メイ首相に厳しい秋

イギリスの中央銀行イングランド銀行の総裁を2013年まで務めたキング上院議員が、イギリスが来年3月のEU離脱を前に、食糧や医薬品を備蓄しておかねばならないような状態を招いていることを指摘し「無能」だと批判した。そして、本来ならイギリスを除いたEU加盟国27か国をまとめる方が難しく、一国のイギリスの方が一丸となりやすいのに、現実はその逆で、27か国の結束が強く、イギリスの中で議論が二分し、まとまっていないことを慨嘆した。実際、27か国の結束の強さは、メイ首相の期待を全く裏切ったと言える。メイ首相の強気の姿勢が完全に裏目に出た。

このままでは、イギリスにとって極めて悪い状態を防ぐために、EU側の要求に屈するしかない状態が生まれる可能性があるが、メイ首相は、党内事情からそのような立場は取れない状態だ。実際、メイ首相の頼りの綱は、7月の首相別邸での閣議の合意だけであり、メイ首相は、それ以外の立場を取れない状態だが、この案には保守党内の離脱派、残留派の両者から強い反対が出ているばかりではなく、EU側も受け入れられないことを明らかにしている。

イギリスにとっては、危機的な状態だが、世論は残留、離脱をめぐり、依然、真っ二つに分かれている状態(最新の世論調査)だ。2016年の国民投票では離脱がやや上回ったが、離脱の経済的影響の楽観的な見方の減少や、2016年時に有権者ではなかった人たちや投票しなかった人たちの影響で、残留にやや傾く傾向があるとの分析がある

この問題での第2の国民投票を行おうとする動きはあるが、メイ首相率いる保守党も野党第一党の労働党もそのような国民投票を否定している。実際、もう1か月余で交渉の結論を出さねばならない状況にあって、第2国民投票が果たして現実的な案かどうかには疑問がある。国民投票を行うには、まず、議会でそのための法律を制定する必要がある。それに半年はかかるだろう。さらに賛成反対の両者にキャンペーンをする時間を与えねばならない。2019年3月の離脱を先に延ばすこともできるが、それにはすべての加盟国の議会(並びに関連議会)が同意する必要がある。その上、もしわずかな差で残留側が勝つようなこととなれば、離脱側が静かに引き下がることはないだろう。そもそも、保守党内の離脱派がそのような先延ばしに賛成するか疑問だ。しかも、そのようなイギリスの国内事情による国民投票を実施するために、明らかに残留派が勝つと予測できる場合ならともかく、EU27か国が離脱の先延ばしに同意するための手数を煩わせられることに積極的かどうか疑問がある。結局、第2国民投票より議会が最終的に判断する方がより現実的だろう。

国民の多くはこの数か月がイギリスの離脱交渉に非常に重要だということに気付いていないかもしれない。保守党は、ここまでメイ首相を交代させるのは得策ではないと判断してきた。メイ首相の権威が消えうせ、それがゆえに担がれてきたという状況である。ところが、今やメイ首相は四面楚歌となり、保守党には担ぐことが苦痛になってきているように見える。メイ首相は、状況によっては、もし労働党が受け入れられるのなら、労働党との何らかの提携に踏み切る可能性があるかもしれない。ただし、その際にはメイ首相の命運はブレクシットと共に尽きるだろう。いずれにしても、メイ首相にとっては、極めて厳しい秋である。

コービン労働党の秋

メイ首相が7月の首相別邸の閣議でまとめたEU離脱後のプランは、保守党内の離脱派、残留派の両側から強い批判を受けているばかりか、EUの交渉代表者も否定的だ。首相官邸は強気の姿勢を保とうと必死だが、それをいつまで続けられるか疑問だ。メイ首相の命運は尽きかけているようだが、その一方、この時期に首相交代が賢明かどうか疑問を呈する向きもある。メイ首相が追い込まれると、はずみで総選挙となる可能性もあり、そうなれば、労働党の動向が大きなカギを握ることになる。

労働党は「反ユダヤ人主義」問題で、メディアとユダヤ人団体らから強くたたかれている。先だって、古参労働党下院議員のフランク・フィールドが労働党を離れたが、その大きな理由の一つはこの「反ユダヤ人主義」問題だった。フィールド自身、7月のEU離脱法案の下院の投票で他の3人の労働党議員と共にメイ政権側に賛成する投票をし、また、数々のコービン党首に反対する言動などのため、地元の労働党選挙区支部から不信任された。フィールドは、2015年の党首選でコービンの推薦人となったが、それは党首選で議論を盛り上げるためのものだった。コービンが党首となるとは夢にも思っていなかったというのが実情である。フィールドの辞任には複雑な事情があるが、多くのメディアは「反ユダヤ人主義」問題が中心の問題のように報道した。

コービンは人種差別に真っ向から継続して反対してきた人物である。武力の行使に反対し、話し合いでの平和的解決を目指し、すべての立場と話をするべきだとしてきた。イギリスのイラク戦争などにも強く反対してきた。長い目で見れば、コービンは常に正しい側にいたとの評価もある。

そして、イスラエル政府の強引なやり方が、パレスチナ人の生活を非常に惨めなものにしているとしてイスラエルのやり方をこれまで何十年も批判してきた。そのためコービンが労働党党首に選ばれてから、労働党の反ユダヤ人主義問題に注目が集まり、批判を受けたことから、今年7月、国際ホロコースト追悼同盟(International holocaust remembrance alliance)の反ユダヤ主義の定義を導入した。しかし、この定義に付け加えられていた11の例のうち7つを採用し、4つをそのまま入れていなかったことから、ユダヤ人団体などが強く反発し、コービン労働党が反ユダヤ主義だと主張するに至った。労働党には、すべての例を導入すれば、イスラエル政府への批判が妨げられるという判断があったようだ。結局「言論の自由」を強く主張することでこれらの問題に対処できるという考えが強まったようである

コービンの「反ユダヤ人主義」については、コービンの首相就任を恐れるメディア関係者が問題を煽っている面がある。コービンが首相となると、レヴィソン答申に基づいた厳しいメディア規制が導入されると見られている。墓地での花輪問題を煽ったデイリーメイルを始め保守党支持のデイリーテレグラフなど数々のメディア媒体が警戒し、コービン攻撃を継続している。ただし、このような問題が世論を大きく変えることはないと見られている

上記でも述べたフィールドの労働党離脱で、労働党の将来を危ぶむ声も上がったが、これは現状では見当違いのように思われる。コービンが労働党の党首となって以来、労働党の党員数は大きく伸び、今では50万人を超える党員数を誇る西欧一の大政党となった。保守党は長く党員数の公表を拒んできたが、今年3月の党大会でその総数を公表した。12万余と、憶測されていた数の2倍ほどあったが、その詳細については明らかになっていない。なお、この数はコービンを支持するモメンタムというグループのメンバー数に匹敵するレベルでしかない。すなわち、労働党は左のコービンの下で、今でも組織的に強いままである。「反ユダヤ主義」問題で多くの議論があるが、一般の有権者は、国際ホロコースト追悼同盟の定義についてのあまり関心を持っていない。

コービンは2度の党首選挙でその立場を強め、しかも2017年の総選挙で議席を増やし、保守党の過半数獲得を阻んだ。もし万一、巷間言われているような党所属下院議員による党首不信任投票が可決されたとしても、それには何らの拘束力がなく、2016年の2度目の党首選挙で大勝したようにコービンはそのまま淡々と党首を努めていくだろう。

大手賭け屋は、もし総選挙があれば、保守党と労働党が最大議席を占める可能性をほぼ互角と見ている。すなわち、コービンが首相となる可能性はかなり高い。その中、イギリスのメディアは、コービン労働党がブレクシットにどのような対応をするかの議論をもっとしていくべきだが、それが不足しているように思われる。メイだけではなく、コービンにもこれからのイギリスのあり方について深く考えねばならない秋といえる。