スナク首相のメルトダウン

2024年7月4日に英国の総選挙が行われる。政権を担当する保守党と野党第一党の労働党との間の戦いを中心にした厳しい選挙戦が展開されている。選挙戦はまだ1か月近く残されているが、保守党政権を率いるスナク首相は、小さな戦に勝とうとして大きな戦を失う愚を犯したように思われる。

6月4日夜に行われた保守党のスナク党首と労働党のスターマー党首との間の討論で、スナク首相は、労働党が総選挙に勝てば、労働党は、一勤労者家庭当たり2000ポンド(40万円)税金を上げると繰り返し攻撃した。しかもその計算は、財務省の国家公務員が行ったものだと主張したのである。スターマー党首は、それは「くだらない話」で保守党が作り上げた話だと反駁した。討論直後に発表されたYouGovの世論調査は、51%対49%でスナク首相が優位だったとしたが、発表された詳細で、ほとんどの政策項目と人物評価でスターマー党首が優位だったものの、スナク首相は、「税金」に関する政策課題で大きく優勢だった。

これに対し、労働党は、公開の討論でスナク首相は嘘を言ったとし、「スナク首相は嘘つき」とのキャンペーンを始めた。一方、財務省のトップ事務次官が、その数字は財務省の作ったものではないとし、あらかじめ、財務省の名前は出さないでほしいと大臣並びに保守党のスペシャルアドバイザーらに念を押していたことが明らかになった。スナク政権はこれまでにも英国の統計の元締めである「統計機構(Statistics Authority)」から統計の使い方について厳しい批判を浴びたことがあるが、統計機構は、その管轄下の統計規制局(Office of Statistics Regulation)に調査を命じた。

統計規制局の調査結果は、その翌日の6月6日に報告された。それでは、財務省の職員がある程度の計算をしたものの、財務省の作ったものではないとし、しかも2000ポンド増税は(4年間ではなく)1年のもののように聞こえるとし、政党や政治家は、一般の人がわかるような統計の出し方をし、その計算の根拠をはっきりと示すべきだとしたのである。

スナク首相の最大の失敗は、6月6日は、フランスのノルマンディーに英米軍をはじめとする連合国軍が上陸し、ナチスドイツ相手に反逆を始めたD dayの80周年の記念日であったことである。この式典には、バイデン大統領、マクロン大統領らを始め主要国の政治家が出席していたが、首脳の並んだ写真を撮る前に、スピーチを済ませていたスナク首相は英国へ帰り、首脳の写真には、外務大臣のキャメロン元首相が入っていた。スナク首相が英国へ帰ったのは、英国のテレビ局ITVとのインタビューが行われることになったためである。なお、このインタビューではスナク首相は、「労働党2000ポンド増税」を巡る自分の発言を正当化しようとしたにとどまった。

このD Day は英国人にとっては、非常に重要な日であるが、スナク首相の態度は不敬だとする声が強く出た。特に、6月7日夜の主要7党の代表者討論に出席するリフォーム党のファラージュ党首がスナク首相を厳しく批判すると予想される。

スナク首相は、6月7日朝、英国に早く帰ったのは失敗だったと謝罪した。スナク首相の愛国心に大きなクエスチョンマークがついた。この打撃から立ち直るのは容易なことではないように思われる。

スナク首相の労働党攻撃戦略

6月4日夜の2大政党党首討論で、保守党のスナク首相は、労働党が総選挙で勝てば、税金を一勤労者家庭当たり2000ポンド(40万円)上げる(4年間で)と労働党を攻撃した。

保守党は2010年から14年間政権にあるが、有権者の3分の2が保守党政権に不満を持っている。保守党は世論調査支持率で、野党第一党の労働党に20%程度の差をつけられており、獲得議席予測では惨敗する情勢である。そのため、なりふり構わない状態になっている。

スナク首相は、討論の中で労働党が2000ポンド税を上げるとの主張を繰り返した。しかもこの数字は、偏っていない財務省の国家公務員が出したものだと主張したのである。財務省の職員が計算に関わっていたのはまちがいないようだが、保守党のスペシャルアドバイザーらが、この計算の根拠となる労働党の政策を想定し、しかも計算の根拠となる条件を勝手に判断していたようだ。マニフェストはまだ出ていない。財務相の国家公務員トップである事務次官も、保守党の大臣らにこれは財務省の仕事であるとは主張しないでくれとあらかじめはっきりと明言していた。しかし、スナク首相は、あえてそのような要請を無視したのである。

スナク首相と保守党は、財務省の国家公務員が出したということは言うことをやめたが、労働党の2000ポンド増税は、継続して主張している。保守党の選挙放送でもそれが中心メッセージである

2000ポンド増税の金額が有権者の記憶に残りやすいという指摘がある。しかも、この2000ポンド増税が話題になって以来、メディアがこれを繰り返し報道しており、保守党は「労働党政府=2000ポンド増税」を有権者の頭に叩き込むことを狙っているようだ。

保守党の「労働党が2000ポンドの増税をすると財務省の国家公務員が計算した」という主張は、統計規制局(The Office for Statistics Regulation)が調査中である。ただし、スナク首相と保守党にとっては、総選挙の結果以外のことは考えていないようだ。

一方、労働党は、スナク首相を「嘘つき」だとして個人攻撃に出ている。実際、スターマー党首は、討論の際、非常に緊張していた。そのためか、スナク首相の2000ポンド増税攻撃に直ちに対処できなかった。それでも討論後の2つの世論調査では、スターマー党首の人柄が高く評価されている。労働党は、2人の人柄の差を取り上げていくだろう。なお、労働党にとって、「2000ポンド増税問題」は、警鐘といえるだろう。スターマー党首は、元人権問題の法廷弁護士であり、イングランドの公訴局長だった人物である。同じような失敗を2度と繰り返さないだろうと思われる。