下院議員を辞職したキャメロン

デービッド・キャメロン前首相が下院議員を辞職した。6月23日に行われたEUの残留・離脱をめぐる国民投票で、首相として残留を推したにもかかわらず、国民は離脱を選択した。その結果の分かった6月24日、首相と保守党の党首を辞任することを発表し、後任のメイが首相となる7月13日、首相のポストを離れた。これまで下院議員の職を次の総選挙まで継続するとしていたが、突然辞職を発表したのである。

この理由には幾つかの憶測がある。まずは、メイ首相の推進している「グラマースクール」の問題である。これは、テストで優秀だと思われる児童を選別し、教育する中等学校である。キャメロンはその拡大に消極的で、そのことを首相として明言したが、メイは社会階層を流動化させるための手段として積極的に使おうとしている。しかし、これには保守党内でも批判があり、キャメロン政権下で教育相だったニッキー・モーガンが批判した。キャメロンが、この問題でメイの足を引っ張っているような印象を与えることを避けようとしたという見方である。

また、メイがキャメロンの政治的な遺産を次々に解体しようとしているのでそれに賛成できなかったという見方もある。さらに、キャメロン政権下の大臣で、メイ政権で陣笠議員となった下院議員がかなりいる。これらの議員の中にはかなり不満を持っている人がいると伝えられる。保守党のマジョリティ(保守党の議員数からそれ以外の政党の議員数を引いた数)が実質17であるため少数の反乱で議案が通らない事態が生じる。つまり、キャメロンがこれらの不満議員を操っているような憶測を招くような事態を避けようとしたという見方である。

総選挙が近いという憶測があったが、メイが次の総選挙は2020年としたため、キャメロンが下院議員を引退する機会が当面なくなったこともあろう。キャメロンがBBCとのインタビューで、これからのことを問われた時、はっきりと決めたものはないと答えたが、これは恐らく、内々に決めたものがあると理解した方がよいように思われる。まだ49歳のキャメロン(1966年10月9日生)にとって、次の総選挙まで4年近く下院議員として中途半端な立場にあるよりも、新しい方向に進み始めたほうがよいという判断もあろう。

キャメロンは、2005年に当時野党の保守党の党首となり、2010年総選挙では過半数を獲得できなかったが、自民党と連立政権を組んで首相となった。2015年総選挙で予想外に過半数を獲得したが、EU国民投票で足をすくわれた。次期総選挙前には首相を辞任すると約束していたが、その辞任の時期がかなり早くなった。首相を6年2か月務めたが、国民投票の実施を約束し、結果的にイギリスをEUから離脱させた首相として歴史に残るだろう。

キャメロンを批判するメディアも多い。右寄りのメディアは、キャメロンの中道寄りの政策を嫌っていた。また、キャメロンが新聞の報道の在り方を検証するレベソン調査委員会を設置し、その答申通り、強力な監視機関を設けることを実行しようとしたため、自分たちを守るために自己規制機関を設けざるを得なくなった。その過程で、ニューズ・オブ・ザ・ワールド紙が廃刊となった。そのため、キャメロン攻撃は、度を越しているといえる。

ただし、キャメロンが党首となってから、保守党を有権者に受け入れられるようにする努力は、2015年総選挙で過半数を獲得したことで成功し、しかも2010年キャメロン政権発足当時にあったような、イギリスの差し迫った経済危機の可能性は2015年までにはなくなり、G7の中でも最も成功した国の一つとなった。しかも、キャメロンの始めた選挙区の見直しで、保守党は非常に強い立場となろうとしている。その意味では、保守党へのキャメロンの貢献は少なくないものがある。