イギリスが6月23日の欧州連合(EU)国民投票でEUを離脱することとなったことを受け、キャメロン首相が辞任した。そして後任の保守党党首を選ぶ選挙(保守党は下院の過半数をしめているため、事実上首相を選ぶこととなる)が始まった。
6月30日正午の立候補受付締め切り直前、最有力と見られていた前ロンドン市長のボリス・ジョンソン下院議員が、突然立候補しないことを発表した。そのため、党首選は、5人の立候補者のうち、テリーザ・メイ内相がリードし、それをエネルギー閣外相のアンドレア・レッドソムとマイケル・ゴブ法相が追うという形となっている。
保守党の党首選のルール
まず、保守党下院議員が立候補者を2人に絞り、その2人のいずれかを党員全体の選挙で選ぶ仕組みである。立候補者を2人に絞るため、まず7月5日に下院議員が第1回目の投票を行い、最も得票の少なかった候補者を除いて第2回目の投票を実施、さらに同じ要領で第3回目の投票を行い、2人に絞るということとなる。ただし、今回は、メイ内相が他の候補者を圧倒的にリードしていると伝えられ、第1回目の投票の結果によっては、他の候補者が辞退し、一挙に党員選挙に進む、もしくは、一挙に党首が決まる可能性がある。
有力候補者
テリーザ・メイ
最有力のメイ内相は、英国国教会の司祭の娘として生まれ、オックスフォード大学で地理学を学んだ。その後、イギリスの中央銀行であるイングランド銀行に勤務、そして金融機関で働きながら、ロンドンのマートン区議会議員も務めた。59歳。1997年に下院議員に当選。保守党幹事長などの重職を経て、2010年に、内閣で最も重要なポストの一つ内務相に就任。
メイ内相は、これまで内相として6年間務めてきたが、リスク回避の傾向が強い。失点を防ぐため、細かな問題にまで気を配りすぎ、先だっても内務省第二事務次官に内務委員会での応答をさせず、内務委員会ともめ事を起こした(拙稿参照)。内務省は、移民やセキュリティの問題を担当しているが、比較的小さな問題で得点稼ぎのためメディアに登場する一方、キャメロン政権の大きな公約である移民の削減は達成できず、この問題がメディアで大きく扱われる場合には、担当閣外大臣の影に隠れてきた(拙稿参照)。党首選立候補の記者会見で、自分の首相としての能力を見るには、自分の業績を見てくれと発言したが、内相としての「遺産」にはそう目立つものはない。イギリスがEUのメンバーであることから、できることが限られている上、さらに欧州人権条約によってもできることが限られている。なお、メイは、2016年4月、イギリスは欧州人権条約から離脱すべきだと主張した。しかし、イギリスがEUから離脱することとなった後、党首選立候補にあたって欧州人権条約からの離脱は求めないとした。欧州人権条約からの離脱には保守党内にも反対があり、党首選に邪魔になるという判断があると思われる。また、EUとの関係については、単一市場との関係を最優先し、人の移動の自由については柔軟に対応することを示唆した。メイは保守党党首(そして首相)となるために細心の注意を払ってきた。手堅いが、臆病と思われるような点があり、リスクをできるだけ避けるイメージがある。
EU国民投票では、もともと離脱派ではないかと見られていたが、キャメロン首相やオズボーン財相とともに、残留派に留まった。残留派のキャンペーンでは意識的に目立つのを避け、その結果、自分が傷つくのを避けられた。党首となる最有力候補であったジョンソンが出馬を断念した後、離脱派と残留派の両派をまとめられ、難しいEUとの離脱交渉を行える人物として期待が集まっている。
アンドレア・レッドサム
ウォーリック大学で政治学を学んだ後、金融機関に務めた。一時、地方議会議員として働いたことがあるが、下院議員となったのは2010年。53歳。エネルギー省の閣外相であるが、EU国民投票のキャンペーンで離脱派として、討論で注目を浴びた。離脱派のリーダー、ボリス・ジョンソンが出馬せず、突然立候補した、マイケル・ゴブが振るわない中、レッドサムに離脱派の期待が集まっている。レッドサムは、金融業界で25年働き、多くの経験があると主張したが、その政治的な能力は未知数である。実際のところ、有権者が、例えば、銀行のトップが首相となるようなことを歓迎するか疑問がある。
国民投票のキャンペーンの論点の一つは、EUからの移民の自由を認めるかどうかであった。しかし、これは単一市場へのアクセスを求めるには必須の条件だと考えられている。しかし、レッドサムは、単一市場へのアクセスにこだわっておらず、移民の自由を認める考えはない。この立場は、次のマイケル・ゴブも同じである。
マイケル・ゴブ
スコットランドに生まれた。母親が育てられず、養親に育てられた。オックスフォード大学ではイングリッシュ(英語学)を学ぶ。有名なオックスフォード同盟の会長ともなった。卒業後、新聞ジャーナリストとして働き、後にタイムズ紙に移る。2005年に下院議員。48歳。キャメロン党首の側近となり、2010年には、キャメロン政権の教育大臣に就任。管轄するイングランドの初等、中等学校のアカデミー化などを教員らの反対を押し切って強力に進め、また、これらの学校の首席視察官に、アカデミー化で成功した校長を任命し、レベルアップを推進。後に、法相となり、そこでも刑務所の改革に着手するなど、改革マインドを持った人物。
EU国民投票では、ジョンソンとともに離脱派をリードしたが、離脱側が勝った後、ジョンソンの党首選挙を応援する予定になっていたにもかかわらず、ジョンソンの首相としての能力に疑問を持ち、ジョンソンの立候補発表直前に自ら立候補することを発表した。それまで自分はカリスマがなく、首相にふさわしくない、なりたくないと繰り返し明言していたにもかかわらず、立候補したのである。ジョンソンは、ゴブの「裏切り」で出馬を断念した。
ただし、翌日の7月1日、ゴブをどう思うかきかれたジョンソンは、考えた上で「成功を祈る」と答えた。ジョンソンは100の役職(首相の任命できる政府のポスト)を300人(保守党下院議員330人)に約束していると批判した保守党下院議員がいるが、空手形をかなり切っていた可能性がある。6月29日に誤って送られたとされるゴブの妻のEメールでは、ジョンソン政権で最も重要な役割を担うと見られていたゴブにポストを約束するのを拒否していたようだ。重要な役職は、他の誰かに約束してしまっていた可能性がある。もしそうなら、ゴブがおとなしくしていることはできなかっただろう。
ゴブは、恐らく、今回の立候補者の中では、知的能力が最も高く、大臣としての実績が最もある人物だろう。7月1日に所信を発表したが、この機会にイギリスを改革すべきだと明言した。EU側との交渉を進めるには適任だろうが、その出馬の経緯から「裏切り者」としてのラベルが貼られ、支持者獲得に苦労している。