トニー・ブレアは労働党を1997年、2001年そして2005年と3回の総選挙で勝利に導き、2007年6月に54歳で首相を退いた。その最後となった2005年総選挙の開票の場でのブレアの苦虫をかみつぶしたような表情が今でも鮮明に思い浮かぶ。
1997年と2001年の総選挙では、労働党は地滑り的大勝利を収め、その獲得議席数は他の政党の合計を大きく上回ったが、2005年はそれが大きく減った(下表参照)。
総選挙年 | 全議席数 | 労働党 | 他政党 | マジョリティ |
1997年 |
659 |
418 |
241 |
177 |
2001年 |
659 |
413 |
246 |
167 |
2005年 |
646 |
355 |
291 |
64 |
2005年総選挙でほかの政党の合計議席との差(マジョリティ)を大きく減らした大きな原因は2003年のイラク戦争である。ブレアはイラク戦争参戦の責任を問われた。この総選挙の結果、労働党下院議員の中に次の総選挙を心配する声が高まった。
首相となる野心のあった当時財相のゴードン・ブラウンは、ブレアに自分に首相の座を譲るよう迫った。もともと二人の間には一定の時期に首相の座を譲るとの密約があったと噂されていたものの、実際にはその話は具体的なものではなかった。ブラウンは、このままでは自分が首相となる機会を失うと感じ、それがブレアへの要求を強めることとなった。結局、ブレアは2007年に首相の座をブラウンに譲り、ブラウンは2010年の総選挙まで首相を務める。
ブレアは、2005年の総選挙で勝利を収めたものの、大きく議席を失い、その党内での威信を大きく傷つけた。それが首相退任の大きな原因となった。
日本の安倍首相は前回の2012年12月の総選挙で地滑り的大勝利を収めた。しかし、この12月の総選挙ではその時ほどの議席は獲得できないと見られ、その威信を大きく傷つける可能性がある。