EU拒否権を行使して孤立した英国(Cameron’s gamble)

12月9日(金曜日)の朝6時のニュースで、キャメロン首相がEUサミットで拒否権を行使したと聞いて驚いた。欧州統一通貨ユーロの危機を救うことが主目的のサミットで、キャメロン首相は、独仏の提案した、関係国の財政自主権を制限する新条約に反対し、EU27か国の中で孤立したというニュースである。英国は、1973年にEUの前身のEECに加入して以来、拒否権を使うのは初めてのことである。

キャメロン首相は、この新条約は、英国の国益、特に金融関係(英国のGDPの10%を占める)を弱める可能性があり、英国の要求を拒否する以上、拒否権を行使するしかないとした。これは、英国内の多くの人々、並びにドイツのアンゲラ・メルケル首相とフランスのニコラ・サルコジ大統領にも予想外だった。キャメロン首相は、直前に拒否権行使も辞さないと発言していたが、これは、キャメロン首相の保守党内で強い勢力を持つEUとの関係を見直すべきだという欧州懐疑派を宥め、サミットでの交渉を有利に進めるための戦術だという見方が強かったためだ。

この拒否権行使で、英国内の欧州懐疑派は喜び、国民もそれに賛成している。12月11日のメイル・オン・サンデーの世論調査によると、62%が支持し、反対したのはわずかに19%だった。しかし、この拒否権行使で、英国はEUとの関係を根本的に変えることとなった。EU内での影響力が大幅に減り、特に中心国の独仏との関係が極めて悪くなった。

この拒否権行使の結果、英国がどうなるかは、専門家の中でも意見が異なる。しかし、間違いなく言えることは、EU一丸のユーロ危機解決策に参加を拒否した結果、ユーロ危機が深刻化する可能性に力を貸したということだ。ユーロが崩壊すると、ユーロに加盟していない英国もGDPが2年間で7%減少する可能性があると見られており、英国の立場は極めて不安定と言える。

しかし、英国内の政治状況を見ると、キャメロン首相の決断は、やむをえないものと言える。特に10月に下院でのEUとの関係に関する国民投票を行うという動議で、キャメロン首相が党所属議員に必ず反対投票するよう命じたにもかかわらず、81人もの保守党議員が賛成票を投じた。保守党内での欧州懐疑派の力は強まる傾向にある。これを受けて、キャメロンは11月14日のスピーチにも見られるように、ユーロ危機を利用してEUから若干の権限を取り戻そうとしたぐらいであったが、これは、事態を見誤っていたためだ。これがキャメロン首相を苦しい立場に自ら追い込んだという点は否定できない。

一方、2010年5月の、自民党との連立政権合意書でも、これ以上のEUへの権限の委譲は、国民投票なしでは行わないと明言し、それを英国の2011年EU法で法制化した。この法の公式説明書の48項で明示しているように、EUで経済、雇用政策に関する協調を進める場合には国民投票が必要だ。
(http://www.publications.parliament.uk/pa/bills/lbill/2010-2011/0055/en/2011055en.pdf#search=’European Union Act 2011 paragraph 48 Explanatory Notes’)
問題は、この時点で、そのような国民投票をするのはふさわしくなく、また、その準備もできていないことだ。EUとの関係は英国にとって極めて大切なもので、現在の状況を変えたくないのが本音だ。また、連立政権を構成する自民党を刺激したくない。

自民党は親EUであり、政権の危機を招くという見方がある。しかし、現在の世論の支持率から見ると、自民党が反旗を翻し、連立政権の解消、総選挙に向かうという可能性は少ない。2010年総選挙で、自民党はその支持率を増やしたものの、それまでの62議席から57議席に減らした。自民党は連立政権参加後、支持率が半分以下に下がっており、もし現在、総選挙があれば、議席数が10台にとどまる可能性がある。こういう状態では、常識的には選挙はない(この点については別項で改めて分析する)。

私は、キャメロン首相の取った判断は、大局的に見れば正しいと思う。特にEUの官僚が、それぞれの国の財政に細かく首を突っ込んでくるのはおかしい。むしろ、EUは、それぞれの加盟国が、自主的に財政を強化する体制を目指すべきだ。確かに、ドイツが財政支援しやすい体制を作る必要があり、危機に直面したユーロを守るために直ちに取り組め、金融市場が支持しやすい枠組みを作ろうとするのは理解できる。しかし、それがために硬直したEU制度を作り、将来への禍根を残すべきではない。英国は、これまでの影響力を失い、新しい将来像を模索しなければならないという課題があるが。

民主党政権の「政治主導」?(Japanese Democrats’ Misunderstandings 1)

2009年の総選挙で政権についた民主党は、英国流の政治を導入しようとしたようだ。「官僚主導」に代わって「政治主導」を行おうとし、さらにマニフェストに基づく政治を推進しようとした。これまでの政治から新しい形の政治のやり方に取り組もうとしたその意図は評価されるべきだが、どうも「英国流の政治」が何かを誤解していたために、これらはうまく機能しなかったように思われる。

まず、「政治主導」を行おうとすれば何が必要だろうか?首相並びに閣僚、そしてそれに次ぐ政府の要職に就く政治家の人々が「主導」するために必要なものだ。まず必要なのは人材だ。大臣として省を率いて行くことのできるリーダーシップのある人がいるだろうか?「官僚主導」の体制の構造と問題をよく知り、これまで知識を蓄積し、経験を積んできた官僚に対抗できる頭脳のある人がいるだろうか?実際のところ、英国でもこれらの質問にYesと答えられる場合はそう多くないと思われる。しかし、英国の制度には、人材を育てる仕組みが内在している。例えば、野党の影の内閣のメンバーは、下院で大臣らと丁々発止の議論を交わす過程で、それぞれの省の仕事を深く理解していくことができる。また、政策に関しては、政党内部で政策を作るためにスタッフがおり、それを可能にするショートマネーと呼ばれる補助金などが提供される。2010年5月の総選挙後、自民党が連立政権に入り、与党となったためにこの補助金が受けられなくなり、政策スタッフを多数解雇する必要に迫られたことがあるが、「政治主導」のためには、それぞれの政党がきちんとした政策を作ることが重要だ。また、英国には多くのシンクタンクがあり、政策を供給し、また、それぞれの政党の政策への批判がかなり活発に行われる土壌がある。一方、日本では、官僚が政策スタッフ並びにシンクタンクの役割まで担っている面があるように思われる。さらに、英国では、マスコミのそれぞれの政党の政策に関して批評する能力が高く、例えば、新聞紙では、それぞれがかなり異なった視点で評価し、その結果、かなり幅広い分析が行われる傾向がある。これらの条件が「政治主導」のひとつの背景となっていることを忘れてはならないだろう。

さらに、英国の政治の基本は、国家公務員はその省の大臣に対して責任を持つが、大臣は、国会に対してその省の責任を持つ。つまり、大臣の国会に対する位置づけが極めて明確だ。議員は政府に対して質問があれば、担当の職員に連絡して聞くのではなく、大臣に手紙を書く、もしくは議会で口頭の質問をする。国家公務員は、時の政権の大臣に対して仕えるからだ。もちろんサッチャー元首相も好んで見たと言われるテレビシリーズ「イエス、ミニスター」や「イエス、プライムミニスター」にあるように官僚と大臣との狐と狸の化かし合いのようなことはあるけれども。大臣たちにはレッドボックスと呼ばれるブリーフケースで、担当省、または担当部門に関する書類が次々送られ、大臣たちはこれらの書類に目を通し、決済する必要がある。これらの過程で、自分の担当省の内容を細かく理解することになる。

なお、財源の問題について、2010年の総選挙で保守党は、保守党が政権についた場合の政府の予算カットの財源として、保守党のために政府の無駄削減策を提言している元官僚の提案を入れ、それに基づいた数字を公に使っていた。ところが、英国の有力新聞フィナンシャル・タイムズ紙がこの人物に直接これらの数字について問いただしたところ、その数字がかなりあいまいであることがわかった。例えば、保守党は、国家公務員の削減は、定年や退職などの自然減で達成できると主張していたが、この計算の前提となる条件が適切ではないことがわかり、専門家が、大幅な人員解雇が行われなければその目標値は達成できないと指摘した。また、政府の契約関係の見直しで20から30億ポンド(2~3千億円余り)のお金が削減できるとの元官僚の計算は、連立政権が発足して見直しを始めた結果、契約解除や変更が予想ほど簡単ではなく、ほとんど無視できるほどのお金しか削減できなかった。これらに見られるように、英国でも野党は財源問題に苦しむ。問題は、政権の財政削減の目的が達成できるかどうかにあり、この点では現在の連立政権はこれまでのところ成功しているように見える。

財源問題では、ある程度似通った問題があるとはいえ、英国と日本とでは基礎的な条件がかなり異なっており、いきなり英国政治の一局面だけを捉え「政治主導」として日本にあてはめようとしても実際に運用できるだろうか?英国で長年の間に生まれ、育まれ、それぞれの時代に合うように変えられてきた慣習や条件なしに、「政治主導」のスローガンを唱え、その責任を与えようとするだけでは、その精神の導入はかなり困難だと言わざるをえない。