問われる、キャメロン首相の判断力

EUで最も重要なポストである欧州委員会委員長の後任をめぐり、キャメロン首相は、本命と目されるルクセンブルグ前首相のジャン=クロード・ユンケルの任命に真っ向から反対している。ユンケルではイギリスが考えているようなEU改革ができないと見ているためだが、キャメロン首相があてにしていたドイツ、スウェーデンなどがユンケルを支持する方向がはっきりとし、イギリスはEUの中で孤立する状況になっている。そのため、キャメロン首相が大上段に振りかざしたようにユンケルに反対した戦略判断に疑問が投げかけられている。

この人事には、5月に選挙が行われた欧州議会の意思が反映されることとなっている。この選挙で最も多数の議席を占めたのは欧州議会内のグループ、欧州人民党(EEP)であり、ドイツのメルケル首相のキリスト教民主同盟をはじめ、多くの保守中道の政党が参加している。ユンケルはこのグループに支持されている。

実は、キャメロン首相の保守党はこのグループに2009年の欧州議会議員選挙まで所属していたが、選挙後、このグループは欧州連邦主義的過ぎるとして、脱退した。もし、保守党がこのグループに残っていれば、ユンケルを支持するかどうかで発言権があったはずだと見られている。

ちょうどそれに重なるように、キャメロン首相の広報局長であったアンディ・クールソンが過去の違法な電話盗聴問題で有罪となった。クールソンは、廃刊となった、当時イギリス最大の売り上げを誇っていたニューズ・オブ・ザ・ワールドの編集長だった。その編集長時代に電話盗聴に関与していたことが明らかになったのである。 

キャメロンは、2005年に保守党党首となったが、クールソンがキャメロンの下で働き始めたのは、2007年のことである。トニー・ブレアの下で大きな役割を果たしたアラスター・キャンベルのような広報戦略担当者を求めていた。当時、キャメロンの参謀を務めてオズボーン現財相のアドバイスでクールソンを雇ったと言われる。キャメロンは当時、野党第一党の党首として閣僚並みの給与を得ていたが、自分の2倍以上の年俸を払って雇ったと見られている。

そしてキャメロンが2010年に首相となった時、首相よりわずかに少ない給料で、広報局長として首相官邸に入った。ところが黒子役の自分に盗聴問題で焦点が当たるのでは仕事ができないとして2011年1月に辞職した。

クールソンは当初から少し危ういという見方があった。編集長職を離れたのは、ニューズ・オブ・ザ・ワールド関係者の盗聴問題の責任を取ったためである。つまり、クールソンがその盗聴に関与しているのではないかという疑いがあった。そのような人物を雇い、非常に重要な役割を任せることに疑問が投げかけられたのである。

しかしながら、クールソンには、その広報戦略上の能力だけではなく、イギリスのメディアの世界で非常に大きな影響力を持っていたルパート・マードックに直結できるという便益があった。あのサッチャーもマードックに便宜を図ったことが明らかになっている。また、1992年の総選挙で予想を裏切り、保守党が勝ったのはその傘下のサン紙の影響だと多くが信じている。ブレアが1995年にオーストラリアまで行き、マードックの新聞グループの総会でスピーチしたのはその影響力を考慮したためだ。2007年に首相となったゴードン・ブラウンも、マードックのイギリスでの代理人の役割を果たしていたレベッカ・ブルークスに卑屈とまで言えるような態度を取っていた。

そのため、2007年にクールソンがキャメロンの広報戦略担当に任命されたときには、見事だという見方が強かった。キャメロンにとっては、リスクを伴うが、それだけの価値があると見られていた。

ところが、実際に有罪となると状況は全く異なってくる。キャメロンは、クールソンを首相官邸で特別国家公務員として働かせ、高度な機密にも触れさせたと見られている。キャメロンは、誰もが「第二のチャンス」を与えられるべきで、自分はそれをクールソンに与えただけだ、その判断が誤っていたのは申し訳ないと謝罪する。しかし、その「第二のチャンス」を、国を預かる首相の最も重要な側近として働く機会として与えたのは、少なからず論理の飛躍のように思われる。キャメロン首相の判断力が改めて問われることとなろう。

スコットランドのウォーキング:ヘルムズデールからインバネス

ブリテン島を縦断するジョノグローツからランズエンドまでのウォーキングを妻と暇を見つけて少しずつ行っている。今回はその2回目。前回は、ジョノグローツからヘルムズデールまでだった。

かつてスコットランドに6年近く住んでいた。その間にスコットランドの各地を訪れたが、それでもスコットランドに行くたびに何か新しい発見がある。今回もそうだった。9月のスコットランド独立の住民投票が頭にあったこともあろう。

歩き始めて数日たったとき、野鳥のさえずりの新鮮さ、自然の素晴らしさにはっとした。スコットランドの気候は変わりやすい。それでもスコットランドには素晴らしい自然がある。スコットランドの独立運動の賛否を、経済的な観点から議論することが多いが、それだけでは語りつくせない点があるように思った。

日程概略

522日 午後11時50分発の夜行列車でロンドン出発
523日 エディンバラからインバネス、そしてヘルムズデール着
524日 ヘルムズデールからブローラ
525日 ブローラからゴルズピー
526日 ゴルスピーからドーノッホ
527日 ドーノッホからテイン
528日 テインからオルネス
529日 オルネスからマンロヒー
530日 マンロヒーからインバネス
531日 ロンドンへ


5月23日
エディンバラ午前722分着。早朝のエディンバラScotland Walking 016
かつて1年ほど住んでいたことがあるが、エディンバラは変わった。ロンドンからインバネスを経て今回の出発地点ヘルムズデールまで17時間かかった。

ヘルムズデールの朝
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道路橋の上から見たのどかな村。宿のB&Bでは電気毛布の使い方を教えられた。

丘からヘルムズデールを振り返る
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放し飼いの羊
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ブローラで泊まったB&B
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このB&Bはシーズンしか開いていないようだ。到着後、自家製のスコーンとジャム、それにコーヒーメーカーに入ったテイラーのコーヒー(もしくは紅茶)をすすめられる。朝食のスコティッシュ・ブレックファストのソーダスコーンは絶品。

ブローラからゴルスピーに向かう
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海岸沿いを歩く。少し寒く、雨が降っていた。期待したアザラシや稀な鳥は見られなかった。

ラベンダーの咲く林
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霞のかかったロイヤル・ドーノッホ・ゴルフ場
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海を見下ろすゴルフ場は世界有数のものだそうだ。小さな町だが立派なホテルがあり、大きな家が次々に建てられている。

実際に使われている道端の郵便ポスト
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前夜強い雨が降ったが、朝には上がった。鳥のさえずりに耳を傾ける。

テインで泊まったB&Bの手入れの行き届いた花壇
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庭の手入れの行き届いている家が多い。

ケゾック橋から見たインバネスのネス川河口
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インバネスは、周辺地域を含めた中心地であり、人口が6万余りとは思えない。なお、インバネスで最も評判の高いレストラン、Rocpoolは、ロンドンの多くのレストランに勝るとも劣らないと感じた。