メイ内相の英国国境局廃止は英断?(May’s Decision to Abolish UKBA)

3月26日、テリーザ・メイ内相が内務省の事業執行機関である国境局(UKBA)を廃止して、その仕事を査証部門と移民の法執行機関の二つに分割し、内務省直属とすることにした。新しく、事務次官をトップにした戦略的監視機関を設け、この機関で移民政策、パスポートサービス、国境フォース、それに新しい二つの部門の調整を図るという。この仕組みは、4月1日からスタートする。

この決定は、その当日の26日朝決まったという。英国ではこのような省庁の改変は法律で規定されていないので、比較的簡単にできる。

これまでは、大臣が政策を決め、それを国境局が実施するという大まかな役割分担があったが、実際は、政策と実施の関係にはかなりあいまいな部分があった。法律に関連して微妙な問題がかなりあり、そのため大臣の判断を仰ぐ必要があったためだ。

しかし、今後、移民関係の部局は、直接、大臣の管轄下に入る。しかし、これが、多くの課題を抱えるこの部門の問題を解決する決め手になるだろうか?26日に内務省の事務次官がスタッフに送ったメモでは、ほとんどのスタッフは、同じ職場で、同じ仕事をし、同じ同僚で、同じ上司だと説明があったという。つまり、事業執行機関では無くなるが、実際には人はほとんど変わらない。

メイ内相は、この組織改編で、これまでの「閉鎖的で、隠し立てし、防御的な行動様式」を終わらせると言う。3月25日に発表された、下院内務特別委員会の報告書でも指摘されたことだが、今なお、国境局は「その目的にふさわしくない」組織であり、委員会に不正確、もしくは欺いた数字を報告してきた。移民問題に関するケースの処理は遅く、31万2千件あり、とてもすぐに解決できる状況にはない。しかも不法滞在者を国外退去させても不法滞在者の数に追いついて行っていないという問題がある。

メイ内相は、昨年国境局から分離した、空港や港を日々管理している国境フォースがうまくいっており、大きな国境局(全体でフルタイム換算2万3500人。国内は1万3千人)を二つに分けて小さな部局にすることでより焦点が絞られ、効率が上がると考えている。

これは、キャメロン後の保守党党首の座を狙っていると言われるメイ内相にとっては、極めて大きなギャンブルだと言える。大臣が直接担当するからアカウンタビリティが向上すると言っても、問題が解決しない、もしくは、何か問題が起きると大臣が矢面になり、かえって難しい立場になる可能性がある。

一方では、もしメイ内相が、保守党がマニフェストで約束した、移民の数を年に10万人以下とし、この移民の問題を解決できれば、メイ内相の株が大きく上がるのは間違いない。保守党がUKIP(英国独立党)にその支持票を奪われている大きな原因はこの移民の問題だからである。メイは、2010年総選挙後、内相に就任した。EU内では、移動の自由が認められているが、それ以外の国からの人たちを対象にこれまで入国の基準を厳しくするなどの手を打ってきた。2月末に発表された、2012年6月までの過去1年間で、その前年の24万7千人から16万3千人と3分の1減少している。毎年の入国者数から出国者数を引いた正味の移民数はかなり減ってきたものの、それでもまだ目標にはかなり遠い。

メイ内相は、前のお労働党政権に責任があると主張する。その理由は次のようなものである

①前政権が入出国のコントロールを弱めた。

②人権法を制定したために、外国人犯罪者を国外退去させることが困難になった。

この②への対応としては、国外退去させやすくする法律案を年末までに提出する予定だ。

しかし歴史的に見ると、これは単に労働党の責任ばかりとは言えないだろう。実際に、移民が急激に増え出したのは1990年代である。その中で、コスト削減のために空港などの出国チェックを取りやめた。

2002年から2003年にかけては、亡命志願者が増え、当時のブレア首相がその数を半分にすると約束したことがある。2006年には、外国人で刑期を終えた人を千人余り釈放したが、その人たちの行方が辿れず、しかも深刻な罪を犯した者もいることがわかり、当時の内相チャールズ・クラークがその責任を問われ、ジョン・リードと交代させられた。リードは、「目的にふさわしくない」として、政治家から離れた立場で仕事が行えるよう事業執行機関とすることを決めた。移民申請を扱う部門とかつての歳入関税庁の法執行機関などを合わせ、国境を守り、移民違反を取り締まり、早く、公平な判断をするという役割を担って出発した。それが廃止される。

歴史は回る。世の状況によって、政策課題は大きく変わり、英国の移民の問題は、今そのあおりを受けている。そして、国境局は、内務省内の部局から事業執行機関に、そして再び、内務省に戻る。この効果には悲観的な見方が多いが、メイ内相は、これに賭けているようだ。

首相の器?ロンドン市長ボリス・ジョンソン(Boris Johnson a future Prime Minister?)

英国の首相となるような人は、首相の役割を果たすのに必要な能力が自分にあるか疑問に思っているか? BBCの政治ドキュメンタリー製作で有名なマイケル・コックレルが、あるBBCの番組で、かつて首相になる前のマーガレット・サッチャー、トニー・ブレアそしてデービッド・キャメロンにインタビューした経験を語った。ブレアとキャメロンは自信満々だったが、サッチャーは、自分に疑いがあると言ったと言う。それでも、サッチャーは、これまで首相になった人たちを見て、自分もできるのではないかと思ったと付け加えたそうだ。

コックレルは、3月25日夜にBBC2テレビで放送されたロンドン市長ボリス・ジョンソンについての1時間番組を制作した。ジョンソン本人だけではなく、離婚した両親、妹、それに友人、仕事の関係など多くの人たちとのインタビューをまじえたものだ。その中で、ジョンソンにも同じ質問をした。ジョンソンは、この質問をなるべく避けようとしたが、結局、首相の仕事は非常にたいへんだ。自分にその能力があるかどうかは考えないと思う。心配は誰にでもあるが、機会があればやってみたいと答えた。(http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-21836935)この番組に関連し、3月24日、BBC1テレビでエディー・メイアーがジョンソンとのインタビューを行い、ジョンソンの過去の過ちを質したが、ジョンソンはきちんと説明できなかった。(http://www.bbc.co.uk/news/uk-21916385

両方の番組が相まって、ジョンソンは、その人格に大きなダメージを受け、その首相となる夢は打ち砕かれたと見る人もいる。しかしながら、そのような結論を出すのは早すぎるように思われる。

ボリス・ジョンソン

ジョンソン(1964年6月19日生まれ)は、2008年、日本の東京都知事にあたるポストのロンドン市長選に出馬した。当時保守党下院議員であった。2000年からロンドン市長を務める現職の労働党ケン・リビングストンに対抗しての出馬で、労働党が伝統的に強いロンドンでは勝ち目が少ないと思われた。しかし、1997年から11年目を迎えた労働党政権では、その前年から首相を務めるゴードン・ブラウンに人気がなかった。2008年の地方選挙では労働党が大きく議席を失う中、人気のあるジョンソンがリビングストンを破った。ジョンソンが再選を目指した2012年には、労働党が地方選で多くの議席を回復する中、全国的に低調な保守党支持を尻目に、リビングストンを再び破り、ロンドン市長に再選された。その後、ロンドンオリンピックが大成功に終わり、さらに名を上げた。そのため、保守党の救世主と見做す人も多い。

ジョンソンの強みは、その大衆的なアピールである。注意を引く面白いことを話し、時には状況を的確に把握した表現を使う。その反面、一見、服装にしてもだらしない点があり、ロンドン市長選の際、アドバイザーがジョンソンにワイシャツの裾をきちんとズボンの中に入れるよう指示したと言われる。また、失言を防ぐために余計なことを言わないようアドバイスしたとも伝えられる。しかしながら、形にあまりこだわらないことがジョンソンの弱みでもあり、強みでもある。

2012年秋の保守党の党大会では、キャメロン首相やオズボーン財相がジョンソンの陰に隠れてしまわないよう、ジョンソンのスピーチは、二人のスピーチのない日に30分の出演時間に限られたと言われる。それでもジョンソンのスピーチは説得力のあるもので、キャメロン首相も聴衆の一人で大きく報道された。

ジョンソンの3つの過去の問題

コックレルの番組、そしてメイアーによるインタビューでジョンソンの人格に関する問題として扱われたのは、主に次の3つの古い問題である。

①オックスフォード大学卒業後、1987年、ジャーナリスト見習いとしてタイムズ紙に勤めたが、その際に自分の名付け親である学者の発言として、自分でその発言を作り記事を書きクビになった。

②2004年、保守党党首マイケル・ハワードに、噂されていた不倫の事実はないと報告したにもかかわらず、その数日後にはタブロイド紙で大きく報道され、それが事実であったことがわかり、影の内閣のポストをクビになった。

③1990年、イートン校、そしてオックスフォード大学時代の友人がニューズ・オブ・ザ・ワールド紙の記者を叩きのめしたいので住所を教えてくれてと言ったのに対し、それを提供することを約束した(何も起きなかったが)。これが1995年に明らかになった。

これらの質問に対してジョンソンはきちんと説明できなかったのは事実である。これらはいずれもこれまで広く知られていたことであるが、これらを問うた後、メイアーは、ジョンソンに面と向かって、「あなたは汚い奴(a nasty piece of work)じゃないですか?」と言った。それに対して、ジョンソンは直接答えなかった。

このメイアーのインタビューを見て、ジョンソンの父親は怒ったが、ジョンソン本人は、メイアーは「素晴らしい仕事をした」と褒め、メイアーが説明を求めたのは正しかったと言った。「もし、BBCのジャーナリストが嫌な保守党の政治家をアタックできなければ、いったいどのような世の中なの?あれはオスカー賞並みの仕事だ」と言った。

頭がよいが、愚か者のように振る舞っている?

ジョンソンを非常に頭のいい人物だが、愚か者のように振る舞っているという見方がある。しかし、ジョンソンは時に愚か者のような振る舞いをするが、同時に不思議に率直な点もあるように感じられる。それが人々の共感を得て、面白いジョンソンに惹かれる点ではないだろうか。これらはジョンソンの計算づくだと見る向きもあるけれども。コックレルはその一人である。キャメロン首相や労働党のミリバンド党首は、ジョンソンほど多くの問題を抱えていないかもしれない。しかしながら、ジョンソンほどの面白みや次の行動への期待感はない。

ジョンソンは、首相になれるか?

ジョンソンが果たして首相となれるかどうか。ジョンソンは、まず、保守党の党首となる必要がある。ジョンソンが保守党の党首となるためには、下院議員となる必要があるが、下院議員を50年以上務める83歳のピーター・タプセル卿が、保守党の非常に強い自分の議席をジョンソンに譲るために引退してもよいと言っている。そのため、2015年の総選挙に出馬する可能性は否定できないだろう。

首相となれるかどうか?これは、理屈ではなかなか測れない。例えば、サッチャーの後、保守党の党首・首相となったジョン・メージャーは、ちょうどいい時に、ちょうどいい場所にいたために予想外にサッチャーの後継者となった。英国では、党首niなると、かなり長くその座にいるのが当たり前であり、毎年変わるというわけではない。そのため、一度チャンスを失うと回復が困難となる。メージャーの下で副首相を務めたマイケル・ヘーゼルタインの例を見るまでもなかろう。

ジョンソンの問題が強みになる可能性

しかし、もしジョンソンに運があり、首相となれば、これまでのジョンソンの問題が強みになる可能性がある。

まず、ロンドン市長となった当初、副市長などが起こした問題で厳しい面があったが、その後は、現在までかなり安定している。これは、ジョンソンが自分の足らない点を十分に認識していることにあるように思われる。2012年の市長選挙の際でも、陣営内部でジョンソンの「いい加減さ」を批判する声があった。しかし、ジョンソンの強みは、人を選び、権限委譲することである。つまり、自分がスーパーマンではないことを理解し、それぞれの職にそれにふさわしい人物をつければ多くの問題は解決できると考えているようである。これは正しいアプローチのように思われる。

さらに人を惹きつける能力に富むことから、多くの有権者の政治への関心を維持できることだ。これは極めて重要なことのように思われる。有権者が政治に関心を失うと、政治家と有権者の距離が次第に大きくなる。しかし、その距離が小さいと、有権者の意思をより政治の現場に反映できる可能性が高まる。ジョンソンは、自分が道化師になることを厭わない。有権者はそれをそのまま受け入れ、疑問にも思っていないようだ。

最も大きな点は、ジョンソンが叩かれ強いであろうということである。多くの問題を抱えながらも人気を維持するのはそう容易ではない。政治家は、通常、時間が経つとポリティカル・キャピタルが減っていくが、その減少の仕方が他の政治家とはかなり違うかもしれない。つまり、少々のスキャンダルがあっても有権者はあまり気にしない可能性が高い。そのため、ポリティカル・キャピタルをかなり高いレベルで維持できる可能性がある。

つまり、ジョンソンが首相となれるかどうかは運次第だろうが、もし首相となると、ジョンソンは打たれ強い首相となる可能性があると思われる。