PFIを改善したPF2(PF2:Revamped PFI)

英国政府はこれまで公共事業に民間からの資金を導入するPFI(Private Finance Initiative)を積極的に使ってきた。これは、かなり大きな資金を必要とする初期投資を民間に任せ、政府はそれへの支払いを長期間(35年のものもある)かけて行うというものである。メージャー保守党政権下で始まり、労働党政権下で多用され、現政権でも使われている。この方法は、公共セクターに初期投資負担がなく、しかも、バランスシートに載せる必要がないことから、公共事業、特に学校、病院それに交通関係の事業などで多く使われてきた。現在、700余りある事業の債務総額は統計局によると1440億ポンド(19兆円)である。

しかしながら、国にとっては長期の債務を抱えることとなり、しかもこれまで担当の国家公務員らの交渉の不手際から、関係企業が多くの利益を上げたり、後にコストが大きく増加したり、効率が悪いなど様々な問題が出てきている。しかもこれまで、PFI事業が破綻する、または支払いが困難となったものもある。なお、政府では、調達担当能力のある公務員が少ないことから、養成することに力を入れ始めている。

これらのことを考慮し、これまでのPFIと基本の考え方は同じだが、それでは不十分だとしてそれを改善したものが導入されることとなった。このPF2には以下のような点でこれまでのPFIと異なる。

①公共セクターが資本参加する。具体的には20%程度を考えているようだが、最大49%まで。もしプロジェクト事業から利益が出れば、その利益の一定割合の配分を受ける。
②プロジェクト企業体に役員を送り込む。事業の状況を把握するためである。
③それぞれのプロジェクト事業は毎年その財務実績を発表する。
④財務省は毎年PFIとPF2事業の全体債務残高を発表する。債務総額をはっきりさせ、不安を除こうとするもので、③と合わせて透明化を図るものである。
⑤プロジェクト準備期間を短縮する。契約の調印や調達に最大5年程度かかっていたものを最大限18か月とする。その期間を越えれば、そのための公的資金は他へ振り向けられる。
⑥契約は小さく、簡単で、借入による資金調達を減らすものとする。ケータリング、掃除、セキュリティ、ITなどは契約から除く。また、これまで民間セクターは初期投資の10%を拠出すればよかったが、これを20%程度に増やし、資金調達コストを下げる。

トニー・ブレア元首相へ父の与えた影響(Tony Blair’s father)

トニー・ブレア元首相の成功は、11月16日に89歳で亡くなった父親レオの成功と挫折に拠っている。ブレアは、亡くなった父のことを「父として持ち、光栄に思う」と言った。今でも1997年にブレアが労働党党首として総選挙に勝利した直後の勝利集会で、ブレアが父からお祝の声をかけられたシーンが目に浮かぶ。

ブレアの父レオは、グラスゴーの貧しい造船工の夫婦に育てられた。芸人だった、生まれの親が子供を育てられないので、その夫婦に預けたのだ。貧しい家庭で育ったブレアが共産主義に関心を持ったのは当然の成り行きで、青年共産主義者の会の書記まで務めたほどだった。ところが、第二次世界大戦が始まり、出征したことが、レオの人生を大きく変える。レオはその能力を認められ、後に大尉となり、臨時少佐にまで出世した。

英国の軍では、いわゆるオフィサーとそれ以下では待遇が大きく違う。特に食事の場では、まったく違う扱いを受ける。オフィサーとなったレオは、その特権を満喫し、考え方が大きく異なることとなった。退役後、レオは、エディンバラ大学で法律を学び、その後、オーストラリアの大学で、そして英国に帰国後、名門大学のデュラム大学で法律を教えた。法廷弁護士としても活躍し、その結果、保守党に人脈を築いた。そして、地域の保守党支部の支部長となり、下院議員となることを目指していた。保守党中央の有力者が、何人もレオの家を訪れたそうだ。

ところが、40歳で突然、脳卒中で倒れた。そのため、長い療養生活を余儀なくされ、政治家への道はあきらめることとなる。

ブレアは、レオの成功で中流階級の家庭で育ち、中等教育は、スコットランドのイートン校と呼ばれる私立学校で受けた。その恩恵を受けたブレアは、オックスフォード大学へ進学し、中流階級の有権者から大きな支持を受けて、1997年の総選挙に勝利した。一方、もし、レオが保守党の下院議員となっていたならば、ブレアが労働党で大きな成功を遂げることは極めて難しかったろう。労働党内で、ブレアへの疑いが残ったからだろうからである。