に座っていたスターマー首相や閣僚が非常にリラックスしているように見え、リーブズ財相の予算発表にかなり自信を持っているように伺われた。そして、リーブズ財相の発表が始まると、労働党側の歓声が始まり、その一方、野党の保守党は、一部の人を除いて静かな状態が続いた。これには650議席のうち400余りの議席を持つ労働党と、100余りの議席に減った保守党との差も反映されているだろう。

通常、増税する際の中心になる税は、所得税、国民保険、付加価値税(消費税)である。しかし、労働党は、総選挙で勤労者の所得税、国民保険、付加価値税は上げないとしていた。そのため、これらとは異なる、雇い主の国民保険料負担を上げることで、400億ポンドのうち250億ポンドをねん出した。一方、最低賃金(時間給、2025年4月から)を6.7%あげ、12.21ポンド(約2400円)とした。

なお、226億ポンド(約5兆5200億円)は、イングランドの国民健康サービス(NHS)につぎ込まれる。NHSは分権されており、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドは別だ。NHSが改善されるなら、増税を受け入れてもよいという有権者がかなりいたが、この財政投入でどの程度効果が上がるか注目される。

ただし、今回の予算を使った投資の結果が出てくるのは、この一期5年間内には困難で、それより先になると予測されている。しかし、リーブズ財相の計画では、政権の最初の2年間でかなりの効果が出てくることを期待しているようであり、そのあてが外れるとかなり難しい立場になりかねない。そのため、この予算は、リーブズ財相の「ギャンブル」とも言われている。それでも、今回の予算の増税では、企業や裕福な人たちがその主な担い手となっており、もしNHSが大きく改善すれば、一般有権者のスターマー政権への評価が上昇する可能性が高いように思われる。