イギリスの最低賃金と生活賃金

イギリスの最低賃金は101日から時給6.50ポンド1183円:£1=182円)となった。これに併せて11月初め、基本的な生活費をまかなうことのできる賃金、生活賃金(Living Wage)が発表された。これはロンドンとそれ以外のイギリスとで別々であり、以下の通りである。

イギリス全体(ロンドンを除く)で7.85ポンド1429円)
ロンドンは9.15ポンド1665円)

最低賃金は法定であり、低賃金委員会(Low Pay Commission)が勧告し、財務相が決定する。なお、低賃金委員会は組合代表3人、使用者代表3人、労働市場専門家3人の9人のメンバーで構成されている。そして最低賃金は、歳入関税庁(HMRC)が取り締る。 

一方、生活賃金は、強制的なものではないが、現在までに公共機関や比較的小さな企業も含め、千余りの使用者が採用している。その数は前年より2倍以上に増えた。

なお、イギリス全体の生活賃金はラフブラ大学の社会政策研究センターが設定し、ロンドンの生活賃金は大ロンドン庁が設定している。

大手会計監査法人KPMGによると2013年には生活賃金時給7.65ポンド(当時)を下回る賃金受給者の数は520万人であり、労働力人口の22%で、その前年より1%増えた。

イギリス経済は雇用が伸びているものの、その多くは低賃金の雇用であり、しかも賃金の上昇(0.9%)がインフレ率(1.2%)に追いついていないという実態がある。

生活賃金の法定化?

最低賃金は、ブレア労働党政権下で保守党やビジネスの反対を押し切って導入されたが、生活賃金の法定化は、企業の人員削減を招くとの見方が強い。

20149月に労働党のミリバンド党首が、次期総選挙で労働党が勝てば、2020年までに最低賃金を8ポンド(1456円)にすると発言した。これに対して、賃金の問題に政治家が介入すべきではないという批判が貧困問題を扱う慈善団体などからもあったが、もともと最低賃金そのものの導入が政治的なものであったという事実を軽視しているように思える。

ミリバンドは、実際のところ、生活賃金を法定化したいという気持ちが強いのではないかと思われる(2012年の拙稿参照)。しかし、それは労働者の失業を招くという懸念があるほか、反ビジネスの政策と見られる可能性が高いことから、総選挙前にそのような考え方を示唆することを避けているように思われる。

現在の最低賃金制度の下では、政府が貧困家庭を減らすため、その低い収入を補うための様々な福祉給付を実施している。そのため低賃金を支払う企業が、間接的に公的な補助を受けていることとなっているが、低賃金を福祉で補うシステムは基本的におかしいと言える。つまり、あるべき姿としては、勤労者がきちんとした生活ができる賃金が使用者によって支払われ、それを社会で認め、支える仕組みが必要だと思われる。

日本ほどではないが、大きな政府債務を抱えたイギリスでは、政府赤字を減らし、国の債務を減らしていくために国民が自ら支えられる仕組みを作っていくことが急務であろう。高齢化の問題でも、日本ほどではないが、NHSなど健康医療の制度に非常に大きな負担がかかってきており、今後多額の追加予算が必要とされる。その中、社会的な責任関係の見直しが必要だ。

高い賃金は雇用や経済にマイナスばかりではない。この点で、スイスの例が参考になるかもしれない。スイスは世界の繁栄ランキングでノルウェーに次いで世界第2位である。その賃金は他の国に比べてはるかに高い。20145月の国民投票では、最低賃金を時間給22スイスフラン(2618円:1スイスフラン=119円)、すなわち月に4000スイスフラン(476千円)とすることを否決した。2010年の統計では、フルタイムの労働者の約10%が月に4000フラン以下だった。スイスには全国的な最低賃金法はないが、もしこの国民投票が可決されていれば、その実質的な購買力の比較で、2012年のOECD統計による、ルクセンブルグとフランスの10.60ドル(1219円:1USドル=115)やオーストラリアの10.20ドル(1173円)を上回る14.01ドル(1611円)となっていたという。国民投票は否決されたが、ディスカウントスーパーのリドルが、最低賃金を月4000スイスフランに上げるなどの動きが出ていたことが明らかになった。これらで浮き彫りになったのは、スイスの物価は高いが、労働者の非常に多くがかなり高い賃金を支払われているということである。それでもスイスは繁栄のレベルで世界のトップの国である。

もちろん生活賃金を法定化すれば、企業の解雇、海外投資の減少などで経済に影響が出る可能性がある。しかも上記で見られるように貧困問題を扱う団体なども反対するかもしれない。しかし、生活賃金を法定化するかどうかにかかわらず、使用者がきちんとした賃金を支払うべきだと社会的な合意を得ることが長期的には正しい方向のように思われる。