EU離脱交渉でほとんど身動きの取れないメイ首相

イギリス政府は、2017年10月には、EU(イギリスを除いた27か国)と将来の貿易関係についての交渉が始められると期待していたが、それはほとんど不可能となった。

EUからの離脱について定めたリスボン条約50条に従い、イギリスが2017年3月末に離脱通告したため、それから2年たった2019年3月末にはEUを離れることになる。すなわちあと1年半弱で離脱する予定だが、スムーズな離脱のためには、それまでにイギリスとEUとの権利義務関係の合意をし、欧州閣僚理事会、イギリス議会と欧州議会の承認を受ける必要がある。もし合意ができなくても、2年間の時間が過ぎれば、離脱ということになる。合意を得ようとすれば、2018年秋までには、その合意が必要とされ、また、離脱後、新しい貿易関係の始まるまでの「移行期間」が必要と見られていることから、同時期に将来の貿易関係の基本的な合意ができている必要があり、この10月がデッドラインと目されていた。

このイギリスとEUとの交渉には、イギリスがEUを離脱する離脱交渉と両者の「将来の関係交渉」の二つがある。離脱交渉では、基本的にこれまでの権利義務関係を清算する。この合意では、欧州閣僚理事会での全員一致は必要ない。しかし、定められた2年の交渉期間の延長、将来の貿易関係を合意するには、関係する全議会(例えばベルギーでは地域議会が複数ある)の承認が必要である。なお、「移行期間」の合意は、2年の交渉期間の延長とは性質が異なるが、30を超える議会の承認が必要になる可能性があることを考えると、時間はあまりない。イギリスにとっての問題の一つは、イギリスがEUとの合意なしに離脱する可能性が少なからずあり、イギリスの将来が不確かなことを勘案し、企業が投資を控えたり、イギリスからEU内に拠点を移動させたりする動きがあることだ。

EU側は、将来の貿易を含めた関係交渉に入るには、3つの点で基本的な合意ができる必要があるとする。それは、関係清算金、イギリス在住のEU市民の権利、そしてアイルランド島内のイギリス(北アイルランド)とEU加盟国アイルランドとの国境の3つの問題である。この中でも、特にお金の問題はメイ首相率いる保守党内に大きな意見の違いがあり、それをまとめるのは現在ほとんど不可能な状況だ。

メイ首相は、そのお金の問題の結論を出すことなく、次の段階の交渉に入ろうと懸命だ。9月にはわざわざイタリアのフィレンツェに行き、演説し、レトリックを駆使したが、その目的を達成することはできなかった。さらに、急きょメイ首相がEU本部のあるブリュッセルに行き、ユンケル委員長やバルニエ交渉代表らと会談することとなった。

保守党内の問題の背景にあるのは、EU離脱の考え方に大きな違いがあることだ。強硬離脱派は、合意なしで離脱し、たとえ一時的に大きなショックがあっても、中長期的に見れば、イギリスに有利に働くと考えている。これは、1979年のサッチャー保守党政権誕生後、金利を上げ、財政を絞り、多くの失業者を出したにもかかわらず、その後イギリス経済が大きく成長したことが念頭にあるようだ。しかも強硬離脱派は、イギリスの主権を重んじ、EUや欧州裁判所の管轄から離れることを目指している。一方、ソフト離脱派は、離脱に伴うショックをできるだけ小さくし、EUとの障壁のない貿易をはじめとする関係をできるだけ維持していくことが大切だと考えている。これらの二つの考え方は前提条件が異なり、妥協点を見つけ出すことは困難だ。

メイ保守党政権には下院の過半数がなく、北アイルランドの小政党、民主統一党(DUP)の閣外協力で政権を維持している状態だ。そのため、強硬離脱派とソフト離脱派のいずれかがメイ政権に反旗を挙げれば、政権を維持していけないというジレンマがある。メイ首相は、身動きの取れない状態であり、まともな実質的な交渉を積み上げていくというより、空中戦的な対応を迫られている。コービン労働党党首が、メイ政権が発足して以来、15か月間何も進捗していないではないかと批判したが、第二段階の交渉が12月までに始まらないようだと、メイ首相に対する圧力は極めて強いものとなろう。

機を見た、労働党のEU離脱新政策

EU離脱交渉の3回目が、8月28日から始まるが、交渉の見通しは暗い。この交渉開始直前、労働党がEU離脱に関する方針を大きく転換し、メイ政権に大きな重圧をかけた。

EU側が、はっきりとした目標を決めて対応しているのに対し、イギリス側の対応は後手に回っている。その上、残された時間が短くなっているため、イギリス側は、必死にあの手この手を繰り出している。EU国民投票から14か月、EUへの離脱通知から5か月たち、時間に追われているのに交渉は進んでいない。

イギリス側はその交渉指針をあわてて発表したが、それらへのEU側の対応は冷ややかだ。EU側が主張し、イギリスの呑んだ交渉計画では、交渉を2段階に分け、第一段階の①EU国民とイギリス国民の権利、②イギリスの財政負担(いわゆる離婚料)、③アイルランド島のアイランド共和国とイギリスの北アイルランドの国境、の問題で基本合意をした上で、ニ段階目の将来の関係交渉を行うこととなっている。しかし、現状では、とても第二段階に進める状況ではない。

交渉指針の発表で分かったように、イギリスの計画は、希望的観測に基づいたもので、国際交渉に必要な、それぞれの立場と能力を見極めながら進めるものとはほど遠い。

メイ政権の立場は、2019年3月の離脱後、EU単一市場(人、モノ、サービス、資本の障壁がない)と関税同盟(域内の関税を課さない)のいずれも離脱するというものである。但し、将来の関係の実施までの移行期間を設け、現在の関税同盟とほとんど同じ内容の新しい関税同盟を合意し、現在のEU関税同盟では許されていない、それ以外の国との貿易交渉を進めるというものだ。しかし、この交渉は、第一段階の3項目がある程度合意した後で行えることである。

6月の総選挙で議席を減らし、弱体化したメイ政権は、北アイルランドの民主統一党(DUP)の10議席の閣外協力で政権を運営しているが、保守党内の強硬離脱派の、特に四つの要求で身動きが取れない状況だ。それらは、①離婚料、②EU外の国との貿易交渉を離脱後直ちに始める、③欧州裁判所の管轄を離れる、④EUからの移民を制限する、というものである。

これらの問題が、保守党内で、当面、直ちに解決できる見通しは暗い。交渉の時間切れで、いわゆる「崖っぷち」離脱の可能性が高まっているゆえんだ。

このような中、野党の労働党は、その方針を大きく変更した。労働党には、EU側の対応と、メイ政権の苦境を見て、そのスキを突き、何が可能で、何が実際的かを判断する余裕がある。メイ政権の求める「新たな関税同盟」を交渉する時間的な余裕はないと判断し、離脱後の移行期間中、EUの単一市場と関税同盟、そして欧州裁判所の管轄下に残るとし、将来の関係交渉でもこれらを維持する可能性を排除しないこととした。

この結果、EU国民投票前、ほとんどの党所属下院議員が残留派だった労働党は、保守党の直面する党内の問題がないこととなり、さらに早晩、この方向へ立場をシフトさせざるを得ないと思われるメイ政権の上手を取るばかりか、保守党内の亀裂を拡大できるという効果も期待できる。

メイには非常に大きな圧力がかかっている。メイは何とか党内の批判勢力をなだめて、自分の首相としての地位を維持しようとしているが、このままでは、メイの失墜は時間の問題のように見える。