メイ新首相の組閣

テリーザ・メイ首相の組閣。よく考えられているが、時限爆弾を抱えたものである。

7月13日に首相に就任したメイ首相は、13日の主要メンバーの任命に引き続き、14日に他の閣僚を任命した。この組閣は、前のキャメロン政権の主要閣僚を解任し、「残酷」な組閣とも呼ばれる。キャメロン首相の取り巻きを除き、また、EU離脱の交渉に強くあたる意思を明確にしたものだ。

メイの組閣の目的は、

  • 既成のエスタブリッシュメントとは異なる新鮮なイメージを与える。
  • ダイナミックな首相のイメージを与える
  • メイが残留派であったことを鑑み、EU離脱を前面に出す
  • 党内の残留派、離脱派の亀裂の修復をはかる

解任したキャメロン政権の閣僚

メイが解任した主要閣僚は、オズボーン財相とゴーブ法相である。オズボーンは、財政緊縮策などその強引なやり方に批判が高まっていた上、3月の予算では、大きな批判を受けた。また、キャメロンの右腕のイメージが強い上、EU国民投票前の離脱警告のメッセージは行き過ぎだった。また、ゴーブは、内相時代のメイとバーミンガムの学校のイスラム化の問題で厳しく対立したことがある上、新内閣の目玉ともいえるジョンソン新外相との関係が危ぶまれたことがあるように思われる。ゴーブは、EU国民投票後、ジョンソンの首相への野心をストップさせた人物である。

EU離脱の閣僚

EU離脱では、離脱派の看板で、人気の高いジョンソンを外相に、さらに2人の離脱派の大物を新設のEU離脱相、国際貿易相に任命した。この3人を中心に、イギリスのEUからの離脱交渉、離脱後のEUとの関係交渉、さらにEU以外の国々との貿易などの関係交渉が行われる。

この人事は、残留派だったメイ首相が、離脱の交渉を離脱派に任せ、保守党内の離脱派からの攻撃を避け、同時にその責任を離脱派に背負わせる、メイのマスターストロークだとする見方があるが、同時に時限爆弾であるように思われる。

これは、特に3人の関係・役割分担が整理されていないことだ。いずれも独特の個性と大きなエゴを持ち、それをいかに調整するかが問題となろう。メイ首相は、その調整役を自ら担うつもりなのだろうが、前回の拙稿でも指摘したように、メイは、マイクロマネジャーでコントロールフリークの傾向がある。そのようなやり方は、今回の組閣でも昇格させた、内務省で自分の下で働いた閣外相らには通用するかもしれないが、ジョンソンや、かつて保守党党首候補だった他の2人、デービスやフォックスには効かないだろう。

また、前ロンドン市長で、EU国民投票の後、保守党党首選まで次期首相の最有力候補と見られていたジョンソンは国際的にもよく知られているが、その外相任命には、海外からあきれた声が上がっている。ジョンソンが、メイの下で外相を長く務められるか疑問がある。

結局、この3人組の関係がどの程度続くか、また、メイとの関係がどの程度保たれるかで、これらの交渉の意味がかなり変わってくる可能性があろう。

実務に入ったメイ

メイは、財相にハモンドを任命した。元ビジネスマンで、手堅いハモンドに財政を任すことは、非常に賢明だと思われる。ハモンドは、イギリスの中央銀行イングランド銀行総裁のカーニーと協調して財政・経済の運営を任せられる。また、ハモンドには、オズボーンのようなむき出しの野心がない。オズボーンの財政緊縮策はストップされ、2020年までに財政黒字化というような造られた目標はなく、現在の財政経済に必要な手が打てる。メイは、この分野にそう大きな精力を使う必要がないのは、大きなボーナスだと言える。

また、近日中に議会で採決の行われると見られる、イギリスの核抑止能力トライデントの問題を抱える国防相には、手堅いファロンを留任させた。

もう一人の留任は、ハント厚相である。ハントの評判は必ずしも高くないが、医師会の若手医師のNHSの契約改定問題がある。この問題で、若手医師らは何度もストライキを実施した。この紛争は、最終局面に入っている。厚生省と医師会の若手医師リーダーたちは最終の妥協案に合意した。これを若手医師らは投票で拒否したが、厚生省は、いずれにしても実施する方針だ。この問題を再燃させないためにも、メイがハントを留任させたことは意味があると思われる。NHSの問題は複雑で、これを理解するには相当の時間がかかる。恐らく、ハントの留任は、様々な要素を考慮した結果だろう。

メイは、着任早々だが、第2の独立住民投票の可能性のあるスコットランドに飛び、スコットランド住民へアピールする。これまでのところ、慎重かつダイナミックなメイが目立っている。

高望みしすぎのメイ首相

7月13日、キャメロン首相が辞任し、メイ新首相(59歳)が誕生した。キャメロン首相は、第2のアンソニー・イーデンとも揶揄されている。イーデンは、1956年のスエズ危機で誤算し、イギリス兵を送り、自滅した元保守党首相である。戦後のイギリス首相のランキングでイーデンは最下位に置かれるが、6月23日の欧州連合(EU)国民投票で計算を誤ったキャメロンは「EU離脱の首相」として歴史に残ることとなると見られている。

キャメロンは、2010年当時の不安定な経済状況から、首相として財政赤字を半分に減らし、また、G7でトップクラスの経済へ導いた。運営の難しいと思われていた自民党との連立政権を5年間うまく運営し、2015年総選挙では、保守党として1992年以来の過半数を成し遂げた。2019年には首相を退くと見られていたが、キャメロンは、既に2度のレファレンダム(自民党の求めた下院議員選挙へのAV 選挙制度の導入、スコットランド独立)で勝っており、さらに6月のEU国民投票でも勝ち、首相在任期間9年の、歴史に残る業績を成し遂げた首相となるのではないかと見られていた。しかし、このEU国民投票で敗れ、キャメロンの命運は尽きた。キャメロンは、これからの数年で、自分の政治的遺産をまとめようと考えていたようだが、時間切れとなってしまった。

一方、EU国民投票で残留派だったが、あまり目立たないようにしていたメイは、イギリスのEU離脱でほとんど傷を受けなかった。そしてキャメロンの後継首相となる最大のライバルと見られていた、残留派のジョージ・オズボーン前財相と、離脱派のリーダーだったボリス・ジョンソン前ロンドン市長が脱落した結果、首相の座が転がり込んできたのである。

メイは、バッキンガム宮殿で、エリザベス女王に首相として任命された後、ダウニング街10番地の首相官邸の前に立って、首相として初めてのスピーチを行い、「誰にもうまく働く国」を築きたいと抱負を述べた。ただし、目下のイギリスの最大の課題は、EUからの離脱にいかに対処するかである。保守党党首選での7月11日の演説では社会正義に重点を置き、さらに残留派、離脱派で割れた保守党の融和、その上、女性を閣僚級に大幅登用する計画など、必ずしも関連していない多くの課題を一挙に解決しようとするメイの試みは、すべてがそう簡単に成功するとは思えない。

メイのこれまでを見ると、危険なことを極力避けてきた、いわゆる優等生タイプのようだ。メイは、小さなことにこだわりすぎ(マイクロマネジャー)、コントロールフリークとも言われる。それがゆえに内相として6年間やってこられた。そして首相の地位が回ってきたと言える。しかし、首相には、内相とかなり違う能力が要求される。その一つは、いかにそれぞれの大臣に権限を委譲し、それぞれの能力を最大限に発揮させるかである。コントロールフリークには、そのような転換は極めて困難なのではないか。むしろ、目的を広げようとすればするほど、自分でコントロールできる範囲が狭まり、その狭間で苦しむことになりかねない。

メイの場合、内相としての業績がそう優れていたとは言えない。犯罪の数が減ったと言われるが、その原因ははっきりしていない。最も注目された、正味の移民数を10万人未満とする目標は、最終的に33万人と全く達成できなかった。イングランドとウェールズの41警察管区で設けられた犯罪・警察コミッショナーは、成功したどころか、次々に問題が起き、2015年総選挙の労働党のマニフェストでも廃止するとうたわれていたが、保守党の中でも失敗だったとする声がある。メイが内相として6年間生き延びたのは、むしろ、あまり内閣改造を好まないキャメロンと、メイをそう攻撃しなかった右寄りのメディアによるところが大きい。もちろん、イギリスでは、6年間、内相の職務についていたこと自体に重みがあるのは事実である。そのような運があったとも言える。

それでも、メイは「ピーターの法則」の典型的な人物のように思える。ピーターの法則とは、ある地位への候補者を、その地位に適切な能力によって判断するよりも、現在の役割での業績に基づいて判断するものである。メイの場合、その「業績」は、在任期間の長さであろう。

メイはこの重要な時期に、おっちょこちょいのボリス・ジョンソンを外相に任じた。党内対策を考慮したのだろう。メイは、目的を拡散させずに、むしろ、絞ることからスタートすべきであったように思われる。