欧州議会議員選挙と世論調査(European Parliament Elections and Opinion Polls)

欧州議会議員選挙が5月22日(木)に行われる。欧州議会はEU加盟国28か国から5年ごとに選ばれる751議員によって構成される。英国にはこのうち73議席が割り当てられており、地区別の比例代表で選ばれる。イングランド、スコットランドそしてウェールズはドント方式で選ばれるが、北アイルランドは単記移譲式投票である。

この選挙では、英国のEUからの離脱を求める英国独立党(UKIP)がトップとなるのではないかと予想されている。UKIPは下院に議席を持たないが、前回の2009年には保守党に引き続き第2位の得票率で、第2位の議席を獲得した。

2009年6月4日(木)に行われた選挙結果は以下のとおり(イングランド、スコットランド、ウェールズ)。労働党は当時、ゴードン・ブラウンが首相で政権政党であったが、第3位となった。

 政党 得票率 議席数
保守党 27.9% 25+北アイルランド提携1議席
UKIP 16.6% 13
労働党 15.8% 13
自民党 13.8% 11

なお、それまでの2回の選挙結果は以下の通り。

政党

1999年

2004年

  得票率 議席数 得票率 議席数
保守党 35.8% 36 26.7% 27
労働党 28.0% 29 22.6% 19
自民党 12.7% 10 14.9% 12
UKIP 7.0% 3 16.1% 12

2009年には、1ヵ月ほど前までの世論調査でのUKIPへの支持率は1けた台だったが、それから支持が伸びた(2009年欧州議会議員選挙までの世論調査のまとめ)。投票前日までに行われたYouGov/テレグラフ紙の世論調査では、上記4党の支持率は以下のようだった。

政党 支持率
保守党 26%
UKIP 18%
労働党 16%
自民党 15%

1ヵ月ほど前までの世論調査が選挙結果とかなり異なっていた理由としては以下のようなことが考えられる(参照)。

・ 有権者が欧州議会議員選挙でどの政党に投票するか直前まであまり考えないこと。

・ 選挙期間中マスコミがUKIPをかなり大きく報道したこと。

・ 2009年には国会の議員経費問題が発覚したため、有権者が既成政党離れを示したこと。テレグラフ紙が国会議員の経費乱用の詳細を入手し、2009年5月8日から毎日のようにそれを次から次に発表した。

2014年の欧州議会議員選挙に対しては、2013年11月21-22日に行われた世論調査の結果は、以下のようである。

政党 支持率
保守党 24%
UKIP 25%
労働党 32%
自民党 8%

UKIPは2013年には下院の補欠選挙や地方議会選挙で善戦した。2014年の欧州議会議員選挙でも台風の目となることは間違いない。

アッシュダウン卿の自民党への影響(Lord Ashdown’s Influence)

各政党ともに2015年総選挙の責任者を決め本格的な選挙準備に入っている。ニック・クレッグ副首相率いる自民党では責任者は上院議員のアッシュダウン卿である。アッシュダウン(1941年2月24日生まれ)はかつて自民党の党首であり、今でも自民党に大きな影響力を持っている。テレグラフ紙の編集した自民党の影響力の大きい人物ランキングでクレッグ党首・副首相、アレキサンダー財務副大臣、ロウズ教育、内閣府担当大臣に続いて第4位とされている。2013年9月の党大会でクレッグがアッシュダウンを2015年総選挙キャンペーン議長と紹介した時、アッシュダウンへの拍手はひときわ大きなものがあった。

次期総選挙は、2010年5月に保守党と連立を組み、低い支持率にあえぐ自民党にとって党の命運をかける戦いとなる。アッシュダウン卿は、これまでクレッグ党首のメンター的役割を果たしてきた。

2013年は自民党にスキャンダルが襲いかかった。自民党のチーフエグゼクティブだった上院議員レナード卿に性的ハラスメントの疑いがかかり、さらに前エネルギー大臣のクリス・ヒューンが司法妨害罪で刑務所に送られた。ヒューンは、クレッグと党首選を競い惜しくも破れた人である。レナード卿は起訴もされておらず司法的な処置はとられていないが、大きく報道され、いずれも自民党のイメージをさらに傷つけるものとなった。

アッシュダウンは、このような問題はどの党にも起きるとして、起きたことよりもそれらにいかに対応するが重要だと言う。アッシュダウンは、明らかに自分の経験に基づいた話をしているようだ。党首時代に、女性秘書とのかつての関係が明らかになる可能性があった時、先手を取って自ら記者会見を開いて公表し、「パンツダウン」などと揶揄されながらも、その影響を最小限に食い止めたことがある。

アッシュダウンはもともと英国海兵隊のエリート特殊部隊SBSの指揮官だった。その後外務省に入り、一等書記官などを務めたが、実は英国の対外諜報局MI6のメンバーだった。

1983年から2001年まで自民党下院議員を務め、1988年から1999年まで党首。1997年総選挙では18議席から46議席へと伸ばし、自民党の中興の祖ともいえる。2002年から2006年まで国連のボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表を務め多くの業績をあげた。その後、国連のアフガニスタン特別代表のポストを一度引き受けたものの、アフガニスタン政府側がアッシュダウンのボスニア・ヘルツェゴビナ時代に示した剛腕ぶりを嫌ったためにポスト就任を辞退したという経緯がある。

なお、アッシュダウンは、1997年総選挙前に労働党のトニー・ブレアと自民党・労働党の連立政権の話し合いを進めていた。労働党が地滑り的大勝利を収めたためにその連立政権の話は無くなったが、この経験が2010年にクレッグが保守党との連立に踏み切った一つの要因になっているように思える。

アッシュダウンがどの程度、自民党の党勢を回復できるか注目されるが、少なくとも自民党活動家にとっては頼りになる人物と言えるだろう。これまでの世論調査の結果では、全国的には支持率が大きく下がっているものの、現職の自民党下院議員の議席ではかなり善戦する傾向が出ており、党活動が命運を分けるカギとなる。その点でアッシュダウンの任命は当を得ていると言える。